里山歴史研究会

■ 2020.01.09

里山歴史研究会 No.26「浄発願寺奥の院 日向薬師 日向山」報告

「浄発願寺奥の院 日向薬師 日向山」報告              

  2019年12月14日

  

 

「浄発願寺奥の院、日向薬師、日向山を巡る」            N・U

12月14日、冬とは思えないほど暖かい陽気の中、紅葉を愛でながら伊勢原日向地区の里山を歩いた。

霊峰大山の見晴台から九十九曲がりを過ぎると林道に突き当たり、更に下っていくと一の沢橋に出る。その際に浄発願寺奥の院への入口がある。

今は、殆ど訪れる人もまれな寺の跡である。 昭和13年秋、山津波で全山流されたが、当時の本堂や庫裏の遺構が残っている。歳月を感じる参道には苔むした多くの石像があり、頭部が丸い岩だけのものが多いが、十分見応えがある。資料によると、徳川家康が浄発願寺領として一の沢の土地16万5千坪寄進したとのこと。

江戸時代、この寺を「駆け込み寺」といい、火付け、殺人以外の罪はこの寺に逃げ込めば免れたという。見事なモミジの大木の際に囚人が作ったといわれる53段の階段が残っている。広々した本堂や庫裏、水場も明らかに確認できる。また、小沢を渡って更に登っていくと、僧が修行したという岩屋がある。

内部は真っ暗でライトをつけて見ると墓石、穏やかな顔の仏像、仏塔がずらりと並んでいる。

雨水が沁み出て、しっとりした暗闇からのどこかから蛙の鳴き声が聞こえてくる。

いにしえの人や囚人の亡霊かな?  現在の浄発願寺は、ここから1㎞下った処に立派な三重塔が建つ境内にあり、賑わいをみせている。

次に6年の歳月をかけて再建された、薬師如来坐像をご本尊とする古刹、日向薬師を目指す。駐車場の有る裏参道からの登拝をやめて、趣のある表参道の階段を登る。

途中、源頼朝が旅装から白装束に着替えた「衣装場(いしば)」や、左右の金剛力士に囲まれた仁王門を通り、新装なった日向薬師本堂に着く。

本堂左手の寺務所で歴史ある寺院に相応しい御朱印をいただく。

境内には春は桜、冬は梅と見事な景観が見られ大変な賑わいであるが、今は落ち葉に埋まり辺りはひっそりとしている。薬師如来坐像に手を合わせて先を急いだ。

日向山は手軽なハイキングコースで、丹沢山塊の低山(404m)であるが展望には恵まれていない。山頂からこの春、鐘ケ嶽の帰りに寄った見城山を経由し、バス停高旗観音に降り、予定より30分以上早く着き15時台のバスで本厚木駅に着いた。乾杯。

参加者 男性:1名 女性:3名

 

「浄発願寺から日向薬師 日向山 へ」               М.F

地図の上で歩いた道をたどる。この山とこちらの山がつながった。こんな喜びを沢山味わっていることと思う。今回も春の山行・見城山と日向薬師が一本の線に。短い道のりでも嬉しい。地図上の線は想像するだけでも楽しい。

さて、今回の山行である。ちょっと寄り道の浄発願寺奥の院がよかった。昭和13年秋、山津波で全山流されて本堂や庫裏の遺構が残っている。参道には石像が多く残っているお顔がないものもありたくさんの人たちを迎えたのだろうなあと感慨深い。またこのお寺は駆け込み寺だったそうである。囚人が作ったといわれている53段の石段は歩きやすい高さである。「ありがとうございます」の思いが。そばには見事なもみじが初冬の山を色づかせている。またさらに登ると僧が修行した岩屋がある。真っ暗でライトをつけてもらって中にはいる。仏像や仏塔が並んでいる。カエルの鳴き声がした。最初カエルと分からず怖がりのや私はなんだろうと早く出ようと思った。勿論カエルを探す勇気はなかった。

さあこれから目的の日向薬師さまへ。表参道は歩きごたえのある参道である。本堂の薬師如来坐像へ手を合わせ道中の無事を祈る。昼食をとり日向山(404m)をめざす。眺望はきかないのでゆっくりすることもなく先を急ぐ。見城山への道はどんどん下る、心配なほどである。そして登り。短いが登りでのある山道。見城山からは鐘ケ嶽などの眺望を楽しみ、急な山道を予定通り七沢温泉に降りた。登り納めの山行はのんびりとゆったりと感謝の一日であった。

 

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浄発願寺三重塔   日向薬師本堂   浄発願寺奥の院罪びとが築いた53の石段
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浄発願寺奥の院本堂跡   日向山山頂