藤島玄『登山ノート』の紹介

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 登山ノート作成者・藤島玄氏の略歴

 明治37年(1904)生まれ、大正8年(1919)町内青年会主催の五頭登山に初登山。 同年新潟鐵工所新潟工場に入社(15歳)。 昭和46年(1946)日本山岳会越後支部を結成し支部長就任。 昭和25年(1950)第1回高頭祭挙行。 昭和39年(1964)新潟国体山岳競技を飯豊連峰にて実施。 昭和49年(1974)飯豊連峰連続50年登山す。   昭和63年(1988)9月逝去(満84歳)

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 ノートは、山行時のポケット手帳から「登山ノート」へ書き写し、清書してきたもので、地域別のジャンル毎にノートが作成された。県内の山は、1年から4年分を1冊として記録したものが多く、それ以外の地域は1冊で数年以上から20年に亘るものもある。

ノートは、全58冊と別冊4冊の計62冊、総ページ数4,900ページ。大正8年(1919)から昭和59年(1984)までの65年間について記述されている。ノートに題名が付されているが、平田大六元越後支部長がノートの内容から適宜付けられた。大別して、近場の山、県内の山、飯豊連峰、朝日連峰、県外の山、外国旅行記がある。

 

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ノートの紙の劣化が激しく、ボロボロ欠損し、紙色も濃茶色変色で文字の判読が難しくなっていたので、データ化し、色の脱色調整し、ページ付けし、製本し、藤島蔵書図書館に格納されている。

藤島氏は、五頭山から始め、二王子岳へと進み、飯豊連峰、朝日連峰等々へと、歩みを進めた。越後に於ける登山の黎明期から、円熟した登山を開拓していった一人であり、山岳関係者を県内、県外も含めて引っ張ってゆこうとする意志が強く感じられ、山に対する情熱は強烈なものだった。卓越した指導力で登山界の結束に貢献し、登山の勝利者から登山界の統率者に至った。 日本国中の山を登ってやろうという豊かな登山感を築いていると感じた。特に、飯豊、朝日、磐梯の「磐梯朝日国立公園」を全て把握したい。後に国立公園管理員に任命されている。「越後の山旅」上巻、下巻等や「飯豊連峰大地図」や「越後三山修正図」などに心血を注いで作ることに向かったようで、県内外の岳人の具体的な指針となった傑作である。諸物の根源や事物の解説を厖大な量の辞典など(同図書館蔵)を駆使し、解明し、凡そ学究的に捉えている。

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登山の行動  大正8年、9年、10年、11年は、各1回の記録。もっと行っていたはずと考える。初期には、「新潟鐵工所登山とスキー倶楽部」メンバーと山行。昭和2年(1927)23歳でご結婚され、翌年の昭和3年の山行ノートは、湯の平温泉、北股岳~飯豊山、鷹巣温泉スキー、多宝山・弥彦山。昭和7年(1932)は二王子岳~飯豊山、諏訪峠小屋の2件と、少ない年もあった。それ以外は沢山の山に行かれている様子。 用具と食料、服装、持ち物、情報の収集、登山先の研究を精力的に行っている。 登山の日数調べから相当長期に出歩いていることがわかる。

登山の形態 単独行か複数行かは、おしなべて見ると、複数行で行動する形態だった。 登山の広がりは、登山先が多方面に広がっている。近場の山、県内の山、飯豊連峰、朝日連峰、県外の山々等々と無限に広がっていった。

 登山ノートの記述 ノート整理を10数年後にポケット手帳から整理を行っている。 

 自分のことを「余」と表現している、漢文風な文章、明治生まれ特有の候文もあった。 ①山名、標高、登山年月日、②同行者、③費用、④支度・用具(装備)、食糧、⑤紀行文(旅の状況、見聞きしたこと、感想などの文章)、⑥紀行文の構成(家を出る前のこと、家庭のこと、山仲間の挙動。家を出てから駅・バス停までの状況の記述。電車・バス・自動車から外の状況・風景の記述。車中の飲食の状況の記述。登山口までの神社仏閣、仏像の故事来歴等や風景の記述。登山口からの行動は簡単に記述。要は簡易でわかりやすいもの。山の神などの大きさ、書き記された内容を写す。雲の動き、花の名前、咲き具合、人の動きなど。)それと、酒は日本酒、ウイスキー、焼酎は必ずどんな時でも欠かせない。

 うれしいとかの感情表現がほとんど無く、淡々と事実を記述している。ただ愚痴や悪口などは結構ある。たまに、いい表現が出てくる。5月4日二王子岳登山、9時山頂。「初めて飯豊連峰を近々と観て、その壮大なるに驚く」、昭和11年2月29日~3月1日三光沢~二王子岳~田貝川「我等のシプールの跡の晴々しく美麗だ。左右の両岸の樹氷は何という美しさだろうか、驚喜してしまった。空は青いのだ、氷はスカブラとなり波状とも、縮緬波とも、何とも云えぬ月宮殿だ。登るに従いクラストとなり、それがなかなか骨だ。こんなに美しい世界にいた事はなかった」

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著名人が来られても、淡々として共に山に入るという態度を崩していない、槙有恒、日高新六郎、深田久弥、今西錦司等々とお付き合いをしている。

 歌も沢山詠んでる。 昭和28年7月1日~4日谷川岳行に詠める歌 

   ① うぐいすの 残月高く かかれるも 朝の峰々 黒く眠れる

   ② 雲なびく 苗場の峰の神宿り 古の人は 何処に眺めしや

     ③ 雪残る 茂倉岳の草原に 花も咲きたり雲立ちたり

 ノートをデータ化し、判読容易にするため、黒茶色となった紙色を白色に近くし、拡大印刷し、目次を付し、利用が容易になるよう整えたもので、添付資料として「藤島玄登山ノート表題集」「ノート年表図」「日付順等一覧」「山名・山域等別登山状況」「登山の日数調べ」「人夫賃の変遷」として掲載した。

機会がありましたら関川村教育委員会(せきかわ歴史とみちの館・関川村下関1311 電話0254-64-1288)に問い合わせてから藤島蔵書を訪ね、氏の登山人生の一端でも読み触れていただけたら整理に携わった者達にとって大変嬉しく思う次第です。  

                                            田邊信行

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