お知らせ山想倶楽部

■ 2015.05.18

奈良の山旅 山の辺から室生寺

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稲荷山四辻の茶屋前

 

記・川村 光子

期 日 平成21年4月11日(土)~13日(月)

参加者  石原達夫、高橋聰、吉永英明、武田鞆子、西谷隆亘、西谷可江、小亀真知子、田矢八束、横田昭夫、廣島孝子、醍醐準一、川村光子 以上12名

4月11日(土)

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伏見稲荷大社奉納鳥居の列

東京駅8時33分発ひかり505号にて、京都乗換え伏見駅11時25分着、昼食時には全員集合し、おそばを食べ、これからいよいよ千の祈りのお山伏見稲荷へ。外国の観光客の多さに驚く、日本観光スポット第1位とか。多くの人がまず思い浮かべる千本鳥居の朱塗のトンネルは本当に1000本あるの?奥宮~奥社間の千本鳥居の数は800本で稲荷山全体の数はおおよそ1万本とも言われている。風雨や経年劣化による破損が激しい物は修理・建替えられる、5号サイズで¥175.000、10号だと¥1,302,000で奉納され、すべて企業や個人の寄贈で建てられているとのこと。

眼光鋭い狐の石造は福をもたらす神でつまり霊獣である。木々の間を風が通り陽がさすと、山の緑と朱塗りの千本鳥居が映え、山全体が神秘的さえ感じた。

稲荷駅15時15分より天理駅に向かう、駅よりタクシーで奈良プラザホテルに17時15分に到着しチェックインした。

4月12日(日)

“山の辺の道”天理より桜井までは16.4Kmの道、古来大和は国の発祥地と考えられ、日本のルーツを求める人々が、この地の山裾の道を歩き、そこから「山の辺の道」が拓かれたといわれています。

柿本人麻呂を始めとする万葉歌人の歌碑が多数残るこの道は、景観美に加えて有名な神社や数多くの古墳が点在し、まさに古代文化を慕う道です。

ホテルより8時30分、シャトルバスに乗り天理駅に着き、そこから天理教本部のお膝元の立派な施設を左右に見ながら石神神宮(いそのかみじんぐう)へ向かう。石上神宮は日本最古の神社の一つで歴代の天皇の崇敬が厚く奈良朝以前から神宮の号を持つのは伊勢神宮と石上神宮とのこと、大きな神杉が歴史を物語っているようだ。

 

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  石上神宮 石上神宮

 

 

 

 

 

 

 

 

“未通女等が袖布留山の瑞垣の久しき時ゆ思いき吾は(柿本人麻呂)”

9時30分永久寺跡、廃仏毀釈で廃寺となり、いまではわずかに池を残すだけで歴史の厳しい流れを感じました。

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夜都伎神社

みかん畑を見ながら、春日造り檜皮の屋根を持つ夜都伎神社すぎ、竹之内・萱生環濠集落を通り、小高い古墳の面影を見ながら長岳寺に向かう。

12時10分到着、長岳寺は天長元年淳和天皇の勅願により弘法大師が大和神社神宮寺として創建された古刹であり幾多の栄枯盛衰を重ねており、我が国最古の美しい鐘楼門があり1万2千坪の広く静かな境内には四季おりおりの花が咲き安らぎを参拝者にあたえる。天理市トレイルセンターを抜け、天皇陵としてはもっとも古い崇神天皇陵が全長約242mの前方後円墳で周囲は濠がめぐらされており、鬱蒼とした森を形成していた。歩くこと10分、景行天皇陵があり、山辺道上陵ともいい丘陵の先端を利用して3段に構築された前方後円墳、全長約300m周囲約1Kmに濠をめぐらした堂々とした古墳であり、初期ヤマト王権の栄えた事がうかがえる。

このコースには万葉の歌碑が多数残され、

“やまとはくにのまほろばたたなづく青がき山ごもれる大和しうるわし”(古事記)、

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長岳寺 長岳寺

万葉びとの息づかいを伝えるのが天理市石上神宮から桜井市金屋までの、古社寺、古墳、万葉歌碑、多彩な伝承の舞台などが展開し、知らぬ間に歩く者を古代の幻想の世界へと誘ってくれている。

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小春日和を万葉人も歩いた古道

春のおだやかな小春日和を万葉人も歩いたであろうこの古道を皆んな想いおもいに歩き、巻向川を渡り檜原神社へ。 

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檜原神社

 

 

 

 

 

 

大神神社の摂社のひとつで三輪山中にある盤座を神体としているので本殿はなく,天照大御神を祀り、元伊勢とも呼ばれている。草むらの歌碑、石塔、空にはウグイスの鳴き声が、何と気持の良い

癒される瞬間だろう。しばらく歩き扶井川を渡ると立派な大神神社(三輪明神)にでる。背後の三輪山を御神体とするわが国最古の神社である。国のまほろば、大和盆地の東南に位置する三輪山は全山、松、杉、檜等に覆われ古来より神の鎮まりますお山として崇められていた。

拝殿前にて西谷さんと私はI氏より「かしこみかしこみ・・・・」と祝詞を上げてもらい、祈祷を受けた。

これより大神神社を後に、一路南へと向い平等寺、金屋の石仏、喜多美術館を通り桜井駅へ。大和川(初瀬川)水路の終点に日本最古の市場である海柘榴市が八十のちまたとして開け、南北に走る日本最古の産業道路であり山の辺の道と共に、この三輪の地は交通の要所ともなった。当時の面影が感じられる歴史的街並と文化が脈々と続いてきた古都痕を辿った1日でした。

今夜の宿は駅前シティペンションサンチュリー、16時30分着

(私の万歩計では31,629歩 1日良く歩きました) 

 

4月13日(月)                 本稿のみ 石原・記

夜半より雨が降り始めたようだが、朝には風も出てきて歩きは絶望的な天気となってしまった。その点、臨機応変のわがグループは、今日の目的地は変えず電車とバスを利用しようと云う事になる。昨日は十分すぎるほど歩いているので皆に異論はない。

近鉄にて長谷寺駅で下車、かなりの坂道を下りて伊勢街道に出る。当初計画ではここを大和朝倉駅から歩いて来ることになっていた。小雨と風のなかをだましだまし傘をさし長谷寺に向かう。

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長谷寺登廊

山門に近づくにつれ土産物屋が多くなり小規模の門前町ふうになって来る。長谷寺は本堂までの参道は屋根で覆われた登廊と云う石段の廊下なので雨にぬれる心配はない。周囲の桜はもう終わり僅かに遅咲きの花がある程度で有名な牡丹はまだつぼみの段階で今は花の端境期だ。2度ほど曲がると本堂の横に出る。今は特別御開帳で1,000円を喜捨すれば本尊十一面観音の御足に触れることが出来るとか。もちろん本堂では正面からご本尊を拝する事は出来る。本堂前方に張り出す舞台は眺めがよくここで記念撮影をする。

 

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本堂正面 本堂舞台の集合写真

帰路に登廊の途中にある塔頭の1つの月輪院でお抹茶を喫す。ここの係の方か品の良いご婦人のご好意で月輪院のご本尊を拝ませていただく。長谷寺駅に戻り次の目的地の室生寺に向かう。

近鉄を室生口大野駅で降りる。ここも晴れていれば大師の道12キロを歩く予定だった。さて駅を降りるとタイミング良く室生寺行きのバスが待っている。都合により2人が乗り遅れたが、タクシーで追いかけ終点に着く頃には一緒になった。先ずは腹ごしらえと、うどん屋に入る。室生寺あたりは地形のせいか風が強い。雨は何とか収まったが風の強さは生半可なものではない。境内のアナウンスは落下してくる枝に注意を促している。なにしろ過去には強風のため国宝の五重塔が破壊されたくらいの所だから気を付けるに越したことはない。

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室生寺 山門

女人高野室生寺と書かれた立派な石碑の立つ名刹にふさわしい威厳のある山門を過ぎ、仰ぎ見る階段を登り到達する国宝の金堂や本堂、五重の塔は思ったより小ぶりで質素にみえる。

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室生寺五重の塔

 

 

 

 

 

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奥ノ院への階段

 

 

 

 

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室生寺奥ノ院での集合写真

 

 

 

 

 

登山グループらしく急な石段を登り切って奥の院に到達し記念写真を撮る。遥かすぐ下に道路が見えこの奥の院が急峻な岩山の上にある事が判る。落下した枝に注意しながら山を下り、寺を後にする。強風にさらされて待つことしばし、出発時刻丁度に来たバスに乗りこむ。バスは室生寺の玄関口に当たる大野寺の脇を通り、車窓から宇陀川の対岸の岩壁に彫られた弥勒磨崖仏をみる。

室生口大野駅から近鉄の乗り、名張駅ですぐ後から来た名古屋行き特急電車には特急券を買う間もなく乗り換える。名古屋駅では何となく流れ解散となりそれぞれの先に向かい、今回の山旅を終わる。