お知らせ山想倶楽部

■ 2018.05.17

お花見山行と茅が岳登山

 

お花見山行と茅が岳登山

記・川村光子

 

期 日 平成30410日~11

 

参加者 石原達夫、吉永英明、横田昭夫、高橋 聰、醍醐準一、菊池武明、小笠原達夫、

西谷隆亘、西谷可江、武田鞆子、廣島孝子、藤川智恵子、関口由美子、川村光子 14

 

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茅ヶ岳にて

410(火曜) 桜を訪ねて

 新宿発あずさ9号 9時発に乗り、韮崎駅10:48到着する。既に到着していた小笠原さん、横田さんの車に分乗する。横田さんの車には西谷可江、武田鞆子、廣島孝子、川村光子が乗り、他の人たちは小笠原さんの車。だがまだ一人だけ吉永さんが来ていない。なんだか連絡では総武線が事故の為、秋葉原で止まり動かないので遅れるとの事らしい。待って居るのも時間がもったいないので、韮崎駅に着いたら連絡して貰うことにして、私たちは出発。今回は小笠原さんの紹介で3月に入会した新人の女性会員も2名参加し、まあまあの天気の中賑やかに出発する。

車窓より富士山も望見でき、農家の庭先には、桃の花、梨の花、レンギョウ、山吹と色鮮やかに咲き乱れ、春爛漫。初めに、北杜市にある山高神代桜(国指定天然記念物)は樹齢2,000年ともいわれるエドヒガンの古木(北杜市教育委員会の資料より)で、3年以内には枯死するとも言われながら、4年間に渉り根元周(11.8m)樹勢回復工事が行われ、地域の人々の自然と文化を守ろうとする努力の甲斐も有り、根元周囲も徐々にではあるが回復してきており、今でも威風堂々とした桜が見られる。今回は花もほゞ終わっていたが、木の根回りの凄さを感じたのでした。

  『曇りつつ 風ある花の こずえかな』 蛇笏

 この神代桜の見物も終わるころ、吉永さんから連絡が有り、「今甲府だが、韮崎駅には12:30頃に着く」との連絡が有り、韮崎駅に迎えに行くことになった。吉永さんを韮崎駅でピックアップした後、皆な小腹も空いてきた。駅前にはあまり食堂はなさそうなので、どこかにあるだろうと車を走らせていると、「Laそばや」と書かれた蕎麦店が有ったので、そこに入り少し遅い昼食を戴いた。

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神田の大イトザクラ

 車で再び移動し、次は神田の大糸桜を見学。此処の桜も樹齢400年の古木で、数十本の副木に支えられながら、花を咲かせていた。貴重な財産をこの土地の人々により育まれてきたのだと、歴史を感じられる大糸桜でした。

今回楽しみだった宿『おいしいしい学校』とは、どんな学校なのか興味があった。田園風景を走り、須玉町津金小学校へ、15:30に到着,田んぼ畑の中にある学校で水車小屋が直ぐ横の小川にかかっており、長閑な所だ。グランドにはここにも100年近くの桜の古木が有り、昔の小学校の面影が残っている。八ヶ岳、南アルプス、富士山に囲まれ、空気、水、土地に恵まれた八ヶ岳南麓で、実に広々としていて、夏は満点の星空が見られ、ホタルも飛び交うそうだ。2階建ての校舎を復元した美味しい学校の中へ、宿泊する教室は3人で12畳ほどの和室をあてがわれ、ゆったりとくつろげる。

ハーブ湯にゆっくりと浸かることが出来、時間もあるので4月の例会を開催するとの事で17:50より18:20まで実施され今後の山行計画等が話し合われた。18:30より夕食でイタリアン料理、併設されているパン工房で作られた手作りの美味しいパンに満足する。

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411(水曜) 茅ケ岳登山

 夜中降っていた雨も止み、天気は大丈夫のようだ。昨日は早めに寝て熟睡したので少し早く目覚め、おいしいしい学校の周りを散策する。校舎は3校舎に分かれており、明治、大正、昭和の時代の建築で其々に趣が有った。校舎は建築当時と同じような建築様式で復元され、各々が異なった方法で運営されており、全国でも珍しいとの事。三方を里山に囲まれ農村の原風景が色濃く残る地区で、廃校利用としては経済効果も有り、地元の農産物の直売や、農業体験の指導にも当たり当地区活性化にも貢献しているとの職員のお話でした。

6:00に朝食後8:00出発する。途中のコンビニで昼食用の弁当等を調達し、9:00登山口の駐車場に到着して、身支度を整え9:15頃出発する。松林の落ち葉を踏みしめてほんの僅か歩くと、右手に茅が岳の道標が有り、そのまま広い道を登り詰めると深田公園があり、茅ケ岳が正面に見える位置に深田久弥の自筆による石碑が建っている。『百の頂に、百の喜びが有り』毎年4月の第三日曜日には、氏を偲ぶ「深田祭」が開かれているようです。雨がパラパラと降り始めるがたいしたことも無く、小休止をとりながら、落葉松林の中を歩く。右手に開拓村の時の廃屋らしきものが数軒ある。一時間程で道が狭くなり、急な登りとなり、苔むした岩の間にムラサキケンマ。ニリンソウの蕾、スミレが目を楽しませてくれる。やがて。女岩に到着するが、崩落が激しく立ち入り禁止になっている。女岩を右にまいて急な道を進むと暫くして、深田久弥終焉の地に着いた。芽吹き始めた雑木に囲まれひっそりと石碑があり、それに添えられた造花の赤い花が何と無く印象に残る。丈の低い灌木伝いに登って行くが、その先は山頂までが急坂出岩だらけの道、以前にもこの道を登ったがどうなっていたか記憶がない。只管高度を稼ぐとやっと茅ケ岳へ12:00頃到着した。他には登山者は居ず静かな山頂を楽しむが、小広い頂からの展望は曇ってぃるためあまり望めない。天気が良ければ360度の展望で、標識を見ると東に秩父連山、西に南アルプス、鳳凰三山、南に富士山が眺められ、北には八ケ岳が望めるのだが残念だ。お昼を食べ、集合写真を撮り、12:40に下山する。下りは岩道を慎重に降り、一度小休止をしたが、14:05に林道に出て無事に登山道の駐車場には14:30に着いた。此処の駐車場のトイレに行くと綺麗で何と水洗、しかも便座が暖かい。今まで山では見たことも無い。吃驚だ。又、車に分乗し街中の「ゆーぷる にらさき温泉」で汗を流す組、そのまま帰る組に分かれてここで解散となった。

今回は、少し花の時期が過ぎてしまったが、北杜市の古木の桜たち、山高神大桜、神田大糸桜、清春の桜、それぞれ素晴らしかった。これもドライバーの横田さん、小笠原さんのお二人が効率良く回ってくださったお蔭、本当にお疲れ様でした。山行企画の石原さん、高橋さん有難うございました。『美味しい学校』も良かったです。

山想倶楽部のゆっくり、のんびりの程よい山旅でした。

 

 

 

 

お知らせ山想倶楽部

■ 2018.05.03

ア ー ル ベ ル グ ・ス キ ー ツ ア ー10日 間

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サンクトアントンスキー場の山頂

期日   2018年3月3日―3月12日

場所   オーストリア アールベルク地区

宿泊地  サンクト・アントン郊外

参加者  横田、広島、後藤、鴫原、石原  添乗員兼ガイド 山田功

 

記・鴫原 孟志

この仲間との海外スキー回を重ね、5年目を迎えることになった。なんと、72歳の私が最年少?という大ベテランの仲間たちである。様々な斜面を制覇した強者揃いの面々、今回は、オーストリアのアールベルグで、足前を披露する。

当地はアルペンスキー誕生の地、サンアントン、レヒ、ツールズ、スチューベン、クリストファー、など総延長、なんと280kmに及ぶ見渡す限りの山から谷に上級者にも初級者に魅力的かつダイナミックな滑降コースがあり、そこを滑り尽くすのが仲間たちの目標である。まさに世界のスキーリゾートである。

 

3月3日(土)

成田9:00集合、11:05発スイス航空チューリッヒ行き、全員無事機上の人となった。13時間弱でチューリッヒ着。ここからは車で国境の町サンアントンへ向かう。

道路状況も良く、2時間ほどでホテルに到着。自宅を出て21時間の行程である。

まずは食事とワインということで、ホテルが経営するレストランへ出かけた。

名物料理は牛肉から揚げ。大きな皿からはみ出るほどで、1/3食べるのがやっとの有様。

疲れと睡眠不足で、早々にベッドに倒れこんだ。

 

3月4日(日)

晴天の朝が眩しい。7時30分朝食。パン、6種類のハム、4種類のチーズ、野菜、果物、ヨーグルトと盛り沢山である。どれも美味しく一同満足の腹ごしらえである。ホテルから30mとバス停が近く大助かり。シャトルバスに乗りスキー場へ向かうのだが・・・。

初日にも関わらず、後藤さんはスキー板、山田ガイドはザックをホテルに置き忘れてきたのだ。サンアントンスキー場は10分で到着する。ゴンドラステーションは人で溢れている。遠くの山々が朝日に輝き、アルプスが我々を出迎えてくれている。この見渡す限りの斜面をこれから滑り尽くしたい。

ところが、斜面はガリガリに凍り、体験したことのない状況に緊張で滑降を楽しむどころではない。雪になれたころ昼食時間となり、パン、ヌードルスープ、サラダを少なめに注文したものの、やはり食べきれなかった。

午後も全面ガリガリに凍りつき、全くエッジが効かない。ゲレンデが一部閉鎖になり(雪崩か?)、上級者コースしかない所では多のくスキーヤーが悪戦苦闘し転びながら下りてくるようだ。我々全員滑り方を忘れてしまった。この後の5日間一体どうなることやら・・・。

今日初下しの山田さんのスキーはエッジが効いて見事な滑降を披露していた。

帰りのシャトルバスを待つバス停は混雑している。山田さんは「バッハで降りるんですよ、バッハ。バッハですよ!!」と全員に念を入れて伝えていたが、バスが2台来て、1号車には広島さん、あとは2号車に。

バッハで降りたら1号車の広島さんがいない!このシャトルバス、朝と夕方一方通行で逆方向を行く。一周30分以上かかる。常に回っていない。山田さんは靴を履き替え、歩いて探しに出かけた。広島さんは次のバス停にいたそうだ。ヒッチハイクは断られ、歩いて帰るには登り坂のためなかなか足が進まず難儀していたところ山田さんと出会ったという。

山田さんがスキー板を担いで、いつものように明るく帰ってきた。シャワーを使い、夕食までの間、同室の山田さんとアメリカ大陸横断サイクリング旅行の計画について相談した。夕食はチキンかハヤシライスに似た料理(味は違うが)、シェアしながら食べた。

食後は話をしながらコックリ、コックリとなって、20:00床へはいった。

 

3月5日(月)晴天

2時30分に目を覚ます。ベランダに置いたビールを飲んでまた床に入った。今日は一山向こうのツールにいこう。有料バス3.9ユーロ(≒500円)で20~30分である。下車して目の前のゴンドラに乗る。

最近完成したロングゴンドラと合流、複雑だが無事頂上2423mについた。昨日と違って雪質が良い。

素晴らしいロングコースが何本もある。すべて忘れて6人は夢中で滑った。

11:30早めの昼食をと頂上レストランに行ったが、早くも満席である。ヨーロッパ人は週単位で休暇を取ってスキーを楽しむ。昼食は11:00~14:00までのんびりと外でビールを楽しんでいる。下の小さなレストランへ向かう。凍りついた階段を3~4段下る。広島さん“あ・あ・あ“と言いながら外で食事中の男性に抱き付く、これも計算通り。

ここでもサラダとスープをシェアで充分、もちろんビールは欠かせない。144番は山と山の間から開けたロングコースで今日一番の満足できた滑降である。

みなさんありがとう、山田さんありがとう。夕食は、生ハム、メロン、スズキ、サラダ、全員ハーフで丁度良く全員完食した。きょうもコックリ・コックリで19:00床へ。

 

3月6日(火)

4:30、日本からの電話で目が覚める。小雪降る朝をむかえた。9時間半も熟睡していたのだ。きょうは高級リゾート地レヒへ。

ゴンドラリフトを乗り継ぎ滑り出す。小雪でホワイトアウトで板さえ全く見えない。石原さんに向かって滑るが、石原さんが上に向かって滑っているように感じる。錯覚だ。

広島さんと後藤さんが気持ちが悪くなる、怖い。ゆっくりゆっくりいこう。後藤さん「私もうやめて、降りる」石原さん、「そんなら帰れ、帰れ」いじわる石原節だ。町の教会近くのレストランへ、山田さんはスパゲティ、他5人は2枚のピザで丁度良い腹ごしらえとなり、全く安上がり。

薄日が差している上へ行こう。午前とは全く違い、雪質も良好で気持ちよく滑っていたものの、ガスでまた板が見えなくなった。皆、気持ちは“帰る”のほうへ。一時間ほどレヒの街中散策をする。さすが高級リゾート地、値段も高級。レヒからホテルまでバスで1時間ほどだが、山道・狭いカーブ・雪ありのなか、若い運転手はスピードを出すわ出すわ、怖くてゆっくり乗っていられないが、隣の後藤さんがグーグー、幸せだ。

 

3月7日(水)

朝から雪。朝食をとりながら今日の行動会議。午前は様子を見ながらサンアントンの街ブラ。雪はますます強くなり、買い物より写真。街をパチリ,子供パチリ、おじさんパチリ、いいぞ、いいぞ。

昼食のパン、サラダ、トマト、ビールを買って後藤さんの部屋に集合。持参のカップ麺を含め、回しながらの運命共同ランチである。きょうのスキーは中止となった。夕食まで、グッスリ。広島さんと後藤さんは再びサンアントンの街ブラに出かけた。元気だ。

夕食は肉料理と白身魚シェア。どちらも美味であるが、ハーフサイズで丁度良い。

 

3月8日(木)

雪の降った朝、晴天。今回最高の一日になるだろう。滑り方を忘れた後藤さも思い出すだろう。サンアントンの道路南側へ。ゴンドラでルート№1のロングコース、たぶん一番古いスキー場だろう。雪質最高、気持ちよくスイスイ。早めの昼食、スープとサラダをシェア。これで充分だ。

1台のゴンドラを往復している旧式に乗って2660mへ。この上にビューポイント見学専用リフトがあるが、混雑しているのであきらめる。広島さん苦手のTバーリフトにさっそく“キャー”と悲鳴をあげリフトを止めてしまった。後藤さんはTバーを外しておりたのだが滑り出さず、私も降りられず又ストップ。われらで2回もリフトを止めてしまった。初日に転びに転んだ№52コースは滑りたくないので下りのゴンドラで帰る。夕食テーブルはキノコ園に飾られている。前菜にキノコソテー、毎日毎日工夫され感激する。食事はハーフで注文、丁度良い。赤ワインで鹿肉とポークソテーをシェアし満足。

 

3月9日(金)

天気予報は晴れだが、薄曇りだ。最終日どこにしようか?スチューベンとの意見もあるが、3日目にホワイトアウトで思うように滑れなかった高級リゾート地、レヒに決める。此処へは有料バスで4.9ユーロ。

ゴンドラ、リフト、リフトで2377mへ。2500m~2600mの山々のところどころに日も差し、風景を楽しみながらの滑走。昼食は今日もスープとサラダをシェア。全員不思議なほど食べられない。ゴンドラの途中駅から8人乗りリフトが割り込んでくる。どんな構造なのか不思議だ。210番のロングコースで駐車場へ向かう。

このコースは長いだけにわかり難く、途中3グループに分かれてしまうが無事バス停へ。

5回のスキーに1日街ブラ。また新しい思い出が出来ました。バスの後ろに積んだスキー板は、ドロはねで汚れてしまったが、宿の外でスキー板を感謝を込めて水洗い。愛情いっぱいの夕食を楽しみながら6日間を振り返り来年へと話しは弾む。健康に感謝。

さあ、帰国に向けてのパック詰め。今後の計画をツアーコンダクターの山田さんと話しながら、眠りへはいる。

 

3月10日(土)

別れの朝は小鳥の声を聴きながら広島さんと散歩。3時間かけてチューリッヒへ着。4星ホテルにチェックイン後、小雨降る中、近くのスーパーで、昼食と夕食の買い物。1本のサンドイッチを4カットし、ホテルから列車を眺めながら4人で食べる。安上がりだ。食後、女性2人と山田さん、電車でチューリヒ市内見学へ、元気だなぁ。

午後6:00、602号室に集合し最後の晩餐会。経験豊かな皆様方の話にビールが捗る。北海道の話と思ったらアメリカスキー、と思ったらチベット、エベレストビュー、話に追いつくのが大変だ。今まで静かだった横田さんが本領発揮。横田ペースで進む。あと2分、あと1分、9時ピッタリ宴会終了。グッドナイト

 

3月11日(日)

9:45ホテルのシャトルバスでチューリヒ空港へ。ボーディングに時間あり、ビール片手にスキー地図を見ながら5日間の足取りを辿る。充実感と幸せを味わいながら、そして日本へ。

以上

お知らせ山想倶楽部

■ 2018.04.11

'18/3春山山行「北横岳」 (山想倶楽部)

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記:横田昭夫

春山山行「北横岳」

 

期 日 平成30年3月27日(火)~29日(木)

 

参加者 石原達夫、高橋聰、吉永英明、菊池武昭、横田昭夫 5名

3月27日(火)快晴

各自、マイカーで蓼科山麓の吉永さん別荘へ集合。午後3時ころに集合ということだったが、ICI石井松本店でスキー兼用靴の修正に手間取ったので蓼科には3時半ごろの到着となり、予定時刻に遅れてしまった。首都圏からの4名の方々はそろって到着し、ビールを始めておられた。今回も食事の方は高橋さんにすべてお任せで、腕を揮ってもらい、我々は感謝していただく。この所、好天が続いており、明日も崩れることはないようで安心して床に就く。

 

3月28日(水)快晴

本日の行程は全く自由で、周辺を散策される石原さん、ロープウエースキー場でスキーをする高橋さんと別れて、北横岳へはCL菊池さん、吉永さん、横田の3名で向かう。ここからは北横岳への行動を記す

9時始発のロープウエーに乗り、山頂駅と称するロープウエーを下りたところで身支度を整える。今は春休み中で若者や家族連れのスキー、スノーボードの人達でなかなかの盛況である。スキー場は4月1日で営業を終えるとのこと。9時20分に出発し坪庭に入る。坪庭は横岳の山頂部から流れ出た溶岩が八丁平の平地に拡がってできた覆盆状の岩の原で、偃松やコケモモ、コメバツガザクラが見られるのだが、今は雪の下だ。坪庭を過ぎて樹林帯の九十九折りの登りにかかる。雪の状態は少し締まっており、やや硬めのところもあるが、すべり止めを必要とする状態でもなくそのまま上る。後から追い越していく人たちの中には、出歯のアイゼンを履いている人を見かけたが、歩きにくいのではないかと思った。北横岳ヒュッテは冬期休業中であり、そのまま通過して樹林帯に入る。樹林帯の急な斜面に出ると固く締まっており、キックステップでも滑るくらいで、縁の柔らかいところを使ってそのまま上ってしまう。北横岳南峰10時50分、同北峰11時着。周囲は遮るものなく、やや霞んでいたものの、飛騨・木曽・赤石・八ツ・秩父などの見渡限りの山々を展望することができた。小休止の後下山にかかり12時山頂駅着。12時20分発のロープウエーで下り。石原さん、高橋さんと合流する。この後どこかで昼食にしようと、車で下の町の方に降りていくが、この日水曜日は蓼科高原一帯が定休日なのか、本日休業の看板ばかりだ。茅野市へ向けてどんどん下って行き、一つ集落を越えて、茅野市湖東の「手打ち蕎麦処 登美にて日本蕎麦で昼食を済ませる。帰途、蓼科温泉「小斎(こさい)の湯」の透明な湯でゆったりと汗を流し吉永別荘へ戻る。今日も高橋さんに腕を揮ってもらい、我々は食べる人・飲む人に専念する。

 

3月29日(木)快晴

最終日となり、朝食にはお雑煮をいただく。

お世話になった別荘内の掃除を行う。食事に関するごみが沢山あり、可燃物・不燃物に分類し、収集ボックスに持ち込む。部屋の整理・掃除・片付けを行う。  今日も小斎の湯の露天風呂に入り、木曽山脈の展望を楽しみ10時半ごろ解散した。

お知らせ山想倶楽部

■ 2018.02.18

'18/2スノー合宿報告 (山想倶楽部)

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スノー合宿報告

高橋 聰

期日  23()5() 

 

参加者

横田昭夫、菊池武昭、石原達夫、下河辺史郎、高橋聡、広島孝子友人5名 計10

 

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 昨年同様下河辺君が自宅迄8:00少し前に迎えに来てくれ、下河辺君の車に同乗してユアーズ・インに向かう。目白通りを走り、練馬より関越自動車道路に入ると、昨年もそうであったが、東松山インター付近で事故があったらしく鶴ヶ島付近より渋滞している。高坂SAでトイレ休憩とし、出発しようとしたら、本道の高速の進入路までかなりの時間を要する。事故現場では追い越し車線で乗用車5台の玉突き事故を起こしていた。それでも目的地である妙高高原には、12:00頃に着き、ユアーズ・インには12:30少し前に着くことが出来た。ユアーズ・インについて小笠原君に聞くと既に横田さんは10時頃到着し、赤倉スキー場に行ったよとの事だ。急いで荷物を部屋に入れて着替え、スキー場に行きゴンドラ乗り場付近の食堂より横田さんに連絡すると、直ぐに連絡が着いて、食堂に降りてきた。食事後宿で購入した宿泊者用の割引券を切符売り場で正規のリフト券と交換してゴンドラに乗り込むも、本日は土曜日なので、少し混雑している。ゴンドラを降りて滑りだす。今日は天気も素晴らしく、雪質も良く何の抵抗もないので、滑るのが非常にらくで楽しい。

16:00頃に宿に帰ると,石原さんも到着している。ずいぶんゆっくりだったねと聞くと、あちこちで渋滞していたので、途中小一時間昼寝をしてきたとの事だった。まだ食事迄2時間ほどある。何をして時間を潰すか考えるも、何もすることはない、酒でも飲むしかなさそうだ。部屋に入り同室となった下河辺君と持参のお酒を飲み17:30頃温泉に入ったのであった。18:00より食事であるが、此処の食事はいつもながら素敵である。食後は食堂の横に備わっているロビーで、このホテルの当主である小笠原君を交え11:00過ぎまで、話が弾む。明日は杉の沢スキー場だ。明日の天気は、午前中は何とか持っても、午後からは天気が芳しくないようだ。

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 朝早くに目覚めて外を見ると東の方は良く晴れているが、妙高山はガスに覆われている。ニュースでは午後から天候が崩れると言っているが、今日一日天気は持ちそうだ。小笠原君の案内で杉の沢スキー場に全員で出かけ、ゴンドラを降りたら上達者は石原さんが引率し、そうでない人は髙橋が面倒を見ることにして、昼食をどこにするか打ち合わせ、2班に分かれて滑りだす。昼食後は広島さんの友人たちと別行動となり、僕たち山想倶楽部の5名は、スキー場の最末端まで滑り下り、ゴンドラに乗り、上まで行くも、下河辺君と菊池君は何か疲れたので、ここよりゆっくりと降りて、15:30発の赤倉温泉行のバスで帰ると言うので、別れて滑ることにする。石原、横田、高橋の3人はリフトに乗り再度一番上まで行き、快適にスキーを楽しみ、バス停まで降りると、下河辺君と菊池君は既に乗車していた。バスは僕たち以外の他の乗客は全て外国人で占められ、立錐の余地もない。途中のバス停で一応停まるも他のお客さんが乗るスペースは全く無く、途中で降りる人も居ず、僕たちも下車する予定の赤倉スキー場で下車することもできず、最終地点である赤倉温泉迄連れて行かれてしまったのだった。

宿に帰り夕食を楽しんで居ると、雪が強く降り出してやむ気配はない。明日はどうなるかわからないが、その時はその時だ。

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 朝起きて外を見ると、昨夕より降り始めた雪が、車の上に30センチ程降り積もっている。雪はやんでいるが、帰路の道路事情が心配なので、車の周りの除雪をして、今回の雪と楽しむ会は解散して、それぞれ家路に着いたのだが、国道まで降りると綺麗に除雪はされており、何事も無く帰路に着くことが出来ました。

 いつもながら好き勝手にさせてくれるユアーズ・インの経営者である小笠原君夫妻に感謝だ。

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山想倶楽部

■ 2018.01.20

2018年 山想倶楽部新年会報告

 

日 時   平成29年1月17日(水)18:00~21:00

場 所   飯田橋「かくや」

出席者   吉永、高橋、石原、醍醐、菊池、日出平、西谷隆亘、西谷可江

寺田美代子、川村、広島、下河辺、川井、平井 14名

 

18:00には本日参加予定者の大半が出席したので、新年会を始める前に2月実施予定のスノー合宿、3月実施予定のヨーロッパでのスキー、3月27~29日実施予定(蓼品での)雪山登山を楽しむ会、毎年のように実施されている海外山行(米国のワシントン州、オレゴン州、モンタナ州の国立公園にある4,000米の山)の説明と共に、石原代表より下記のような本年の抱負の披露があり、高橋による乾杯の音頭の後、21:00 近く迄楽しい時を過ごしました。

 

石原代表の新年挨拶

 

明けましておめでとうございます。本日はこの雨の中、足元のわるいところ多くの皆様(山仲間)のご参加いただきまして有難うございます。

平成29年は皆さんのご協力により、楽しい山行ができました。私事ですが昨年12月の忘年山行の際には私の為に種々の企画を頂き、心から感謝いたしております。

29年度の計画も残す処後3月ほどになり、2月のスノー懇親会、3月にはヨーロッパスキー、北横岳等の企画が有りますので、残り3計画に多くの方々のご参加をお願いしたいと思います。

30年度も皆様と共に楽しい山行を企画し、実施していきたいと考えております。

重点項目になります海外山行は、8月初めから12日間程度で、米国のワシントン州、オレゴン州、モンタナ州の国立公園にある4,000米の山に行くべく現在起案中ですが、基本案のできましたところで発表しますので、多くの方々が参加し、満足していただけるようご意見ご提案をお願いしたいと思います。費用としては基本旅費を35万円程度、費用外の昼食代を入れても40万円程度で抑えるように考えています。余談ですが各自で購入するお土産代は一切考慮しておりません。

また毎月の如く実施しています例会山行につきましては、過日高橋さんより叩き台として提案が有りましたが、それらを踏まえて、共に楽しく登れる山を探して実施する予定ですが、これには皆様のご提案、ご要望、ご意見が重要なファクターとなりますのでどうぞよろしく願いします。

当然のことながら会員の高齢化に伴い無理のない山ということになりますと、一般にハイキングの対象の山が多くなると思いますが、私たちの登山は同じ山でも年齢なりの登る過程を大切にして、ゆったりと安全に、しかも楽しみながら登るための工夫も考えるというところに単なるハイキングとは異質のものになる、と思っております。

また、日本アルプスで若き日々を過ごされた皆様には、また想い出の山に登ってみたい、あるいは熱き血を燃やした岩壁を眺めたいな、と思っていらっしゃる方も多いと思います。そこでこれらの南、北アルプスとうの高山を対象に、高齢者が安全に楽しめる登山ルートや時期、登山方法を研究し、それを実践するということも検討したいと思います。

今年は、かねてから唱えている生涯現役登山を皆様と共に確実に実践していくということで、この一年を有意義に過したいと思います。その為にも皆様には日頃からの健康維持のために格段のご配慮をされますようお願いいたします。

以上

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お知らせ山想倶楽部

■ 2018.01.11

'17/12山想倶楽部 忘年山行報告

忘 年 山 行 報 告

下河邊 史郎

 

日 時  平成29年12月9日(土) ~ 10日(日)

場 所  秩父 そば打ち体験 と 初冬の破風山

参加者: 石原達夫、石原泰子、吉永英明、高橋聰、醍醐純一、菊池武昭、西谷隆亘、

西谷可江、日出平洋太郎、広島孝子、大塚幸美、川村光子、下河邊史郎、

石原会長のお嬢さん2名 

 

9日(土)

10時に西武池袋秩父行き特急改札口に集合。さすが池袋、土曜日の10時なのに買

い物客らしい多くの人達が、電車が到着する度に、沢山の人が改札口から吐き出され

てくる。

我々の乗車する特急はシーズンなら満席だが、今は時期外れなので、かなり空席が有る。

初冬の陽光の中、一路秩父に向けて今日の目的地に向けて定刻に出発。

西部秩父で秩父鉄道に乗り換え、武州中川に12:25着。駅前のそば打ち体験所「あ

らかわ亭」でそば打ち体験。

3班に分かれてのそば打ち体験だ。自分たちの打ったそばと山菜の天ぷらで遅い昼食。

実に美味であつた。

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「あらかわ亭」でそば打ち体験

昼食後、武州中川駅より日野駅に移動、今夜の宿「秩父温泉はなのや」まで徒歩15

分程度の道のりであるが、2時半を過ぎると秩父の気温は急に低くなり風が冷たい。

山の中にしては立派な門構えのきれいな宿である。

日野駅に着いた時、ハップニング発生。

今回の忘年山行は、石原会長の傘寿のお祝いと、(お嬢さんがわざわざアメリカからお

祝い に駆け付け忘年山行に参加)、西谷隆亘さんの叙勲のお祝いをすることになって

おり、高橋聰さんが注文して東京から持参したケーキを先程の「あらかわ亭」に忘れ

て来た事に気付く。宿の計らいで無事に回収できたが、高齢者集団は手がかかる。

16時から山想倶楽部の来季30年度行事予定を高橋さんの案についての説明で簡単

 な例会を行う。

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傘寿と叙勲のお祝いケーキ

「はなのや」は、各室に露天風呂付き、新緑の季節に行ったらゆっくり露天風呂も楽

しめるだろうが、部屋からいきなり露天風呂は、かなり勇気が必要。何人かの勇気の

ある人は、露天風呂に入ったようだ。

夕食後、問題のケーキを全員で美味しく楽しんだ。

 

 

 

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旅館前

10日(日)

今日も昨日に続き快晴、風も無く穏やかな良い天気。しかし、さすが東京の奥座敷

秩父の朝は身の引き締まる以上の寒さだ。

明日娘さん達がアメリカに帰国する為、宿で石原さん家族とお別れする。

宿から駅までは宿の車2台に分乗、宿の若く綺麗な女性の従業員に送ってもらう。

駅のプラットホームも霜が降りており、武甲山も2、3日前の雪でうっすらと雪化粧。

日野駅から皆野駅まで秩父鉄道で移動。

醍醐さんは、昨日から体調悪い為、お花畑で途中下車、帰京

                    移動中社内に面白いおじさんが乗車してきて皆を笑わせて楽しく30分を過ごす。

どうやらこのおじさん地元の皆野では有名人のようだ。

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皆野駅

皆野駅には東京から駆け付けた大塚さんが待っていた。

駅前からタクシーに分乗、20分程度で登山口に到着。舗装道路を歩いたら恐らく

1時間以上はかかったであろう。

天気は良く風もなく、冬枯れ木立のやや急な登りの巡礼古道を30分も歩くと汗ばん

でくる。17曲がりを過ぎると登りも緩やかになり、間もなく札立峠、関東ふれあい

コースに道を取り、10分程で風破山頂。眺めも良く、意外とハイカー達が多い。

秩父山系のはるか向こうに日光の山並が霞んで見える。

頂上は人が多いので記念写真だけ取り、少し下った初冬の陽だまりで大休止。

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各自持参した行動食を取りながらしばしの歓談を楽しむ。

ここからは今日の最終点秩父温泉に向けて下りのみ。聰さんの出番?。

モミジ平を過ぎ、猿岩ではどうしたら猿に見えるの?と議論百出。結局猿の座った形

で話は落ち着く。相変わらず賑やかなグループである。

12時半頃に秩父温泉着。民営の日帰り温泉で汗を流し各自遅い昼食。

ここから、バスで皆野駅のはずが、今回のナビゲーターが、平日と日曜日のバス時間

表の見間違いが有り、タクシーを呼ぶことになり、皆野駅で解散。

忘年山行は、初冬の穏やかな日和に恵まれ無事に終了することが出来た。

一年間、皆様ご苦労様でした。来年も多くのメンバーの参加を期待しつつ家路に向か

う。

お知らせ山想倶楽部

■ 2017.12.08

中央アジアの山旅とシルクロードの遺跡を訪ねて(山想倶楽部)

期日平成29630日~711

参加者 石原達夫、吉永英明、武田鞆子、高橋 聰、寺田正夫、寺田美代子、横田昭夫、広島孝子、日出平洋太郎  9

 

はじめに                             石原達夫

 今年の海外山行はいくつかの候補があったが、最終的に倶楽部のメンバーが行ったことのない中央アジアの山に行こうということになった。折角そこまで出かけるならばサマルカンドの観光もするということになり、具体的な計画を立てることとなった。中央アジアといっても、カザフスタン、キルギス、ウズベキスタン、タジキスタン等があるが、このうちタジキスタンは外務省通達で立ち入り規制があり、安全重視の立場からまず除外ということにした。山登りの対象となるのは主として天山山脈を擁するキルギスであるが、山岳地帯に直接入る空路はない、最も近いところでもカザフスタンのアマルティの空港になる。調べるうちにキルギスの奥にある秘境ソンクール湖とその周辺にある山が、過去秘境を求めて歩く山想倶楽部にはよかろうということで、ここを主目標にした。ただしアルマティからここに至るまでの道のりは長いので、要所要所でハイキングをすることにした。ただ考慮すべき事項がある。それはソンクール湖の標高が3000メートルを超すので、そのような高所では高山病の恐れがあるので宿泊ができないという人と、病み上がりないしは病身なので、3000メートル以上での登山は出来ないという人がいることである。その為、登山組と比較的低地に宿泊しハイキングする組に分けざるを得なかった。そのようなこともあり残念ながらソンクールで十分な登山時間が取れず、たっぷりの時間を取って登山を楽しもうとしていた人たちの期待にそえなかった。

キルギスはカラコルを出るとホテルは無い、そのため民宿とか、ソンクール湖ではユルタ(パオ)に宿泊するとかで、中々いい経験をさせてもらった。キルギスの首都ビシュケクからタシケントまでの空路、タシケントからブハラまでの特急列車、みないい経験であったと思う。それまでの立ち寄り地点、昼食の場所等もとても気の利いたものであった。ブハラの遺跡、歴史建造物の観光、デナーショウ、シャフリサバスの民家での昼食、ティムールの関連歴史建造物、サマルカンドの観光、タシケントの観光、ホテル、レストランもみなよく設定されていた。この辺りは山田さんと現地旅行社の気配りである。おかげで実質11日間の旅行は長く記憶に残るものとなった。

計画の初期の段階からいろいろご協力、アドバイスをいただいた山田さん、またお世話になった現地旅行社の方々、ガイドとドライバーの皆さん、毎日細かく面倒見ていただいた添乗の志波さんに山想倶楽部の参加者を代表してお礼を申し上げる。

以下、参加者による分担で報告書を作成した。

 

630日(出発から)     髙橋 聰

  11:30に集合という事だったが、電車の時間の都合で11:00に成田に着いてしまった。時間が早すぎたのか、まだ誰も集合場所にいない。すぐに寺田夫妻がやってきた。少しすると旅行社の山田さんが来て日出平さんと吉永さんは既に荷物を預けたとの事だ。そうこうするうちに、横田。廣島、武田さんらも着いたので、山田さんの指示で荷物を預けて、現地で必要となる米ドルを両替し、出国手続きを為し搭乗口へと向かう。石原さんは少し遅れるようだ。少し待って居ると石原さんもボーデイングタイム30分くらい前に到着した。早速今回の旅日記をいつものように全員が日替わりで書く為の日割りを初日の今日は高橋、7/1日と2日は日出平さん、7/3日は吉永さん、7/4日と7/5A隊は寺田夫妻でB隊は高橋、7/6日は広島さん、7/7日は武田さん、7/89日は横田さん、7/1011日及び纏めは石原さんと決めて全員了承する。

 ここ成田より韓国の仁川迄2時間の旅で、そこよりカザフスタンのアルマテイ空港迄6時間要するようだ。13:50に成田を出発し仁川に16:20に到着する。仁川でも手荷物の検査が有り、乗り継ぎ場に行くのに30分くらい要する。アルマテイへのボーデイング迄30分程あるが、その間も話の尽きることがない。相変わらず賑やかなメンバーだ。17:30に搭乗ゲートが開き乗り込む。

カザフスタンの自国に帰る人達か、韓国や、中国人とは相違して日本人に良く似た人達が多い。持っているパスポートを見るとどうやらカザフスタンの人達のようだ。中央アジアはイスラム教徒が多いと聞いているので、地理的に中近東系の人種の人達が多いのかと思っていたら、モンゴロイド系の人達が多いようだ。これは後日キルギス人のガイドのジル嬢に確認したら中央アジアの多くの人は幼児期にお尻に蒙古斑があるとの事だった。

 18:00には搭乗予定者は全員乗ったようだがなかなか出発しない。1時間ほど遅れてやっとフライトだ。此処仁川よりアルマテイ迄6時間ほどかかるので、到着したら日本時間だと、もう明日になっている事だろう。22:25(日本時間1:25) アルマテイ空港に着き、本日から76日迄案内してくれるガイドのジルデイザイ嬢(通称ジル、キルギス人自国で日本語を勉強し、関西大学で一年日本語を勉強。時に上手く言葉の言い回しが出来ない時もあるが,言っている事は充分に理解出来る)の案内で、今宵の宿であるグランボヤージユホテルに24:00(日本時間am3:00)に着いた。

ホテルでは吉永君と同室になり、彼は部屋に入ると同時にベットに倒れ込み直ぐに寝てしまった。もう今の時間は日本時間だと7月1日のam4:00だ。この後の報告は日出平さんに委ねよう。僕も、もうお休みなさいだ。

 

7月1日 () 晴       日出平 洋太郎

昨日はカザフスタンのアルマティ空港からホテルへのバスの途中で日付が変って7/1になった。日本との時差はー3Hであるから、日本時間なら7/1未明の3時である。成田を午後出発はいいが、最後のしわ寄せがこれではたまらない。部屋割もボーとして聞き、直ぐ寝るも目が冴えて寝付けない。2時間ほど寝るも3時には起きて、無くなった胃袋に持参のお粥を補給する。

6時、散歩に出たら吉永さんと一緒になり、南のアラタウ山脈(天山山脈の支脈)の方を目指すも雪山は遠くて迫力はない。その山脈が明日から訪れるキルギスとの国境になっていて、その先にある筈の巨大なイシク・クル湖に思いを馳せる。アルマティは人口120万人、地下鉄もある大都市で、20年ほど前に首都を北のアスタナに譲っても、キャラバン隊が往来していたオアシスの頃からの交通の要衝であることに変わりはない。トロリーバスはソ連時代の置き土産だろう。地図を見るとこの国にバイコヌール宇宙基地があるのに気が付いた。あのガガーリン以来の宇宙飛行士はここ、カザフスタンから飛び立ったのだ。最近では日本の宇宙飛行士も皆この国のお世話になっているのだ。碁盤の目状の広い道路の両側には大きなアカシアの街路樹が並び緑の回廊をなしていて、自転車道、歩道もしっかり確保されている。目立つのは道路の脇に豊富な清水が音を立てて流れていることで、この豊富な水量だけが嘗てのオアシス都市の面影を偲ばせるものとなっている。

8時にホテルに戻って朝食。9時半、バスで日帰り観光に出発する。昨日がハードだったので今日は半分休養日でもある。ガイドの女性はジルさん、関大だか関西学院だかに留学経験があって、まあまあの日本語を話す。車は南に向かうが、10時、アルマティ公園の看板を見る。車はちょっとした谷を走るが、谷はアルマティ渓谷、川はアルマティ川と何でもアルマティである。谷を抜けるとロックフィルダム湖があって、これもアルマティ湖である。水は乳白色で奥に氷河でもあるのだろうか。10:40、川の左岸の車道を標高2,560m地点まで登って休憩する。眼下のダム湖は水溜りみたいでパッとしない。高瀬川渓谷とダムの方がよほど立派だ。今日は土曜日とあって、あちこちに家族連れが休日を楽しんでいる。アルマティ市民は、もはや遊牧の民を卒業して我らと同じサラリーマンなのだろう。

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ゼンコフ政教教会

車道は未だ上に伸びているが、上の建物までは行けないらしく、身近な所を登り下りして時間潰し。昼になったので弁当を頂戴してピクニック気分に浸るが量が多すぎて殆ど残す。

 

12:45バス発、市内に戻る。パンフィロフ戦士公園、ゼンコフ政教教会、カザフ民族楽器博物館、バザール等を見学して16時、ホテルに戻る。18時、夕食は車でレストランへ、ワインを頂く。19;45車発、20時ホテルに帰着。TVが点かないので、調整してもらう。

 

72 () 

今日は国境を越えてキルギスのカラコルまでの移動日である。途中の右手に見える筈であろうイシク・クル湖と、天山山脈の登山基地と云われるカラコルからの最高峰ポベタ峰がどう見えるのかが興味のあるところだ。

8時朝食。9時、ホテル出発、荷物は別の車で。高速道の料金は取ってないのか、払っている気配がないが、信号もなく快適な道路である。これが現在のシルクロードなのだ。11:20バザールで途中下車して西瓜を購入する。初めは東に行って、次に南下して国境を超えるものと思っていたが、どうも新しい道路が出来て、その方が速いと遠回りして走ってきたらしい。12時、昼食は食堂で。13時半、キャリン渓谷で途中下車して写真撮影。片側1車線でも2車線位の余裕がある。14:30ケゲニ通過。15:25国境着。旅券のチェックを受けたり歩かされたりで、30分ほど掛かり、キルギス側に渡り15:54車発、キルギスに入ってからの放牧は馬が多いように感じた。イシク・クル湖は遥か遠くに横一線の線状に見えるだけで捉えどころがない。17:45カラコルのホテル着。アルマティから429km8時間弱、疲れたわ。カラコルの人口は1万人と。夕食はホテルの食堂で18:30から20時まで。部屋はエアコンなし、POTもなし、何が五つ星だと思う自分と、ここを何処だと思っているのかという自分がいた。

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  キャリン渓谷で途中下車
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国境 放牧地

 

 

73日 ()                  吉永英明

(キルギス カラ・コル~コチュコルへ)

 9:00 キルギスの北東部、イシク・クル湖の東端近くに位置するカラ・コルのホテルの看板に、五つの星のマークが付いている「普通」のホテル、『カラ・ガート』を出発し、町中のドゥンガン(案内板にはDunganと表記)人のモスクを見学。私はドゥンガン人という名を寡聞にして知らなかったが、古い時代、今の中国・新疆地区からキルギスに移動してきた中国系のイスラム教徒(モスリン)の人たちの由で、ここキルギスの地方に秘めやかに暮らしている風情が伺われた。日本の仏教寺院を彷彿とさせる寄棟平屋の建物でモスク特有のドームも無い。続いて、木造のロシア正教会を見学し、バザールの雰囲気を味わった後、ジュデイ・オグス渓谷に向かった。渓谷入口の左岸に赤い奇岩を連ねた岩峰群を眺め、大きなザックのヨーロッパ系のトレッカーも見られる渓谷沿いのゆるやかな道を、ワイワイ・ガヤガヤと約一時間半のうるさいハイキングを楽しみ、昼食はユルタ(パオ)で「スカーシュ」(麺スープ)を摂った。

 昼食後、西方250kmのコチュ・コル村へ再びバスで移動。途中、旧ソ連時代のガガーリン宇宙飛行士が保養に訪れたというバルスコーン渓谷方面を眺め、タムガ村では先の大戦でソ連に抑留された日本人達125人が建設に携わったという頑丈な保養所を見学。旧満州(今の中国・東北部)から捕虜としてシベリアに送られ、さらに、この中央アジアへ移動させられた上、労働を強いられた歴史の重みを、日本人として改めて感じさせられたが、後年(2,012)この人達も再訪を果たし、当時お世話になった村人達と旧交を温めた写真もあり、ホッとさせられた。

 さらにバス旅を続け、18:25 イシク・クル湖南西方のコチュ・コル村の民宿ロッジに到着。道路反対側には、小さな遊園地が設けられ、多くの子供達が賑やかに遊んでいた。日本では保育園・幼稚園の新設計画があると、近隣住民から騒音と言われ、計画断念に追い込まれる事例が多いと聞くが、残念で情けない。夕食は近くのユルタで、キルギスの家庭料理を楽しみ、長いバスの旅の一日を終えた。

 今回の中央アジア3ケ国の旅では、カザフスタンは短期間の滞在の為、印象として残っている事が少ないが、キルギスは山国、ウズベキスタンは歴史の国という印象を強く持ち、特に旅行10日目の79日午後、ウズベキスタンのサマルカンドからタシケントへの特急列車での移動の際、綿花畑が続く平原に大きな太陽が沈むユーラシア大陸の日没を眺めることができた。旧満州に入植した人達が眺めた満州の広野に沈む日没の太陽は、こうだったのではとフッと思ったことが印象的であった。

 

月4日            寺田美代子

 9:00に出発し綺麗に舗装されているアスファルトの路を30分程進むと、ソンクール湖に向かう分岐から悪路となる。モルドアッシュ村の日干しレンガの家並みを悪路に揺られながら眺めて進む。10:05トイレ休憩をする。標高も2,800m を過ぎた辺りであったか、天山山脈固有種であるラシャカルーチカと言われていて、独特の形状をしているアザミが咲いていた。湖の湖畔に出てさらに悪路を進むと、今回世話になっている現地旅行社である、アクサイトラベル社の案内板が有り、12:45ソンクール湖畔のパオ群に到着した。ユルタ(パオ)の近くにベンチ、ブランコが造られ、紐の囲いにリボンが結ばれた可愛いお庭が造られている。10分後に昼食との事だ。食後は全員で湖まで色々な花々が咲き誇る中を散策したが、エーデルワイスのお花を踏まずに歩くのは大変難しい。14:35ユルタに戻り、午後から明日の夕方迄別行動の為お別れするB班と入念な打合わせを行い、15:05再会を約束しお見送りをする。

 この後は15:20よりフリータイムとなり、ゆっくりとした自然の中で、心静かに悠然と歩いているラクダに会ったり、見つけると幸せが叶うとも言われている四葉のクローバーを探したり、再び湖に向かい、清く冷たい、水と戯れたり、湖畔に幾つもある小石の中から形の良い物を探したりして、メルヘンチックな時と爽やかな風がたなびく3,000mの高地の大草原を体一杯に味わったのでした。

 7:00より夕食。ユルタに泊まれる事を考え胸がワクワクする。夜中に冷え込むといけないからと、ストーブに薪が入れられるが、暫くすると大変熱くなってきて、中に居られず外に出て体を冷やす。8:00頃より夕焼けが空に広がり始め、素晴らしい月も出ている。9:30 頃満点の星空を期待して外に出るが、なんだか空一面雲がかかってしまっている。遠くで誰かがギターをかなで、歌を唄っているようだ。ユルタに戻り寝袋に入り、歌声を聴いているうちに眠ったようで、気が付いたら周りは明るくなっていました。

 

月4日()  B隊      髙橋 聰

 昨日の現地の人の天気予想では、本日は一日曇り空との事だったが、朝5:00過ぎに目が覚めて外を見ると、素晴らしい天気だ。僕たちB(日出平、武田、広島、高橋の4)は標高3,000mの高さにあるソンクール湖の傍で泊まる事は無いので、合羽や冷気対策の品々は不用な感じだが念の為持参する事にしよう。本日の朝食は7:30からだ。昨日泊まった宿の食堂での食事だ。朝食はロシア式クレープの一つであるヴリーンやパン、乾燥果物、小さな熟れ過ぎたリンゴ(我々日本人には不美味だが中央アジアではこんなリンゴしかないようだ)オムレツ、紅茶等を食べて、全員用意が出来たので、9:00に今回の旅の目的の一つであるモルドアッシュ山(標高3,800m)の麓にあるソンクール湖に向けて出発する。ソンクール湖迄の所要時間は2時間程らしい、又ソンクール湖周辺は良く雨が降るらしく、昨日も雨が降ったらしい。ガイドのジル嬢の話では昨日泊まったコチュコルの街は99%がキルギス人で占められており、他の1%はウイグル人で公用語はこのキルギス国内では唯一キルギス語だが、一般的なキルギス人は意見を言い合う場合キルギス語、ロシア語(キルギスでの公用語)英語の2ケ国又は3ケ国語で話をしないと意見が通らないというよりも、互いの意思疎通に齟齬があるようだが、このコチュコルの街ではキルギス語のみで話が通じるようだ。9:30頃道路は西に向かいソンクール湖へと行く道に入るが、ここより未舗装の路となり車のローリングやピッチングが激しくなった。ソンクール湖への最後の村であるモルドアッシュの村を過ぎてから、御用のある人達の為に少し休憩をする。道は谷あいの中を通って行くのだが、川の近辺だけ灌木が生えているが、両岸には粘土質の赤い砂岩の山々が何処までも続いている。3,000m地点まで上がると放牧されている牛、羊、馬、ゾッキョ(牛とヤクの一代限りの交配種)の群れ群れが次々と現れてくる。また天山山脈固有種の草花も次第に見うけられるようになってきた。

 3,450mの峠を越えると直ぐにソンクール湖が見え、12:00頃ソンクール湖畔に着いたが、A隊の泊まるテントは例年峠寄りにあるそうだが、今年は国の割り当てで湖の反対側にあり、それから1時間ほど走りやっとキャンプ場に着くことが出来た。キャンプ場に着いたら直ぐに昼食となり、食後全員で湖畔迄散歩に行く、足元にはエーデルワイス、リンドウ、アズマギク、エリニギリス、ハクサンフーロ、グンナイフーロ等等の高山植物が咲き乱れており、それらの花々を踏みしだきながら歩いていくが、目の前に見えている湖畔になかなか到着しない。吉永君が早足で歩き、どの程度時間が掛かるか時計を計ると8分も要したようだ。暫く湖畔で遊ぶも時間となったのでB隊は未練を残して、残留する人たちと15:00頃別れて昨日の宿めがけて返り18:00頃宿に着いた。

明日は9:00に出発しチョンケミン谷と云う処迄3~4時間程車で走り、そこで僕たちB隊はハイキングや乗馬を楽しみ、チョンケミン谷のカルマック村にあるアッシュというゲストハウスでA隊と合流だ。今の時間は21:20やっと夜の帳も降りてきた。外をみると家は沢山あるのだが、灯の入っている家は意外に少ない。

 

 

日            寺田正夫

 標高3,000m、初めて経験したユルタで朝を迎える。am5:00起床。気温室内で12oC 外気7oC天空に金星が大きく輝き、とても美しい。西の彼方で稲妻が走るのが望遠され、不気味な空模様である。am6:00朝食、外はまだ薄暗い。am6:30車で登山口まで送ってもらい、10分程で到着する。さあ! いよいよ今回の目的の一つであるモルドアッシュ連山(標高3.800m)へ向けてトレッキング開始だ!!とはいえ、ここは3,000mの高地。流石に少し動くと息苦しい。一時間程で3,250m地点に到着し、ここで一休み。さらに50分位で3,450m地点に到着。ここでも一休み。登り坂を、休み、やすみ、ゆっくりと歩を進める。am8:40  3,500m地点に到着。苦しさもここまでだ。ゆっくりと写真タイム。と決め込む。此処は美しい花々が咲き競い、また壮大な景観に魅了される。この間に先頭は3.550m地点まで行っていた。しかし残念乍ら、ここでタイムオーバーとなり、ピーク迄1時間程の行程を残し、やむなく引き返すことにした。 am11:00ユルタ迄降りて来て早速に昼食となる。途中から引き返したとは言え、心に残る素晴らしいトレッキングであった。朝方気になっていた雨雲が近づいている。

正午前にアクサイ・キャンプの関係者の見送りを受けてソンクール湖を出発し、B班と合流予定のチョンケミン谷のゲストハウスに向かう。峠を越す前にとうとう雨になる。雨の中を大きなザックを背負ったヨーロッパのバックパッカーが1人よろよろ歩いている。ガタガタ道を3時間程下る予定・・・・なのだが、途中でバスのタイヤがパンクするというアクシデント発生。コチュ・コルの街で車の修理とか、なんやかんやで遅れること3時間超! 18:25に無事B班との合流に成功し、一緒に楽しく夕食を戴くことが出来たのでした。明日も、良い日でありますように。

この旅に参加して、ユルタ(パオ)に泊まるなど、貴重な経験をすることができました。

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ルクソーのパオ モルドアシュ山
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中腹から見る山頂 中腹から見るソンクール湖
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5合目くらい 八合目くらい、引き返して点
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キャンプ地さようなら  

 

 

()  B隊      髙橋 聰

午前5:30目が覚めて窓を開けて外を見ると、外界は既に夜が明けていて、遠くの山脈の彼方より日輪が顔を覗かせており、宿の近隣で飼われている雄鶏達の鬨の声がいつまでも賑やかだ。顔を洗いこの旅行で習性となりつつある朝の散歩を一時間程行う。この町は牧畜が盛んなようでアチコチの庭には、まだ青々とした牛や羊の飼料である干し草が山積となっている。朝食後8:45に荷物は別の車で運ぶとの事なので、必要な手荷物だけ持ち、本日の宿であるチョンケミン谷のカルマック村に向けて出発だ。9:102,100mの峠を過ぎるが、相変わらず粘土質状の砂礫岩が何処までも続いている。道路は片側一車線であるがしっかりと造られており振動は殆んど無い。高速道路では無いのに車は80~90k程度で走っており。対向車は殆んど無い。9:30頃突然車が停止してしまった。なんだろう前方にもかなりの車が停まっている。車を降りて少し前に行ってみると右側の崖から間断なく激しい勢いで落石が道路に落ちていて、砂塵が猛烈な勢いで立ち上がっている。対向車も止まってしまっている。どうなるのだろう。これでは通過出来そうもない。しかし他の車は何も騒がずにゆっくりとしている。暫く眺めていたら落石も落ち着いてきたようで、ブルドーザーで落石を片付け始めて通行できるようになった。(重機を置いてあるということはこの地点では良く落石があるのだろう)

 10:40に本日の宿泊所であるチョンケミン谷のカルマック村にあるゲストハウスのアッシュに到着する。宿の女将は日本に5年程居て、その間領事館に勤めていたとかで、流暢な日本語ができる。此処で一日ボーとしていても仕方ないので、カルマックアッシュに行く路を1.5時間程度カルマック村の高山植物等を楽しみながらウオーキングをして宿に帰り昼食とする。昼食をしていると雲が急に張り出してきて、今にも雨が降り出しそうになる。山に居る人達はどうしているか心配だ。昼食後大粒の雨がポツリポツリと落ちて来たが大した降りでは無く10分程度で止んでしまった。

 何もすることがない退屈だ。散歩にでも行くかと思い宿のドアをよく見ると、乗馬が出来ますと書いてある。宿の中庭に歩いていくと韓国人の一団が何やら興奮した様子でバスに乗り込んでいる。宿の裏手に行くと鞍を付けた馬が10数頭繋がれている。ガイド(ジル嬢はA隊についているので別のガイドで日本語は不可)に聞くと英語でしゃべっているので良く解らないが、何やら契約書がいるようで、乗馬をする行為は非常にデンシャラスでノーセフテイなので、乗馬はしてもらいたくないと言っているようだ。仕方ない乗馬は諦めるかと思い、宿に帰り女将に聞いてみると、あのガイドは乗馬が苦手なのでそのように言っているのだという。貴男がガイドに何があっても自己責任で実施するので、ガイド及び旅行社に対しいかなる責務も請求しないという誓約書を書けば良い事だと言うので、近くまで出かけたガイドが帰って来るのを待ち、何も書いてない白紙に適当に誓約書を書いて渡すと馬に乗ることが出来たのでした。

馬代15$でガイド料が25$だ。数人で乗ると一人当りのガイド代は当然安くなる。初めて馬に乗ったが、目線が高くなるので気持ちが良い。コースは村の中の路は全く知らないのだからガイド任せにするしかない。僕が乗っている馬の引綱をガイドの鞍に結びつけその後を着いて行くと、急な登りや下りに差し掛かると身振り手振りで体の動かし方を教えてくれる。10分程度歩くとそれらのコツも概ねマスターすることが出来、50分程度馬に揺られているとチョンケミン村が一番良く見えるという小高い丘の上に着いた。

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チョンケミンの里

なるほど素晴らしい眺めだ、村々が一望でき,泊まっている宿も見えるようだ。宿までは目測で2~3キロ程度あるだろうか。帰路は道を違え、幾つもの急な下りや、沢を横断して宿迄帰った。馬を降りたらなんだか膝が重い。膝で鞍を締めていたのと、鐙に力を入れ過ぎていたからかもしれない。

まだ17:40 だ。宿の女将がなにかもう一台の車は途中でタイヤがパンクしたのでタイヤ交換に手間取り遅くなると連絡が有ったので、夕食は19:00になるよと伝えてくれる。かなり時間がある。僕たちを送ってくれた車の運転手がお茶でもどうかと誘ってくれ、食堂に行き4人でお茶を飲んでいると、やがて見覚えのある車が見え、全員が揃った。19時より夕食は始まったのだが、ガイドのジル嬢が明日はお別れなので、ぜひこれを持って帰って下さいとフエルトで作られたキルギス特製の帽子を各自にプレゼントしてくれ、ゆっくりと今日一日の楽しかった行動を語りながら、夜も更けていったのでした。

 

 

月6日木曜日 快晴     廣島孝子

 

 今日はキリギス滞在最終日です。

長閑なチョンケミン谷に別れを告げ、ビシケクに向かいます。9時出発。

両側に山を頂いた谷合の道を走ること20分、漸く舗装された幹線道路に出る。サクランボ、杏子の樹が立ち並ぶ緑の多い街道である。又、道路と並行して鉄道線路もあり、以前はロシアとキルギスを結ぶ物流ルートとして重要な役割を担っていたようだが、この鉄道路線は時代の流れと共に現在は週3回通るのみになってしまったようだ。

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ブラナの塔

街道から離れ山間の道を進むと、荒野の真ん中にポツンと立っているプラナの塔に着く。11世紀初めに造られたこの塔はイスラム教徒達がお祈りをする所であり、以前は45mの高さがあったそうだが、1516世紀の地震で崩壊、20世紀になり、24mの塔に造り替えられた。しかし横から見ると少し傾いていた。

敷地内には10世紀から13世紀のカラ・ハン朝の首都のひとつバラサグンと推定される遺跡の填墓や礼拝堂の跡があるが、発掘は中断されたままである。

又キリギス各地から集められた沢山の顔を模写したほほえましい石人、トルコ語の石臼(9世紀に入り顔の像が禁止されたので)が混在して並べられていた。

プラナの塔から20分、またもやトランポリンに乗っているような悪路、両側には雪を頂く山並み、日本の安曇野を彷彿させる素晴らしい景観である。

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アクべシムの遺跡

間もなく、アラベシム遺跡に到着。西暦629年に三蔵法師がインドに向かう途中ここで突厥の王に会い、歓待を受けた事で知られている。しかしその割には保存状態が悪く、荒野に建物跡であろう穴が二三あるのみで、かつて此処に都市があった事を想像するのは、かなり難しく感じた。

緑の多い郊外から近代的ビルの立ち並ぶビシケクの町へ、財務省、ホワイトハウス等を車窓から眺めながら、昼食のレストランへと向かう。

日差しの強くなった午後はクーラーの効いたソム百貨店にてホッと一息。

1530分ビシケクのマナス空港へ。ウズベキスタンの首都タシケント迄は20分のフライトであるが、パスポート、税関検査等に思いのほか時間が掛かり1930分漸くタシケントに到着する。

夕食はホテルの近くのレストランにて、明日一足先に帰国される日出平さんのお別れ会と添乗員の志波さんの誕生日を祝ってカンパイ!

二人のYさんのビールで遅くまで盛り上がり、22時ホテル着。

盛り沢山の一日、お疲れ様でした。

 

日           武田鞆子

今日は77日、ウズベキスタンでの2日目、日本では七夕様の日です。今日はウズベキスタンの首都のタシケントからブハラに向かう。駅で暫く電車が来るのを待つが、駅構内に入る時に簡単な持ち物検査をさせられる。ウズベキスタン新幹線とでも言いたい立派な列車に乗り込む、列車は全て指定席のようで、この列車はスペイン製で時速160kも出るらしい。お茶とお菓子のサービスも有り、やがてお土産等も売りに来る。

 移り変わる車窓の風景が、バスから見るのと違い、見慣れない景色で楽しめる。2時間でサマルカンドに着き、多くの客が乗り降りをしている。此処は明日の夜には私達も観光に戻る予定の街だ。サマルカンドを過ぎて又2時間程で目的の街ブハラに着いた。迎えのバスに乗り今夜のホテルに荷物を置き、歩いて直ぐのレストランで食事をする。メニューはサラダ、スープ、焼き鳥ライス、ケーキと紅茶のランチを戴き、その後又バスに乗り観光に出る。スィトライ・マヒ・ホサ宮殿『月の星とも言われている美しい宮殿で、庭には多くの孔雀が放されており、併設されている博物館には、世界各国より送られた見事な壺が陳列されていた』、隣にあるブハラ・ハンの夏季専用の宮殿等の見学、ここでガイドよりイスラム教のハラルとハラムに付いて『ハラルとはイスラム教の教えでは許された物や行為であり(例として1夫4妻)、ハラムは反対に許されていない物や行為(4妻以外の愛人)』と教わる。その後中央アジア最古のイスラム建築と言われているイスマイール・サマニ廟イスラム初期の建築様式の霊廟で892年から943年にかけて造られ、中央アジアに現存する最古のイスラム建築。9世紀の終わりにブハラを占領して都としたサーマーン朝のイスマイール・サマニが父親の為に建てた霊廟で、後に彼も、そして彼の息子も葬られてサーマーン朝の王族の霊廟となる。モンゴルによって街が破壊しつくされた時、マゴキ・アッタリ・モスクと同様に殆どが土中に埋まっていて、破壊を免れたといわれていて、1925年に発掘された。日干しレンガを積み重ねた壁面に丸ドームを載せただけの単純な構造だが、丹念に積み重ねられた日干しレンガは様々な模様を形作り、また日差しの加減によっても様々な顔を見せているらしいに行く。この廟は反時計回りに3回ほど周回すると願い事が叶うと言われているので、全員面白がって体験した。その後ブハラで一番高い塔であるカラーン・ミナレット『1,127年に建設されたブハラのシンボルで、ブハラの支配者の権威の象徴になっており、かつてはカラーン・ミナレットの上に明かりが灯され、砂漠を渡る隊商の道標にもなっていたと伝えられていて、19世紀後半迄は罪人を生きたまま袋に入れて塔の上から投げ落とす刑罰が行われていた為、カラーン・ミナレットは「死の塔」の別名でも知られるようになったようだ』や隣接するカラーンモスク『一万人もの人が同時に礼拝できるという』等をゆっくりと見学した後、ガイドに刃物加工の工房に案内され,鋏を購った。鋏はスッキリと切れるし、鳥の形というのが面白い。夜はダンスを見ながら食事を摂れるレストランに案内され、民族舞踏や少女達の踊り、スタイル抜群の女性たちによるフアッションショー的なもの等それぞれに皆楽しんでいたようだ。これで本日の観光はすべて終了し、明日はサマルカンドに戻ることになる。サマルカンドはチムール帝国時代首都であり、モスクのブルーの玉ネギ頭を見るのが楽しみです。

 

日           横田昭夫

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民家で昼食

「ブハラ~シャフリサブス遺跡探訪~サマルカンド」

 “聖なるブハラ(ブハライ・シャリーフ)あるいはサンスクリット語で「修道院」を意味するブハラは、中央アジアのみならず、イスラーム世界全体の文化的中心地として繁栄を誇った町といわれるが、昨夜の舞踏や音楽はその一端をあらわすものと感じた。

専用バスにてホテルを出発し、ティモールの故郷キャシュ(現在のシャフリサブス歴史地区)に向かう。約280kmの行程。バスの中でガイドのトウルキン氏は、1991年ソビエト連邦崩壊後、ウズベキスタンが独立による国家樹立・国民の生活・経済などについて盛んに話をしてくれたが、建国26年と若い国だけに今後の発展への期待を十分に感じた。

途中、車から眺められる景色は木々の見られない荒涼とした砂漠ばかりと思っていたが、道路の両側には樹木が青々と茂り、どこまでも続く平野は放牧と畑作の農地となり、本による知識で考えていたのとは、かなり違っていた。これらは運河による水によって、灌漑が十分行われていることがうかがわれる。放牧地にはユーラシヤ希少の馬が遊び、アジア開発銀行等の出資により、国策として建て売りされている同じ規格の家が立ち並んでいるのが、あちこちに見られた。これはチベットで中国共産党がチベット統治対策としてやっていた、外見の悪いチベット人の家から、日干し煉瓦作りの画一した家の推奨とよく似ていると感じた。

これから訪れるシャフリサブスの名を歴史に留めるのは、この地で生まれた英雄ティムールの存在である。ティムールは1336年この地方を収める豪族の家に生まれ、中央アジアを代表する軍事的天才と評価され、中央アジアから西アジアにかけて、かってのモンゴル帝国の半分に匹敵する帝国を建設した。ティムール朝の建国後も故郷・シャフリサブスを忘れず首都サマルカンドに決して引けを取らない壮大な建築群を建設した。

12:40人口15万人のシャフリサブスへ入り、昼食は庭園の綺麗な民家で家庭料理をいただく。

 

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アク・サライ宮殿

昼食後、ティムールが残した最も壮大な建造物といわれるアク・サライ宮殿跡(白い宮殿)を見る。今は入口アーチの残骸だけが残っている。

 

 

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ティムール像

ティムール像、ティムールの父が眠るドルッティヴァット建築群、ティムールが葬られるはずであったドルッサオダット建築群などを見学する。見学後、15:30ころ専用バスにて出発し2時間半を要して中央アジア魅惑の中心都市サマルカンドに入る。サマルカンドは人口38万人、シルクロードのうちでも西側の拠点として栄えた都市である。18:07サマルカンドのホテル到着。19:0020:30レストランにて夕食をとる。水餃子、串焼き、サラダ、アイスクリームなど。

 

今日の最高気温は44℃とのこと。湿度は低いものの,地面より照り返す暑さはとても体験の記憶とかけ離れたものだった。ウズベキスタンの建物や看板、あるいは案内チラシの国名表示の頭のOとUの違いはウズベキ語のO`Zbekistonと英語表記もしくは通称のUzbekistanであることを確認した。

 

7月9日    横田昭夫

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ビビハニム・モスク

「サマルカンド遺跡探訪~タシュケント」

今日は終日、サマルカンドの遺跡を探訪し、夕方、特急列車で首都タシュケントに戻る。

サマルカンドはステップ気候から地中海性気候への移行部特有の抜けるような青空とモスクの色から“青の都”、“イスラーム世界の宝石”、“東洋の真珠”などと呼ばれ、常にシルクロードの中心都市としての道を歩んできた。

 

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レギスタンス広場

 

 

 

 

 

 

ティムールがインド遠征から帰って5年間で造り上げたいわれるビビハニム・モスクを見学する。サマルカンド色(青)の輝きを見せるこのモスクの巨大さに圧倒される。近接するジョブ・バザールに寄る。さまざまな豆類・果物・野菜・お菓子などから日用品雑貨を求める人々の往来で賑わっていた。シャーヒズインダ廟群はアフラシャブの丘の南麗にあるサマルカンド随一の聖地。ティムールゆかりの人々の霊廟が立ち並ぶ“死者のとおり”で、10廟をかぞえる廟群には巡礼に訪れる人の絶えない場所といわれるように人通りが絶えることはなかった。

 

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グリ・アミール廟

昼食後レギスタン広場へ。レギスタン広場では2年毎に50数か国が参加して行われる東洋音楽祭のリハーサルをやっているため空き時間の訪問となった。金色の内装のテイラカリ(金箔された)・メドレセはその名の通り内装の修復に金を3㎏も使ったという礼拝所は息を飲むという表現にふさわしい神々しさであった。つづいてウルグベク・メドレセ、シェルドル・メドレセをみる。シェルドル・メドレセでは桑の木や鯉の皮、牛の心臓の皮などでできた楽器の演奏を聞く。メドレセ(神学校)は使われておらず、土産物屋として利用している。神学校(メドレセ)はキリスト教では主にキリスト教の神(神学または宗教学)について学び、次世代の教育者を養成・訓練するための教育機関を指す言葉として使われ、一方、イスラーム教でもイスラームの教えを学ぶ教育機関を指す訳語として「神学校」を用いられ実際に使われていたが、ソ連時代にも唯一活動していたのは、ブハラのミル・アラブ・メドレセだった。ここウズベキスタンでは神学校として使われている処は殆んど無かった。

 

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シャーヒズィンダ廟群

専用バスで移動し、グル・アミール廟へ。グル・アミールとはタジク語で“支配者の墓“という意味。ティムールを始め、彼の息子たちの眠る霊廟である。我々が見ることのできる廟の中にある石棺は墓石のみで、亡骸はこの地下3mにある墓室に葬られている。

スーパーマーケットに立ち寄り、お土産を見てサマルカンド駅へ。18:00発の特急列車に乗り約2時間でタシュケントへ20:12到着。バスにてホテルへ移動。20:50~22:45夕食はホテルのレストラン、肉だんごと麺スープ、牛肉クリーム煮とジャガイモ、サラダ、アイスクリームなど。今日の最高気温は43℃とのこと、やっぱり熱い。

 

 

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タシケントからブハラ行き列車

7月10日    石原達夫

中央アジアの旅としては、今日が最終日となるタシュケント市内の見物である。

タシュケントはウズベキスタンの首都であり、地下鉄網も整備された近代都市である。その政府機関、金融、商業、鉱工業の本社や外国窓口機関もここに集まる。とはいえシルクロードの中心都市であるため、旧市街を中心に沢山の遺跡、復元されたモスク、メドセレ、廟が存在する。昨日はホテルチェックインが遅かったのと、今日が旅行最終日で、夕刻にはこのままフライトに乗るというスケジュールのため、朝の支度の時間も入れ、出発は9時30分となった。

既にブハラ、サマルカンドで沢山のモスク、メドセレ、廟等は見学しているので、タシュケントではまだ見ていない類の観光ポイントを見ることになる。

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金曜モスク

先ずは宗教施設の集まる旧市街の中心地で、巨大なタシュケント金曜モスクやメドセレが集まるハズラティ・イマーム広場に行く。ここでの見学は旧メドセレの建物を利用したコーラン博物館である。館内中央にはティムールがダマスカスから持ち帰ったという、7世紀に書かれた世界最古のコーランであるオスマン・クラーンが展示されていた。ムハンマド(モハメット)が神の啓示を受けてイスラム教を発祥させたのが610年ころ、拡大を図って拠点を移動させたのが(へジュラ)622年、ムハンマドが逝去したのが632年という7世紀の出来事からすると驚くべき古いコーランである。嵩のはる羊皮紙に書かれた分厚いコーランは、異教徒である私らにとっても神秘的かつ威圧的ですらある。

 

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クケルダッシュ・メドレッセ

次に訪れたのがチョルス―・バザール、美しい屋根に覆われた巨大なオープンマーケットであり、各種の食料品が整然と並べられている。ここでは危ないかなと思いながら、手絞りのブラックベリージュースを飲む。ついで訪れたのがクカルダシュ(ハンの乳兄弟)・メドセレ、現存の由緒ある神学校である。1950年に修復されたが、一部16世紀のモザイクが残っている。この神学校は国費による教育が行われている高校レベルの学校である。美しい中庭の片隅には夏期講習を受けるための申請に来た多数の学生たちがいた。昼食はオマー・カヤムというアート・レストラン、民芸調の落ち着いた感じの内装で、食事はチキンカツ、野菜スープに粟おこしというようなものであった。

午後の目玉は、ウズベキスタン歴史博物館見学であったが、月曜日ということで残念ながら休館であった。移動中の車窓から見た抑留日本兵士が作ったナボイ・オペラ・バレー劇場はまだ現役であり、バレーかオペラの公演を示す華やかな垂幕で飾られていた。次に平山郁夫ゆかりの旧ハムザ研究所も訪れたが、既に画伯の絵画はなく、近代絵画の展示館になっていた。ただ地下室が出土品の展示場になっていて、6~7世紀の土器、9~10世紀のガラス器、修復された10~11世紀の工芸品などを美人の学術員が説明してくれた。未だ時間があるので、貴族の館を利用したタシケント民芸美術館を見学した。中庭ではイケメンの青年が上質の民芸品を商っており、最後の土産品を買う。ここまで長時間、高い気温のところを歩いたため疲れてしまったので、ウズベキスタン・ホテルといういかにも旧ソ連タイプのいかめしい外観のホテルのロビーで休む。ホテルには結婚披露宴に出るのであろう、美しく着飾った花嫁花婿、親族、友人たちが楽しそうな様子で集っていた。

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旧レーニン広場に建つティムール像

まだ元気なメンバーはホテル前のティムール広場の中央に立つティムールの騎馬像を見に行く。この後、豪華な劇場のようなキャメル・クラブで夕食を済ませ、いよいよタシケント国際空港に行く。効率の悪いセキュリーティチェックが幾つもあり、空港で全員がチェックインするまで結構時間がかかった。

こうして各自さまざまの感慨を抱いて、灼熱のシルクロードの旅は終わった。

以上

 

お知らせ山想倶楽部

■ 2017.12.06

晩秋の滋賀歴史の旅(山想倶楽部)

晩秋の滋賀歴史の旅

髙橋 聰/ 石原達夫

期日:11月9日から11月11日まで

日程:9日 東京発8:33 ひかり505 名古屋着10:17 (集合) チャーターバス=

登山口11:30-御在所岳山頂15:30-登山口18:00=湯の山温泉18:30(泊)

10日 宿舎発7:00=宇賀渓駐車場8:00-竜か岳-石博峠15:00=永楽寺

(拝観)15:30-16:30=近江八幡国民休暇村17:30(泊)

11日 宿舎発8:30=長明寺=安土城址=観音正寺=太郎坊宮=彦根城=米原駅15:30頃  


11月9日晴れ

名古屋駅で今回の世話役である武田鞆子さんに出迎えを受け、直ぐに今回特別にチヤーターしたマイクロバスに乗り込み、御在所岳の登山口である中登山道に向けて出発する。一時間程で登山道に到着して、今年4月に胃癌で胃を全摘した日出平さんは他の人達と一緒に歩くのは厳しいので、高橋とケーブルで御在所岳に向かう事にし(B隊)、他の人達8名(A隊)はこの中登山道より頂上を目指すことにする。

「御在所岳」行程

10:15名古屋駅集合 ⇒ 10:34名古屋駅出発 ⇒ 12:00中道登山口(昼食)

⇒12:17登山スタート ⇒12:45~13:05休憩 750mあたり ⇒13:12おばれ石

⇒13:34地蔵石 ⇒13:43キレット ⇒13:50岩峰(1111m) ⇒15:00富士見岩展望台・山上広場

⇒15:15ロープウェイ山上公園(約50分待ち) ⇒16:15湯の山温泉駅

⇒16:25オテル・ド・マロニエ着

A隊の報告は石原代表。B隊は髙橋報告

 

A隊の報告

中道から登ることになっているけど、鈴鹿スカイラインからの登り口を見落としてマイクロバスは鎌が岳の登り口近くまで上がってしまう、引き返して一の谷山荘前で降ろしてもらう。登山口はさらに100米くらい下にある。

登山口にはいろいろ注意書きが書いてある。頂上が山らしくない公園なので、気軽に登ろうとする人もいるのだろう。時刻はもう正午、しゃりばてになるとか言って弁当を開ける者も出てきたので仕方なしにここで昼食とする。三々五々早くも下ってくる登山者がいる。風化した花崗岩の道を登る。ロープウエイの下を通り抜けると登山路にも大きな岩が現れるようになり、適時出てくるロープ、鎖、梯子でバラエティのある登山路を楽しむことになるが、見上げる山頂は遥か高い。急な登りを続けると、2つの岩が寄り掛かったようなおばれ岩に出る。更にぐるりとめぐって岩を登ると視線の先の岩の上に座った2人の若い女性が盛んに指さすので振り返ると、危うそうな石を乗せた地蔵岩があった。

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御在所岳中登山口 花崗岩の道を登る
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おばれ岩 地蔵岩

 

下りてくる人がどうも高橋さんらしい、と思ったらやはり高橋さんと日出平さんだった。わざわざおりにくいところを選んできたようだ。この先のピークらしき白い岩を登ると急降下のキレット、慎重にキレットの底に出てまた登る。ここから見る富士見岩はまだ高い、この辺りでどうも皆さん疲れてきたようで、だんだん登りが遅くなる。やがて大きな岩壁を回り込み、ちょっと上るとロープウエイ終点地帯の一つである富士見岩展望台に出る。ここで楽しそうにはしゃいでいる若い女性グループに写真を撮ってもらう。時間も丁度3時、三角点のある頂上は遊園地を抜けなければならないので気が進まないし時間も時間なので、ロープウエイで下山することになった。ちなみに御在所岳は200名山である。深田久弥は、彼の100名山に御在所岳も入れるつもりでいたが、頂上が遊園地なのでやめたと本人が後に書いている。彼の「日本100名山」が刊行されたのが1964年7月、既にそれ以前に頂上は観光地化されていたのである。

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キレット 富士見岩展望台
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富士見岩展望台 御在所岳

さて、ロープウエイでの下山は時間短縮のためだが、何と乗車までに1時間弱待たされ全然時間短縮にはならない。観光客が多いのと風が強いため速度を落として運転しているためらしい。これなら表道か裏道から下山した方がもっと早く下山できたろう。やっと乗ったゴンドラはさすがに見晴らしがよい。キレットも地蔵岩もよく見える。終点近くで右手に見える青い屋根の建物がオテル・ド・マロニエ、今晩の宿である。

マイクロバスは先に高橋さんのB隊をピックアップし、それからロープウエイ乗り場で待つ我々を乗せることとなった。

 

B隊の報告

A隊と別れて、僕たち2人だけのB隊は、車で御在所のケーブル乗り場に送ってもらい、早速乗車券を購入するも、平日だと言うのにかなり混んでいる。30分から40分程度乗車するのに時間が掛かりそうだ。それでも12:30頃にはケーブルに乗ることができ、リフトを乗り継いで一等三角点のある頂上には13:10 には立つことが出来た。何故か本日は風が強く、冷たくてかなり寒い。此処は日本海の風を遮る高い山が無いので仕方が無いのだろう。すぐ傍に琵琶湖を望見することが出来、この頂上とほぼ同じ高さにある望湖台まで足を延ばすも、霞んで何も見えない。帰路はリフトに乗らないでスキーゲレンデを歩いて帰り、どのルートを降りるか考えたが、富士見岩展望台よりA隊が登ってきている中登山道を降りることにする(13:40)。下り初めてかなり行くと賑やかに登ってきているA隊と出会い、(14:20)この先は少し道が悪いので、一緒に上に行った方が良いと誘われたが、急であまり良くない道を又上がるのは嫌なので、ゆっくりと下ることにして、16:00前には中登山口の登り口に着き、運転手さんに電話をして迎えに来て貰う。ロープウエイで降りていたA隊とケーブル駅で合流して今宵の宿であり、以前にこの御在所に来た時もお世話になったオテル・ド・マロニエに4:30頃到着。部屋では日出平、菊池の2名と一緒になり直ぐに温泉に入り、18:30よりの食事を楽しみ、はやばやと20:30頃には就寝したのでした。


11月10日 晴れ一時曇り

2日目竜ヶ岳登山

8:30 ホテル出発 ⇒ 9:15宇賀渓登山口 ⇒ 9:25出発

⇒ 9:50 白滝丸太橋 ⇒ 9:54 魚止橋 ⇒ 10:18 金山尾根分岐

⇒ 10:30-10:40 510mあたりで休憩 ⇒ 11:20 730mあたりで休憩

12:20-12:45遠足尾根との合流地点(1044mあたり)で昼食

13:05-13:15 竜ヶ岳山頂 標高1099,6m

⇒ (下り)13:45 重ね岩 830m ⇒ 14:38石槫峠 689m

15:40ー16:05 永源寺 

16:50 休暇村近江八幡 チェックイン

A隊の報告

竜が岳はなだらかな山頂とシロヤシオで有名な知る人ぞ知る鈴鹿の名山である。色々コースはあるが、その名も床しい遠足尾根から登ることにし、下山は最短距離で表登山道でもある石榑峠に出るコースとした。

登山口になる宇賀渓キャンプ場のパーキングまでマイクロバスで入る。此の先も林道は続くようだが乗り入れ不可とのことで入山料1人200円支払い9時25分、ここから歩く。沢つたいの林道はほどなく終わり、そのまま沢に沿った風化花崗岩のざれ道を歩く。魚止滝への道を左に分けると金山尾根道の分岐となる。この尾根道は昨日の御在所岳の中道に似た花崗岩の尾根に付けられたもので、なかなか急な登りである。暫く登ると、やや平らな紅葉の美しいところに出て尾根は右、左と曲がる。ここからは岩場を含む容赦のない一本登りとなり、右手に見えているなだらかな遠足尾根がだんだんと近寄ってくる。天気は曇り空で、遠望は利かないし雨も降りそうなうす暗さである。やがて急登がゆるみ笹の中を歩くようになるとすぐに遠足尾根道との交差点につく。ちょっと風が当たり、うすら寒いところだが、丁度昼時の12時20分なのでここで食事をする。これより山頂までは遠足尾根をたどることになる。

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  白滝丸太橋
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  遠足尾根道との交差点で12時20分昼食

この辺りは背の低い笹の原で、いかにものんびりと遠足するという感じである。ただ足元は赤土のようで、濡れてなくても滑りやすい。この一帯シロヤシオと馬酔木かまばらに生えていて、花のころはきれいだろうと思う。登るにつれて空も明るくなり、なだらかでのどかな感じの笹の山腹をひと登りし13時頃、竜が岳頂上に着いた。幸い霧も晴れてきて展望もよい。北には無残に削られた藤原岳と更にその先には同じく採石で削られた伊吹山が重なって見える。目を西方に転じれば明日行く琵琶湖近辺も見える。

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背の低い笹の原 竜ケ岳頂上

頂上では写真撮影程度の小休止で13時15分下山にかかる。そこには翌長2メートル弱の大きなラジコングライダーを持った人が休んでいた。興味があるので少し言葉を交わす。私らが下山を続けていると後ろからそのグライダーが追うように飛んできて旋回し視野から消えた。

結構急なところもある下山道をたどり、途中の重ね岩で小休止したのち、私らを待つマイクロバスの止まる石榑峠へと向かった。到着は14時35分頃であった。

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下山道 重ね岩

 

B隊の報告

7:00に朝食に行くと入口がかなり混んでいる。バイキングなので仕方が無いが、他の客はこちらも年なので、老婆とはいうわけにはいかないが、妙齢の女性が多い。食事をお皿に取るのにあれが良いかこれにするか、かなり時間をかけているので仕方ない。普段は自宅で家族の為に食事の用意をしているので、この時の楽しみとして認めざるを得ないようだ。

8:20過ぎに宿を出て途中のコンビニで本日の昼食を購入後、今日の登山目的である竜ケ岳の登山口である宇賀渓に9:20に着き、A隊と別れてB隊の二人は竜ケ岳への最短コースであり、A隊の最終到着地である石槫(いしぐれ)峠に向かう。石槫峠には9:50に到着して、10:00に出発だ。初めは緩い登りなのでピッチも上がるが、直ぐに急登と変化して、気息奄々となり、先行している日出平さんになかなか追いつく事が出来ない。

重ね岩近辺で何とか追いついて、一寸休もうよと声をかけるが、ちらと後ろを振り向いただけで、まったく止まろうとしない。4月に胃癌で胃を全摘したというのに、すこぶる元気だ。この近辺より道はいよいよ急となり全くピッチが上がらない。11:30 頃やっと急坂を登り終え、クマザサが生い茂っているなだらかな稜線を少し歩くと、何とか広い竜ケ岳の頂上に着いた(11:45)。南側より強い風と共に濃いガスが吹き荒れているので何も見えない、ここに長居は無用だ。下山とし、少し行くと、先ほど上がってきた時には居なかった筈だが、一人ぽつねんとグライダーを広げている人がいる。少し話をすると、グライダーを飛ばすために、この人は今年だけで20回ほど石槫峠より上がってきていると言い、他の場所で飛ばすよりも、この場所がグライダーを飛ばすには,気流が一番だと言っていた。

20分程度話していたが、ガスが濃く飛ばせそうもないので、先行して少し先の風の無い処で待って居る筈の、日出平さんをあまり待たせるわけにも行かないので、下ることにする。直ぐに日出平さんと合流して熊笹の原っぱを抜け、急な下りに足を取られないように気を付けながら、重ね岩まで下ると、駐車場も望見でき、ここよりは30分も歩かないで、駐車場に着くことが出来た(13:40)。

A隊も14:40には到着し直ぐに石槫峠を出発する。後は本日の宿である近江八幡の休暇村に向かうだけだ。途中道の駅の「奥永源寺渓流の里」で近在の物品を眺めて、永源寺(臨済宗永源寺派大本山)に立ち寄り(15:45)、時間もあまり無いので急な階段を上ってまで、本堂迄はいかないと言う人もいたが、山室夫妻と高橋は入山料500円を支払い本堂まで行き、綺麗に色づいた紅葉を見て帰ってきたので、16:10宿に向け出発する。17:00近くに宿である近江八幡の休暇村に到着した。後は湯に入り、適度に疲れた体を癒し、美味しい食事を戴き寝るだけだ。


11月11日 曇り一時雨のち晴れ

3日目の行程

 

9:00 ホテル出発ー9:05〜9:40 長命寺ー10:10〜11:20 観音正寺&観音寺城跡ー11:35〜12:45 安土城跡ー13:00 太郎坊は雨のためパスー13:35〜14:15 昼食@麺屋松龍15:00 米原駅

今日はこの山行の最終日だ。昨日までと比較するとあまり天気が良くない。時に雨が降りそうだ。それでも山の中を歩くのではなく、この琵琶湖周辺の歴史を訪ねての旅である。多少雨が降ったとしても、どうということはないだろう。

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三重塔

朝8:30にマイクロバスに全員乗り込み、「西国31番の札所」である長命寺に向かう。(9:00入山~9:40下山)このお寺は階段を登れば808段あり、20分近く要するとの事だが、現代は車で直ぐ傍まで上がることが出来る。このお寺は伝承によれば、「第12代景行天皇の時代に、武内宿禰がこの地で柳の木に「寿命長遠諸願成就」と彫り長寿を祈願した。このため宿禰は300歳の長命を保ったと伝えられる。その後、聖徳太子がこの地に赴いた際、宿禰が祈願した際に彫った文字を発見したという。これに感銘を受けて眺めていると白髪の老人が現れ、その木で仏像を彫りこの地に安置するよう告げた。太子は早速、十一面観音を彫りこの地に安置した。太子は宿禰の長寿にあやかり、当寺を長命寺と名付けたと伝えられている。その名の通り、参拝すると長生きすると言い伝えられている。実際の創建年次や創建の事情については未詳であり、確実な史料における長命寺の寺号の初見は、承保元年(1074年)3月2日付の「奥島庄司土師助正畠地寄進状」という文書である。長命寺には中世以降の文書が豊富に残されている。それによると、中世の長命寺は比叡山(延暦寺)西塔の別院としての地位を保ち、近江守護佐々木氏の崇敬と庇護を受けて栄えていた。しかし、永正13年(1516年)、佐々木氏と伊庭氏の対立による兵火により伽藍は全焼。現存する堂宇は室町時代から近世初期にかけて再建されたものである」『ウイッキペデア抜粋』。

 

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長命寺

続いて観音正寺に行き「西国32番の札所」、(10:10入山、11:20下山)この本堂は平成5年に失火で焼失してしまい、重要文化財に指定されていた明応6年(1497年)の銘がある本尊千手観音立像も焼失した。現在ある木造入母屋造の本堂は平成16年(2004年)に再建され、新たに造立された本尊千手観音坐像は、旧本尊が1メートル足らずの立像であったのに対し、白檀を素材に作られており、像高3.56メートル、光背を含めた総高6.3メートルの巨大な坐像「千眼観世音菩薩坐像」に拝礼をして、観音寺城跡を見学に行った。この城跡は、当時は総石垣で作成されており、山城としては、安土城以前の中世城郭においては石垣で作成されているのは、特異であったようだが、織田信長による安土城の建築と同時に廃城となったようだ。

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観音正寺 観音寺城跡

次に安土城跡に行ったが(11:35~12:40)天守閣までの道のりは長い。(標高は概ね200m標高差は120m程)それだけ壮大だ。平城なら判るが、この山城に良くこれだけの石垣を作ったものだと感心させられる。途中に前田利家や羽柴秀吉、徳川家康の邸宅跡の礎石や、森蘭丸等の家の礎石が残存している。近在から仏塔や墓石等も集めたようで、あちこちに仏石と書かれており、お賽銭も挙げられている。何段の階段を昇ったのか解らないが、登り初めてから下り終わる迄小一時間要した。

以前に安土城天守閣の復元模型(実物大)を見学したが、実際にこの城址を見学すると、当時はさぞかし装厳な建物であっただろう事が偲ばれる。

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二の丸、信長の遺品を奉った信長廟 大手道
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本丸 地下1階、地上6階、五層七重安土城天主台と礎石
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ラーメン屋

続いてこれも山の中腹に在している太郎坊宮の駐車上に着いて、運転手さんがどうぞ付きましたと言い、自動ドアを開けると、突然大粒の雨が降り出してきた。誰も降りる気配がない。それよりも、もう昼だ、何処かで昼食にしようと言いだし、太郎坊宮の見学は中止することにした。帰路の新幹線は4:00前なのでこれから食事をしたら3:00頃には着くだろう。国道8号線を米原に向けて走るが、なかなか適当な食堂は無い。40分程度走ったところで道の左右にラーメン屋と饂飩屋が有ったので、ラーメン屋の駐車場に車を止め、饂飩が良い人は饂飩屋に、ラーメンが良い人はラーメン屋に分散して入り、夫々お腹を満たして、あとは米原に向けて走り、米原駅で解散したのでした。

最後にいつも関西方面でこの山想倶楽部の山行を楽しむ時は、武田鞆子さんにお世話になっていますが、今回も快く世話役を引き受けて戴き、楽しい3日を過ごせた事に感謝。

お知らせ山想倶楽部

■ 2017.10.26

秋田駒ケ岳と早池峰山を行く(山想倶楽部)

秋田駒ケ岳と早池峰山を行く

高橋 聰

期 日 平成27年9月19日~21日

 

参加者 石原達夫、吉永英明、武田鞆子、柴田 勧、横田昭夫,高橋 聰、 廣島孝子、

山村秀彦、山村恵子

 

9月19日  晴

乗車してきた列車は全席指定の為、参加者は夫々バラバラの車両に乗り田沢湖駅に午前11時55分到着し、秋田在住の柴田さんの出迎えを受ける。何故か武田鞆子さんも既に到着している。どうしたのと聞くと来る電車を間違えて一列車早く付いてしまったとの事のようだ。さっそく石原さんが手配していたトヨタレンタ田沢湖店に連絡して、事務所は何処にあるのと聞くと駅から少しあるので、今から迎えに行きますとの事だ。5分も待たないでレンタカー会社の迎えも来たので、その車と柴田さんの車に分乗してレンタカー会社に行き、レンタカーの借入手続きを済ませ、柴田さんの車に横田さんと高橋が乗り、レンタカー(8人乗り)には石原さんの運転で、山村夫妻、吉永君、武田さん、広島さんが乗り込み、田沢湖に向けて出発する。10分も走っただろうか田沢湖に着き湖畔の食堂で昼食とする。何故か同行9名の内7名が生の稲庭饂飩(乾燥する前の生麺)を頼んでいる。これは冷えると固まるので直ぐに食べて下さいと案内に書かれていたが、量が少なく味を感じる前に食べきってしまっていた。食後御座石神社の前に設置されている金色のたつこ姫の像を見て、神社の前の売店で魚の餌有りますと書いてあったので、石原さんがそれを購入し水辺に撒くと、なんと5~9寸程度のウグイが簡単に網で掬えるくらい大量に集まって来た。ためしに手を入れて掬うと簡単に何匹も捕まえる事が出来たのだった。14:30頃には田沢湖も一周してしまい、後は何処も見る処が無さそうなので、今宵の宿に行く事にして、途中のコンビニで何人かの人が、明日の昼食の為の弁当等を買い求めて15:20 宿のどんぐり山荘に着いた。この宿の湯は天然温泉で、泉質は弱アルカリ温泉で肌に付けると少しつるっとするが、良く温まり気持ちが良い。しかし湯船が少々狭いのがネックだった。

食事は18:30より始まり、参加者は9人もいるのにお酒を飲む人間は3人だけだ。

明日は6:00朝食で7:00には出発する予定なので早く寝よう。気が付くと男部屋の者達は20:00には全員寝てしまった。

 

9月20日  曇り

昨日は早く寝てしまったので、全員5:00頃には目が覚めてしまったようだ。6:00に朝食を摂り7:00少し前に出発する。8合目の駐車場には7:20に到着し、7:30に出発するが、濃霧で道は判然としない。5分も歩かないうちに昔硫黄を採取していた目窒鉱山跡に着く、ここは草木も全く無い荒れた斜面で何故だか下北の恐山を思い出した。片倉岳展望台に8:10に到着する。この辺りよりガスも一層濃くなり、周りは何も見えない。風も強くなってきて休むにしても寒いので、我慢して休まずに歩く事にする。

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阿弥陀小屋より秋田駒頂上

阿弥陀池の分岐に着くと風が強くなり、池の傍の木道を歩いていると、猛烈な風が吹き荒び、体が浮き上がり、木道から池の中に何度も吹き飛ばされそうになる。又木道は霧の為に濡れているので、滑り易く慎重に歩かねばならないので、気を使うこと甚だしい。阿弥陀池の避難小屋に着くと先行している人達は誰も居ない。どうやら既に男女岳に向かったようだ。一緒に歩いていた横田さんが此処には来た事が無かったので,頂上迄行って来ると言って少しも休まず、濃いガスの中をトットと行ってしまった。どうするか悩むが、僕の現在の体調では無理しても仕方が無い。柴田さんは地元だけに何回も来ているので、この風とガスでは行ってもつまらないので、ここで終わりにすると言っている。軽く食事をして待っていると,何だか外で人声がしている。外に出て見るとどうやら我々のパーテイのようだ。先頭を白っぽい上着と帽子を着けている者がいる、どうやら吉永君のようだ。人数を数えると7人いるので、横田さんも一緒のようだ。

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男女岳頂上

聞けば男女岳は円錐状の独立峰なので風は一段と強く頂上は長くいられない状況で、写真だけ撮って早々に下山してきたとのことであった。相変わらずガスが濃いが、着いた時と相違して、時にサーと視界が効いて来たので何とか判別出来る。

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阿弥陀池より下山中

 

 

 

 

 

 

 

当初計画では避難小屋から横岳に登り、ムーミン谷から男岳に登る予定であったが、この天気では此の先行っても何も見えずあまり登る意味もない。花の咲くころにまた来るということにして、少々休憩の後帰路に就く。帰りは風も穏やかになり、時々ガスも切れて艶やかな紅葉が心を満たして呉れる。

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下山中 紅葉


11:40に8合目の駐車場に着き、田沢湖駅で柴田さんと別れるので、8人はレンタカーに乗り石原さんの運転で少し走ると、石原さんがなんだか目が回るようだと言うので、高橋と運転を変わり、全員田沢湖駅の傍にある食堂で蕎麦を食べる。柴田さんとはここで別れて本日の宿である盛岡市近郊のラフランス温泉湯楽々館に向かい14:20には宿に到着した。

チエックインには少し早いが宿では受け入れて呉れ、直ぐに部屋に入る事が出来た。早速にも今日一日の汗を流す為温泉にゆっくりと浸かり、部屋に帰って来るとなんだかベランダで音がしている。良く見るとかなり大粒のシトシトピッチャンだ。明日の天気は予報では良さそうだが。明日は明日の風が吹くと言う事にしよう。夜の食事は素晴らしかった。平均年齢74歳の我々には丁度量も良く、また味も素敵だ。廣島さんは吉永君が生ビールを3杯飲んだので、お腹も一杯となりデザートは要らないと言うと、2人分を食べていたようだ。

 

9月21日  曇り後晴れ

朝目が覚めると西の方角は晴れているが、東の方は厚い雲が罹っている。天気予報では良い筈だが、今日一日の行動が何と無く思いやられる。6:30に食堂に行くとバイキング形式の食事だ。それほどの量は出ていないが、食べて見るとどれも美味しい。

宿で此処から早池峰の登山口迄どの位掛かるかと聞いたら一時間もあればとの事だったが、7:30に出発して小田越の登山口迄1:30ほど要して着いたのが9:00だった。

9:10に高橋以外は頂上に向けて出発する。高橋は皆と同じ速度で歩けないので、先に行って貰い、管理事務所の人に聞くと、少し先に何台か置ける処が有ると言うので、そこに車を置きに行き9:40に5合目近辺まで行く心算で出発する。今日も上部は風が強く、濃霧が山を隠している。最初は良かったのだが2合目付近より速度も上がらず、後ろから来る人達に追い抜かれる始末だ。4合目付近迄行くと武田さんが一人で降りてきた。どうしたのと聞くと、5合目の少し先迄行ったのだが、風が強くて帰って来たとの事だ。此処で一緒になったのなら僕も降りるしかないのでゆっくりと一緒に下り、13:00頃に小田越の登山口に着き、管理事務所の人に登山口に車を持って来て良いかどうか確認して、他の人が降りてくるのを二人で待つ事にする。

これ以後及び、登山中の報告は石原さんに任す事にしよう。

石原達夫 早池峰山登山

高橋さんに見送られ、7人は頂上に向かう。登りはじめは樹林帯で風をあまり感じない。ところどころ空の石油缶が枝から吊り下げられているが、付属の棒でたたいて熊よけにせよということらしい。樹林帯はすぐ終わり砂礫地の登山路となるが、遮るものがないためか風が強い。2人連れの青年が下ってくるので聞いたところ5合目以上は強風で、とても登れそうもないので今日は帰るという。地元の人らしいが、遠方から来ている我々はそういうわけにもいかない。確かに風は強いが雨が混じっているわけでなし、ましてやアルプスの冬の強風と比べればトロイものだ、ということで登山続行である。なるほど5合目辺りからは若者2人を吹き降ろしただけあって相当な風速である。御金蔵という岩屋で一休みしたが、ご婦人2人は腰が上がらない。一人は登山を続けることにしたが一人は気分が乗らないということなので、ここから帰ってもらうことにする。単独でどの山でも登ってしまう人なので問題はあるまい。トレイルはだんだん急になり砂礫から岩に変わり、よじ登るようになる。

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早池峰山梯子

更に登ると大きな1枚岩に鉄梯子を2段に架けた岩場に出る。高度感もあり中々よろしい。ここは少し風下になるらしく、風で振られることもなく無事鉄梯子をクリヤーする。大きな岩を回り込むと平地となり、木道に従って歩く。間もなく木道が終わり、少し登るともう頂上の一角で赤い避難小屋とその先の剣状の金属が立てられている岩が頂上であった。

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早池峰山山頂

 

 

 

 

相変わらず風は強く、身を低くして頂上での写真撮影をし、避難小屋で昼食とする。この山は一切のキジウチ、ハナツミは禁止で、400円のプラスチック袋を買い、トイレスペースで用をすます。どうやら風も少し弱まったようで、下山にかかる。視界も少し改善され、慎重に降りた鉄梯子の下からは紅葉の山腹が時々見えるようになる。今から登ってくる人もあり、多分頂上に着くころは展望も効くであろうという読みか。高橋さんに携帯で、間もなく登山口到着する旨の連絡をする。

登山口からは高橋さんの運転にて盛岡駅に向かう。4時前に盛岡駅に着き、武田さんは知立の自宅に今日中に帰れることが確実になった。

お知らせ山想倶楽部

■ 2017.09.13

白山登山が変じて荒島岳となるの記

白山登山が変じて荒島岳となるの記              石原達夫・記     

 

期日 8月26日-27日

 

参加者 寺田正夫、寺田美代子、広島孝子、川村光子、西谷可江、石原達夫(担当)

 

8月26日

金沢駅3番バス乗り場に、寺田夫妻、石原は夜行バスにて、広島、川村、西谷の3名は金沢市内前泊で6時に定時集合した。登山者の列が長くなる6時10分頃にバスが乗り場に入ってきたが、係員の云うには前夜の豪雨のため別当出会い以前に土砂崩れがあり通行止めとなり、バスは終点の20キロ手前の白峰までとのこと、歩行による通過もおそらく困難であろうということだった。ということになれば中止せざるを得ない。このまま帰る訳にもいかないが、そうなるとどこに行くにも今夜の宿の手配をしなければならないし、足の手配も必要だ。広島さんがありったけの市内のホテルに電話するも何しろ土曜日、市内はどこも空き部屋は見つからない。レンタカーは8時過ぎでないとオープンしないので待つしかないが、開いたところで、軒並み6人乗れる車はないということだったが、最後に聞いたトヨタレンタカーで6~7人乗りを探してくれるということになった。一方、翌日の計画としては地図を開いて検討した結果、深田100名山の中の荒島岳が割合近くにあるということで、その近傍の町というと勝山があり、幸いそこのホテルにようやく部屋を確保できた。

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白山神社社頭の集合

白山神社奥の院遥拝所

足と宿が確保できたので今回は白山開山1300年ということで来たので白山のご神体である白山比咩神社にお参りすることにした。神社には幸いにも親切なボランティアガイドさんがいて本来の参道からお参りすることができた。

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スカイ獅子吼山頂のパラグライダー

ふと見るとゴンドラが上がっているのが見えたのでそれに乗ることにした。これはスカイ獅子吼といういかめしい名前乗り物で、山頂にも獅子吼白山比咩神社というのがあるとか。山頂は展望の良いなだらかな斜面になっていて、ここからは次々とパラグライダーが飛び立っていた。

 

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そばや草庵店頭

 

 

 

 

ゴンドラを降りてガイドさんに聞いておいた草庵という名の蕎麦屋に入る。中々の繁盛で遠方からもわざわざ食べに来る人もいるとか。茄子そばとかいうのを食べたが、夏そばと聞き間違えた。そばはざるそばに限る、残念なことをした。この後は、高速を走ること2時間で永平寺に到着したが、土曜日ということで駐車場探しに難儀する。

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永平寺入口

 

 

 

 

広大な永平寺をたっぷりの時間をかけて見学をする、まさしく大企業そのものだ。この後は国道を走ること暫しで勝山に入る。予約の宿は勝山ニューホテルといい思っていたより、立派なホテルである。また高級車が沢山停まっているのにも驚いた。近くには越前大仏の大伽藍と絢爛とした勝山城がある。ここは恐竜博物館とか白山平泉寺とかの名所があり、観光にもいい所だ。スキー場も近い。

荒島岳の登山口はここから30分のドライブで到達するとのことだ。

8月27日

射撃クラブの人たちのおかげで朝食は6:30からと早くなり私らも助かる。

こんなことがなければ100名山とはいえ、はるばる来て登りたくなるような山とは言えない荒島岳である。地図を見れば、勝山方面からは下唯野と勝原口がある。女性群は緩い登りの下唯野から登りたいようだが、何しろ下調べもない突然の山行なので登り口が全く分からない、行ったり来たりし、工事の人に聞いたりして、やっと勝原登山口から登ることになったのが8:40、ずいぶん時間をロスした。皮肉なことに昨日も今日も天気が良い、いやなことにフエーン現象で気温も高く、35,6℃にはなる。スタートは旧スキー場の急な登りから始まる。足場の良いのははじめだけで、ごろごろした日向の急斜面で早くも体力を消耗する。1時間20分ほどでやっとリフト跡上に着き、ここで休止。此の先で、本当の登山口となるが、始めから予想外の急坂である。地図帳では1時間半で主稜線に着くことになっているが、この暑さではとても困難な状況である。荒島岳は標高1523m、よく考えれば夏に登る山ではない。暑さと急登とで、皆さん見たこともないほどの汗びっしょりになって一心に登っている。2時間近くもかかってやっとシャクナゲ平に出た。時刻も12時少し前、これではもう時間切れである。

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荒島岳 白山をバックに

ここで白山を遠望しながら昼食らしきを食べて、下山にかかる。3:00に駐車場を出なければ6時台の新幹線に間に合わなくなる。しかも今日は日曜日、金沢市街は混雑しているはず。下山は途中ろくに休まず駐車場へ下り、おかげさまで予定通り3時少し過ぎに出発することができた。車のナビでは金沢駅の到着予想時間は5:50。これではギリギリの時間だ。高速に入ると少々過剰のスピードで走り、ノンストップで金沢市街に入り、5:30頃レンタカーの店に戻ることができた。

今回アンラッキーでどの山頂にも立てなかったが、この暑いなか皆さんよく歩きました。