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[00376]公益法人”で行政に異をとなえる自然保護活動ができるのか 返信 削除
投稿者:田村 義彦<maizu325@m4.kcn.ne.jp>
投稿日時:2011/06/01 15:10:15

<はじめに>
 この駄文はあくまでも日本山岳会会員の立場からの日本山岳会への発言です。
 日本山岳会会報「山」No.788によれば、1月理事会で「公益社団法人」申請が決定し3月の総会に諮ることになったとあります。なれば、この段階で疑問を呈してもすでに遅いのでしょう。したがって、この駄文も本来であれば、「山」あるいは自然保護委員会の「木の目草の芽」に投稿すべきでしようが、既に時を失しているので徒に編集者を煩わせるのは申し訳ないと考え、私が属する大台ヶ原・大峰の自然を守る会常任委員会の承認を得て、HPに掲載することにしました。
 勿論、守る会は任意団体であって所謂法人問題とは無関係ですが、自然保護に関わる者にとって、いま巷を惑わしている“法人問題”は、官僚が見直しの美名に隠れて法人支配を強化しようとする動きとして看過できないと考えるからです。 

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 私は、公益法人になる必要はないと考えます。しかし、法人問題には関心も知識も浅く、しっかりした理論武装はできていません。むしろ逆に、登山は自由な遊びで、その遊びのための山岳会なのだから公益性など意味不明の性格はいらない、と単純に考えるだけです。登山という行為は非日常的、反社会的性格が強いので、公益性とは遠いところにあると考えてきました。それが、登山ブームのなかで日常性を戻し、ついに公益性まで手にしたのかと信じがたい想いであります。それだけに、いままでの理事会のいろいろな意見が、最終段階にきて「いままでやってきたことに公益性があるのだから、今まで通りでよいのだ」と急に公益法人に収斂したことに強い違和感を覚えます。恣意性を感じるのは私ひとりでしょうか。 

 ひるがえって今回の「法人問題」を考えれば、尾上会長が「新しい法人制度への移行に」と題する文章で、率直明快に、「今回の法人制度改革は、私たちJACにとりましては無縁の、むしろ傍迷惑ともいえる法改正です。いままでとおりそっとしておいてほしいというのが本音です。この百年余りのJACの歴史が、いま、なぜ、無縁の法改正で翻弄されるのか。憤りさえ感じます。」と書かれていることに尽きると思います。
 法改正の目的は、いつものことながら、たてまえでは国民をあざむく結構な理屈を並べておいて、本音では法人天下り、支配強化を狙う官僚のたくらみだけに、私も憤りを禁じ得ません。そしてもし、会員の多くが憤れば、「遊び仲間の集まりだ、大きなお世話だからほっておいてくれ」で済ますことにならないのでしょうか。 

 しかし、そうはいかないのが現実であることは承知しています。それにしても、すでに語り尽くされた両論について今更感想は書きませんが、ただ一点、長く自然保護に関わってきた者としての危惧があります。
 「山」No.788掲載の織方郁映氏の文章には、「公益法人になったら、登山界のことを知らない、おまけに頻繁に変わる内閣府の担当者から山岳会の事業の監査を受けるという屈辱的で煩雑な作業に耐えねばならない。登山者は(略)自由と自律を求める人種なはずです。それがどうして、少々の餌に釣られて役人が管理する牧場の柵の中に入ろうとするでしょうか」と書かれています。とんでもないことです。官僚の監査や柵の屈辱に耐えることなどできません。 

 この国の自然破壊は、開発資本を行政が承認、バックアップする形で進められてきました。勿論、公共事業のように行政が主体で税金をつかって資本を使う形も良く知られています。したがって、自然保護活動とはその行政に対して異議を申し立てることでした。その行政から監査を受けるようでは異議申し立てはできません。出来るのは、行政から補助金をもらった補完作業くらいです。それを“公益性”があると自己満足するのでは、なにおかいわんやであります。 

 日本山岳会は創立以来、自然の愛護、尊重を重視してきました。大正15年の武田久吉の「日川渓谷の濫伐と保護運動」は山梨県の計画に対する反対でした。更に、昭和10年には富士山ケーブルについて、政府関係者が貴重な国宝的地域の壊滅に黙して立たないのは我が国土に対する認識の欠如であると非難しています。列挙しませんが、その後の自然保護活動も多くは行政に対する異議申し立てでありました。現在では定款の目的に掲げられている自然保護活動の長い歴史がここで閉ざされる可能性が極めて大きいのですが、それを承知で公益法人になってよいのでしょうか。 

 尤も、日本山岳会のなかに行政に楯突くことを善しとしない風潮が根強くあることも承知しています。白眼視、非難されたことはしばしばで、骨身にしみています。自然保護担当理事に「日本山岳会は登山団体だから、自然保護が嫌ならおやめになったら」と申し上げたことが何度かあります。この風潮からすれば、これからは、行政への異議申し立てだけが自然保護ではないのだと言い捨てて、行政の補完作業をもって公益性ありと喜ぶことになるのでしょう。 

 織方氏は、公益法人化を支持するのは「社会貢献に生き甲斐を求めはじめた高齢会員だ」と批判しますが、高齢会員のはしくれとして、かつて重荷を背に黙々と岩を攀じた若い頃は“公益性”など考えもしませんでしたし、馬齢を重ねたいま、“社会貢献”の偽善に心動かされることもありません。自然保護は社会貢献だとか公益性などを考えてすることではなく、己がほとばしる怒りの発露です。
 私はいま、黙して語らない高齢会員の発言に期待したいと思っています。精神の自由と自律を求めるアルピニストの血は高齢会員の老体にいまだ脈々と流れていると信じています。公益性とやらの偽善、社会貢献の美名、見栄に弱いのはむしろ若い層ではないでしょうか。山岳会創立時の気高い精神に立ち返るには先達である高齢会員の発言が必要です。 

 蛇足ながら、個人的なことで恐縮ですが、NPO法人設立が流行った昔、筆者が属する自然保護団体で認可について調べたことがありましたが、事業計画と報告を毎年県知事に提出してお墨付をいただかなければならないことを知って申請を止めました。当時、県が行っていた国立公園内での過剰施設整備による自然破壊に反対ことができなくなるからです。県の事業に反対するNPO法人の事業計画を県の役人が認めるはずがありません。また、自然破壊を為す県知事にむかって事業認可を請う屈辱にも耐えられないと考えました。
 爾来、「あえてNPO法人の認可を受けない自然保護団体」をロゴにしょうかと考えてきました。まだ実行していませんが、官僚と政治屋がこのような腹立たしい問題で巷を惑わすようであれば、この際、官僚への皮肉をこめて実行したいと思うようになりました。
 あえて「一般法人にとどまる日本山岳会」であるからこそ、真摯に高みを望む登山者に存在価値が認められ、意義深くなるものと信じます。 


会員番号5510 


(PC等)

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