手賀沼文学散歩

手賀沼文学散歩                                                                                      記 三木

「どうです、良い眺めでしょ…」。案内してくれた湯下さんが沼を指さした。晴れていれば富士山も見えるとか。キラキラと冬の陽ざしを受けて波光がまぶしい。くるり振り向くと端正な双耳峰の筑波山があった。 我孫子駅前の行政施設「けやきプラザ」は、我孫子全体が見渡せる新名所だそうだ。きょうの文学散歩はここから出発。講道館の創設者であり教育者でもあった嘉納治五郎の別荘跡へ向かう。手賀沼を見下ろす高台は天神山と呼ばれ、建物などは残っていないが大きなスダジイの木が一本あり、「これが美味いんですよ」と小板橋さんがドングリを口にした。つられて食べてみた。なるほど、甘みがあって美味かった。いったん丘を下り、登り返せば民俗学者柳田国男と交流のあった新聞記者の杉村楚人冠公園だ。ここからも沼が見えた。 もともと沼べりの道だった「ハケの道」を歩けば志賀直哉が暮らした邸跡だ。当時、手賀沼に沿った道沿いの志賀の家からは一日中手賀沼や富士山が見えたという。「深い秋の静かな晩だった。沼の上を雁がないて通る。細君は食台の上の洋灯を引き寄せてその下で針仕事をしている…」。志賀の作品『好人物の夫婦』は手賀沼の生活を描く。「北の鎌倉」とも呼ばれ、大正時代に多くの白樺派の作家たちが集まった我孫子だが、私が駆け出しの新聞記者のころ、手賀沼は「日本一汚れた沼」の汚名を着せられていた。急な開発に追いつかない下水道整備。家庭雑排水は沼に垂れ流された。しかし時が流れ環境意識の高まりとともに沼も大きく変わった。沼を見ながらの昼食。野鳥が羽を休め、楽しそうに散策する親子連れの姿がたくさん見受けられた。沼のほとりには嘉納治五郎と師弟関係にあった村川堅固の別荘もあり立ち寄った。また県北屈指の遺跡「根戸城址」の所有者は湯下さんのお姉さんで、コーヒーをいただいた。帰りに「あびこ」を逆に読んだような「コビアン」というユニークな店で軽く一杯。つい長居をしてしまう。

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