お知らせ山想倶楽部

■ 2017.12.06

晩秋の滋賀歴史の旅(山想倶楽部)

晩秋の滋賀歴史の旅

髙橋 聰/ 石原達夫

期日:11月9日から11月11日まで

日程:9日 東京発8:33 ひかり505 名古屋着10:17 (集合) チャーターバス=

登山口11:30-御在所岳山頂15:30-登山口18:00=湯の山温泉18:30(泊)

10日 宿舎発7:00=宇賀渓駐車場8:00-竜か岳-石博峠15:00=永楽寺

(拝観)15:30-16:30=近江八幡国民休暇村17:30(泊)

11日 宿舎発8:30=長明寺=安土城址=観音正寺=太郎坊宮=彦根城=米原駅15:30頃  


11月9日晴れ

名古屋駅で今回の世話役である武田鞆子さんに出迎えを受け、直ぐに今回特別にチヤーターしたマイクロバスに乗り込み、御在所岳の登山口である中登山道に向けて出発する。一時間程で登山道に到着して、今年4月に胃癌で胃を全摘した日出平さんは他の人達と一緒に歩くのは厳しいので、高橋とケーブルで御在所岳に向かう事にし(B隊)、他の人達8名(A隊)はこの中登山道より頂上を目指すことにする。

「御在所岳」行程

10:15名古屋駅集合 ⇒ 10:34名古屋駅出発 ⇒ 12:00中道登山口(昼食)

⇒12:17登山スタート ⇒12:45~13:05休憩 750mあたり ⇒13:12おばれ石

⇒13:34地蔵石 ⇒13:43キレット ⇒13:50岩峰(1111m) ⇒15:00富士見岩展望台・山上広場

⇒15:15ロープウェイ山上公園(約50分待ち) ⇒16:15湯の山温泉駅

⇒16:25オテル・ド・マロニエ着

A隊の報告は石原代表。B隊は髙橋報告

 

A隊の報告

中道から登ることになっているけど、鈴鹿スカイラインからの登り口を見落としてマイクロバスは鎌が岳の登り口近くまで上がってしまう、引き返して一の谷山荘前で降ろしてもらう。登山口はさらに100米くらい下にある。

登山口にはいろいろ注意書きが書いてある。頂上が山らしくない公園なので、気軽に登ろうとする人もいるのだろう。時刻はもう正午、しゃりばてになるとか言って弁当を開ける者も出てきたので仕方なしにここで昼食とする。三々五々早くも下ってくる登山者がいる。風化した花崗岩の道を登る。ロープウエイの下を通り抜けると登山路にも大きな岩が現れるようになり、適時出てくるロープ、鎖、梯子でバラエティのある登山路を楽しむことになるが、見上げる山頂は遥か高い。急な登りを続けると、2つの岩が寄り掛かったようなおばれ岩に出る。更にぐるりとめぐって岩を登ると視線の先の岩の上に座った2人の若い女性が盛んに指さすので振り返ると、危うそうな石を乗せた地蔵岩があった。

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御在所岳中登山口 花崗岩の道を登る
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おばれ岩 地蔵岩

 

下りてくる人がどうも高橋さんらしい、と思ったらやはり高橋さんと日出平さんだった。わざわざおりにくいところを選んできたようだ。この先のピークらしき白い岩を登ると急降下のキレット、慎重にキレットの底に出てまた登る。ここから見る富士見岩はまだ高い、この辺りでどうも皆さん疲れてきたようで、だんだん登りが遅くなる。やがて大きな岩壁を回り込み、ちょっと上るとロープウエイ終点地帯の一つである富士見岩展望台に出る。ここで楽しそうにはしゃいでいる若い女性グループに写真を撮ってもらう。時間も丁度3時、三角点のある頂上は遊園地を抜けなければならないので気が進まないし時間も時間なので、ロープウエイで下山することになった。ちなみに御在所岳は200名山である。深田久弥は、彼の100名山に御在所岳も入れるつもりでいたが、頂上が遊園地なのでやめたと本人が後に書いている。彼の「日本100名山」が刊行されたのが1964年7月、既にそれ以前に頂上は観光地化されていたのである。

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キレット 富士見岩展望台
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富士見岩展望台 御在所岳

さて、ロープウエイでの下山は時間短縮のためだが、何と乗車までに1時間弱待たされ全然時間短縮にはならない。観光客が多いのと風が強いため速度を落として運転しているためらしい。これなら表道か裏道から下山した方がもっと早く下山できたろう。やっと乗ったゴンドラはさすがに見晴らしがよい。キレットも地蔵岩もよく見える。終点近くで右手に見える青い屋根の建物がオテル・ド・マロニエ、今晩の宿である。

マイクロバスは先に高橋さんのB隊をピックアップし、それからロープウエイ乗り場で待つ我々を乗せることとなった。

 

B隊の報告

A隊と別れて、僕たち2人だけのB隊は、車で御在所のケーブル乗り場に送ってもらい、早速乗車券を購入するも、平日だと言うのにかなり混んでいる。30分から40分程度乗車するのに時間が掛かりそうだ。それでも12:30頃にはケーブルに乗ることができ、リフトを乗り継いで一等三角点のある頂上には13:10 には立つことが出来た。何故か本日は風が強く、冷たくてかなり寒い。此処は日本海の風を遮る高い山が無いので仕方が無いのだろう。すぐ傍に琵琶湖を望見することが出来、この頂上とほぼ同じ高さにある望湖台まで足を延ばすも、霞んで何も見えない。帰路はリフトに乗らないでスキーゲレンデを歩いて帰り、どのルートを降りるか考えたが、富士見岩展望台よりA隊が登ってきている中登山道を降りることにする(13:40)。下り初めてかなり行くと賑やかに登ってきているA隊と出会い、(14:20)この先は少し道が悪いので、一緒に上に行った方が良いと誘われたが、急であまり良くない道を又上がるのは嫌なので、ゆっくりと下ることにして、16:00前には中登山口の登り口に着き、運転手さんに電話をして迎えに来て貰う。ロープウエイで降りていたA隊とケーブル駅で合流して今宵の宿であり、以前にこの御在所に来た時もお世話になったオテル・ド・マロニエに4:30頃到着。部屋では日出平、菊池の2名と一緒になり直ぐに温泉に入り、18:30よりの食事を楽しみ、はやばやと20:30頃には就寝したのでした。


11月10日 晴れ一時曇り

2日目竜ヶ岳登山

8:30 ホテル出発 ⇒ 9:15宇賀渓登山口 ⇒ 9:25出発

⇒ 9:50 白滝丸太橋 ⇒ 9:54 魚止橋 ⇒ 10:18 金山尾根分岐

⇒ 10:30-10:40 510mあたりで休憩 ⇒ 11:20 730mあたりで休憩

12:20-12:45遠足尾根との合流地点(1044mあたり)で昼食

13:05-13:15 竜ヶ岳山頂 標高1099,6m

⇒ (下り)13:45 重ね岩 830m ⇒ 14:38石槫峠 689m

15:40ー16:05 永源寺 

16:50 休暇村近江八幡 チェックイン

A隊の報告

竜が岳はなだらかな山頂とシロヤシオで有名な知る人ぞ知る鈴鹿の名山である。色々コースはあるが、その名も床しい遠足尾根から登ることにし、下山は最短距離で表登山道でもある石榑峠に出るコースとした。

登山口になる宇賀渓キャンプ場のパーキングまでマイクロバスで入る。此の先も林道は続くようだが乗り入れ不可とのことで入山料1人200円支払い9時25分、ここから歩く。沢つたいの林道はほどなく終わり、そのまま沢に沿った風化花崗岩のざれ道を歩く。魚止滝への道を左に分けると金山尾根道の分岐となる。この尾根道は昨日の御在所岳の中道に似た花崗岩の尾根に付けられたもので、なかなか急な登りである。暫く登ると、やや平らな紅葉の美しいところに出て尾根は右、左と曲がる。ここからは岩場を含む容赦のない一本登りとなり、右手に見えているなだらかな遠足尾根がだんだんと近寄ってくる。天気は曇り空で、遠望は利かないし雨も降りそうなうす暗さである。やがて急登がゆるみ笹の中を歩くようになるとすぐに遠足尾根道との交差点につく。ちょっと風が当たり、うすら寒いところだが、丁度昼時の12時20分なのでここで食事をする。これより山頂までは遠足尾根をたどることになる。

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  白滝丸太橋
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  遠足尾根道との交差点で12時20分昼食

この辺りは背の低い笹の原で、いかにものんびりと遠足するという感じである。ただ足元は赤土のようで、濡れてなくても滑りやすい。この一帯シロヤシオと馬酔木かまばらに生えていて、花のころはきれいだろうと思う。登るにつれて空も明るくなり、なだらかでのどかな感じの笹の山腹をひと登りし13時頃、竜が岳頂上に着いた。幸い霧も晴れてきて展望もよい。北には無残に削られた藤原岳と更にその先には同じく採石で削られた伊吹山が重なって見える。目を西方に転じれば明日行く琵琶湖近辺も見える。

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背の低い笹の原 竜ケ岳頂上

頂上では写真撮影程度の小休止で13時15分下山にかかる。そこには翌長2メートル弱の大きなラジコングライダーを持った人が休んでいた。興味があるので少し言葉を交わす。私らが下山を続けていると後ろからそのグライダーが追うように飛んできて旋回し視野から消えた。

結構急なところもある下山道をたどり、途中の重ね岩で小休止したのち、私らを待つマイクロバスの止まる石榑峠へと向かった。到着は14時35分頃であった。

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下山道 重ね岩

 

B隊の報告

7:00に朝食に行くと入口がかなり混んでいる。バイキングなので仕方が無いが、他の客はこちらも年なので、老婆とはいうわけにはいかないが、妙齢の女性が多い。食事をお皿に取るのにあれが良いかこれにするか、かなり時間をかけているので仕方ない。普段は自宅で家族の為に食事の用意をしているので、この時の楽しみとして認めざるを得ないようだ。

8:20過ぎに宿を出て途中のコンビニで本日の昼食を購入後、今日の登山目的である竜ケ岳の登山口である宇賀渓に9:20に着き、A隊と別れてB隊の二人は竜ケ岳への最短コースであり、A隊の最終到着地である石槫(いしぐれ)峠に向かう。石槫峠には9:50に到着して、10:00に出発だ。初めは緩い登りなのでピッチも上がるが、直ぐに急登と変化して、気息奄々となり、先行している日出平さんになかなか追いつく事が出来ない。

重ね岩近辺で何とか追いついて、一寸休もうよと声をかけるが、ちらと後ろを振り向いただけで、まったく止まろうとしない。4月に胃癌で胃を全摘したというのに、すこぶる元気だ。この近辺より道はいよいよ急となり全くピッチが上がらない。11:30 頃やっと急坂を登り終え、クマザサが生い茂っているなだらかな稜線を少し歩くと、何とか広い竜ケ岳の頂上に着いた(11:45)。南側より強い風と共に濃いガスが吹き荒れているので何も見えない、ここに長居は無用だ。下山とし、少し行くと、先ほど上がってきた時には居なかった筈だが、一人ぽつねんとグライダーを広げている人がいる。少し話をすると、グライダーを飛ばすために、この人は今年だけで20回ほど石槫峠より上がってきていると言い、他の場所で飛ばすよりも、この場所がグライダーを飛ばすには,気流が一番だと言っていた。

20分程度話していたが、ガスが濃く飛ばせそうもないので、先行して少し先の風の無い処で待って居る筈の、日出平さんをあまり待たせるわけにも行かないので、下ることにする。直ぐに日出平さんと合流して熊笹の原っぱを抜け、急な下りに足を取られないように気を付けながら、重ね岩まで下ると、駐車場も望見でき、ここよりは30分も歩かないで、駐車場に着くことが出来た(13:40)。

A隊も14:40には到着し直ぐに石槫峠を出発する。後は本日の宿である近江八幡の休暇村に向かうだけだ。途中道の駅の「奥永源寺渓流の里」で近在の物品を眺めて、永源寺(臨済宗永源寺派大本山)に立ち寄り(15:45)、時間もあまり無いので急な階段を上ってまで、本堂迄はいかないと言う人もいたが、山室夫妻と高橋は入山料500円を支払い本堂まで行き、綺麗に色づいた紅葉を見て帰ってきたので、16:10宿に向け出発する。17:00近くに宿である近江八幡の休暇村に到着した。後は湯に入り、適度に疲れた体を癒し、美味しい食事を戴き寝るだけだ。


11月11日 曇り一時雨のち晴れ

3日目の行程

 

9:00 ホテル出発ー9:05〜9:40 長命寺ー10:10〜11:20 観音正寺&観音寺城跡ー11:35〜12:45 安土城跡ー13:00 太郎坊は雨のためパスー13:35〜14:15 昼食@麺屋松龍15:00 米原駅

今日はこの山行の最終日だ。昨日までと比較するとあまり天気が良くない。時に雨が降りそうだ。それでも山の中を歩くのではなく、この琵琶湖周辺の歴史を訪ねての旅である。多少雨が降ったとしても、どうということはないだろう。

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三重塔

朝8:30にマイクロバスに全員乗り込み、「西国31番の札所」である長命寺に向かう。(9:00入山~9:40下山)このお寺は階段を登れば808段あり、20分近く要するとの事だが、現代は車で直ぐ傍まで上がることが出来る。このお寺は伝承によれば、「第12代景行天皇の時代に、武内宿禰がこの地で柳の木に「寿命長遠諸願成就」と彫り長寿を祈願した。このため宿禰は300歳の長命を保ったと伝えられる。その後、聖徳太子がこの地に赴いた際、宿禰が祈願した際に彫った文字を発見したという。これに感銘を受けて眺めていると白髪の老人が現れ、その木で仏像を彫りこの地に安置するよう告げた。太子は早速、十一面観音を彫りこの地に安置した。太子は宿禰の長寿にあやかり、当寺を長命寺と名付けたと伝えられている。その名の通り、参拝すると長生きすると言い伝えられている。実際の創建年次や創建の事情については未詳であり、確実な史料における長命寺の寺号の初見は、承保元年(1074年)3月2日付の「奥島庄司土師助正畠地寄進状」という文書である。長命寺には中世以降の文書が豊富に残されている。それによると、中世の長命寺は比叡山(延暦寺)西塔の別院としての地位を保ち、近江守護佐々木氏の崇敬と庇護を受けて栄えていた。しかし、永正13年(1516年)、佐々木氏と伊庭氏の対立による兵火により伽藍は全焼。現存する堂宇は室町時代から近世初期にかけて再建されたものである」『ウイッキペデア抜粋』。

 

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長命寺

続いて観音正寺に行き「西国32番の札所」、(10:10入山、11:20下山)この本堂は平成5年に失火で焼失してしまい、重要文化財に指定されていた明応6年(1497年)の銘がある本尊千手観音立像も焼失した。現在ある木造入母屋造の本堂は平成16年(2004年)に再建され、新たに造立された本尊千手観音坐像は、旧本尊が1メートル足らずの立像であったのに対し、白檀を素材に作られており、像高3.56メートル、光背を含めた総高6.3メートルの巨大な坐像「千眼観世音菩薩坐像」に拝礼をして、観音寺城跡を見学に行った。この城跡は、当時は総石垣で作成されており、山城としては、安土城以前の中世城郭においては石垣で作成されているのは、特異であったようだが、織田信長による安土城の建築と同時に廃城となったようだ。

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観音正寺 観音寺城跡

次に安土城跡に行ったが(11:35~12:40)天守閣までの道のりは長い。(標高は概ね200m標高差は120m程)それだけ壮大だ。平城なら判るが、この山城に良くこれだけの石垣を作ったものだと感心させられる。途中に前田利家や羽柴秀吉、徳川家康の邸宅跡の礎石や、森蘭丸等の家の礎石が残存している。近在から仏塔や墓石等も集めたようで、あちこちに仏石と書かれており、お賽銭も挙げられている。何段の階段を昇ったのか解らないが、登り初めてから下り終わる迄小一時間要した。

以前に安土城天守閣の復元模型(実物大)を見学したが、実際にこの城址を見学すると、当時はさぞかし装厳な建物であっただろう事が偲ばれる。

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二の丸、信長の遺品を奉った信長廟 大手道
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本丸 地下1階、地上6階、五層七重安土城天主台と礎石
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ラーメン屋

続いてこれも山の中腹に在している太郎坊宮の駐車上に着いて、運転手さんがどうぞ付きましたと言い、自動ドアを開けると、突然大粒の雨が降り出してきた。誰も降りる気配がない。それよりも、もう昼だ、何処かで昼食にしようと言いだし、太郎坊宮の見学は中止することにした。帰路の新幹線は4:00前なのでこれから食事をしたら3:00頃には着くだろう。国道8号線を米原に向けて走るが、なかなか適当な食堂は無い。40分程度走ったところで道の左右にラーメン屋と饂飩屋が有ったので、ラーメン屋の駐車場に車を止め、饂飩が良い人は饂飩屋に、ラーメンが良い人はラーメン屋に分散して入り、夫々お腹を満たして、あとは米原に向けて走り、米原駅で解散したのでした。

最後にいつも関西方面でこの山想倶楽部の山行を楽しむ時は、武田鞆子さんにお世話になっていますが、今回も快く世話役を引き受けて戴き、楽しい3日を過ごせた事に感謝。