お知らせ山想倶楽部

■ 2015.11.13

ギリシャ・オリンポス山登頂とイデ山登頂(山想倶楽部)

 

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スコーリオ峰山頂にて

 

序文                                   石原達夫

 

ギリシャ・オリンポス山登頂とイデ山登頂

期日 6月25日から7月4日

参加者 高橋聡、吉永英明、酒井展弘、横田昭夫、廣島孝子、日出平洋太郎、

武田鞆子、川井靖元、寺田正夫、寺田美代子、石原達夫(団長)

会員外 山田功(添乗・案内)

 

2012年の「ヨセミテ・セコイアの山旅」以来、山想倶楽部では夏の海外登山を恒例にしている。

2015年は登山先をアメリカ、カナダ主体で2,3検討したが、結果として武田さんの推すダークホースのギリシャの山旅・オリンポス山登山に決まった。

ギリシャというと観光であまりにも有名で、初め少し引けたが、山田さんの協力を得て調査をしてみると3,000メートルに近い標高を持つオリンポス山がなかなか面白そうで、一般観光者がついでに登る山では無さそうだ。

 

オリンポス山はギリシャ神話の12神が坐する12のピークからなっているが、最高峰のミディカスピーク(2,917メートル)はクライミングで到達するピーク、2位のピークは5メートル低いスコーリオピークで容易に登れるピークである。そこで、隊を二つに分け、クライミング指向のミディカスチームと、エレガント指向のスコーリオチームにすることによりすべて円満解決ということになった。なお、ミディカスチームに付いたクライミング・ガイドはギリシャ屈指のベテランガイド2名であった。登山拠点となるスピリオ・アガピスト・ロッジは中腹に建てられた堅牢な山小屋で、慎ましい女主人以下の従業員のホスピタリティは心に残るものであった。

 

クレタ島のイデ山は問題なく登れる山だが、ギリシャ神話の主神ゼウス伝説に関わる山だけに興味が湧いた。登山基地になったアクソスのホテル、アルコンティコ・マニアス・ヤキントスは崖に建てられたユニークなもので、宿関係者一同の暖かいもてなしに一同深い満足感を覚えた。イデ山登山を含むクレタ島全体のガイドを引き受けてくれたアリスさんは魅力的な女性で一同たいへん盛り上がった。登山の合間の有名観光地の見物も現地ガイドの丁寧な説明で一層心に刻まれた。

今回も山田さんの旅程全体の入念な計画のおかげで、旅そのものがたいへんスムーズに、かつ楽しく進行したことを感謝したい。

以下日を追って割り当てられた方々からの報告を見ていただきたい。

 

6月25日 酒井展弘

初めての山想倶楽部の公式山行で若干の不安と期待を持って参加した。

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パリ空港での乗り替え

6月25(木)日、羽田空港国際線3階Lカウンター前20時30分の集合に間に合わせるべく、タクシーを16時に呼ぶ。阪急電車とモノレールを乗り継いで伊丹空港に17時20分に到着。荷物検査で引っ掛かる。ヘッドランプを入れている袋の中に、常時ライターとマッチを入れていたのが良くなかった。スーツケースを開けてマッチを渡し、ライターを所持する事でOKとなる。荷物はアテネまで送付出来たので身軽になりホッとする。

18時30分発で羽田に19時30分に着いた。久しぶりの羽田空港に戸惑い空港の循環バスに乗り間違えタイムロスがあったが、集合場所へ約束の時間には間に合った。半分以上の人達が待っていた。山田さん、寺田ご夫婦、日出平さん、川井さん等初対面の方々に「初めまして酒井です。よろしくお願い致します」と挨拶座席のチケットを受け取った後、全員集まった所でチェックインに向かう。

22時50分予定より5分速く離陸。離陸後気流が不安定で、90分位たってやっと食事の準備、提供を始めたが、また乱気流に巻き込まれて機体が激しく揺れて配膳が中断された。暫くすると気流が安定し、食事を終えひと眠りする。朝食を食べ終わると間もなく、予定より30分ほど早く26日早朝4時にパリ空港へ到着した。

 

6月26日 武田鞆子

昼頃、アテネのヘリニコン空港に到着。大きなバスにゆったり乗って、ギリシャに住んで43年の日本人ガイドの案内でアテネの街へと入る。

まず目に入ってくるのがリュカベスト山、頂上にギリシャ正教の教会が建つ小丘で歩いて登るしかないが20分程だった記憶がある。

次は車窓からゼウス・オリュンピュイオンの神殿跡を見る。古代ギリシャ時代からローマ時代にかけて700年を費やして作られた古代世界一大きい神殿といわれている。カンサス(あざみ)の葉をデザインした華やかな柱頭を持つコリント式列柱はローマ時代に様式。現在は巨大な柱が13本残るのみだが、それでも往時104本の列柱に囲まれた美しい神殿であった片鱗は残っている。

この地域は古典期にはアテネの城壁の外であったが、ローマ皇帝ハドリアヌスが市城壁を拡張してアテネの市街に入れた。新市街と旧市街を画するハドリアヌスの門の内側には「ここはアテネなり、テセウスの古き町」外側にはここはハドリアヌスの町なり、テセウスのものに非ず」の銘板がある。

いよいよメインのアクロポリス、さすがに観光客が多い。今はプロピュライア(前門)とパルテノン神殿が修復中だ。

前門の右手にペルシャ戦争の勝利を記念して建てられたこじんまりとしたアテナ・ニケ神殿がある。イオニア式柱頭を持つ華麗な神殿。前門を上がると右手正面にアテナ・パルテノス神殿、これがアクロポリスのメイン神殿でペリクレス時代のアテネの最高傑作だ。左手はエレクティオン、これはアテナ女神、海神ポセイドン、彼と同一視されていた伝説的な王のエレクティアス、へパイスト等を祀ったイオニア式複合神殿で、カリアティデスと呼ばれる乙女達の柱像が可愛らしい。

 

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ニケ神殿 パルテノン神殿 エレクティオン神殿

ガイドさんの説明を聞き終えてから自由散策となる。アクロポリス南麓の斜面を利用して作られたディオニソス劇場とローマ時代のひとヘロデス・アティコスが作らせた音楽堂を上から見る。ヘロデス・アティコス劇場は今でもギリシャ悲劇や音楽等の上演に利用されている。

暑くて暑くて木陰が恋しい。下ると皆さんは売店でビールやかき氷をのんでいる。廣島さんがくれたかき氷が甘露だった。

今夜の宿はペロポネソス駅のすぐ前、夕食前に廣島さんと散歩に出る。駅へは出入り自由、時刻表を見ると列車は30分にしか来ない。帰ろうとすると貨物列車が来る。ものすごい車両の数に圧倒されてそれが過ぎるまで見ていた。

今夜は普通のホテル料理、シーフードが食べたい。ギリシャの第1日はこうして過ぎていく。

 


6月27日 高橋 聡

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カマノボーラでの昼食

25日の夜22:50に日本を出発したのだが、この日は朝5:00頃には起床しており、又飛行機の機中では殆んど寝むれなかったので、乗り継ぎやアテネ市内の観光の時間をいれると何と44時間も起きていたことになる。昨日は現地時間の20:30には寝て、今朝の起床は5:30だったので、9時間近く寝ているので元気一杯だが、それに反して天気の方は曇り空で、窓より外の道路を見ると早朝迄雨が降っていたようだ。

本日の旅は此のアテネよりリトホロ手前のホテルまでのバスの旅だけである。割り当てで本日の行動記録を書かねばならないが、バスの旅だけでは何も書くことが無さそうだ。今朝は元気一杯であると書いてみたが、持病の前立腺肥大を原因とした頻尿の為夜間に5度もトイレに行ったので何だか体がだるいが、バスに乗っているだけなので良いとするか。

朝食は7:00からだ。出ているのはパンに野菜サラダ、ハム、ソーセージ、ゆで卵、スクランブルエッグ、ヨーグルト、牛乳、ジユース、コーヒー等だがコーヒーとヨーグルトは美味しかった。食後ホテルの前にあるスーパーに明日、明後日必要になるであろう水を同室の酒井君と買いに行く。500cc 6本で0.84ユーロなので日本円に直すと一本が20円程度である。因みに350ccのビールが一本0.74から1.05ユーロであった。

9:00本日の宿があるプラタナス・ピエリアに向いバスに乗る。約5時間のバスの旅である。

出発後1時間ほどでトイレ休憩をし、ひたすら高速道を走り、11:30海辺の町カマノボーラのカミーノというレストランにて昼食。水以外の飲み物を欲する人はオプションでビール、ジュース等を依頼し、先ずはパン、(バター、オリーブ゙、パストオリーブ゙と一緒に)が出てきて、ツナと野菜のサラダ゙が山盛り、とハンバーグ゙(フライドポテト、と焼いたズキーニ、パプリカ、ナスの付け合せ)であったが、ハンバーグ゙は何かひき肉を固めて焼いただけという感じでパサパサ感が強く、僕は元々あまり好む食べ物ではないので今一の感であった。ハンバーグ゙は100グラム程度の物が2つついており、大半の人が半分程度残していたが吉永、寺田の両名は完食していた。12:50バスに乗り出発後3時間程度(200~230キロ程)今宵宿泊するホテルまで掛るらしい。16:00にやっと今晩泊まるオリンポス・セア・ホテルに到着。割宛てられた部屋は、目の前に庭が広がり、その先にはプールがあり、遠くには海が眺められ、シングルベットとダブルベットが付いていた。本日の夕食は19:00より、との事だが、18:00~22:00迄はビール、ワイン、ソフトドリンク、コーヒー等は飲み放題だとの事だが、若い時ならいざ知らず、もうそんなに飲めるものではない。

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プールサイドでは結婚式の準備

部屋のすぐ前に有るプールサイド゙で何やらパーティの準備かテーブルや椅子をボーイ達が忙しそうに運んでいる。18:00同室の酒井君と少し早いが、飲み放題のビールでも飲みに行こうかとラウンジに行くと、そこには既に武田、廣島、吉永、川井氏が好みの物を飲んでいた。武田君が17:00よりプールサイドで結婚式が始まると聞いたとの事だが、未だ何も準備が出来ていないが、プールには白鳥が二羽と鴨らしき鳥が数匹浮かんでいる。19:00より僕たちの夕食が始まり外を見るとチラホラと結婚式の客らしき人たちが集まってきている。21:00頃になりやっと本日の主賓である花婿、花嫁が車で現れる。式場でケーキカットをして両親たちとそれを食して席に着くと勢いよく花火が打ち上げられ披露宴が始まったようだ。僕は22:00頃には寝てしまい、24:00頃目が覚めたので外を見るとまだ盛んに音楽が鳴り響いていて、参加者たちがダンスを楽しんでいる。 そして再度2:00頃に目が覚めたので外を見ると、静かで何の音もしていず、誰の姿も見受けられないので既に終了したようだった。

 

8月28日(日) 日出平 洋太郎

二日は掛かるオリンポス山登山の初日、アガピトス小屋まで。

6:30起床。太陽は既にエーゲ海上に顔を出している。このホテル(その名もオリンポス・セア)はフロントが4Fにある崖ぷちのリゾートホテルで眼下にプール、更にその下にエーゲ海が見える。河岸段丘のようだが、相手が海では数万年前に陸地が隆起でもしたのだろうか。相部屋の横田さんが眼をショボショボさせて、昨夜の結婚式(プールサイドでやっていた)が夜中過ぎまで煩くてよく寝られなかった、と爽やかではないお目覚めである。

昨日は移動日で、アテネから北方のオリンポス登山基地方面へ、右手にエーゲ海を眺めながら北上してきた。そしてトイレ休憩かと思って停車したところがこの高台のホテルだったのである。今日は持ち物を片付けて登山に不要の物はこのホテルに残し、二日分の荷物だけをザックに詰めて出掛けねばならない。朝食前の一仕事である。前方左手には巨大な山塊が横たわっていて、上部には雪渓も見える。頂上は雲に包まれているが、あれが目指すオリンポス山なのだろう。

朝食を済ませ、荷物をフロント横の物置に突っ込み、昨日のバスで8:37出発する。道は昨日の延長でアテネとテッサロニキを結ぶE75号線、海抜100~150mのプラトー状の台地を走る。走り出して程なくテッサロニキまで95㎞の道標を見る。8:53、E75線に分れを告げ左手のリトホロ方面を目指す。リトホロはオリンポス山塊の麓にあり、そこから山が一気に立ち上がっている。登山ガイドが、今日はオリンポス山のマラソン登山がある。混雑すると思うが気を付けて!と突然話す。静かな山は望めなくても、記念にはなるか。9:00リトホロ通過。この国には駐車場がないのか、道路は半ば駐車場である。行くほどに道の両サイドの駐車が邪魔になりだす。バスは大型だし、9:40遂に車は立ち往生。終点のプリオニアまで残り150mほど、我らは9:45とうとう下車して歩き出す。登山口プリオニア(標高1,100m)に着いて水を補給し、トイレに行くなどの出発準備をしていたら、漸くバスが現れて、これで帰りは大丈夫と妙なことで安心する。登山口は人、人、人だがマラソン登山のトップはもう降りてきた。何処まで行ってきたのか?我らの今日の目的小屋アガピトス小屋(標高2,100m)までだろうと思う。8時出発で高度差1,000m、それを2時間弱で往復か、若くて速い人はそんなものだろう。我ら斜陽族は登るだけで一日掛かりだが。

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リトホロ登山口
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ソウリで集合写真

10:00いよいよ登山口プリオニアを出発する。どんどんマラソン組が下ってくるので、すれ違いにチョイ休みができるのは有難いが、ストックの先端を前にして勇ましく下ってくるのには危険を感じる。10:30 ソウリで一休み、元気なうちに写真を撮る。10:51馬糞が落ちている。荷運び馬が落としたものだ。11:05休憩、ピガドウリ標高1,380m~11:16。山に入れば天気は怪しくなるものだが、雲が垂れてきて、上の方はよく見えない。昨日までのカンカン照りとは様子が違う。12:25、雨が降りだした。素早く合羽を引っ張り出す人もいれば、その内止むさと、横着を決め込む人もいる。12:45ゴマロスタロス分岐点通過。13:00腹へったーでランチ休憩、標高1750m.巨大な山塊だなあとつくづく思う。もう一踏ん張りか~13:21。14:02雪渓を渡る。常夏のギリシャ、標高3,000m足らずの山に雪渓とは想定外。次第に実力差が出て、列はバラバラになる。14:07最後の休憩~14:12.14:32アガピトス小屋着。あまり濡れずに済んだ。聞き取りでは先頭は14時、最後は15時到着だったらしい。

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アガピトス小屋到着
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小屋から見るオリンポス山

 

 

 

小屋は石造りの立派な小屋で収容120名、我らは別棟の二部屋を占拠する。スキーヤーズロッジと同じ蚕棚である。15:30から遅い昼食。野菜スープやヌードルスープ、ジャガイモなどを小分けして頂く。その頃には土砂降りになる。多分夕立であろう、いつの間にか雨は止んで日が差してきた。そろそろ夕食かと思われる頃、山が見える、の声に誘われて小屋を飛び出し、1ショット。オリンポス山の最高峰ミティカス2,918mがまるで怪獣が牙を剥いているかのようにそこだけ聳えている。19:30夕食、食事はコーンスープに野菜サラダ、カレーライス、スパゲティーは皆で分けて。無論ビールやワインもたっぷり頂いてスヤスヤである。

 

6月29日 寺田美代子

今日はオリンポス山登頂を目指して、2100米にある山小屋からの出発です。

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朝食

6:10 朝食はパン3枚にジャム、ハニー、バター、マーガリンが載った一皿に各々飲み物を選ぶ、これにゆで卵を買い添える人も多数。

7:30 集合、昨日から先導した山岳ガイドのアンドレに加えてクライミングガイドラザレスとアキが山小屋で合流し、我らは総勢12名、なんとこのオリンポス山に住むと伝わる神々と同じ数である。我々の足取りを山頂から見守っているのか? 昨夜の雨も上がり朝霧の中ガイドを含めて15名で出発した。道はいきなり急登、杉林のひんやりした中を、小休止をとりながら進んだ。

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途中の標識

9:05 ミディオラピーク第1ゲートに着く。案内板があり登山ルートや泊まった小屋の写真もあった。9:50 2700米地点に達す、この頃よりかすかな太陽の暖かさに励まされた。太陽の神アポロンが少し顔をだしたのかな。

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スコーリオ峰を望む

 

10:30 2845米、ここがミディカスの分岐地点、スコーリオチームとミディカスチームに分かれ各々のピークを目指す。メディカスチームは岩登りの危険なピークなのでヘルメット、ハーネスを着装、しっかり名前を確認後各々2名のクライミングガイドとロープでつながり切り立った岩の裂け目を下って行く。送る私たちも心配で無事の再会を祈り、彼らも”笑顔で行ったと伝えてくれ“と少し大げさな別れで見送った。

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スコーリオ峰山頂

アンドレと私たちスコーリオチームは11:30 2912米のピークに見事到着した。尾根は多少ガレていたが道はゆっくりした登りで道もしかもしっかりとついていた。山小屋の犬が案内するかのように一緒についてきた。山頂では、金属箱の中にノートが置いてあり、登頂記念に会の名前と各々が自分を記名した。

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スコーリオからの下山

 

 

 

ガスが多く開けた展望は無かったが、切れたところから雪渓の山並みがきれいだった。登頂を喜び合い下山開始、少し下るとアンドレが向うの丘に「ジャパニーズ」と叫ぶ。見るとミディカスチームの姿であった。あまりの再会の早さに信じがたかったが、確かにメンバーの姿が見えた。11:45頃合流、再会を全員で喜んだ。どうやら昨夜の雨水の流れにルートをふさがれ山頂手前で断念したとのこと、さぞかし残念であったことと思う。無事で何よりそろって昼食をとり、ミディカスチームはスコ-リオピークに向かって出発していった。今度は安心して見送った。私等スコーリオチームもガレ道を気を付けながらもルンルンで朝来た道を下り、途中山田さん、高橋さんとも合流出来て花の写真を撮りながら楽しく下山した。山小屋付近まで下ると犬達が無事を喜ぶかのように出迎えに階段を上って来てくれた。実に可愛い犬達だ。14:05 山小屋到着。14:35分頃ミディカスチームも無事帰還、拍手で出迎えた。今日のために来てくれた2名のガイドさんに感謝し別れた。各自ゆっくりと過ごし、18:00夕食、食べきれないほどのご馳走だ。豆のスープが忘れられない。ギリシャ北部のテッサリア地方に聳えるこの岩峰の名山オリンポス山の登山、がっしりとした標高2100米に建つ山小屋に2泊、今日は山小屋の夜を味わうこととする。

 

ミディカスチーム敗退の記 石原達夫

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登攀の支度

2845米の分岐点でヘルメット、ハーネスを装着する。酒井、川井がラザレスガイド、吉永、日出平、石原が若手のエバンガイドにそれぞれザイルを結ぶ。

2人ともギリシャ屈指のクライミングガイドだ。残念ながら山田さんとガイドのコミュニケーションが不十分だったようで、私がリーダーだということが伝わってなく、初めからザイルパーティの分け方と順番がくるってしまった。さらにハーネスが必要ということも知らされてなかった。どうもどこかでコミュニケーションが不十分だったようだ。

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機嫌の悪いメディカス

 

見たところ岩の状況は良くない、昨夜の雨と一昨日の夕刻からの雨が山頂付近では雪となっていたようで山頂に至るルートとなるU字状の岩壁には日陰のためか斑に雪が残っている。気温は低く、薄いダウンジャケットを着てちょうど良いくらいだ。みなエキスパートという前提であったが、たかの知れた始めの5~60メートルの下りで足並みに相当なばらつきがあるのが判る。それはガイドもすぐ気が付いたようで、不慣れの人はここから返すかという話がガイド側から出たが、パーティの組み変えをするため岩壁の途中でザイルをほどくことは危険だということで結局このままで行くことになってしまった。

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メディカスからの撤退

ルートは赤ペイントで印がつけてあり、また要所、要所にビレー用のボルトが打ち込んである。ガイドのザイルの長さは50米以上、当座の分はループにして持っているが、残りはザックの中に収め、必要に応じて繰り出して確保している。序盤の下降が終わると本番の登り気味の長いトラバースに移る。折からガスも切れ視野が開けて山頂付近がよく見えるようになる。確かに雪が残り岩も濡れているようだが岩慣れた連中にはそう難しいとは思えない。ガイドの1人が先行して状況確認に行き、戻ってからガイド同士で相談していたが、結論として岩登りの経験の浅い人を含む混成パーティでは最上部の濡れた壁の安全な通過は難しい、ということを言われ残念ながら全員引き返すこととなった。

ガイドはスコーリオがあるからそれに登ろうといって慰めてくれた。

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スコーリオ山頂(メディカス・チーム)

分岐まで登るとスコーリオチームが下って来るのが見える。合流し全員で昼食とする。そのあと私等は難なくスコーリオに登頂した。スコーリオ峰の稜線のミディカス側は急峻な岩壁だが、反対側はゆるくスキーには絶好な斜度だ。その先のリッジを超えた反対側にはスキー場があるとか。ガイドから今度はスキーの時期においでと誘われた。そんな機会があればよいのだが。でもその前にやはりミディカスに登りたい。その時は少人数で一気に登りたい。

 

 

 

6月30日 寺田正夫

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下山前の小屋での集合写真

6:00過ぎ 朝食  7:40 いよいよ下山を開始した。

2日間“スピリオス・アガピスト”小屋に宿泊して、オリンポス山のスコーリオスピーク(2912米)に登頂した思い出を胸に刻んで小屋を後にした。

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登ってくるラバ隊

 

 

 

 

 

下山の途中、しゃんしゃんと賑やかの音がするので何だろうと思ったらラバの1群が荷揚げに上がってくるところだった。馬方は1人でラバも繋がれてはいない自主的に登ってくるようだ。すぐ第2群が登ってくる。この1隊は工事用のセメント等を運んでいるようだ。

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登山口の茶屋

2回ほど給水タイムを入れ、10:15 全員無事にプリオニア登山口に到着し、茶屋で飲み物等を買って送迎バスを待った。登ってきたときはマラソン大会とかでめったやたらに車が止まっていたが今日は1台もなく、バスは私たちの前に止まることが出来た。

10:50 一路リトホロのブテックホテル・オリンピアへ向かう。ホテルに預けておいたスーツケースを受け取り屋外で荷物の仕分けを行い、0:40 ホテルを出発しテッサロニキ・マケドニア空港に向かう。

テッサロキニはギリシャ第2の都市である。

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アレクサンダーの像

フェリーターミナルに近い市街地の海岸にあるベネチア人の遺跡である円形の建物ホワイトタワーでバスから一時下車し、巨大なアレクサンダー大王の騎馬像のある広場に立ち寄る。この広場は海に面したロケーションの良いところで、美しい風景の中でしばしの散策を楽しんだ。バスに乗り市街地を抜けるとしばしでテッサロニキ・マケドニア空港に14:50に到着した。

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クレタ島アクソス村のホテルでの遅い夕食

 

 

 

クレタ島イラクリオ空港への搭乗手続きを済ませて17:35出発予定のフライトを待っていたところ天候が急変!たちまち雷雨(大雨)になり、空港はにわかにプールと化し、出発が大幅に遅れることとなった。出発予定が立たず皆そこいらをウロウロ未定の出発を待った。結局、この思わぬアクシデントでイラクリオン空港へは予定より3時間遅れで21;25 到着となってしまった。空港にはクレタ島のガイドをしてくれる女性ガイドが待っていて、やっと22:15 迎えのバスに乗り込み、アクソスという村のホテルに向かう。夜の道路を上ったり下ったりしてひたすら走り23:25ようやく目的のホテルであるアルコンティコ・マニアス・ヤキントスに到着。深夜に近い時間に豪華な夕食をいただき、各々割り当てられた部屋に引き取る。

 

7月1日 吉永英明

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出発前のホテル風景

イデ山登山

昨日のテッサロニキ空港出発の際の雷雨のため、クレタ島イラクリオン到着が大幅に遅れ、宿舎のあるアクソス到着が夜12時を過ぎていた。私にとっては眠気に車酔いが加わり、夕食は何を食べたのか判然としない状況で就寝となったため、朝の目覚めも不調であった。

しかし、朝の天候は雲一つない快晴、オリーブの木越しに白い外壁が連なる傾斜地にひらけたアクソスの景観は登高意欲を呼び起こすものであった。

朝食後、宿舎アルコンティコ・マニアスの車で標高1,400米の登山口へ。

北アルプスの太郎平からの北ノ俣岳を彷彿とさせる緩やかな山容である。北地中海東部の海洋性乾燥気候のため、喬木も見られない砂礫地が多く所々、羊、山羊が放牧され、残雪も見られる。ベルギー出身の女性ガイド、アリスの先導で残雪を避けながら約4時間、全員無事2,456Mの頂上に到着した。

ガイドは若いせいもあろうが、女性ながら息も切らせず軽やかに登っており、自分自身の年齢をつくづく考えさせられた。

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イデ山トレイルヘッド イデ山登山中放牧のヤギのあいさつを受ける
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イデ山山頂

頂上に着くころから次第にガスで視界が奪われたが、頂上にはゼウスの伝説を象徴する鐘が据えられており、各々、鐘を鳴らして昼食、時折視界が開ける景観を楽しんで下山にかかった。

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アクソスの村

 

 

 

 

 

再び宿舎の車で午後3時頃アクソスに到着し、シャワーを浴びたのち、アクソスのメイン・ストリート(と言っても数軒の茶店が点在する程度)を木陰でお茶を楽しむ地元の老人たちから声をかけられながら散策し、紀元前から人が住んでいたという歴史を感じつつ1日を終えた。  

 

7月2日(木)横田昭夫

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出発前にホテル前で集合写真

7月1日クレタ島のイデ山(2456m)に登頂し今回の山行活動は完了した。心配していた天候悪化はなくガスに包まれた程度であったので問題なく全員の登頂が果たせた。

今日から一転してクレタ島の観光で紀元前という途方もない過去の遺構を彷徨する。自国の財政問題でEUとの経済援助に揺れるギリシャもここクレタ島は別天地でATMに並ぶ人を見ることがなかった。エーゲ海に浮かぶクレタ島は東西260km、南北の幅は広いところで60km、狭いところで12kmほどという細長い形状の島である。

面積は8,336㎡で兵庫県とほぼ同じといわれている。ここクレタ島でヨーロッパにおける最初の文明の一つであるミノア文明(クレタ文明)が栄えた。この文明が栄えたことの要因は様々なことが考えられるところであるが、現地に行ってみて感じたことは、海路に恵まれていること、温暖な気候に恵まれ、年間雨量が少なく、住みやすい環境であったことが考えられる。7:30朝食、9:00集合写真を撮ってホテルよりバスで出発する。出発前にホテルのマダムより庭木につい聞くと、桑の木はその昔シルクの生産が盛んであったなごりから家の周りに植えているとのこと。また、イデ山の登山口までの道路脇にも沢山あった赤茶色の種を付けた木は〔アスフェダモス〕といって4月に良い香りの花が咲くと云っていた。

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フォルテッツア要塞

レティムノンの港を一回りし、カラフルな市街地を通り抜け、坂を登るとフォルテッツア城塞に至る。

この砦は海に面して建てられた大規模なものである。オスマントルコのクレタ島への攻撃が激しくなってきたことから1573年から建設を始め1580年に完成している。

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クノッソス宮殿跡

12:00~13:30要塞を望む海岸の立派なレストラン・マイストロスで昼食を摂る。ギリシャは何処へ行っても食事のメニューはよく似ていて、毎回出てくるものにあまり替わり映えしないがここでは海産物のイカやタコそしてイワシのフライなどを食べた。次いでミノア文明の王宮群「クノッソス」「ファイストス」「マリア」「ザクロス」のうち、イラクリオンのクノッソス宮殿跡へ移動する。

 

ミノア文明について考えられていることと神話

クレタ島はヨーロッパにおける最初の文明の一つであるミノア文明が栄えた。当時の社会については、伝えられるべき文字が遺されなかったため、遺構から類推するほかないが、平和で開放的であったと考えられている。ミノア期の遺跡には、壮麗な石の建築物や複数階の宮殿があり、排水設備や、女王のための浴場、水洗式トイレがあった。水力を動力とする仕組みに関する技術者の知識はとても高度なものであった。ミノア文明は、紀元前3000年頃からクノッソスが衰退した紀元前1400年頃まで栄えたと考えられている。この文明については「半牛半人の怪物ミノタウロスと迷宮の神話」また空を飛ぶ「ダイダロスとイカロスの神話」でも知られる。クレタの支配者ミノス王が神ポセイドンとの約束を守らずに呪いを受け、その妻から「半牛半人の怪物ミノタロウス」が生まれ、ミノスは困って、クノッソスに、入ったら決して出てくることのできない「迷宮」を作ってこのミノタウロスをそこにおいたという。そして支配していたギリシャ・アテナイから少年・少女を餌食として差し出させていたので、アテナイの王子テセウスが乗り込んできて、迷宮の秘密を知っていたミノスの娘アリアドネと恋仲になってミノタウロスを退治し、一緒に出て行ってしまったという。ミノスは、これは迷宮の出方の秘密を知る名工ダイダロスが秘密をばらしたということで、ダイダロスとその息子イカロスをこの迷宮に閉じ込めたが二人は翼を作って飛んで逃げてしまったというわけであった。

14:50~16:00クノッソス宮殿跡とミュージアムについて専門の英語ガイド・マリニナさんの説明を受ける。彼女は日本語を話さずすべて英語で話すので、その内容はよくわからないけれど、その話し方から誠実で、熱心にガイドをしていることが感じられた。クノッソス宮殿は紀元前3000年頃に始まり、紀元前18世紀~紀元前15世紀に栄華を誇ったクレタ文明中、紀元前18世紀頃ミノス王が建てた迷宮と考えられている。この宮殿は1900年イギリスの考古学者アーサー・エヴァンスにより発掘された。この宮殿は1辺が160mもあり、複雑で巨大な建物で4階建ての部分もあり、1200以上もの部屋があったと考えられているとのこと。ガイドの説明を聞きながら(言葉がよく理解できなかったが)、足を運びつつ思ったことは、これほどの遺産がどうして「復元・複製」という形で手を加えられているかということだった。いかにもうさん臭くて、丁寧に説明を聞いてもその疑問が頭から離れなかった。

この疑問に対し、インターネットのウィキペディアの解説によると次のようであった。

 

遺構の復元・複製/世界遺産未登録/クレタ島=クノッソス宮殿

100年程前、クノッソス宮殿の発掘者となったアーサー・エヴァンスがイギリスの高貴な階級に属する優秀な考古学者でありながら、発掘後、重要と考えられたかなりの区画や部屋などを〔復元・複製〕したことでユネスコはミノア文明の極めて重要なクノッソス宮殿遺跡を未だに世界遺産の登録から外している。…(中略)…したがって、これらは多くの人に遺跡を魅力的に見せるためのエヴァンスの親切心とも思える意図なのか、温厚な人柄と高貴なプライドからの表現なのか、あるいは考古学的な確たる裏付けがあっての復元・複製か判断が難しい。しかし、サイエンスであるべき現代の考古学の立場ではコンクリートを始め、自然界からの顔料などではなく、石油化学で製造された塗料を使った過剰な「こうであろう復元・複製」はかなり「やり過ぎ」と批評され純粋な意味での考古学研究を狂わせているという手痛い意見もある。…(以下略)

16:50~18:00ミュージアムに移動し、クノッソス宮殿の遺跡の出土品の説明を受ける。18:50~20:000イラクリオン港のレストランにて夕食。全員一緒に摂るツアー最後の食事となる。ゆったりと次から次に出てくるギリシャの料理を堪能する。そうこうするうちフェリーに乗船する時間となり、ガイドのアリスさんと別れ20:30 ブルースターフェリーのBlue Horizon号2万トンに乗船しアテネへ向かう。フェリーから望むイラクリオンの夜景を見おさめする。今夜は船中泊となり明朝アテネに着く。

 

7月3日 廣島孝子

楽しみにしていたギリシャ旅行もいよいよ終わりに近づく。

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夜のフェリー

昨晩はフェリーの中、エンジンの音を子守唄にぐっすり眠り、警笛の音で目覚める。

甲板に向かうと廊下にはビア樽のような人が横になって寝ている。きっとここで一晩明かしたのであろうか? 昨晩個室を用意されたが窓が無く不服を言っていた私達はまたまた反省!! 外に出ると丁度真っ赤な太陽が昇る所であった。大海原が朝日をあびてキラキラと輝き、久しぶりにとても美しい景色に出会へ感激!!

 
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ピレウス港でひしめくフェリー

 

 

アテネのピレウス港には豪華客船、クルーズ船、フェリー等で混雑している。6時30分接岸。7時、用意されていたバスに乗車し、ガイドさんの案内のもとアテネ市内に向かう。

車窓からはオリンピックの聖火台、バレーボールの球技場、等を眺めながら街に近づくと朝早くから銀行には長蛇の列が見受けられる。ギリシャに不況の嵐が吹き荒れている様子が唯一ここから伺えた。

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フィロパポスの丘

 

間もなく目的のフィロパポスの丘へ、標高たった150メートル程の登りであるが、まだ目の覚めやらぬ身体とすきっ腹にはしんどく感じる。

頂上には市民に慕われた古代ローマの執政官フィロパポスの記念碑があり、周りの岩山に溶け込んだアテネの街並みが360度見渡す事が出来、遠く南西側にはパルテノン神殿、反対側にはエーゲ海が望め、素晴らしい景観である。

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ソクラテスの牢獄

又、帰る途中、西洋哲学の祖と言われていたソクラテスの牢屋を見学、岩をくりぬいた結構大きな洞穴であった。

その後、又バスに乗車、市内のエルム通りにて待ちに待った朝食とショッピイング。

私達5人はホテルのラウンジに入る、まもなく満席。皆のんびりと優雅に朝食を楽しんでいる。国民性であろうか、ここにも財政不安での危機感は見受けられない。

私達おばんいやレディーはガイドさんの勧めで、チョコレートとオリーブ油などを買い求める。

「♪だんだん荷物は重くなり、重くなり♪」ルンルン気分で集合場所へ。

10時いよいよ空港目指し最後となるバスに乗る。40分程でアテネ空港に到着。

13時35分ギリシャにしては珍しくONタイム発、

アムステルダムにて乗換、ここで仲間の2人のリッチマンと私の相棒はビジネスクラスに搭乗(るんるん)。私は「贅沢は敵」と何時ものエコノミーに席を取る。美味しい日本食の夢を見ながら帰国の途に・・・・・