お知らせ山想倶楽部

■ 2017.06.26

信越トレイルを歩く(第2回) 山想倶楽部

 

 記: 西谷隆亘

期   日  2017年6月10日-12日

参 加 者 石原達夫、高橋聡、吉永英明、小亀真知子、横田昭夫、小笠原辰夫、

西谷隆亘、西谷可江。(以上8名)

 

(プロローグ)

沖縄地方は豪雨、本土は西日本、東北地方の日本海沿岸を除いた東日本の梅雨入り宣言はあったものの、曇天の梅雨空の侭で雨はなく、晴れ間も見られる天気、昭和20年代後半(渇水頻発)~30年代前半(湿舌、集中豪雨)の頃に似た梅雨の天候。太陽の黒点変動の影響を受ける地球活動の60年周期説を裏付けるような今年の天候。天気予報ではここ数日は集中した強い梅雨は無さそう。

 

6月10日(土)曇り時々小雨

東京駅から北陸新幹線はくたか555号に乗車し、長野駅で北しなの鉄道に乗り換え、予定通りの時刻に到着した石原、高橋、吉永、西谷(隆亘)、西谷(可江)の5名は、妙高高原駅で、地元・妙高赤倉の小笠原さん、横浜から別便で先に到着していた小亀さん、自車で飛騨高山から赤倉ユアーズ・インまで来られていた横田さんの三方の出迎えを受ける。

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赤池にて昼食中

小笠原さんの運転する送迎のマイクロバスは11:30 妙高高原駅出発。12:00登山口斑尾高原・赤池着。此処で昼食後マイクロバスを下山地点・希望湖(のぞみこ)の駐車場へ回送して、皆を待ってくれる役割を担った高橋さん以外の7名は小笠原さんの先導で、信越トレイルの一部を沼の原湿原経由で、希望湖へトレッキング。両側に紅色のタニウツギが綺麗に咲いたトレイルの登山路はよく整備されて歩きやすい。

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沼の原湿原にて

何処からか鶯の鳴き声、ウワミズザクラの花、頭上の空をかくす程のブナの大木が其処此処に見られ、足下の傍らには小振りなチゴユリの花が咲きみだれ、のどかな山路を行く。沼ノ原湿原は花の時期は終わっていたが、水芭蕉が群生してプチ(規模の小さい)尾瀬ヶ原のようであった。途中の周辺の山々の緑が目に染みて、同行の諸氏は緑の季節感に感激しきりである。高橋さんが到着地点の希望湖まで10分位の処で、一行を迎えてくれた。戦国時代に築造された人造湖・希望湖は甲斐の武将・武田信玄と戦った武将・上杉謙信により潅漑用水を貯えるため、渡渉場の位置に築造された土堰堤で地元の人々のために役立っていたが、現在では単に魚の釣り場となっている。戦に長けていただけでなく、領民の生活をも深く考えていた偉業が偲ばれる。15:15 宿泊地妙高赤倉ユアーズ・インに到着。

夕食に、トレッキング途中で小笠原さんが摘みとられた山ぶどうの葉の天ぷらも添えられて、一同感激。

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希望湖にて   ユアーズインでの夕食

 

6月11日(日)快晴

9:00 発、毛無山登山地点・希望湖へ。全員8名は、今日も小笠原さんの先導で、9:56歩行開始。途中、時々、カエルの声も混じり、エゾハルゼミの鳴き声が頻り。少し時期は遅いが、トレイル両サイドのワラビやタラの芽を摘みながら、10:59毛無山頂上着。快晴で県境の山々の眺望もよい。向かいの妙高山頂には雪が谷筋に残り、雪形の『山』の字がくっきりと読める。ここから高橋さんは、何時ものように、一行の下山地点・涌井新池へマイクロバスを回送・待機するために元の道を引き返す。他の7名は小笠原さんの先導で、11:50高橋さんの待つ涌井新池着。運転手は変わり、今度は小笠原さんの運転で、12:20昭和3年『大礼典』が挙行されたことを記念した門柱があるが、現在は廃校となっている富倉小学校跡地に到着。ここには「富倉地区活性化センター」があり、富倉地区の情報が得られる。その並びに、『幻のそば』が味わえる食事処「かじか亭」があり、「富倉そば」の昼食を摂る。

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希望湖より毛無山への登り口を往く  

毛無山頂上にて

『幻のそば』はヤマゴボウの別名があるオヤマボクチの葉をつなぎに使った「富倉そば」のことで、つくるのに大変手間ひまがかかるので、『幻のそば』と言われるようになった由。その昔、上杉謙信が武田信玄と戦うために越後から信州に富倉峠を越えて入ったという歴史と知恵が、雪国の暮らしに受け継がれている。

昼食後は先ず、帰京する小亀さんを飯山駅に見送る(13:35)。飯山駅に向かう途中の駅周辺の国道292号線沿いには寺社が数多あり、名刹(寺社)巡りも楽しめそうである。小亀さんを飯山駅に見送った後、その中の一つ、名刹『正受庵』に立ち寄る。『正受庵』は、寛文六(1666)年に飯山藩主・松平忠倶が道教慧端のために開基した臨済宗の寺で、山号小畝山(こうねざん)という。開祖は真田信之(真田幸村の兄)の庶子・道教慧端。松平家と真田家の関係は不詳であるが、近在では名の通った寺である。14:10 『正受庵』を出発。

途中、京都大学笹ヶ峰ヒュッテの傍らを通過して、15:00 笹ヶ峰駐車場着。小休止。いまだかなりの残雪がある駐車場から対岸の山々を望見する。

15;45 宿泊地妙高赤倉ユアーズ・インに帰着。

 

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黒岩山の休憩所にて

6月12日(月)曇り時々小雨

昨日、小亀さんが帰京したので、今日は7名で、7:40 小笠原さんの運転するマイクロバスで涌井集落に向かう。横田さんは自車を駆って後続し、涌井集落の同じ所に駐車。何時ものように、マイクロバスを一行の下山地点である平丸峠・桂池に回送運転して、待機してくれる高橋さん以外の6人は、涌井集落から平丸峠・桂池に向かう。最近の高橋さんの体調は戻ったようで、黒岩山まで後15分位の地点迄、高橋さんが迎えに来る。合流後、全員揃って、桂池迄のトレイル散策を楽しんだ。

桂池からは、ペガサスゲレンデ(最下部のゲレンデは廃止された様相)の道を戸狩温泉「暁の湯」へ。到着後、マイクロバス右前輪のパンクが判明したが、残りの我々5人が「暁の湯」に入浴している間に、小笠原、横田両氏の奮闘により、パンクの右前輪は交換され、何事もなかったように無事、今朝の出発地点である登山口・涌井の駐車場へ。お二人に感謝。自車で松本経由で岐阜県の美濃加茂迄帰宅される横田さんと別れて(14:05)、マイクロバスは飯山駅へ。小笠原さんと別れの挨拶を交わし、東京へ帰る5人は、飯山駅の喫茶店で、出発までの2時間を楽しく雑談、北陸新幹線はくたか568号飯山駅発16:05で東京(17:52着)へ。駅頭で別れの挨拶を交わして、各々の家路へ。

 終わりになりましたが、毎回の散策の始点から終点まで、マイクロバスを回送運転・待機してくれた高橋さん、登山口までの往復を送迎のマイクロバスで一行を搬送して下さった小笠原さん、お二人の労苦に深甚の謝意を表します。また、トレイル中に摘んだワラビを早速にアク抜きして、お土産として下さった小笠原さんの温かいお志に感謝。      


高橋追記 

車を出発地より到着地迄回送したので、一人で歩いた時のつぶやきです。

この信越トレイルは3年ほど前に戸狩スキー場から開田峠迄を歩いています。今後、後2回から3回ほどかけて、まだ歩いていないところを実行しますので、会員の参加をお待ちしています。

 

一日目

赤池にて他の人と別れて車を希望湖に回送する、回送すべき道は全く不案内なので、地図は良く調べて持って来ているとは言え、小笠原さんに良く聞く。言われた通りに運転していくと、所々に良く注意をして見て行かなければ見落としてしまうような看板が所々に着いている。程無く希望湖の駐車場に着いた。

駐車場の傍に看板が有り、希望湖の円周は2.5キロ程有り一時間程度で一周できるようで、途中から沼の原湿原へと行かれそうだ。この駐車場よりボート小屋が見えており、その右横の道を行くと沼の原湿原に出られるようだが、この湖を一周するのも面白そうだ。

あまりUP-DUNもないだろう。歩いているとあちこちでルアーを持って釣りをしている人たちがいる。マスを釣っているのではなく、ルアーの投げ方を見ていると、どうもバスを釣っているようだが、引っかかってくる魚は見えない。看板をみるとこの湖には、かなりバスを放しているようだ。観光客を増やす為とは言え、在来の魚がそのうち消滅してしまうのを承知で、良くこんなバカなことを地元の観光組合がするものだ。元々は上杉謙信が造らせたとも言われている人造湖らしいので、それも有りかもしれない。ネットで調べてみるとこの希望湖はこの近辺でも有数のバスフィッシングのメッカらしい。

ゆっくりと歩く事小一時間でこの希望湖を一周することが出来た。本隊はまだ赤池よりこの希望湖に着くには、まだ時間がかかるだろう。若しかしたら沼の原湿原辺りで会えるかもしれないと思い、歩いて行く事にする。沼の原湿原に向かって歩き出して10分もしないうちに何だか賑やかな話し声が聞こえてきた。どうも声の質から推測すると山想倶楽部の面々のようだ。待っていても仕方ないので、近づいていくとやはりそうだ。ずいぶん早い。

向こうは向こうで、早いねと言うが僕は希望湖からいくらも歩いていない。すぐそこが希望湖なので本日の散歩はこれでおしまいだ。明日登る毛無山の登り口を確認してから、車に向かった。明日は毛無山まで1.2kで所要時間1時間と書いてある。

 

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希望湖にてバックの山は妙高山毛無山への登山前

2日目

今日は昨日と相違して素晴らしく良い天気だ。希望湖で妙高山をバックに写真を撮った後、ここで皆と別れて車を回送しても良いのだが、30分もあれば回送できそうなので、皆と一緒に毛無山迄一緒に登ることにする。頂上迄小一時間だ。以前このルートはJACの山行委員会で来たことがあるのを思い出す。緩い登りが続きワラビが点々と生えているので、それを採取しながら登り、予定通りの時間で頂上に着いた。僕はここで皆と別れて希望湖に下り車を涌井新池に回さなければならない。涌井より新地迄は15人乗りのマイクロバスの車幅一杯の細い道だ。脱輪しないように気を付けて行こう。涌井新池に着いて池より登山道に入ろうとしたら全員降りてきた。この後は今回報告書を纏めてくれる西谷さんのテリトリーだ。

 

3日目

今日で今回の信越トレックの最終日だ。行程的には一番長いのだろう。本日は早めに出発し昨日下ってきて確認した涌井集落へ。本日もここで他の人達と別れて車を平丸峠にある桂池の傍まで回送するのが僕の仕事だ。道順は昨日帰った小亀さんを飯山迄送った時に小笠原さんより聞いたので何とかなるだろう。途中一か所道を間違えたが無事に桂池に9:00には到着した。此処でじっとしていても仕方ない。取敢えず黒岩山迄でも歩いて行こう。

信越トレックの取り付きまで行くと、急に雨が降ってきた。おまけに登り口が急坂で昨日来の雨でかなりぬかるんでいる。これではローカットのハイキングシュゥズでは厳しいと感じたので、車に戻って登山靴に履き替え、序にスパッツも着ける事にする。これでかなり時間をロスしてしまうが仕方がない。年寄りは安全が第一だ。用意万端で登りだすと悪かったのは最初だけで、黒岩山まではなんということも無く到着したが、道中はブナが密生していて、天気が良ければ若草色の木の葉の色がさぞや素敵なことだろう。黒岩山の手前でうら若き女性が一人で、かなりのスピードで降りてくる。まだこの時間だ。戸狩温泉迄行くのだろうか。若しかしたら、開田峠まで行ってしまうかもしれない。黒岩山には一時間程で到着し、少し小腹も空いたので軽く食事をとり15分程度休んで、先に進む。10分も行かないうちに上の方から、なんだか人間の声らしきものが聞こえてくる。コールをすれど、何も返事もない。自分たちの仲間とは思っていないのだろう、徐々に声も大きくなり互いにその姿を認め、共に黒岩山に引き返したのでした。この後は昨日と同様に西谷さんの報告を参照して貰いましょう。

 

希望湖(旧名 沼の池の由来)

記録には、約430年前の天正時代(安土桃山1573~1591)に初めて壕を開き、文化2年(1806江戸時代中期)堤防にて水面を広げ、天保6年(1836)改築、安政2年(1856江戸時代終期)に大修築とあり、近年になっても幾度かの修築があり、昭和28年に設立された下水内中部土地改良区が、昭和28年から36年の8年間に1678万円の費用にて総延長365メートルの堰堤工事が完成し、現在に至っている。南北740メートル、東西380メートル、周囲2440メートル、最深部11メートル、平均5メートル、最大貯水量48万5900トンであり、沼の池の水は、飯山市柳原、外様両地区の農家約400戸、約200ヘクタールの水田で稲作が出来、地域にとっては重要な水であります。湖北側の島の様な場所に弁財天が祭られていて、その石碑には、文化2年、天保10年の文字が刻まれているのが確認でき、古くから「命の泉」としての関わりが偲ばれているようだ。