お知らせ山想倶楽部

■ 2017.10.26

秋田駒ケ岳と早池峰山を行く(山想倶楽部)

秋田駒ケ岳と早池峰山を行く

高橋 聰

期 日 平成27年9月19日~21日

 

参加者 石原達夫、吉永英明、武田鞆子、柴田 勧、横田昭夫,高橋 聰、 廣島孝子、

山村秀彦、山村恵子

 

9月19日  晴

乗車してきた列車は全席指定の為、参加者は夫々バラバラの車両に乗り田沢湖駅に午前11時55分到着し、秋田在住の柴田さんの出迎えを受ける。何故か武田鞆子さんも既に到着している。どうしたのと聞くと来る電車を間違えて一列車早く付いてしまったとの事のようだ。さっそく石原さんが手配していたトヨタレンタ田沢湖店に連絡して、事務所は何処にあるのと聞くと駅から少しあるので、今から迎えに行きますとの事だ。5分も待たないでレンタカー会社の迎えも来たので、その車と柴田さんの車に分乗してレンタカー会社に行き、レンタカーの借入手続きを済ませ、柴田さんの車に横田さんと高橋が乗り、レンタカー(8人乗り)には石原さんの運転で、山村夫妻、吉永君、武田さん、広島さんが乗り込み、田沢湖に向けて出発する。10分も走っただろうか田沢湖に着き湖畔の食堂で昼食とする。何故か同行9名の内7名が生の稲庭饂飩(乾燥する前の生麺)を頼んでいる。これは冷えると固まるので直ぐに食べて下さいと案内に書かれていたが、量が少なく味を感じる前に食べきってしまっていた。食後御座石神社の前に設置されている金色のたつこ姫の像を見て、神社の前の売店で魚の餌有りますと書いてあったので、石原さんがそれを購入し水辺に撒くと、なんと5~9寸程度のウグイが簡単に網で掬えるくらい大量に集まって来た。ためしに手を入れて掬うと簡単に何匹も捕まえる事が出来たのだった。14:30頃には田沢湖も一周してしまい、後は何処も見る処が無さそうなので、今宵の宿に行く事にして、途中のコンビニで何人かの人が、明日の昼食の為の弁当等を買い求めて15:20 宿のどんぐり山荘に着いた。この宿の湯は天然温泉で、泉質は弱アルカリ温泉で肌に付けると少しつるっとするが、良く温まり気持ちが良い。しかし湯船が少々狭いのがネックだった。

食事は18:30より始まり、参加者は9人もいるのにお酒を飲む人間は3人だけだ。

明日は6:00朝食で7:00には出発する予定なので早く寝よう。気が付くと男部屋の者達は20:00には全員寝てしまった。

 

9月20日  曇り

昨日は早く寝てしまったので、全員5:00頃には目が覚めてしまったようだ。6:00に朝食を摂り7:00少し前に出発する。8合目の駐車場には7:20に到着し、7:30に出発するが、濃霧で道は判然としない。5分も歩かないうちに昔硫黄を採取していた目窒鉱山跡に着く、ここは草木も全く無い荒れた斜面で何故だか下北の恐山を思い出した。片倉岳展望台に8:10に到着する。この辺りよりガスも一層濃くなり、周りは何も見えない。風も強くなってきて休むにしても寒いので、我慢して休まずに歩く事にする。

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阿弥陀小屋より秋田駒頂上

阿弥陀池の分岐に着くと風が強くなり、池の傍の木道を歩いていると、猛烈な風が吹き荒び、体が浮き上がり、木道から池の中に何度も吹き飛ばされそうになる。又木道は霧の為に濡れているので、滑り易く慎重に歩かねばならないので、気を使うこと甚だしい。阿弥陀池の避難小屋に着くと先行している人達は誰も居ない。どうやら既に男女岳に向かったようだ。一緒に歩いていた横田さんが此処には来た事が無かったので,頂上迄行って来ると言って少しも休まず、濃いガスの中をトットと行ってしまった。どうするか悩むが、僕の現在の体調では無理しても仕方が無い。柴田さんは地元だけに何回も来ているので、この風とガスでは行ってもつまらないので、ここで終わりにすると言っている。軽く食事をして待っていると,何だか外で人声がしている。外に出て見るとどうやら我々のパーテイのようだ。先頭を白っぽい上着と帽子を着けている者がいる、どうやら吉永君のようだ。人数を数えると7人いるので、横田さんも一緒のようだ。

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男女岳頂上

聞けば男女岳は円錐状の独立峰なので風は一段と強く頂上は長くいられない状況で、写真だけ撮って早々に下山してきたとのことであった。相変わらずガスが濃いが、着いた時と相違して、時にサーと視界が効いて来たので何とか判別出来る。

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阿弥陀池より下山中

 

 

 

 

 

 

 

当初計画では避難小屋から横岳に登り、ムーミン谷から男岳に登る予定であったが、この天気では此の先行っても何も見えずあまり登る意味もない。花の咲くころにまた来るということにして、少々休憩の後帰路に就く。帰りは風も穏やかになり、時々ガスも切れて艶やかな紅葉が心を満たして呉れる。

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下山中 紅葉


11:40に8合目の駐車場に着き、田沢湖駅で柴田さんと別れるので、8人はレンタカーに乗り石原さんの運転で少し走ると、石原さんがなんだか目が回るようだと言うので、高橋と運転を変わり、全員田沢湖駅の傍にある食堂で蕎麦を食べる。柴田さんとはここで別れて本日の宿である盛岡市近郊のラフランス温泉湯楽々館に向かい14:20には宿に到着した。

チエックインには少し早いが宿では受け入れて呉れ、直ぐに部屋に入る事が出来た。早速にも今日一日の汗を流す為温泉にゆっくりと浸かり、部屋に帰って来るとなんだかベランダで音がしている。良く見るとかなり大粒のシトシトピッチャンだ。明日の天気は予報では良さそうだが。明日は明日の風が吹くと言う事にしよう。夜の食事は素晴らしかった。平均年齢74歳の我々には丁度量も良く、また味も素敵だ。廣島さんは吉永君が生ビールを3杯飲んだので、お腹も一杯となりデザートは要らないと言うと、2人分を食べていたようだ。

 

9月21日  曇り後晴れ

朝目が覚めると西の方角は晴れているが、東の方は厚い雲が罹っている。天気予報では良い筈だが、今日一日の行動が何と無く思いやられる。6:30に食堂に行くとバイキング形式の食事だ。それほどの量は出ていないが、食べて見るとどれも美味しい。

宿で此処から早池峰の登山口迄どの位掛かるかと聞いたら一時間もあればとの事だったが、7:30に出発して小田越の登山口迄1:30ほど要して着いたのが9:00だった。

9:10に高橋以外は頂上に向けて出発する。高橋は皆と同じ速度で歩けないので、先に行って貰い、管理事務所の人に聞くと、少し先に何台か置ける処が有ると言うので、そこに車を置きに行き9:40に5合目近辺まで行く心算で出発する。今日も上部は風が強く、濃霧が山を隠している。最初は良かったのだが2合目付近より速度も上がらず、後ろから来る人達に追い抜かれる始末だ。4合目付近迄行くと武田さんが一人で降りてきた。どうしたのと聞くと、5合目の少し先迄行ったのだが、風が強くて帰って来たとの事だ。此処で一緒になったのなら僕も降りるしかないのでゆっくりと一緒に下り、13:00頃に小田越の登山口に着き、管理事務所の人に登山口に車を持って来て良いかどうか確認して、他の人が降りてくるのを二人で待つ事にする。

これ以後及び、登山中の報告は石原さんに任す事にしよう。

石原達夫 早池峰山登山

高橋さんに見送られ、7人は頂上に向かう。登りはじめは樹林帯で風をあまり感じない。ところどころ空の石油缶が枝から吊り下げられているが、付属の棒でたたいて熊よけにせよということらしい。樹林帯はすぐ終わり砂礫地の登山路となるが、遮るものがないためか風が強い。2人連れの青年が下ってくるので聞いたところ5合目以上は強風で、とても登れそうもないので今日は帰るという。地元の人らしいが、遠方から来ている我々はそういうわけにもいかない。確かに風は強いが雨が混じっているわけでなし、ましてやアルプスの冬の強風と比べればトロイものだ、ということで登山続行である。なるほど5合目辺りからは若者2人を吹き降ろしただけあって相当な風速である。御金蔵という岩屋で一休みしたが、ご婦人2人は腰が上がらない。一人は登山を続けることにしたが一人は気分が乗らないということなので、ここから帰ってもらうことにする。単独でどの山でも登ってしまう人なので問題はあるまい。トレイルはだんだん急になり砂礫から岩に変わり、よじ登るようになる。

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早池峰山梯子

更に登ると大きな1枚岩に鉄梯子を2段に架けた岩場に出る。高度感もあり中々よろしい。ここは少し風下になるらしく、風で振られることもなく無事鉄梯子をクリヤーする。大きな岩を回り込むと平地となり、木道に従って歩く。間もなく木道が終わり、少し登るともう頂上の一角で赤い避難小屋とその先の剣状の金属が立てられている岩が頂上であった。

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早池峰山山頂

 

 

 

 

相変わらず風は強く、身を低くして頂上での写真撮影をし、避難小屋で昼食とする。この山は一切のキジウチ、ハナツミは禁止で、400円のプラスチック袋を買い、トイレスペースで用をすます。どうやら風も少し弱まったようで、下山にかかる。視界も少し改善され、慎重に降りた鉄梯子の下からは紅葉の山腹が時々見えるようになる。今から登ってくる人もあり、多分頂上に着くころは展望も効くであろうという読みか。高橋さんに携帯で、間もなく登山口到着する旨の連絡をする。

登山口からは高橋さんの運転にて盛岡駅に向かう。4時前に盛岡駅に着き、武田さんは知立の自宅に今日中に帰れることが確実になった。

お知らせ山想倶楽部

■ 2017.09.13

白山登山が変じて荒島岳となるの記

白山登山が変じて荒島岳となるの記              石原達夫・記     

 

期日 8月26日-27日

 

参加者 寺田正夫、寺田美代子、広島孝子、川村光子、西谷可江、石原達夫(担当)

 

8月26日

金沢駅3番バス乗り場に、寺田夫妻、石原は夜行バスにて、広島、川村、西谷の3名は金沢市内前泊で6時に定時集合した。登山者の列が長くなる6時10分頃にバスが乗り場に入ってきたが、係員の云うには前夜の豪雨のため別当出会い以前に土砂崩れがあり通行止めとなり、バスは終点の20キロ手前の白峰までとのこと、歩行による通過もおそらく困難であろうということだった。ということになれば中止せざるを得ない。このまま帰る訳にもいかないが、そうなるとどこに行くにも今夜の宿の手配をしなければならないし、足の手配も必要だ。広島さんがありったけの市内のホテルに電話するも何しろ土曜日、市内はどこも空き部屋は見つからない。レンタカーは8時過ぎでないとオープンしないので待つしかないが、開いたところで、軒並み6人乗れる車はないということだったが、最後に聞いたトヨタレンタカーで6~7人乗りを探してくれるということになった。一方、翌日の計画としては地図を開いて検討した結果、深田100名山の中の荒島岳が割合近くにあるということで、その近傍の町というと勝山があり、幸いそこのホテルにようやく部屋を確保できた。

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白山神社社頭の集合

白山神社奥の院遥拝所

足と宿が確保できたので今回は白山開山1300年ということで来たので白山のご神体である白山比咩神社にお参りすることにした。神社には幸いにも親切なボランティアガイドさんがいて本来の参道からお参りすることができた。

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スカイ獅子吼山頂のパラグライダー

ふと見るとゴンドラが上がっているのが見えたのでそれに乗ることにした。これはスカイ獅子吼といういかめしい名前乗り物で、山頂にも獅子吼白山比咩神社というのがあるとか。山頂は展望の良いなだらかな斜面になっていて、ここからは次々とパラグライダーが飛び立っていた。

 

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そばや草庵店頭

 

 

 

 

ゴンドラを降りてガイドさんに聞いておいた草庵という名の蕎麦屋に入る。中々の繁盛で遠方からもわざわざ食べに来る人もいるとか。茄子そばとかいうのを食べたが、夏そばと聞き間違えた。そばはざるそばに限る、残念なことをした。この後は、高速を走ること2時間で永平寺に到着したが、土曜日ということで駐車場探しに難儀する。

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永平寺入口

 

 

 

 

広大な永平寺をたっぷりの時間をかけて見学をする、まさしく大企業そのものだ。この後は国道を走ること暫しで勝山に入る。予約の宿は勝山ニューホテルといい思っていたより、立派なホテルである。また高級車が沢山停まっているのにも驚いた。近くには越前大仏の大伽藍と絢爛とした勝山城がある。ここは恐竜博物館とか白山平泉寺とかの名所があり、観光にもいい所だ。スキー場も近い。

荒島岳の登山口はここから30分のドライブで到達するとのことだ。

8月27日

射撃クラブの人たちのおかげで朝食は6:30からと早くなり私らも助かる。

こんなことがなければ100名山とはいえ、はるばる来て登りたくなるような山とは言えない荒島岳である。地図を見れば、勝山方面からは下唯野と勝原口がある。女性群は緩い登りの下唯野から登りたいようだが、何しろ下調べもない突然の山行なので登り口が全く分からない、行ったり来たりし、工事の人に聞いたりして、やっと勝原登山口から登ることになったのが8:40、ずいぶん時間をロスした。皮肉なことに昨日も今日も天気が良い、いやなことにフエーン現象で気温も高く、35,6℃にはなる。スタートは旧スキー場の急な登りから始まる。足場の良いのははじめだけで、ごろごろした日向の急斜面で早くも体力を消耗する。1時間20分ほどでやっとリフト跡上に着き、ここで休止。此の先で、本当の登山口となるが、始めから予想外の急坂である。地図帳では1時間半で主稜線に着くことになっているが、この暑さではとても困難な状況である。荒島岳は標高1523m、よく考えれば夏に登る山ではない。暑さと急登とで、皆さん見たこともないほどの汗びっしょりになって一心に登っている。2時間近くもかかってやっとシャクナゲ平に出た。時刻も12時少し前、これではもう時間切れである。

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荒島岳 白山をバックに

ここで白山を遠望しながら昼食らしきを食べて、下山にかかる。3:00に駐車場を出なければ6時台の新幹線に間に合わなくなる。しかも今日は日曜日、金沢市街は混雑しているはず。下山は途中ろくに休まず駐車場へ下り、おかげさまで予定通り3時少し過ぎに出発することができた。車のナビでは金沢駅の到着予想時間は5:50。これではギリギリの時間だ。高速に入ると少々過剰のスピードで走り、ノンストップで金沢市街に入り、5:30頃レンタカーの店に戻ることができた。

今回アンラッキーでどの山頂にも立てなかったが、この暑いなか皆さんよく歩きました。

お知らせ山想倶楽部

■ 2017.08.24

夏の北アルプス (山想倶楽部)

夏の北アルプス 雲の平(変更で西鎌尾根)

石原達夫

期日  2017年8月6日から10日

参加者 吉永、菊池、石原

8月6日

迷走と遅速の台風5号は発生7月21日なのに未だに進路の予測のつかない変則台風で、本来なら台風一過の晴天を楽しむ予定だった今回の山行も、台風予測のつかないまま出かけることになる。現地で臨機応変に対応しようという腹である。千葉発のあずさ3号に乗車し、松本で全員集合、直ちにバスセンターに移動し、新穂高行きのバスに乗車する。12時過ぎに新穂高ケーブル乗り場に到着、双六方面に行くパーティはないようだ。ケーブル乗り場の食堂で昼食をとり、パラパラと小雨の降る林道をたどりワサビ平小屋に向かう。途中急いで下ってくる大勢の登山者とすれ違い、台風接近の緊張感を感じる

8月7日

朝5時の食事で6時前には小屋を出る。朝の天気はまあまあの様子で双六小屋までは行けそうだ。じわじわと高度を上げる登山路から振り返ると近くには穂高連峰が、少し離れて焼岳が、その先には乗鞍が見えてくる。台湾の登山グループの人達がばらばらになって降りてくる。急登を我慢して登ると平になり鏡池に着いたことを知る。下山する人たちが慌ただしく記念撮影する池の傍で私らも記念撮影、もうこのころからは背景の槍ヶ岳まで雲がかかる。鏡平小屋では昼食のラーメンを食べ、初めて休憩をする。弓張岳の肩に着いた頃は全天が雲で覆われ、いまにも降り出しそうな空となる。双六小屋が見えるところまで登ると下山を急ぐ一般登山者はいなくなって、代わりに双六小屋の従業員が何人か下ってくる。聞けば避難だという。着いた双六小屋は、窓という窓は全部外から雨戸が打ち付けられていてまさに臨戦態勢だ。入り口の戸を開け中に入る。思ったより多い登山者がゴロゴロしている、幕営が禁止されて小屋に収容された学生たちを含むテント組だそうだ。だんだんと雨が強くなる様子、私らはタイミングよく到着できたようだ。夕刻まで黒部五郎小屋や三俣蓮華小屋にいた登山者が強くなった風雨をおかして三々五々避難のため双六小屋に移動してきた。今夜半から明日昼頃まで台風圏に入るとのことで雨のたたきつける音が次第に強くなってくる。同室となったJACメンバーの会津若松のグループと歓談する。

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8月8日

台風5号はよりによって紀伊半島からこの辺りを通過するらしい。風雨と登山路遮断で停滞するほかない。談話室に設置されたドコモのブースターの付近2M以内だと通話できるので必要な連絡をする。台風は正午頃日本海に抜けた様子だが、午後も風雨が結構厳しい。鏡平から下は通行不能となり最短下山路は今のところ無い。移された3人だけの個室の壁に雨漏りが始まっている。雲の平への登山路は黒部源流の増水で通行不可、薬師沢も増水で通過危険、更に有峰線も現在不通とのこと、検討の結果此の先の計画は全面変更で一番安全な槍沢を下ることに決める。

8月9日

早朝の雨は小降りとなっている。5時過ぎに一応の雨支度をして小屋を後にし、昨日決めた槍沢経由のコースをたどる。私らの後に小屋を出たのは学生組の20名で2班に分かれ、今日は槍ヶ岳往復とかでほとんど空身で速い。後続の登山客はない、おそらくわさび平コースの開通を待っているのであろう。硫黄乗越あたりで雨は完全に上がり雨具を外す。ほとんど休みなしで歩き、10時30分頃、晴れた槍の肩に到着する。肩の小屋はますます立派になり、カメラを首に掛けた穂刈社長のお出迎えを受ける。連休を前に多数の登山客を受け入れる準備かヘリが次々と飛来し物資の運搬をしている。槍の穂先に登っているのは例の学生とあと僅かで、彼らが下りればもうガラガラである。久しぶりに槍に登ってみる、15分で登るつもりが17分、相当に息が切れる。下りは13分か。ご覧になられていたらしい穂刈社長から早いですね、とおほめのお言葉をいただく。中岳の頂上に向かった菊池さんは1時間で戻ると言ったがなかなか戻らない。時間も過ぎたので小屋で軽い昼食をとり、1時過ぎにやっと戻った菊池さんを加えて槍沢ロッジに向かう。雪の無い槍沢の下りはごろごろした石の川原で結構疲れる。やっと旧槍沢小屋のテントサイトに着いたが、新設の槍沢ロッジは0.9キロ下ということで更に40分ほど歩き、やっと5時40分にロッジに着く。あてがわれたスペースは廊下という場所で2枚の布団に3人ということであった。台風通過待ちをしていた多数の槍ヶ岳を目指す登山者が上高地あたりから殺到したためと思われる。6時半の食事のあとはもう寝るしかない。

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8月10日

6時頃ロッジを後にする。横尾、徳沢といつものごとく通過し、明神館でソフトクリームを食べ、少し休憩する。小梨平でキャンプ場の風呂に入る、かっぱ橋周辺の日帰り湯より安くてきれいで、空いている。ここで昼食をとり、バス停に向う。バス停そばの登山案内所で、下山届を提出する。なおルート変更通知は8日のうちに新穂高の登山指導所に電話で通告した。

今回はルート変更したため残念ながら雲の平には行けなかったが、久しぶりに西鎌尾根を歩き槍の穂に登れたのはよかった。

以上

お知らせ山想倶楽部

■ 2017.06.26

信越トレイルを歩く(第2回) 山想倶楽部

 

 記: 西谷隆亘

期   日  2017年6月10日-12日

参 加 者 石原達夫、高橋聡、吉永英明、小亀真知子、横田昭夫、小笠原辰夫、

西谷隆亘、西谷可江。(以上8名)

 

(プロローグ)

沖縄地方は豪雨、本土は西日本、東北地方の日本海沿岸を除いた東日本の梅雨入り宣言はあったものの、曇天の梅雨空の侭で雨はなく、晴れ間も見られる天気、昭和20年代後半(渇水頻発)~30年代前半(湿舌、集中豪雨)の頃に似た梅雨の天候。太陽の黒点変動の影響を受ける地球活動の60年周期説を裏付けるような今年の天候。天気予報ではここ数日は集中した強い梅雨は無さそう。

 

6月10日(土)曇り時々小雨

東京駅から北陸新幹線はくたか555号に乗車し、長野駅で北しなの鉄道に乗り換え、予定通りの時刻に到着した石原、高橋、吉永、西谷(隆亘)、西谷(可江)の5名は、妙高高原駅で、地元・妙高赤倉の小笠原さん、横浜から別便で先に到着していた小亀さん、自車で飛騨高山から赤倉ユアーズ・インまで来られていた横田さんの三方の出迎えを受ける。

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赤池にて昼食中

小笠原さんの運転する送迎のマイクロバスは11:30 妙高高原駅出発。12:00登山口斑尾高原・赤池着。此処で昼食後マイクロバスを下山地点・希望湖(のぞみこ)の駐車場へ回送して、皆を待ってくれる役割を担った高橋さん以外の7名は小笠原さんの先導で、信越トレイルの一部を沼の原湿原経由で、希望湖へトレッキング。両側に紅色のタニウツギが綺麗に咲いたトレイルの登山路はよく整備されて歩きやすい。

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沼の原湿原にて

何処からか鶯の鳴き声、ウワミズザクラの花、頭上の空をかくす程のブナの大木が其処此処に見られ、足下の傍らには小振りなチゴユリの花が咲きみだれ、のどかな山路を行く。沼ノ原湿原は花の時期は終わっていたが、水芭蕉が群生してプチ(規模の小さい)尾瀬ヶ原のようであった。途中の周辺の山々の緑が目に染みて、同行の諸氏は緑の季節感に感激しきりである。高橋さんが到着地点の希望湖まで10分位の処で、一行を迎えてくれた。戦国時代に築造された人造湖・希望湖は甲斐の武将・武田信玄と戦った武将・上杉謙信により潅漑用水を貯えるため、渡渉場の位置に築造された土堰堤で地元の人々のために役立っていたが、現在では単に魚の釣り場となっている。戦に長けていただけでなく、領民の生活をも深く考えていた偉業が偲ばれる。15:15 宿泊地妙高赤倉ユアーズ・インに到着。

夕食に、トレッキング途中で小笠原さんが摘みとられた山ぶどうの葉の天ぷらも添えられて、一同感激。

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希望湖にて   ユアーズインでの夕食

 

6月11日(日)快晴

9:00 発、毛無山登山地点・希望湖へ。全員8名は、今日も小笠原さんの先導で、9:56歩行開始。途中、時々、カエルの声も混じり、エゾハルゼミの鳴き声が頻り。少し時期は遅いが、トレイル両サイドのワラビやタラの芽を摘みながら、10:59毛無山頂上着。快晴で県境の山々の眺望もよい。向かいの妙高山頂には雪が谷筋に残り、雪形の『山』の字がくっきりと読める。ここから高橋さんは、何時ものように、一行の下山地点・涌井新池へマイクロバスを回送・待機するために元の道を引き返す。他の7名は小笠原さんの先導で、11:50高橋さんの待つ涌井新池着。運転手は変わり、今度は小笠原さんの運転で、12:20昭和3年『大礼典』が挙行されたことを記念した門柱があるが、現在は廃校となっている富倉小学校跡地に到着。ここには「富倉地区活性化センター」があり、富倉地区の情報が得られる。その並びに、『幻のそば』が味わえる食事処「かじか亭」があり、「富倉そば」の昼食を摂る。

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希望湖より毛無山への登り口を往く  

毛無山頂上にて

『幻のそば』はヤマゴボウの別名があるオヤマボクチの葉をつなぎに使った「富倉そば」のことで、つくるのに大変手間ひまがかかるので、『幻のそば』と言われるようになった由。その昔、上杉謙信が武田信玄と戦うために越後から信州に富倉峠を越えて入ったという歴史と知恵が、雪国の暮らしに受け継がれている。

昼食後は先ず、帰京する小亀さんを飯山駅に見送る(13:35)。飯山駅に向かう途中の駅周辺の国道292号線沿いには寺社が数多あり、名刹(寺社)巡りも楽しめそうである。小亀さんを飯山駅に見送った後、その中の一つ、名刹『正受庵』に立ち寄る。『正受庵』は、寛文六(1666)年に飯山藩主・松平忠倶が道教慧端のために開基した臨済宗の寺で、山号小畝山(こうねざん)という。開祖は真田信之(真田幸村の兄)の庶子・道教慧端。松平家と真田家の関係は不詳であるが、近在では名の通った寺である。14:10 『正受庵』を出発。

途中、京都大学笹ヶ峰ヒュッテの傍らを通過して、15:00 笹ヶ峰駐車場着。小休止。いまだかなりの残雪がある駐車場から対岸の山々を望見する。

15;45 宿泊地妙高赤倉ユアーズ・インに帰着。

 

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黒岩山の休憩所にて

6月12日(月)曇り時々小雨

昨日、小亀さんが帰京したので、今日は7名で、7:40 小笠原さんの運転するマイクロバスで涌井集落に向かう。横田さんは自車を駆って後続し、涌井集落の同じ所に駐車。何時ものように、マイクロバスを一行の下山地点である平丸峠・桂池に回送運転して、待機してくれる高橋さん以外の6人は、涌井集落から平丸峠・桂池に向かう。最近の高橋さんの体調は戻ったようで、黒岩山まで後15分位の地点迄、高橋さんが迎えに来る。合流後、全員揃って、桂池迄のトレイル散策を楽しんだ。

桂池からは、ペガサスゲレンデ(最下部のゲレンデは廃止された様相)の道を戸狩温泉「暁の湯」へ。到着後、マイクロバス右前輪のパンクが判明したが、残りの我々5人が「暁の湯」に入浴している間に、小笠原、横田両氏の奮闘により、パンクの右前輪は交換され、何事もなかったように無事、今朝の出発地点である登山口・涌井の駐車場へ。お二人に感謝。自車で松本経由で岐阜県の美濃加茂迄帰宅される横田さんと別れて(14:05)、マイクロバスは飯山駅へ。小笠原さんと別れの挨拶を交わし、東京へ帰る5人は、飯山駅の喫茶店で、出発までの2時間を楽しく雑談、北陸新幹線はくたか568号飯山駅発16:05で東京(17:52着)へ。駅頭で別れの挨拶を交わして、各々の家路へ。

 終わりになりましたが、毎回の散策の始点から終点まで、マイクロバスを回送運転・待機してくれた高橋さん、登山口までの往復を送迎のマイクロバスで一行を搬送して下さった小笠原さん、お二人の労苦に深甚の謝意を表します。また、トレイル中に摘んだワラビを早速にアク抜きして、お土産として下さった小笠原さんの温かいお志に感謝。      


高橋追記 

車を出発地より到着地迄回送したので、一人で歩いた時のつぶやきです。

この信越トレイルは3年ほど前に戸狩スキー場から開田峠迄を歩いています。今後、後2回から3回ほどかけて、まだ歩いていないところを実行しますので、会員の参加をお待ちしています。

 

一日目

赤池にて他の人と別れて車を希望湖に回送する、回送すべき道は全く不案内なので、地図は良く調べて持って来ているとは言え、小笠原さんに良く聞く。言われた通りに運転していくと、所々に良く注意をして見て行かなければ見落としてしまうような看板が所々に着いている。程無く希望湖の駐車場に着いた。

駐車場の傍に看板が有り、希望湖の円周は2.5キロ程有り一時間程度で一周できるようで、途中から沼の原湿原へと行かれそうだ。この駐車場よりボート小屋が見えており、その右横の道を行くと沼の原湿原に出られるようだが、この湖を一周するのも面白そうだ。

あまりUP-DUNもないだろう。歩いているとあちこちでルアーを持って釣りをしている人たちがいる。マスを釣っているのではなく、ルアーの投げ方を見ていると、どうもバスを釣っているようだが、引っかかってくる魚は見えない。看板をみるとこの湖には、かなりバスを放しているようだ。観光客を増やす為とは言え、在来の魚がそのうち消滅してしまうのを承知で、良くこんなバカなことを地元の観光組合がするものだ。元々は上杉謙信が造らせたとも言われている人造湖らしいので、それも有りかもしれない。ネットで調べてみるとこの希望湖はこの近辺でも有数のバスフィッシングのメッカらしい。

ゆっくりと歩く事小一時間でこの希望湖を一周することが出来た。本隊はまだ赤池よりこの希望湖に着くには、まだ時間がかかるだろう。若しかしたら沼の原湿原辺りで会えるかもしれないと思い、歩いて行く事にする。沼の原湿原に向かって歩き出して10分もしないうちに何だか賑やかな話し声が聞こえてきた。どうも声の質から推測すると山想倶楽部の面々のようだ。待っていても仕方ないので、近づいていくとやはりそうだ。ずいぶん早い。

向こうは向こうで、早いねと言うが僕は希望湖からいくらも歩いていない。すぐそこが希望湖なので本日の散歩はこれでおしまいだ。明日登る毛無山の登り口を確認してから、車に向かった。明日は毛無山まで1.2kで所要時間1時間と書いてある。

 

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希望湖にてバックの山は妙高山毛無山への登山前

2日目

今日は昨日と相違して素晴らしく良い天気だ。希望湖で妙高山をバックに写真を撮った後、ここで皆と別れて車を回送しても良いのだが、30分もあれば回送できそうなので、皆と一緒に毛無山迄一緒に登ることにする。頂上迄小一時間だ。以前このルートはJACの山行委員会で来たことがあるのを思い出す。緩い登りが続きワラビが点々と生えているので、それを採取しながら登り、予定通りの時間で頂上に着いた。僕はここで皆と別れて希望湖に下り車を涌井新池に回さなければならない。涌井より新地迄は15人乗りのマイクロバスの車幅一杯の細い道だ。脱輪しないように気を付けて行こう。涌井新池に着いて池より登山道に入ろうとしたら全員降りてきた。この後は今回報告書を纏めてくれる西谷さんのテリトリーだ。

 

3日目

今日で今回の信越トレックの最終日だ。行程的には一番長いのだろう。本日は早めに出発し昨日下ってきて確認した涌井集落へ。本日もここで他の人達と別れて車を平丸峠にある桂池の傍まで回送するのが僕の仕事だ。道順は昨日帰った小亀さんを飯山迄送った時に小笠原さんより聞いたので何とかなるだろう。途中一か所道を間違えたが無事に桂池に9:00には到着した。此処でじっとしていても仕方ない。取敢えず黒岩山迄でも歩いて行こう。

信越トレックの取り付きまで行くと、急に雨が降ってきた。おまけに登り口が急坂で昨日来の雨でかなりぬかるんでいる。これではローカットのハイキングシュゥズでは厳しいと感じたので、車に戻って登山靴に履き替え、序にスパッツも着ける事にする。これでかなり時間をロスしてしまうが仕方がない。年寄りは安全が第一だ。用意万端で登りだすと悪かったのは最初だけで、黒岩山まではなんということも無く到着したが、道中はブナが密生していて、天気が良ければ若草色の木の葉の色がさぞや素敵なことだろう。黒岩山の手前でうら若き女性が一人で、かなりのスピードで降りてくる。まだこの時間だ。戸狩温泉迄行くのだろうか。若しかしたら、開田峠まで行ってしまうかもしれない。黒岩山には一時間程で到着し、少し小腹も空いたので軽く食事をとり15分程度休んで、先に進む。10分も行かないうちに上の方から、なんだか人間の声らしきものが聞こえてくる。コールをすれど、何も返事もない。自分たちの仲間とは思っていないのだろう、徐々に声も大きくなり互いにその姿を認め、共に黒岩山に引き返したのでした。この後は昨日と同様に西谷さんの報告を参照して貰いましょう。

 

希望湖(旧名 沼の池の由来)

記録には、約430年前の天正時代(安土桃山1573~1591)に初めて壕を開き、文化2年(1806江戸時代中期)堤防にて水面を広げ、天保6年(1836)改築、安政2年(1856江戸時代終期)に大修築とあり、近年になっても幾度かの修築があり、昭和28年に設立された下水内中部土地改良区が、昭和28年から36年の8年間に1678万円の費用にて総延長365メートルの堰堤工事が完成し、現在に至っている。南北740メートル、東西380メートル、周囲2440メートル、最深部11メートル、平均5メートル、最大貯水量48万5900トンであり、沼の池の水は、飯山市柳原、外様両地区の農家約400戸、約200ヘクタールの水田で稲作が出来、地域にとっては重要な水であります。湖北側の島の様な場所に弁財天が祭られていて、その石碑には、文化2年、天保10年の文字が刻まれているのが確認でき、古くから「命の泉」としての関わりが偲ばれているようだ。

お知らせ山想倶楽部

■ 2017.06.02

新緑の大菩薩嶺を往く (山想倶楽部)

新緑の大菩薩嶺を往く

記 小亀真知子

期 日  平成29年5月14日(曇)

参加者  平井喜久枝、武田鞆子、清水直哉、西谷隆亘、西谷可江、高橋 聰、小亀真知子

原田(平井さん友人) 8名

 

5月14日

塩山駅に予定通り9:00に集合すると高橋さんより今回の報告書を書くように言われてしまった。既に参加者は全員集合している。直ぐに予約してあるタクシー2台に分乗して大菩薩峠に向かう。上日川峠で前日には到着しているという武田さんは何処にいるかと探すと、目の前の椅子に座っていた。何と今朝3:30に愛知県の知立を車で出て8:00頃には着いていたらしい。

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大菩薩峠

9:40頃この上日川峠を出発し、葉を落としたままの落葉松の林の間を進む。なだらかな坂道を歩く事30分程で福ちゃん荘に到着し、暫しの休憩。天気は昨日の雨のせいか雲が山の中腹にたたずんでいて、見晴らしは今一つですが、まだたっぷりな雪に抱かれた北岳の山頂が雲間に見え隠れしている。この福ちゃん荘から少し急な登り下りを繰り返しながら、大菩薩峠に到着。

峠の小屋周辺は流石に休日だけあって、登山者も多く座る場所もない。雷岩方面に寄った人の少ない手ごろな場所で休憩として、序に時間も11:30頃なので昼食とすることになりました。このころより少し青空も見えるようになり、山桜やツツジの花々が遠くに眺められるようになってきました。昼食後12:10に大菩薩嶺に向けて出発。

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大菩薩嶺

雷岩分岐(12:50) 大菩薩嶺には13:00頃到着したのですが、ここよりの見晴らしはあまり良くないので、記念の写真を撮って直ぐに下山しました。雷岩より下山路である落葉松尾根は私にとっては、悪路も悪路で急なうえに昨日の雨の為か足元が滑りやすく、おまけに岩もゴロゴロしていて、なぜだかストックのストッパーが壊れてしまって、歩くのに苦労する。丁度芽吹いたばかりのミズナラ、ブナ、シラビソ、コメツガ、オオイタヤメイゲツ等の新緑に目を奪われて歩いていると、足元が留守になり何度も、何度も転びそうになってしまったのでした。

先行している人達に少し遅れて福ちゃん荘に着くと、既に到着していた今回の世話役である平井さんより、当初は上日川峠よりバスで甲斐大和駅に出る予定であったが、バス代もタクシー代もそれほど違いは無いので、15:00にタクシーを呼んであると伝えられる。福ちゃん荘より上日川峠までの下りは落葉のクッションが効いた路で楽しく楽に歩け、丁度15:00頃には上日川峠に着くことが出来たのでした。

ここで今晩は友人と裂石温泉に宿泊すると言う武田さんと別れ、塩山駅へとタクシーに乗車し、当初思っていたよりも早く帰宅することが出来たのでした。

幹事の平井様、又落葉松尾根の下りに付き合って戴いた西谷様、高橋様本当にお世話様でした。又宜しくお願いします。

お知らせ山想倶楽部

■ 2017.05.04

夏の海外登山 グランド・ティトン&イエローストーン 絶景を歩く10日間

 

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グランド・ティトン

 

場所 アメリカ合衆国 グランド・ティトン、イエローストーン国立公園

期日 2016年6月21日〜6月30日

参加者 石原達夫(担当)、吉永英明(副担当)、日出平洋太郎、広島孝子、

            寺田正夫、寺田美代子、武田鞆子、横田昭夫

 

概要 

グランド・ティトンはイエローストーン国立公園に接する小さな国立公園で、長大なロッキー山脈の北辺の高地に忽然と聳える鋭い4000米級の岩峰群である。盟主はその名を代表するグランド・ティトン山(4197米)であり3600米以上の岩峰は12を超え、周りの氷河湖をちりばめた典型的な氷河地形を示している。グランド・ティトン山塊のいずれの峰も山頂に到達するには高度のロッククライミングを要する。余談ではあるが、この山は、往年の有名な西部劇「シェーン」の背景に使われた。

イエローストーンはアメリカの国立公園指定第一号の有名な観光地で噴火以外の様々な火山活動が見られる。特にオールドフェイスフルで代表される間欠泉群は有名である。またイエローストーン湖から流れ出す同名の川はイエローストーンエグランドキャニオンとして水量豊かな滝を見せてくれる。

私たちは有名観光スポットを見学したが山想倶楽部の名に恥じない登山も実施した。その山はガイザー(間欠泉)の研究で有名なドイツの科学者ブンセン(ブンゼンとも、ブンゼンバーナーの発明者でもある)の名を取ったブンセン山(2600米)で平原からそそり立つ山は極めて見晴らしがよく、案内書ではSweet and Easyとされ、人気のある山である。

以下分担により報告する。                  石原達夫

 

6月22日 晴れ                     横田昭夫

アメリカ・ワイオミング州グランド・ティトン国立公園トレッキング第1日。

朝食はホテルのレストランで済ませる。今日からホテルが変わるため、スーツケースなどすべての荷物を大型レンタカーに積み込む。スーパーへ寄って昼食のサンドウイッチ・お茶・トマト・リンゴ・バナナなど購入。ジェニーレイク到着がお昼近くになったので、湖畔を歩いて行くのからシャトルボートにてジェニーレイクの湖面を楽しみ、15分の所用時間で対岸に着く。

ジェニーレイクは澄んだエメラルドグリーンの美しい湖だ。乗船が2回に分かれたので後発が着くまで湖面を眺めながら待つ。後発のボートが着き、全員揃ってインスピレーションポイントへ出発。寝不足と時差ボケに加えて、高温による体調不良でピッチが上がらない。とにかく体を慣らすようにゆっくり登る。ヒドォン・フォールスと呼ばれる滝へ向かうだらだら坂を登る。途中から谷沿いに歩き、二つ目の橋からヒドォン・フォールスが望まれる。樹林越しのため滝の全容を見ることはできなかったが、滝からのさわやかな涼しい風が心地よく、今日の不調を癒してくれる。

小休止の後、さらに登り続けると、道は切り立った断崖に付けられており、これを登って廻り込むとインスピレーションポイントと呼ばれる展望台に着く。渡ってきたジェニーレイクを見下ろし、振り向くと自分が立っている真後ろに標高4,197mのグランド・ティトンの山頂が見えた。インスピレーションポイントで軽い昼食をとる。リスが出てきて何かを与えると喜んで食べる。しかし、レンジャーに見つかり忠告を受けたとか。

昼食後、ジェニー湖畔の周遊ルートまで戻り、反時計回りにビジターセンターまで歩く。ジェニーレイク・インスピレーションポイント・湖畔周遊ルートはアメリカでも人気のコースらしく沢山の人が何も持たず、観光オンリーといった風情で歩いていた。また、周遊ルートの傍らにはキイチゴやミヤマオダマキがしきりに咲いていた。駐車場15:50出発。今日から3日間泊ることとなるジャクソンホールのロッジに16:40に着く。食事までにスーパーにて明日のランチを購入する。夕食はロープウエー乗り場近くのホテル1階のレストランで生ビールを飲みながらアメリカの料理の一端を体験する。

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「ジャクソンホールのアッパーマウンテン」

 

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グランド・ティトン

6月23日 晴れ  

アメリカ・ワイオミング州グランド・ティトン国立公園トレッキング第2日。

ジャクソンホールのアッパーマウンテンのトレイルコースを歩く。

山頂へはロープウエーを利用し、約10分ほどで標高差1200mを一気に上がる。ロープウエー山頂駅から歩いて数分で3,185mの頂上に着くが無名峰で名前はない。ここからの展望は360度さえぎるものがなく、北東方向にグランド・ティトンの頂上部分を覗かせ、見渡す山々の頂上付近や沢には残雪を白くまとっている。

景観を堪能し休憩後、トレイルルートを山頂からスタートする。少し下ると残雪が現れ、久し振りに雪の感触を味わう。ここから残雪が有ったりしてトレイルのはっきりしないところを通って林道のようにしっかり整備されたサミットトレイルをロープウエーケーブル下のクワットリフトの終点まで下りここで昼食をとる。

昼食後トレイルを下りゴンドラとの分かれるところで、ゴンドラで下る人はやや登りとなった道を左にとり、吉永、寺田、横田の3名はそのまま下る。埃っぽい林道を避けてスキー場のバーンを下る。スキー場のコースはよく整備されていて、穴凹や転石がないので歩きやすい。かなり急斜面だけど膝丈くらいの草が生えているのでブレーキとなって都合がよい。スキー場のコースを3本ばかり下る。とにかく下りなのでぐいぐい下り、ゴンドラで下る人たちと別れたところから1時間足らずでローウエーの乗り場に着く。近くのレストランに入り生ビールを飲んでいるとゴンドラ組も降りてくる。

夕方、スーパーへ行き明日の食料を購入する。夕食は昨夜とは違ったレストランにてワイン・ビールと肉料理・サラダなどであった。

 

6月24日                          吉永英明

今日も朝から天気は良い。アメリカ西部は天候に関しては全く気を使う必要がない。しかも、ワイオミングは西北部のため、カルフォルニア、ネバタ、ユタあたりに比べ朝の冷気も感じられる。

ガイドの山田さんの運転する車でテトンパーク・ロードを北へ。前々日に訪れたジェニーレイク南方のガーネット・トレイルの出発点となる駐車場に車を置き、グランド・テトン(4.197m)と、その南方のミドル・テトン(3.902m)に挟まれた谷、ガーネット・キャニオン沿いに登り、ロゥアーサドルを目指して出発する。当初は松の大木と落葉樹の林の中のなだらかな登りの道を例のごとく実のない雑談をしながら進む。しばらくすると、ジグザグの道になるにつれ、両岸の岩壁に囲まれた急流の谷の左岸沿いの道に入ってゆくが、少々埃っぽいのが難だ。両岸の岸壁が圧倒的になり、目を奪われる。上部にミドル・テトン氷河とロゥアーサドルが見渡せるが遠い。正面に

グランド・ティトンの東側ピラーにヨセミテ、ハーフドームに架かるハシゴと見紛う垂直の部分に興味をそそられるが、つぶさに見ると岩石の種類が違うのではとの見解に落ち着いた。

ガーネット・キャニオンの左岸を詰め、谷の左岸に入るところで残雪となる。大きな岩がゴロゴロした中の残雪を石原リーダーが単独で上部のルートを探り、吉永が続いたが、雪はキッ 

クステップで何とかなるものの、アイゼン、ピッケルを携行しておらず、万一何かあったらと考え、ここで昼食とし、上部への登行を諦めることとした。最終地点は、地図上のメドウ下のプラットフォーム付近と思われる。

上部は、ミドル・テトン氷河に続くゆるやかな雪の道と左岸のモレーンが遠望できた。若い登山者が何組か登っていったが、ロゥアーサドルまでの途中で泊まるのかと不思議である。グランド・テトン東側の圧倒的なピラーを眺めながら、久しぶりに山を感じつつ、ゆっくりと休憩を取り,ほこりの道を雑談の中全員無事下山。

帰路はジェニーレイクのビジターセンターに立ち寄り、グランド・テトンの地形、動植物等の展示を見学し、ジャクソン・ホールのホテルに戻った。今夜も大振りのステーキにありつけると思うと気持ちが昂る。

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ロウアーサドルをめざしてお花畑を行く メドウ下からの下り

 

6月25日                        日出平洋太郎    

連日の快晴で、今日は グランド・ティトンからイエローストーンへ、南から北への移動日である。地図をみると両国立公園はワイオミング州の北西の隅に南北に連なっており、州の北辺は北緯45度である。アフリカの各国が緯度や軽度で4角に切られているのと同じである。45度を日本まで引っ張ってくると稚内の4~50km南になる。緯度では略北海道であるから、乱暴ではあるが梅雨のない北海道を思えば、この時期の連日の快晴も不思議ではない。

7時朝食、初日は食堂って何処だ?とウロチョロしたが3日目ともなると慣れたもので入口に行列ができる。カフェテリア方式でパンにヨーグルト、それに卵かソーセーシにサラダ゙位の質素なもの、アメリカ人も健全だなと思う。

9時出発だが、食事も簡単だし、スーツケースも持ってゆくのでみんな早めに集まってきて、予定より早く出発する。運転手は添乗員兼ガイドの山田さん、一人で何役でもこなす。30分も走ったころ広い草原状の所に出る。西には昨日、下から仰いだティトン峰が聳える。カナダから始まったロッキー山脈の尻尾である。傍に看板があり「ここに嘗て活き活きとしたコミュニティーあり」と書いて、開拓民らしい人々の集合写真、丸太小屋の写真などが張ってある。

確かに半世紀前に観たあの「シェーン」撮影のロケ地である。牙も抜け、腹だけ出っ張ったジ

ジイ二人、アランラッドを気取るのも興ざめだが記念にワンショット。次は10時、スネークリバー展望台である。ここは初日だったかに一度きている。その時は記念にと思って夕食に蛇川鱒のムニエルを食べたが旨くはなかった。川魚は塩焼きに限る。川が大きくウネっているのが売り物だが樹が大きく育ってよく見えない。説明用の看板には4〜50年前の写真があるが、その中の樹は小さくて、確かにスネークリバーである。

落穂拾いのように

グランド・ティトン国立公園の、まだ行ってない所を覗きながらのドライブで、11時、次はコルターベイビジターセンターである。綺麗な水に映えているのが人工のボートの類というのが気に入らないが美しいのは認めよう。ビレジと称するだけあって、寝る所、食堂、土産物屋、キャンプ場、G.S.と何でも揃っている。30分ほどここで休憩し、11:30また車で北上する。

12時、イエローストーン国立公園南入り口通過、いよいよ今回の旅行も後半戦に入る。12時半、グランビレジにて自由行動、土産物を物色したりランチを食べたり。元気になるのは女性群、男子は手持ち無沙汰。どうやら今日は宿に行くのが目的で、これからはオールドフェイスフル、マディソン、イエローストーン国立公園西口とショートカットで宿行きだ。13:44クレグ峠2,518m越え、14:10オールドフェイスフル間欠泉に駐車。14:48上部間欠泉見学、15:40車で少し走る。16:12 ミッドウエイ間欠泉見学。青や赤の血の池地獄も間欠泉も驚きはしないが、その広さは呆れるばかりで、歩くだけで疲れる。16:38車に乗って出発、下部間欠泉は省略し17:03マディソン通過、17:23イエローストーン国立公園西入口を出る。17:26ウエスト・イエローストーン到着。部屋はF120で石原さんと一緒。ス−パーで買い物をし、19:30みんなで夕食に出掛ける。部屋に戻ったのは21時。

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ジャクソンホールマウンテンリゾート ジェニーレーク、ボートで対岸に渡
   
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インスピレーションポイントからのビュー グランドテトンに向かう

 

6月26日                          武田鞆子

9時50分、アンクルトムズポイントへの駐車場に着く。滝を下から見上げるとのことでつづら折りの坂道を下りその後325段の鉄階段、狭い階段をすれ違いながら歩く、しかも下はスケスケ…、少し個広くなった場所で滝を眺め、オオと感心しながらまた歩く。

下へ着くと圧巻の迫力…、こんな大きな滝、見たことがない。こんな水量で発電したらものすごい電気が出来るよな、とバカな感想を持つ。帰りは下った分だけ登る。これがまた大変、ヘロヘロになって登り、そのままトレイルを歩き、今度はローワー滝の上の展望台。

足元を濃緑色の巨大な川が流れ、左手がいきなり滝になって流れ落ちていく。のぞき込むと足がすくむ。高い所が嫌いな私には苦手な場所。早々に戻ってまたトレイルを行く。

3か所目の滝見物の場所はまた下から見上げるとのこと。女性群+αはもういいやと日陰を求めて待っている。下へ行った人たちが戻ってきて、滝が今までの中で一番真近で水しぶきが飛んできてものすごく見ごたえがあった、などと羨ましがらせる。少し移動して日影を探し、昼食とする。

駐車場まで歩いて車に乗り、ノリスガイザーベイスンへ行く。ブルーの池、グリーンの池、水蒸気のミストが飛び散り、ここが火山の真上だと教えられる。イエローストーン国立公園そのものが64万年前に起きた超巨大噴火でできたカルデラであり、今でもその火山現象が脈々と続いているのだ。地の底には噴出したマグマがドロドロしており、熱水は間欠泉として時を決め、吹き上がる。そんな地面の上を歩いていることがものすごく不思議でスリルがある。火山は大好きだが、私がここにいる間には噴火しないでほしいと思いながら車でホテルに戻る。

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滝を見るために下る階段 ブンゼン山頂上からの展望
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山頂からお花畑を下る マンモスホットスプリングを歩く

 

6月27日            寺田正夫

今日は、アメリカハイキング旅行の最終回になる山を楽しむ。その名は「BUNSEN PEAK(2,650m)」。 

AM8:00、一路「BUNSEN PEAK」を目指してホテルを出発。

AM9:25、登山口に到着。 登山口には“6月23日にクマ出没”の案内板が有り、一気に現実感が湧いてくる。一行気を引き締めて、いざ、出発。

クマ除けの鈴を鳴らし、大きな声で話をしながら歩く。

(この方法は、アメリカでも有効!)

山道には数多くの花々が咲き乱れ、大いに目を楽しませてくれて疲れも癒される。

AM11:00、和気合々で山頂に到着。 ここで昼食を楽しんだ。

AM11:35、下山開始。 同じ道を下る。

PM 0:50、1時間少々で駐車場に到着。

期待した(?)クマに出会うこともなく全員無事に到着した。

一休みした後、鍾乳石で有名な「マンモス スプリング」を見学した。

普通日本では、鍾乳石は地下の洞窟に存在するが、アメリカのこの場所は、地上に露出していて、そのスケールの大きさに圧倒された。今日も楽しい一日を過ごすことがでた。充実して思い出に残るアメリカハイキング旅行であった。来年も、全員が元気で参加できることを願ってやまない。

 

6月28日                         寺田美代子

グランド・ティトンとイエローストーンと2か所の国立公園をめぐる山の旅も、今日はいよいよ帰路となる。朝9:00スーツケース等を車に積みホテルを出発。ウエスト・エントランスからイエローストーン国立公園に入り89号線を南下していく。朝の公園内は、川辺にはカモが群れ、川中には釣り人が数人、岸辺の木々の根元にリスがちょろちょろと・・・ゆったりと静かな景観の中を道路が通っている。間もなくマディソン分岐を通過、ここも移動の旅に何回も通ったが、最後かと思いあらためてぐるりと見回した。公園内いたるところにある間欠泉、ローワーガイザーベイスンを右に見て通過、平らな道で楽に見て回れるミッドウエイガイザーベイスン、ビスケットベイスンを経て、10:20オールドフェイスフルに寄る。ベンチに座って間欠泉が上がるのを待ったが上がらず、ビジターセンターに行き買い物とトイレ休憩。ここで鳥の羽で作られた魔よけの飾り物を買った。車は一路南下、コウホネの咲く橋を渡る。一瞬モネの絵か尾瀬の景色が頭をよぎった。11:50グランドビレッジで昼食。往路と同じハンバーガーセットをシェアして食べる。ハンバーガーにフライドポテト、スプライトがアメリカの味と思うと妙に美味しい。13:15イエローストーン南ゲートを出る。JDロックフェラー・パークを通りグランド・ティトン国立公園に向かうが昼食後の車中は暫し静か!大きなジャクソンレイクのむこうにグランドティトンの山並みが見えて来た。レイクの水面に白い鳥が3羽いて一周の景色が実に美しい。

13:45ジャクソンレイクロッジで休憩。ロビーの窓一杯に山の景色が広がり見事な景色。それにしても大勢の中国観光客のマナーが悪い。売店のレジ係の女性が大分出身の大阪の大学生で、話が弾み楽しかった。ほどなく車窓にモラン3,840米の山が迫り、グランド・ティトンに戻ってきたことを実感した。広い草原の向こうに群れているバファローを見ていると、乗馬を楽しむ一行が道を横切っていた。ガイドのカウボーイハットが景色と似合って目に焼き付いた。14:30往路と同様にスネークリバーポイントに寄り撮影タイム。グランド・ティトンの山々をバックに各々カメラにも目にも納めた。15:05最後の宿泊地ジャクソンのホテルに到着。18:30ロビーに集合し日差しの強い中、夕食の中華料理屋に向かう。旅の締めくくりに注文した酢タコがピンク色でビックリ。食後は各々ショッピングをし、街を散策してホテルに戻った。ジャクソンの町はムースの角の飾りや、花籠できれいな街だった。

明朝は4:40にタクシーが来て空港に向かうとのことで最後の夜が更けていく。

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ローワーサドルへのルー オールドフェイスフル間欠泉 グランドキャニオンの滝
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グランド・ティトンを望む ガイザー原

 

お知らせ山想倶楽部

■ 2017.04.18

フランス ラ・プラーニュとレ・ザルクのスキー11日間(山想倶楽部)

山想俱楽部2017年の海外スキー

フランス ラ・プラーニュとレ・ザルクのスキー11日間

石原達夫・記

 

期日  2017年2月24日から3月6日

参加者 広島孝子、石原達夫、石原泰子、後藤早登、鴫原孟志、

添乗員兼スキーガイド・山田功

場所 フランス国 ラ・プラーニュ、レ・ザルクスキー場

宿泊(スキー) ホテル・アローキャリア★★★★

 

毎年の海外スキーをどこにするかということを考えるのは誠に楽しい。

ヨーロッパはオーストリア、イタリアときているので今年は当然フランスだろうということになる。一番の有名どころではシャモニーだが、混雑と物価高が気になる。最近はバル・ゼデールの人気が高いが、少なくとも宿泊は混むであろうことを勘案し、近傍の大スキー場であるラ・プラーニュに決定する。もしバル・ゼデールで滑りたければラ・プラーニュから通うこともできる。

ヨーロッパのスキー場の宿はおよそ何処も土曜日チェックイン、土曜日チェックアウトの一週間単位で宿泊する。したがって実質スキーは丸6日間ということになる。これに移動日と航空旅行日を入れて日本からは11日間となる。

 

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ジュネーブ

2月24日 成田午後発のアリタリア機にてローマ経由でジュネーブに深夜着く。そのまま空港近くのホテルに泊まる。

2月25日 午前中は路面電車で市の中心部に出てレマン湖のあたりを散策する。午後、専用車でラ・プラーニュに向かう。バル・ゼデールを含む大スキー場に至る道路は大渋滞、みな土曜日から始まる休暇のチェックインをするのであろう。幸いなことに私らの乗っているバンは営業車で間道でも走れるが、他はほとんどが自家用車であり、決められた幹線道路しか走れない。それでも私らは2時間半くらいの走行予定が4時間近くかかり、やっと目的のホテルに着く。

さすがに気持ちのよさそうなホテルで朝夕の2食付き、スキー場内の標高約2000米のスキーセンターに位置している。ホテルを出て、スキーを付け少し漕げばリフトに乗れるという勘定だ。この一角はホテルだけでなくコンドミニアムも多数あり、自炊で泊まる人も多く、その為の食品スーパーもある。

2月26日 いよいよスキー開始である。フランスのスキー場では75歳以上は証明を受ければ、約4万円かかる6日間のリフト代が無料である。ホテルの右手には志賀ジャイアンツスキー場の標高差を1.5倍にしたほどの見通しのきく大斜面があり、通常は競技に使われるので一般スキーヤーは滑られない。

斜面を挟んだホテルの反対側にはスキー選手のクラブハウスがあり、夜になると赤やら青やらのネオンがつく。ヨーロッパではスキー競技場はスキーの道具屋のビジネスの場なのだ。さて、ここを上がってさらにロープ・トウを使えば他のスキーコースにも出られるのだが、ロープが苦手の人がいてそちらに行けず、結局メイン斜面の脇の急斜面を下リ、センターに戻ることになる。

雪はとても固く、急斜面だけに神経を使って滑り下りる。センターからはゴンドラ、リフトを利用し、夕方までにバックボールを含めたメインのコースを滑り切る。ただし最高点は雪が少ないためリフトが休止中で登ることができなかった。

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ラプラーニュ

   

2月27日 今日はもう一つのスキー場、レ・ザルクに行く。フランスは丁度この週から春の2週間の休暇が始まるとかでスキー場の込み方もすごい。スキー場は圧倒的にフランス人で占められているのだが、このフランス人がリフトでもゴンドラでも乗る際にきちんと並ばない。大きな団子になって乗り場に殺到するので、団子の頭に出るのは大変である。しかしリフトは最低4人掛け、多くは6人掛け、中には8人掛けもあり、しかも乗り降りにも速度を落とさない高速タイプなのでスキー客の運搬人員は多い。しかし8人掛けの場合、降車に注意が必要で、不注意で誰かが転んだら皆巻き込まれる。感心することには、これだけいるスキーヤーのスキー技術のレベルは高く、コースでこけたりリフトで降りそこなったりする人は見ない。

レ・ザルクは当然のことながらラ・プラーニュの端から巨大ゴンドラで渡ることになるが、その端に出るまではラ・プラーニュのすべての斜面を通過していかなければならず、この人出ではひと苦労する。ゴンドラは2階建てで、谷に点在する集落の上をまたいでレ・ザルクに移動する。

レ・ザルクはアルペン的な景色だが比較的斜度は緩いコースが続く。そのためか子供のスキースクールが多々見られる。私らは帰りを考えればそんなに長くここにはいられないので、早々に帰り支度である。往路をたどり何とか5時近くに宿に戻った。リフトや、渡しのゴンドラの混雑をいかに切り抜けるのかがレ・ザルクで滑るキイポイントであることを学習した。

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2階建ゴンドラ   レ・ザルク    

2月28日 前夜から驚いたことに雪が降り始め、朝になっても降りやまない。およそ15センチから20センチくらいだろうか。あこがれの大ジャイアンツの斜面は練習がないのかオープンなので早速新雪のかぶった大斜面を下る。とてもいい気分だがいかんせん体力が追い付かない。一気に滑るというわけにもいかず、途中で休憩とは残念。この後は降雪の中、ラ・プラーニュを滑りまくる。

3月1日 新雪は合計で30㎝近くになったであろう。いつもは9時から動くリフト、ゴンドラはすべて除雪作業のため止まったままである。聞けば10時半ころから動くかも、ということだ。かなり低い所まで人工雪崩の発破の轟音がとどろき、いささか不安になる。リフトは10時過ぎには順次動き始め待ちかねた人々が殺到する。混雑を避けてバックボールに移るが、ここは何とも素晴らしい斜面に変身している。もちろん圧接のコースはあるがほとんどのところは非圧接で、フル装備のBCスキーヤーが出現して滑りまくっている。昨年の相棒は不慮の出来事で逝去してしまったので、今年はオフピステをともに楽しむ相棒がいない。高々コースの外側を滑る程度で欲求不満が募る。この新雪のためか女性2人が転倒等でどこか打ち付けたかで早めにホテルに帰られた。

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雪の朝

 

雪の日中

 

バックボールのオフピステ

3月2日、3日 この2日間は天気曇り一時晴れだが、山田さんのリードのもとラ・プラーニュをくまなく滑る。今回の山田さんはホームグラウンドに近いためかいつもと違い滑るスピードが速い。このコース全体が広大でさらにフロント、バックがあり、その上滑降コースが上級、中級、初級が入交じり複雑なのでマップと標識の確認が欠かせない。山田さんは巧みにルートを見定め皆を誘導する。こうして私らの6日間の夢のスキーを無事終了した。

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オフピステ 8人乗りリフト

3月4日 道路の混雑を避けるため、朝食後すぐ出発である。今日はジュネーブの中心地に宿泊なので観光も容易である。観光組と買い物組に分かれて夕食まで外で過ごす。

3月5日 早朝にホテルをチェックアウトし、タクシーでジュネーブ空港に向かう。昼のフライトでローマに出て、成田行きのフライトに乗る。

3月6日 成田無事到着、ここで解散する。

以上

お知らせ山想倶楽部

■ 2017.04.15

愛知県のお花見山行(鳳来寺山・宇連山) 山想倶楽部

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愛知県のお花見山行(鳳来寺山・宇連山)

西谷可江・記

期 日:2017年4月4日(火)~4月6日(木)

参加者:石原達夫、高橋聰、菊池武昭、吉永英明、田中恵美子、山口延子(田中さんの友人)、武田鞆子、横田昭夫、川村光子、西谷隆亘、西谷可江

 

4月4日(火) 鳳来寺山登山(標高695m)

「東京都心の桜が満開になった」と気象庁の発表があったのが二日前。今日は日本列島ほぼ晴れマーク。絶好のハイキング日和となりそうだ。東京駅に集合した9名は、新幹線ひかり505号に乗車、8時33分豊橋に向けて出発した。お花見シーズンだが平日の所為か、いくらか空席も見られる。久し振りに近くに見る富士山の純白の雄姿が車窓いっぱいに広がる。9時57分、豊橋駅に着く。今回案内してくださる武田さんと、岐阜在住の横田さんの出迎えをうけ、高橋さん運転のレンタカーと武田さんの車に分乗して、本日の目的地・新城市にある鳳来寺山に向け10時20分に出発した。武田さんが事前に車のレンタルを済ませてくださっていたので、スムーズなスタートであった。昨日は寒かったという当地も、今日は春光が降り注ぎ、麗かである。道中の砥鹿神社の桜は満開で、本宮は毎日、たくさんの登山者が訪れているそうだ。山が近くに見え始め、ナノハナ、コブシ、ミツバツツジが陽光に爛漫として春を謳歌している。道の駅「もっくる新城」で明日の朝食、昼食を調達後、駐車場の車中で昼食を済ませた。12時5分、出発。鳳来寺山裾から激しく蛇行するアスファルトの林道を武田車は「こんな道、大好き」と、名運転で走り上がり、有料道路の料金所を通過する。このルートは行者越までの旧鳳来寺山パークウエイである。表参道の、日本で三番目といわれる1425段の石段を登る当初の計画は、「疲れるからいやだ~」と宣う山の達人大先輩の方々?の提言によってこのルートに変更されたのであったが、この臨機応変さ、汪洋さは、さすが達人揃いの山想倶楽部の実にいいところと、ひよっこの私は、いつも感心し有難く思っている。「残念至極」と言いながらも内心ほっとしたのも事実である。12時30分、駐車場着。下を覗けば切り立った崖。春霞に遠く連なる山並は墨絵の世界である。身支度を整え12時40分、歩き始める。ヒカゲツツジの咲く路傍に、「東海自然歩道」の標識がある。4月30日に「奥三河パワートレイルラン開催」の掲示版もある。岩古谷山から鳳来寺山までの区間を多くの選手がチャレンジするらしい。ひんやりとした風に桜の蕾は、まだ固い。四十雀の声に耳を傾けながら鳳来寺本堂に着く。

 

 

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鳳来寺本堂

お寺は1300年前に開基され、鳳来寺山は古からの信仰対象の霊山である。お堂前では新一年生になる親子連れのグループがランチタイムであったが、訪れている人はあまり見かけなかった。参拝を済ませ奥の院へ向かう。「疲れるのう」「また階段かい。もう嫌だ」と宣う達人たち(そう宣うても足取りは見事な健脚!)の呟きを聞きながら、岩清水が滴り、びっしりと走り根の這う道を足元に気をつけながら行くと、13時30分、屋根が崩れ修復中の奥の院に着く。次いで、今にも崩れそうな立ち入り禁止の休憩所を過ぎ、岩を登る蜥蜴を眺め、ペンキの色鮮やかな鉄階段を上ると、程なく13時45分、蓬莱山山頂に到着した。

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鳳来山山頂

樅の大木に薄日が差し、眺望はきかない。トレラン73kmにチャレンジするというカップルに逢う。10分後、山頂を後にし、枯れ松葉を踏みつつ行けば14時5分、岩場の展望台に着く。春霞に連なる山並の正面に、明日登る「宇連山」が見え、雪の聖岳、赤石岳が遠くかすかに見える。14時10分、下山開始。14時38分、「天狗岩」に着く。心地よい風に吹かれながら暫し眺望を楽しんだ。長い尾根道を経て、やっと岩場の「鷹打場」に着く。

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鳳来山鷹打場

 

「天竜奥三河国定公園」の標識があり、展望もよく、遠く山裾にぽつぽつと民家が見える。15時40分、東照宮着。徳川家康誕生所縁の地として三代将軍家光が建て、四代将軍家綱のときに完成。国の重要文化財に指定され、日光・久能山と共に三東照宮と呼ばれる。苔むした屋根・鳥居・石灯籠に360余年の時の流れを思う。15時50分に出発し16時、駐車場に到着する。程よい疲れと共に16時30分、今夜の宿舎、愛知県民の森にある「モリトピア愛知」に着く。平日の所為か、宿泊客に逢うこともなく、入浴後、夕食、歓談を楽しみ就寝。

 

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宇連山への道中

4月5日(水) ()()山登山(標高929.4m)

昨日調達した朝食を各自、宿で済ませ7時10分出発する。今日はここ県民の森から歩いての登山である。1970年、明治百年を記念して県有林に開設され、面積約722haの愛知県の森林レクリエーション施設で、キャンプ場、ハイキングコースなどが整備され、夏は大勢の学生キャンプで賑うそうだ。山に囲まれ緑あふれる静かなところである。朝曇りの静寂な林道に聞こえるのは鳥の囀ばかり。熊が出るのであろう、注意標識がある。不動滝に着くころには日が差し、沢音にキブシの黄色い房が揺れている。キャンプファイアー場、炭焼き釡、外国樹種展示林、カエデ展示林があり、各県の木も植えられている。ここ愛知県の木は「ハナノキ」、私の郷里広島県の木は「モミジ」であることを初めて知った。いろいろと学びながら、薄暗い遊歩道入口に入る。7時40分、国体尾根登り口に着く。両側、シダの茂る急登を行き、平な尾根道に出たと思ったら、鎖のある岩場のやせ尾根となる。8時20分、国体尾根分岐に到る。この辺りは、ホソバシャクナゲの自生地で、4月末には花に出合えるという。片側急斜面の細い急登を行く。風がなく胸から汗がでるが、アセビ、ヤブツバキの花を愛でつつ行くと、9時20分、「滝沢分岐まで10分」の標識がある。今日初めての風が涼しい。10時、北尾根分岐に到る。「宇連山まで60分」とあるが、10時40分、頂上に到達。

 

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宇連山山頂

片側が木立に囲まれ二等三角点のある頂上は狭い。「宇連」とは「どんづまり」のことで、どんづまりの村にある山のことだよと、昨日立ち寄った道の駅にある観光案内所のおじさんから伺った。頂上で5人の登山者に逢う。豊橋から来たというお年寄りが、「あれが明神山、下に見えるのは宇連ダム湖」と、教えてくださる。昼食を済ませ、石原さんから「桜羊羹」を御馳走になり、「口福」に満たされて11時20分、下山開始。クマザサの中から、ガサガサッと音がしたと同時に黒い小さな兎が走り去った。まさに脱兎の勢いであった。12時10分、「下石の滝分岐」に着き、14時過ぎ「モリトピア愛知」に帰着した。

下山開始後、皆と少し間を開けて歩いていた一人が、別の分岐に入ったが、間違いに気がつき、元のルートまで戻って、皆に遅れて合流するというハプニングもあった。道迷いをした人は、その間の山想倶楽部の行き届いた危機管理対応の見事さに感謝している。温泉で寛ぎ、ゆっくりと夕食を楽しみ、山行が無事に終わったことを感謝しつつ床に就いた。

 

4月6日(木) 長篠古戦場跡など歴史探訪

川の崖上に建つ宿の食堂から、水しぶきを上げる川の流れが、また、前方の崖上の樹々の茂みの間に飯田線を走る二両編成の可愛い電車が見える。桜の花を愛でながら朝食を済ませ、9時に宿を出発した。

山笑う長閑な風景を眺めつつ長篠城址に着くと、「ようこそ山想倶楽部さま。お会いできて嬉しいです」と書かれたプラカードを持ち、陣笠を被った設楽原のボランティアガイドさんに出迎えられた。長篠戦図の前で説明を受けた後、史跡保存館を見学する。外壁には「日本百名城No.46長篠城」と書かれた看板がある。戦で使われた火縄銃、馬防柵、鳥居強右衛門の磔の絵などを見学する。当時の処刑のなんと残酷なことか!次に曹洞宗長篠山医王寺へ向かう。武田勝頼が本陣を布いたお寺である。次に首洗い池へ。四角のなんの風情もない人工の鯉の池となっているが、以前は三倍の大きさで、寂しい怖い処であったという。今でも池の水は赤く濁っていて澄まないというが、これは、鉄分の多い赤土の所為である。叢にショウジョウバカマが咲いていた。次に長篠の戦で散った武田信玄の家臣・.山形昌景のお墓へ行く。毎年お盆に戦死者の霊を祀る「ひおんどりまつり」が催されるという。お墓の傍には「設楽原決戦場まつり」の幟がはためいていた。「設楽原を守る会」によって「設楽原古戦場いろはかるた」が史跡ごとに立てられていたが、ここには「山形の最期胴切りの松に秘め」とあった。次いで復元されている「馬防柵」を見に行く。長篠の戦は旧暦5月21日。新暦の7月9日で、丁度梅雨明けの頃。下田が長雨で泥濘り、武田勢は兵士も馬も足をとられ、馬防柵に銃身を据えた火縄銃で撃たれ惨敗したという。いろはかるた「土屋昌次柵にとりつき大音声」と掲示されていた。馬防柵の周りに広がるナノハナの咲く田園風景は、往時を偲ぶには長閑すぎる。次に信玄塚、設楽原歴史資料館を見学する。日本最古の火縄銃、決戦から425年目に発見された数々の鉄砲玉(○○玉と、発見者名を冠して命名されている)、印象深かったのは、新城市立本郷東小学校6年生卒業制作の「長篠合戦図」。原画に基づいて戦の一日の様子を描いた力作であった。信玄塚の傍に閻魔大王座像があるが、ガイドの方から「世界中で此処だけのユニークな驚きのお土産」を頂いた。信玄塚閻魔大王発行の「健康長寿護符」「天寿パスポート」「天国行予約切符」の3点セットであった。「天寿まで元気で歩こう!老年山想倶楽部」と一同大いに喜ぶ。本日の締め括りは織田信長戦地本陣跡。長篠設楽原パーキングエリアに隣接する小高いところで、「茶臼山稲荷まつり」の幟が立っている。「きつねなく声もうれしくきこゆなり松風清き茶臼山かね」伝・信長作の歌碑がある。ぱらつき始めた桜雨に急ぎ見学を終え、名ガイドの方に今日一日の案内を謝し、お別れする。ここで昼食をとり、豊橋駅へ向かった。楽しかった3日間の幸せを思いつつ、一同帰途についた。

計画立案・案内・運転をしてくださった武田さん、名ドライバーの高橋さん、みなさま有難うございました。                                                                                

山想倶楽部

■ 2017.03.31

蓼 科 山 報 告 (山想倶楽部)

記 醍醐準一

期日  平成29年3月20~22日

 

参加者 吉永英明、高橋聰、横田昭夫、菊池武明、醍醐準一

 

3月20日 

髙橋さんの車に同乗させて貰うため10:00に高橋さん宅に着くと既に、色々と食料や、調理道具を積み込み出発の準備はできている。一緒に同乗する筈だった下河辺さんが見えないので、彼はどうしたのと聞くと昨夜連絡があり、なんだか足の具合が良くなく、ふらつくのでパスをするとの事でした。荷物を車に放り込み、直ぐ傍の西神田のランプより高速道路に上がると、道路は空いていたので、中央高速の双葉のサービスエリア迄1:30程で着きトイレ休憩だ。表の売店でいろいろと果物等を売っていて、デコポン、リンゴ、や福岡県産の苺を売っている。安ければ買おうかなと思って値段を見ると何と一箱に7~8粒しか入っていないのに800円の値札が付いている。品物は大きくて良さそうだが、いかにも高い。美味しそうだが諦めることにした。諏訪で高速道路と別れ。吉永さんの蓼科別邸(吉永宅)に向かう途中でスーパーに入り、果物を少し仕入れて14:00少し前に吉永宅に着くと既に本人は一寸前に着いて、今ストーブに火を付けた処だと言う。そうこうするうちに横田さんも着いた。菊池さんもそのうち来るだろう。食料や調理道具を搬入すると、早速に高橋さんが台所に立ち何か始めている。下手に手を出すと怒られてもいけないというよりも、料理等は殆んどしたことがない者は邪魔になるだけだろうから任せておこう。吉永さんが自分で買ってきていたマグロの柵が冷蔵庫に入れてあるので、高橋早く切ってだせと言っている。すぐにお皿に綺麗に盛られてマグロの刺身が出てきたので、調理をしてくれている人には悪いが、それで一杯始めることにする。15:30頃菊池さんも到着し少し道に迷ったそうだ。最初に出てきたのが,岩牡蠣を剥いてから、殻に昆布を敷きお酒を振り掛けて、レモンを載せてアルミフォイルで包んだものだ。これをテーブルの上に簡易コンロを置き、焼き網を乗せて、7~8分焼けば食べられるとのご託宣だ。なんだか良い匂いがしてきた。焼けてきたらしい。言われた時間には少し早いが食べて見よう。少し生っぽいがこれが実に旨い。一人3~4ケあるとの事なので、次は焼け具合を確かめてから食べて見よう。次に出てきたのが,鮟鱇のから揚げだ。これもなかなかおつな味がして食べ応えがあり、もう少し無いのかと聞いたら、あまり贅沢を言うなと言われ、身の部分をから揚げにし、あとは鮟鱇鍋にしたのでそれで楽しめと怒られてしまう。今回の参加者は5人と少ない人数でしたが、いつまでもお神酒と話が弾み、何時に寝たのか記憶にない。

3月21日

朝6:00頃目が覚めて外を見ると、なんだかボーとしていて良く見えない。一瞬昨日飲み過ぎたのかと思ったのだが、頭は痛くもかゆくもなく、室内の物は良く見えている。じっと目を凝らして外を見ると、昨日は無かったのだが、樹木に雪が被さり、霧で見通しが悪いようだ。そのうち雪もだんだんと強くなってきた。天気予報では一日雪のようだ。

さて本日はどうしようと皆で相談すると、この齢になってなんでこんな天気の時に歩かされなければならないの。という意見が多く、蓼科山に行くことは中止となってしまった。さてどうしよう。今日一日時間は一杯ある。取敢えず温泉に行って時間を潰すしかない。温泉は何時からやっているのか不明だが、10時頃からならやっているだろう。日帰り温泉の小斉の湯に行ってみると朝8:00~営業の事だった。ゆっくりと温泉に浸かった後横田さんは予定通り帰ってしまい、残ったのは4人だ。吉永宅に帰る前にビールは沢山あるが、持ってきていた日本酒(一升瓶が一本と四合瓶を一本)は昨日全て飲んでしまったので、スーパーに日本酒を買いに行く。昼ごろ帰ってきて昼食にパンと牛乳、少しの果物を食べたが、あとは何もすることはない。やはり飲兵衛は飲むしかなさそうだ。高橋さんに何か作れないかと依頼して、この日も一日酒呑童子を決め込んだのでした。

3月22日

朝起きると本日の天気は良さそうだ、青空も見えている、外に出てみると15センチ近く雪が積もっていて、除雪車も稼働している。朝食後掃除をして10時前に解散となりました。

参加者の皆様、飲み疲れご苦労様でした。蓼科山を今回は登ることが出来ませんでしたが、残雪の時期に再度挑戦致しましょう。その時はまた高橋さん美味しい物を沢山お願いね。

少し高くなっても、河豚一式なんかいいな。店で食べることを考えたら廉いものだ。

お知らせ山想倶楽部

■ 2017.02.09

山想倶楽部 スノー合宿報告

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妙高高原ユアーズ・イン 前にて

高橋 聰

期日  2月4(土)~6日(月) 

参加者

横田昭夫、廣島孝子、菊池武昭、石原達夫、下河邊史郎、小亀真知子、高橋 聡、小笠原達夫

 

2月4日

昨年同様下河辺君が自宅迄8:00少し前に迎えに来てくれ、下河辺君の車に同乗してユアーズ・インに向かう。目白通りを順調に走り、練馬より関越自動車道路に入ると、東松山インター付近で事故があったらしく三芳パーキング付近より渋滞だ。それでも目的地である妙高高原までは、下河辺君の車についているナビでは12:00頃には到着予定と表示されている。飯田橋~妙高迄は300キロくらいなので、4時間程度で到着出来ればよしとするしかない。11:00頃に昨日より、廣島さんと一緒に行動している横田さんより今何処近辺を走っているかと電話があり、更埴の少し手前付近だと告げると、それでは後一時間程度で、妙高に着けるかなと、やり取りをして、12:20分頃にユアーズ・インに到着した。

丁度菊池君も到着し、荷物を降ろしている。小笠原君に聞くと直ぐに部屋に入れるとの事なので、急いで荷物を部屋に入れて着替えていると、再度横田さんより連絡があり、13:00前後にゴンドラ乗り場付近で待ち合わせをすることにする。

13:00に5分程度遅れてスキー場の駐車場に着くと横田さんがゴンドラ乗り場横で迎えてくれた。宿で購入した宿泊者用の割引券を切符売り場で正規のリフト券と交換してゴンドラに乗り込むも、本日は土曜日なので、少し混雑している。ゴンドラを降りて滑りだしたら、菊池君が、車のドアを閉めてくるのを忘れたと言って、駐車上まで降りて行ってしまった。今日は天気も素晴らしく、雪質も良く何の抵抗もないので、滑るのが非常にらくで楽しい。

16:00頃に宿に帰ると,小亀君が、車のリアーハッチを開けてスノーシューを弄っている。今着いたのかと聞いたら、そうではなく、14:00頃に着いたので、スノーシューを履いて雪の中を少し歩いてきたとの事だ。石原さんも到着している。ずいぶんゆっくりだったねと聞くと、あちこちで渋滞していたので、途中小一時間昼寝をしてきたとの事だった。まだ食事迄2時間ほどある。何をして時間を潰すか考えるも、何もすることはない、酒でも飲むしかなさそうだ。

同室となった菊池君、下河辺君と持参のお酒を飲みながら、3人ともこの山想倶楽部以外に日本山岳会では山行委員会の委員をしているので、その運営方法等を話し乍らしばし時を過ごし、17:30頃温泉に入ったのであった。18:00より食事であるが、此処の食事はいつもながら素敵である。食後は食堂の横に備わっているロビーで、このホテルの当主である小笠原君を交え11:00過ぎまで、話が弾む。明日の行動であるが当初は戸隠に行き、瑪瑙山より飯綱山の往復であったが、明日の天気は、午前中は何とか持っても、午後からは天気が芳しくないようだ。明日朝起きてから考えることにしよう。24:00頃外を見ると妙高山の上に雲が出ていた。

2月5日

朝早くに小用で目覚めて外を見ると北の方に薄く雲が出てきている。ニュースでは午後から天候が崩れると言っているが、今日一日天気は持ちそうだ。

昨日の話では天気が悪い時は、志賀高原の入口の上林温泉の奥にある地獄谷野猿公苑に行く話も出ていたが、予定通り戸隠スキー場に行くことにする。小一時間近く車を走らせて、10時頃に戸隠スキー場に着くとなんだか雲行きが怪しい。瑪瑙山より飯綱山の往復は中止することとして、下河辺君と高橋はスキーを。石原、菊池、廣島、小亀の4人は雪の戸隠森林公園、鏡池を愛でて戸隠神社の奥の院にお参りすることにする。

スキー組はリフトを乗り継ぎ瑪瑙山まで行くと、小雪が舞い出し、風も出てきて飯綱山は雲の中だ。12:00少し前に休憩で食堂に入ると、風雪が酷くなってきたので、スキーは中止として、菊池君に電話を掛けると、今奥の院から下るところだというので、奥の院入口の駐車上で待ち合わせ、一緒に蕎麦を手繰ることにする。駐車上で待つこと20分程度で全員降りてきた。小笠原君の案内で、戸隠ではかなり有名な店で蕎麦を戴き、本日帰京する廣島、小亀の2名と別れたのでした。帰路に本日飲むお酒がないので、黒姫駅の近くにある酒店でお酒を仕入れ15:00頃宿に帰りついたら、戸隠ではかなりの風雪であったが、妙高では雪ではなく、雨模様となっていた。

 

2月6日

朝6:00頃目覚めて外を見ると妙高山はガスの中だ。そのうち小雨が降ってくる。

朝食後、外の天気は雨から雪に変わり、風もかなり出てきたので、今回の雪と楽しむ会は解散として、全員と言っても最後まで残っていたのは、石原、下河辺、菊池、高橋の4人だけであるが、それぞれ家路に着いたのでした。