藤島蔵書の最近のブログ記事

1.主 旨 

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 日本山岳会越後支部長を創立以来長年に渡り務められた藤島玄(本名、源太郎1904~1988)の私蔵書の殆どを、ご遺族から関川村へご寄贈されたのは1990年である。

2010年頃から、日本山岳会越後支部の有志の方々が部分的に閲覧をされていた。

 

本格的に有志の力で整理を始めたのは、2014年に総ての蔵書が、関川村の川北ふれあい自然の家(旧川北小学校)の三階の一室に移動されてからである。

 

 

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蔵書の整理をほぼ完了した2015年6月25日には、一般にむけて報告会を開催した。

その後、2017年5月18日に地元の関川村と日本山岳会越後支部との間で、この蔵書を中心とした活用などについて協定を締結した。

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 最近は、日本山岳会越後支部、新潟県山岳協会、地元の関川村山の会などの有志の方々により、定期的に、さらなる分類や研究活動がつづけられている。一方、蔵書の存在は広く岳人や愛好家に知られ、見学来館者も多くなっている。

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  研究会の様子       平田大六代表        見学者の資料調査 

 

 本報告会は、その研究の一端を公開報告して、ご理解・助言をいただき、いっそうの普及紹介をするとともに、さらなる研究をすすめることを目的とする。

 

2.日 時   2019年11月21日(木)

3.会 場  関川村川北ふれあい自然の家3F(旧・川北小学校 関川村小見140)

4.内 容   ①蔵書一般公開   10:00~16:00

        ②研究報告会    13:30~16:00

5.研究報告会概要

     (1)藤島玄と関川村   関川村下関住 津野庄衛先生

     (2)深田久弥と藤島玄       高辻謙輔 (会員)

     (3)藤島玄の報文と掲載誌     田邊信行 (会員)

     (4)飯豊連峰集成図のその後    谷中隆明 (会員)

     (5)藤島玄を支えた女流登山家たち 平田大六 (会員)

 

6.主 催    藤島蔵書研究会 (代表 平田大六)

7.後 援    関川村教育委員会、日本山岳会越後支部、新潟県山岳協会

8.問い合わせ先    せきかわ歴史とみちの館  0254-64-1288 9:00~  

                  画像はクリックで拡大します

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 登山ノート作成者・藤島玄氏の略歴

 明治37年(1904)生まれ、大正8年(1919)町内青年会主催の五頭登山に初登山。 同年新潟鐵工所新潟工場に入社(15歳)。 昭和46年(1946)日本山岳会越後支部を結成し支部長就任。 昭和25年(1950)第1回高頭祭挙行。 昭和39年(1964)新潟国体山岳競技を飯豊連峰にて実施。 昭和49年(1974)飯豊連峰連続50年登山す。   昭和63年(1988)9月逝去(満84歳)

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 ノートは、山行時のポケット手帳から「登山ノート」へ書き写し、清書してきたもので、地域別のジャンル毎にノートが作成された。県内の山は、1年から4年分を1冊として記録したものが多く、それ以外の地域は1冊で数年以上から20年に亘るものもある。

ノートは、全58冊と別冊4冊の計62冊、総ページ数4,900ページ。大正8年(1919)から昭和59年(1984)までの65年間について記述されている。ノートに題名が付されているが、平田大六元越後支部長がノートの内容から適宜付けられた。大別して、近場の山、県内の山、飯豊連峰、朝日連峰、県外の山、外国旅行記がある。

 

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ノートの紙の劣化が激しく、ボロボロ欠損し、紙色も濃茶色変色で文字の判読が難しくなっていたので、データ化し、色の脱色調整し、ページ付けし、製本し、藤島蔵書図書館に格納されている。

藤島氏は、五頭山から始め、二王子岳へと進み、飯豊連峰、朝日連峰等々へと、歩みを進めた。越後に於ける登山の黎明期から、円熟した登山を開拓していった一人であり、山岳関係者を県内、県外も含めて引っ張ってゆこうとする意志が強く感じられ、山に対する情熱は強烈なものだった。卓越した指導力で登山界の結束に貢献し、登山の勝利者から登山界の統率者に至った。 日本国中の山を登ってやろうという豊かな登山感を築いていると感じた。特に、飯豊、朝日、磐梯の「磐梯朝日国立公園」を全て把握したい。後に国立公園管理員に任命されている。「越後の山旅」上巻、下巻等や「飯豊連峰大地図」や「越後三山修正図」などに心血を注いで作ることに向かったようで、県内外の岳人の具体的な指針となった傑作である。諸物の根源や事物の解説を厖大な量の辞典など(同図書館蔵)を駆使し、解明し、凡そ学究的に捉えている。

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登山の行動  大正8年、9年、10年、11年は、各1回の記録。もっと行っていたはずと考える。初期には、「新潟鐵工所登山とスキー倶楽部」メンバーと山行。昭和2年(1927)23歳でご結婚され、翌年の昭和3年の山行ノートは、湯の平温泉、北股岳~飯豊山、鷹巣温泉スキー、多宝山・弥彦山。昭和7年(1932)は二王子岳~飯豊山、諏訪峠小屋の2件と、少ない年もあった。それ以外は沢山の山に行かれている様子。 用具と食料、服装、持ち物、情報の収集、登山先の研究を精力的に行っている。 登山の日数調べから相当長期に出歩いていることがわかる。

登山の形態 単独行か複数行かは、おしなべて見ると、複数行で行動する形態だった。 登山の広がりは、登山先が多方面に広がっている。近場の山、県内の山、飯豊連峰、朝日連峰、県外の山々等々と無限に広がっていった。

 登山ノートの記述 ノート整理を10数年後にポケット手帳から整理を行っている。 

 自分のことを「余」と表現している、漢文風な文章、明治生まれ特有の候文もあった。 ①山名、標高、登山年月日、②同行者、③費用、④支度・用具(装備)、食糧、⑤紀行文(旅の状況、見聞きしたこと、感想などの文章)、⑥紀行文の構成(家を出る前のこと、家庭のこと、山仲間の挙動。家を出てから駅・バス停までの状況の記述。電車・バス・自動車から外の状況・風景の記述。車中の飲食の状況の記述。登山口までの神社仏閣、仏像の故事来歴等や風景の記述。登山口からの行動は簡単に記述。要は簡易でわかりやすいもの。山の神などの大きさ、書き記された内容を写す。雲の動き、花の名前、咲き具合、人の動きなど。)それと、酒は日本酒、ウイスキー、焼酎は必ずどんな時でも欠かせない。

 うれしいとかの感情表現がほとんど無く、淡々と事実を記述している。ただ愚痴や悪口などは結構ある。たまに、いい表現が出てくる。5月4日二王子岳登山、9時山頂。「初めて飯豊連峰を近々と観て、その壮大なるに驚く」、昭和11年2月29日~3月1日三光沢~二王子岳~田貝川「我等のシプールの跡の晴々しく美麗だ。左右の両岸の樹氷は何という美しさだろうか、驚喜してしまった。空は青いのだ、氷はスカブラとなり波状とも、縮緬波とも、何とも云えぬ月宮殿だ。登るに従いクラストとなり、それがなかなか骨だ。こんなに美しい世界にいた事はなかった」

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著名人が来られても、淡々として共に山に入るという態度を崩していない、槙有恒、日高新六郎、深田久弥、今西錦司等々とお付き合いをしている。

 歌も沢山詠んでる。 昭和28年7月1日~4日谷川岳行に詠める歌 

   ① うぐいすの 残月高く かかれるも 朝の峰々 黒く眠れる

   ② 雲なびく 苗場の峰の神宿り 古の人は 何処に眺めしや

     ③ 雪残る 茂倉岳の草原に 花も咲きたり雲立ちたり

 ノートをデータ化し、判読容易にするため、黒茶色となった紙色を白色に近くし、拡大印刷し、目次を付し、利用が容易になるよう整えたもので、添付資料として「藤島玄登山ノート表題集」「ノート年表図」「日付順等一覧」「山名・山域等別登山状況」「登山の日数調べ」「人夫賃の変遷」として掲載した。

機会がありましたら関川村教育委員会(せきかわ歴史とみちの館・関川村下関1311 電話0254-64-1288)に問い合わせてから藤島蔵書を訪ね、氏の登山人生の一端でも読み触れていただけたら整理に携わった者達にとって大変嬉しく思う次第です。  

                                            田邊信行

 写真はクリックで拡大します。

 

 

 

 

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 藤島玄氏は、戦後における新潟県の山岳会活動において重鎮的な存在であり、その功績は、苗場山を全国に紹介した山の先覚者である大平晟、日本山岳会創設者の一人である高頭仁兵衛氏に次ぐものです。 戦後間もない1946年(昭和21年)関西旅行の帰途、戦災で焼け野原の東京に立ち寄り天幕のJAC仮事務所を来訪し支部結成を決め、その年の12月5日高頭仁兵衛翁宅にて発起人会を開き越後支部を創設し、関西支部に続き第2番目の支部結成となりました。

 新潟の祝町の長男として明治37年(1905)に誕生し、源太郎と名ずけられました。

藤島氏の登山原点は、12歳6年生の時、父源蔵保有の帆船から残雪の山々を見て、「新潟から見える山々のすべてを登り尽くす念願を立てた」時からであると言っていました。そして、見える下越の山々を登り、34歳になって「山ノ下砂丘からの望見山岳展開図」を完成させています。

藤島氏は、15歳で新潟尋常高等小学校を卒業し、新潟鉄工所に入社。その年五頭山登山の記録を残しています。21歳で「北越登行会」を結成し、23歳の3月に結婚し6月に日本山岳会に入会(会員番号1033)しています。

                

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24歳で「越後山岳会」を創立。32歳で新潟鉄工所に「登山とスキー部」を創立。

34歳「日光寺スキー倶楽部」を創立。42歳「日本山岳会越後支部」を結成し、山仲間と県下の山岳会をリードしてきました。

飯豊連峰との関わり合いは、12歳の時、大きく白く輝いていた飯豊を見てから10年後の21歳の時会津より飯豊山に登ったのを皮切りに、70歳で連続50年記念登山をし、74歳で飯豊連峰全縦走を成し遂げ、この間121回の飯豊連峰入山記録を残しています。

 

藤島氏の執筆活動は、日本山岳会入会の翌年から会報の「山岳」等に投稿を始め、「登山とスキー部」の部報に多くの山行記録を投稿しています。

 

 

 

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越後支部を立ち上げると同時に「越後山岳」を編集・発行を手掛け、45歳で新潟鉄工所を退職し、以降「著述業」に専念し、山岳地域の地誌、民族関係、加えて克明な地図を盛り込んだ「越後の山旅」の上・中・下越版を発行し、また、「磐梯朝日国立公園 飯豊連峰大地図」は飯豊連峰開拓に傾けた気概のあらわれであり、2000メートル以下で氷や岩の領域には程遠いものと断わって、経験を著した「冬山の覚書」は当時の山岳関係者には、バイブル的な存在であり、いまでも大いなる山岳参考書となっています。    遠藤 家之進正和

      

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←:飯豊本山

          →:亮平の池より飯豊本山

     画像はクリックで拡大します

 関川村にも春が来て、桜の時期になりました。蔵書の窓から残雪の杁差が望まれます。

 今年も整理作業を再開致しました。一般の方の訪問も受け付けます

場所 : 川北ふれあい自然の家(旧川北小学校校舎)3階普通教室

住所 : 関川村大字小見(おおみ)140   アクセスは藤島蔵書案内図.pdf

入館・閲覧 : 常駐者がおりません。希望者は管理者に連絡をして許可をお取り下さい

入館・閲覧記録の記帳が必要になります。

管理者: 関川村敎育委員会 「せきかわ歴史とみちの館」通称 歴史館

    関川村下関1311 電話:0254-64-1288 開館時間 : 9:00~16:30 

    休館日 : 毎週月曜日と年末年始、月曜日が祝日の場合は火曜日

      

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     藤島 玄氏の初期の著作を1冊だけ紹介します

  1958 飯豊・朝日連峰 マウンテン ガイドブックス シリーズ29 朋文堂 

  A-5版 巻末に 飯豊連峰・朝日連峰の登山地図付

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 著者54歳の著作で朋文堂より昭和33年7月に発行されました。

・飯豊・朝日大観から書き起こし、

・地形と地質で、(1)地史で生い立ち (2)地質構造 (3)地形 

その後、・気象 ・飯豊山の人文とここまでで55頁を、全191頁の3分の1を

使っています。コース案内を記した後、「藪はみちなり」、「沢も道なり」

と著者の体験から得られた、知見が記載されています。最後に

あとがき はじかき ありがとう.pdfで著者の想いが強く滲み出ている本です。

今のガイドブックとは完全に違い凄い意気込みが感じられます。

氏が集めた蔵書数は、6000冊を越えますが、それ以外にも氏の幅広い知識

経験を生み出したスクラップブック・書簡集・年代別の氏の登山ノート等

かなりの資料が見学できます。            

 

 


 藤島 玄氏は日本山岳会会員NO.1033で日本山岳会越後

支部を昭和21年(1946)に創立されました。

生涯を越後の山登りにかけ、県内山岳の踏査、研究

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紹介、後輩の指導、登山設備、

ルート開拓のアドバイス等に尽力さ

ました。

 

 そして『飯豊連峰大地図』

(五万図)『越後の山旅』

に出しました。   

現在のコースタイム主体の

ガイドブックと違い、地質、史、

植物、動物、民俗を網羅した

総合的な書籍になっており、

越後の岳人のバイブルと言過言

でありません。

 

氏が生涯をかけて集めた書籍

・切り抜き・地図とその作成過

一同に展示しているのが

【藤島蔵書】です。

 

   

       

      撮影:髙橋 庄一

 

 

 

 

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藤島蔵書室内(旧川北小学校図書室を利用)

 

 氏のご遺族より1990年に飯豊山麓の関川村に蔵書が寄贈されました。関川村山の会が整理をして、

 2010年越後支部の助成金を基に蔵書目録が作成され、2014年蔵書類を

 「関川村川北ふれあい自然の家」へ移管するに当り、

 その根本的な整理を実施して全面展示に至っております。

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藤島氏愛用品   『越後の山旅』とその校正原稿
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『飯豊連峯大地図』   藤島氏著作と『越後山岳』
     

越後支部は関川村所有の藤島蔵書に係る諸施設の利用促進を図るために、遠藤越後支部長

関川村平田村長との間で連携協定を締結しました。 

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2017年5月17日協定調印   藤島氏の山行ノートをワードに貼付展示

 

閲覧について

 常にオープンしている図書室ではありませんので、事前予約が必要です。

 連絡先: 関川村歴史と道の館 0254-64-1288  新潟県岩船郡関川村大字下関1311番地

 受付 ; 9:00~15:00にて日時を打ち合わせ下さい。

 案内人の方が同行させて頂きます。図書等の貸出は致しませんが、写真撮影は可としております。

 

アクセス

   歴史と道の館から藤島蔵書のある川北ふれあい自然の家(3階)まで車で10分以内です.