お知らせ山想倶楽部

■ 2017.12.08

中央アジアの山旅とシルクロードの遺跡を訪ねて(山想倶楽部)

期日平成29630日~711

参加者 石原達夫、吉永英明、武田鞆子、高橋 聰、寺田正夫、寺田美代子、横田昭夫、広島孝子、日出平洋太郎  9

 

はじめに                             石原達夫

 今年の海外山行はいくつかの候補があったが、最終的に倶楽部のメンバーが行ったことのない中央アジアの山に行こうということになった。折角そこまで出かけるならばサマルカンドの観光もするということになり、具体的な計画を立てることとなった。中央アジアといっても、カザフスタン、キルギス、ウズベキスタン、タジキスタン等があるが、このうちタジキスタンは外務省通達で立ち入り規制があり、安全重視の立場からまず除外ということにした。山登りの対象となるのは主として天山山脈を擁するキルギスであるが、山岳地帯に直接入る空路はない、最も近いところでもカザフスタンのアマルティの空港になる。調べるうちにキルギスの奥にある秘境ソンクール湖とその周辺にある山が、過去秘境を求めて歩く山想倶楽部にはよかろうということで、ここを主目標にした。ただしアルマティからここに至るまでの道のりは長いので、要所要所でハイキングをすることにした。ただ考慮すべき事項がある。それはソンクール湖の標高が3000メートルを超すので、そのような高所では高山病の恐れがあるので宿泊ができないという人と、病み上がりないしは病身なので、3000メートル以上での登山は出来ないという人がいることである。その為、登山組と比較的低地に宿泊しハイキングする組に分けざるを得なかった。そのようなこともあり残念ながらソンクールで十分な登山時間が取れず、たっぷりの時間を取って登山を楽しもうとしていた人たちの期待にそえなかった。

キルギスはカラコルを出るとホテルは無い、そのため民宿とか、ソンクール湖ではユルタ(パオ)に宿泊するとかで、中々いい経験をさせてもらった。キルギスの首都ビシュケクからタシケントまでの空路、タシケントからブハラまでの特急列車、みないい経験であったと思う。それまでの立ち寄り地点、昼食の場所等もとても気の利いたものであった。ブハラの遺跡、歴史建造物の観光、デナーショウ、シャフリサバスの民家での昼食、ティムールの関連歴史建造物、サマルカンドの観光、タシケントの観光、ホテル、レストランもみなよく設定されていた。この辺りは山田さんと現地旅行社の気配りである。おかげで実質11日間の旅行は長く記憶に残るものとなった。

計画の初期の段階からいろいろご協力、アドバイスをいただいた山田さん、またお世話になった現地旅行社の方々、ガイドとドライバーの皆さん、毎日細かく面倒見ていただいた添乗の志波さんに山想倶楽部の参加者を代表してお礼を申し上げる。

以下、参加者による分担で報告書を作成した。

 

630日(出発から)     髙橋 聰

  11:30に集合という事だったが、電車の時間の都合で11:00に成田に着いてしまった。時間が早すぎたのか、まだ誰も集合場所にいない。すぐに寺田夫妻がやってきた。少しすると旅行社の山田さんが来て日出平さんと吉永さんは既に荷物を預けたとの事だ。そうこうするうちに、横田。廣島、武田さんらも着いたので、山田さんの指示で荷物を預けて、現地で必要となる米ドルを両替し、出国手続きを為し搭乗口へと向かう。石原さんは少し遅れるようだ。少し待って居ると石原さんもボーデイングタイム30分くらい前に到着した。早速今回の旅日記をいつものように全員が日替わりで書く為の日割りを初日の今日は高橋、7/1日と2日は日出平さん、7/3日は吉永さん、7/4日と7/5A隊は寺田夫妻でB隊は高橋、7/6日は広島さん、7/7日は武田さん、7/89日は横田さん、7/1011日及び纏めは石原さんと決めて全員了承する。

 ここ成田より韓国の仁川迄2時間の旅で、そこよりカザフスタンのアルマテイ空港迄6時間要するようだ。13:50に成田を出発し仁川に16:20に到着する。仁川でも手荷物の検査が有り、乗り継ぎ場に行くのに30分くらい要する。アルマテイへのボーデイング迄30分程あるが、その間も話の尽きることがない。相変わらず賑やかなメンバーだ。17:30に搭乗ゲートが開き乗り込む。

カザフスタンの自国に帰る人達か、韓国や、中国人とは相違して日本人に良く似た人達が多い。持っているパスポートを見るとどうやらカザフスタンの人達のようだ。中央アジアはイスラム教徒が多いと聞いているので、地理的に中近東系の人種の人達が多いのかと思っていたら、モンゴロイド系の人達が多いようだ。これは後日キルギス人のガイドのジル嬢に確認したら中央アジアの多くの人は幼児期にお尻に蒙古斑があるとの事だった。

 18:00には搭乗予定者は全員乗ったようだがなかなか出発しない。1時間ほど遅れてやっとフライトだ。此処仁川よりアルマテイ迄6時間ほどかかるので、到着したら日本時間だと、もう明日になっている事だろう。22:25(日本時間1:25) アルマテイ空港に着き、本日から76日迄案内してくれるガイドのジルデイザイ嬢(通称ジル、キルギス人自国で日本語を勉強し、関西大学で一年日本語を勉強。時に上手く言葉の言い回しが出来ない時もあるが,言っている事は充分に理解出来る)の案内で、今宵の宿であるグランボヤージユホテルに24:00(日本時間am3:00)に着いた。

ホテルでは吉永君と同室になり、彼は部屋に入ると同時にベットに倒れ込み直ぐに寝てしまった。もう今の時間は日本時間だと7月1日のam4:00だ。この後の報告は日出平さんに委ねよう。僕も、もうお休みなさいだ。

 

7月1日 () 晴       日出平 洋太郎

昨日はカザフスタンのアルマティ空港からホテルへのバスの途中で日付が変って7/1になった。日本との時差はー3Hであるから、日本時間なら7/1未明の3時である。成田を午後出発はいいが、最後のしわ寄せがこれではたまらない。部屋割もボーとして聞き、直ぐ寝るも目が冴えて寝付けない。2時間ほど寝るも3時には起きて、無くなった胃袋に持参のお粥を補給する。

6時、散歩に出たら吉永さんと一緒になり、南のアラタウ山脈(天山山脈の支脈)の方を目指すも雪山は遠くて迫力はない。その山脈が明日から訪れるキルギスとの国境になっていて、その先にある筈の巨大なイシク・クル湖に思いを馳せる。アルマティは人口120万人、地下鉄もある大都市で、20年ほど前に首都を北のアスタナに譲っても、キャラバン隊が往来していたオアシスの頃からの交通の要衝であることに変わりはない。トロリーバスはソ連時代の置き土産だろう。地図を見るとこの国にバイコヌール宇宙基地があるのに気が付いた。あのガガーリン以来の宇宙飛行士はここ、カザフスタンから飛び立ったのだ。最近では日本の宇宙飛行士も皆この国のお世話になっているのだ。碁盤の目状の広い道路の両側には大きなアカシアの街路樹が並び緑の回廊をなしていて、自転車道、歩道もしっかり確保されている。目立つのは道路の脇に豊富な清水が音を立てて流れていることで、この豊富な水量だけが嘗てのオアシス都市の面影を偲ばせるものとなっている。

8時にホテルに戻って朝食。9時半、バスで日帰り観光に出発する。昨日がハードだったので今日は半分休養日でもある。ガイドの女性はジルさん、関大だか関西学院だかに留学経験があって、まあまあの日本語を話す。車は南に向かうが、10時、アルマティ公園の看板を見る。車はちょっとした谷を走るが、谷はアルマティ渓谷、川はアルマティ川と何でもアルマティである。谷を抜けるとロックフィルダム湖があって、これもアルマティ湖である。水は乳白色で奥に氷河でもあるのだろうか。10:40、川の左岸の車道を標高2,560m地点まで登って休憩する。眼下のダム湖は水溜りみたいでパッとしない。高瀬川渓谷とダムの方がよほど立派だ。今日は土曜日とあって、あちこちに家族連れが休日を楽しんでいる。アルマティ市民は、もはや遊牧の民を卒業して我らと同じサラリーマンなのだろう。

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ゼンコフ政教教会

車道は未だ上に伸びているが、上の建物までは行けないらしく、身近な所を登り下りして時間潰し。昼になったので弁当を頂戴してピクニック気分に浸るが量が多すぎて殆ど残す。

 

12:45バス発、市内に戻る。パンフィロフ戦士公園、ゼンコフ政教教会、カザフ民族楽器博物館、バザール等を見学して16時、ホテルに戻る。18時、夕食は車でレストランへ、ワインを頂く。19;45車発、20時ホテルに帰着。TVが点かないので、調整してもらう。

 

72 () 

今日は国境を越えてキルギスのカラコルまでの移動日である。途中の右手に見える筈であろうイシク・クル湖と、天山山脈の登山基地と云われるカラコルからの最高峰ポベタ峰がどう見えるのかが興味のあるところだ。

8時朝食。9時、ホテル出発、荷物は別の車で。高速道の料金は取ってないのか、払っている気配がないが、信号もなく快適な道路である。これが現在のシルクロードなのだ。11:20バザールで途中下車して西瓜を購入する。初めは東に行って、次に南下して国境を超えるものと思っていたが、どうも新しい道路が出来て、その方が速いと遠回りして走ってきたらしい。12時、昼食は食堂で。13時半、キャリン渓谷で途中下車して写真撮影。片側1車線でも2車線位の余裕がある。14:30ケゲニ通過。15:25国境着。旅券のチェックを受けたり歩かされたりで、30分ほど掛かり、キルギス側に渡り15:54車発、キルギスに入ってからの放牧は馬が多いように感じた。イシク・クル湖は遥か遠くに横一線の線状に見えるだけで捉えどころがない。17:45カラコルのホテル着。アルマティから429km8時間弱、疲れたわ。カラコルの人口は1万人と。夕食はホテルの食堂で18:30から20時まで。部屋はエアコンなし、POTもなし、何が五つ星だと思う自分と、ここを何処だと思っているのかという自分がいた。

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  キャリン渓谷で途中下車
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国境 放牧地

 

 

73日 ()                  吉永英明

(キルギス カラ・コル~コチュコルへ)

 9:00 キルギスの北東部、イシク・クル湖の東端近くに位置するカラ・コルのホテルの看板に、五つの星のマークが付いている「普通」のホテル、『カラ・ガート』を出発し、町中のドゥンガン(案内板にはDunganと表記)人のモスクを見学。私はドゥンガン人という名を寡聞にして知らなかったが、古い時代、今の中国・新疆地区からキルギスに移動してきた中国系のイスラム教徒(モスリン)の人たちの由で、ここキルギスの地方に秘めやかに暮らしている風情が伺われた。日本の仏教寺院を彷彿とさせる寄棟平屋の建物でモスク特有のドームも無い。続いて、木造のロシア正教会を見学し、バザールの雰囲気を味わった後、ジュデイ・オグス渓谷に向かった。渓谷入口の左岸に赤い奇岩を連ねた岩峰群を眺め、大きなザックのヨーロッパ系のトレッカーも見られる渓谷沿いのゆるやかな道を、ワイワイ・ガヤガヤと約一時間半のうるさいハイキングを楽しみ、昼食はユルタ(パオ)で「スカーシュ」(麺スープ)を摂った。

 昼食後、西方250kmのコチュ・コル村へ再びバスで移動。途中、旧ソ連時代のガガーリン宇宙飛行士が保養に訪れたというバルスコーン渓谷方面を眺め、タムガ村では先の大戦でソ連に抑留された日本人達125人が建設に携わったという頑丈な保養所を見学。旧満州(今の中国・東北部)から捕虜としてシベリアに送られ、さらに、この中央アジアへ移動させられた上、労働を強いられた歴史の重みを、日本人として改めて感じさせられたが、後年(2,012)この人達も再訪を果たし、当時お世話になった村人達と旧交を温めた写真もあり、ホッとさせられた。

 さらにバス旅を続け、18:25 イシク・クル湖南西方のコチュ・コル村の民宿ロッジに到着。道路反対側には、小さな遊園地が設けられ、多くの子供達が賑やかに遊んでいた。日本では保育園・幼稚園の新設計画があると、近隣住民から騒音と言われ、計画断念に追い込まれる事例が多いと聞くが、残念で情けない。夕食は近くのユルタで、キルギスの家庭料理を楽しみ、長いバスの旅の一日を終えた。

 今回の中央アジア3ケ国の旅では、カザフスタンは短期間の滞在の為、印象として残っている事が少ないが、キルギスは山国、ウズベキスタンは歴史の国という印象を強く持ち、特に旅行10日目の79日午後、ウズベキスタンのサマルカンドからタシケントへの特急列車での移動の際、綿花畑が続く平原に大きな太陽が沈むユーラシア大陸の日没を眺めることができた。旧満州に入植した人達が眺めた満州の広野に沈む日没の太陽は、こうだったのではとフッと思ったことが印象的であった。

 

月4日            寺田美代子

 9:00に出発し綺麗に舗装されているアスファルトの路を30分程進むと、ソンクール湖に向かう分岐から悪路となる。モルドアッシュ村の日干しレンガの家並みを悪路に揺られながら眺めて進む。10:05トイレ休憩をする。標高も2,800m を過ぎた辺りであったか、天山山脈固有種であるラシャカルーチカと言われていて、独特の形状をしているアザミが咲いていた。湖の湖畔に出てさらに悪路を進むと、今回世話になっている現地旅行社である、アクサイトラベル社の案内板が有り、12:45ソンクール湖畔のパオ群に到着した。ユルタ(パオ)の近くにベンチ、ブランコが造られ、紐の囲いにリボンが結ばれた可愛いお庭が造られている。10分後に昼食との事だ。食後は全員で湖まで色々な花々が咲き誇る中を散策したが、エーデルワイスのお花を踏まずに歩くのは大変難しい。14:35ユルタに戻り、午後から明日の夕方迄別行動の為お別れするB班と入念な打合わせを行い、15:05再会を約束しお見送りをする。

 この後は15:20よりフリータイムとなり、ゆっくりとした自然の中で、心静かに悠然と歩いているラクダに会ったり、見つけると幸せが叶うとも言われている四葉のクローバーを探したり、再び湖に向かい、清く冷たい、水と戯れたり、湖畔に幾つもある小石の中から形の良い物を探したりして、メルヘンチックな時と爽やかな風がたなびく3,000mの高地の大草原を体一杯に味わったのでした。

 7:00より夕食。ユルタに泊まれる事を考え胸がワクワクする。夜中に冷え込むといけないからと、ストーブに薪が入れられるが、暫くすると大変熱くなってきて、中に居られず外に出て体を冷やす。8:00頃より夕焼けが空に広がり始め、素晴らしい月も出ている。9:30 頃満点の星空を期待して外に出るが、なんだか空一面雲がかかってしまっている。遠くで誰かがギターをかなで、歌を唄っているようだ。ユルタに戻り寝袋に入り、歌声を聴いているうちに眠ったようで、気が付いたら周りは明るくなっていました。

 

月4日()  B隊      髙橋 聰

 昨日の現地の人の天気予想では、本日は一日曇り空との事だったが、朝5:00過ぎに目が覚めて外を見ると、素晴らしい天気だ。僕たちB(日出平、武田、広島、高橋の4)は標高3,000mの高さにあるソンクール湖の傍で泊まる事は無いので、合羽や冷気対策の品々は不用な感じだが念の為持参する事にしよう。本日の朝食は7:30からだ。昨日泊まった宿の食堂での食事だ。朝食はロシア式クレープの一つであるヴリーンやパン、乾燥果物、小さな熟れ過ぎたリンゴ(我々日本人には不美味だが中央アジアではこんなリンゴしかないようだ)オムレツ、紅茶等を食べて、全員用意が出来たので、9:00に今回の旅の目的の一つであるモルドアッシュ山(標高3,800m)の麓にあるソンクール湖に向けて出発する。ソンクール湖迄の所要時間は2時間程らしい、又ソンクール湖周辺は良く雨が降るらしく、昨日も雨が降ったらしい。ガイドのジル嬢の話では昨日泊まったコチュコルの街は99%がキルギス人で占められており、他の1%はウイグル人で公用語はこのキルギス国内では唯一キルギス語だが、一般的なキルギス人は意見を言い合う場合キルギス語、ロシア語(キルギスでの公用語)英語の2ケ国又は3ケ国語で話をしないと意見が通らないというよりも、互いの意思疎通に齟齬があるようだが、このコチュコルの街ではキルギス語のみで話が通じるようだ。9:30頃道路は西に向かいソンクール湖へと行く道に入るが、ここより未舗装の路となり車のローリングやピッチングが激しくなった。ソンクール湖への最後の村であるモルドアッシュの村を過ぎてから、御用のある人達の為に少し休憩をする。道は谷あいの中を通って行くのだが、川の近辺だけ灌木が生えているが、両岸には粘土質の赤い砂岩の山々が何処までも続いている。3,000m地点まで上がると放牧されている牛、羊、馬、ゾッキョ(牛とヤクの一代限りの交配種)の群れ群れが次々と現れてくる。また天山山脈固有種の草花も次第に見うけられるようになってきた。

 3,450mの峠を越えると直ぐにソンクール湖が見え、12:00頃ソンクール湖畔に着いたが、A隊の泊まるテントは例年峠寄りにあるそうだが、今年は国の割り当てで湖の反対側にあり、それから1時間ほど走りやっとキャンプ場に着くことが出来た。キャンプ場に着いたら直ぐに昼食となり、食後全員で湖畔迄散歩に行く、足元にはエーデルワイス、リンドウ、アズマギク、エリニギリス、ハクサンフーロ、グンナイフーロ等等の高山植物が咲き乱れており、それらの花々を踏みしだきながら歩いていくが、目の前に見えている湖畔になかなか到着しない。吉永君が早足で歩き、どの程度時間が掛かるか時計を計ると8分も要したようだ。暫く湖畔で遊ぶも時間となったのでB隊は未練を残して、残留する人たちと15:00頃別れて昨日の宿めがけて返り18:00頃宿に着いた。

明日は9:00に出発しチョンケミン谷と云う処迄3~4時間程車で走り、そこで僕たちB隊はハイキングや乗馬を楽しみ、チョンケミン谷のカルマック村にあるアッシュというゲストハウスでA隊と合流だ。今の時間は21:20やっと夜の帳も降りてきた。外をみると家は沢山あるのだが、灯の入っている家は意外に少ない。

 

 

日            寺田正夫

 標高3,000m、初めて経験したユルタで朝を迎える。am5:00起床。気温室内で12oC 外気7oC天空に金星が大きく輝き、とても美しい。西の彼方で稲妻が走るのが望遠され、不気味な空模様である。am6:00朝食、外はまだ薄暗い。am6:30車で登山口まで送ってもらい、10分程で到着する。さあ! いよいよ今回の目的の一つであるモルドアッシュ連山(標高3.800m)へ向けてトレッキング開始だ!!とはいえ、ここは3,000mの高地。流石に少し動くと息苦しい。一時間程で3,250m地点に到着し、ここで一休み。さらに50分位で3,450m地点に到着。ここでも一休み。登り坂を、休み、やすみ、ゆっくりと歩を進める。am8:40  3,500m地点に到着。苦しさもここまでだ。ゆっくりと写真タイム。と決め込む。此処は美しい花々が咲き競い、また壮大な景観に魅了される。この間に先頭は3.550m地点まで行っていた。しかし残念乍ら、ここでタイムオーバーとなり、ピーク迄1時間程の行程を残し、やむなく引き返すことにした。 am11:00ユルタ迄降りて来て早速に昼食となる。途中から引き返したとは言え、心に残る素晴らしいトレッキングであった。朝方気になっていた雨雲が近づいている。

正午前にアクサイ・キャンプの関係者の見送りを受けてソンクール湖を出発し、B班と合流予定のチョンケミン谷のゲストハウスに向かう。峠を越す前にとうとう雨になる。雨の中を大きなザックを背負ったヨーロッパのバックパッカーが1人よろよろ歩いている。ガタガタ道を3時間程下る予定・・・・なのだが、途中でバスのタイヤがパンクするというアクシデント発生。コチュ・コルの街で車の修理とか、なんやかんやで遅れること3時間超! 18:25に無事B班との合流に成功し、一緒に楽しく夕食を戴くことが出来たのでした。明日も、良い日でありますように。

この旅に参加して、ユルタ(パオ)に泊まるなど、貴重な経験をすることができました。

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ルクソーのパオ モルドアシュ山
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中腹から見る山頂 中腹から見るソンクール湖
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5合目くらい 八合目くらい、引き返して点
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キャンプ地さようなら  

 

 

()  B隊      髙橋 聰

午前5:30目が覚めて窓を開けて外を見ると、外界は既に夜が明けていて、遠くの山脈の彼方より日輪が顔を覗かせており、宿の近隣で飼われている雄鶏達の鬨の声がいつまでも賑やかだ。顔を洗いこの旅行で習性となりつつある朝の散歩を一時間程行う。この町は牧畜が盛んなようでアチコチの庭には、まだ青々とした牛や羊の飼料である干し草が山積となっている。朝食後8:45に荷物は別の車で運ぶとの事なので、必要な手荷物だけ持ち、本日の宿であるチョンケミン谷のカルマック村に向けて出発だ。9:102,100mの峠を過ぎるが、相変わらず粘土質状の砂礫岩が何処までも続いている。道路は片側一車線であるがしっかりと造られており振動は殆んど無い。高速道路では無いのに車は80~90k程度で走っており。対向車は殆んど無い。9:30頃突然車が停止してしまった。なんだろう前方にもかなりの車が停まっている。車を降りて少し前に行ってみると右側の崖から間断なく激しい勢いで落石が道路に落ちていて、砂塵が猛烈な勢いで立ち上がっている。対向車も止まってしまっている。どうなるのだろう。これでは通過出来そうもない。しかし他の車は何も騒がずにゆっくりとしている。暫く眺めていたら落石も落ち着いてきたようで、ブルドーザーで落石を片付け始めて通行できるようになった。(重機を置いてあるということはこの地点では良く落石があるのだろう)

 10:40に本日の宿泊所であるチョンケミン谷のカルマック村にあるゲストハウスのアッシュに到着する。宿の女将は日本に5年程居て、その間領事館に勤めていたとかで、流暢な日本語ができる。此処で一日ボーとしていても仕方ないので、カルマックアッシュに行く路を1.5時間程度カルマック村の高山植物等を楽しみながらウオーキングをして宿に帰り昼食とする。昼食をしていると雲が急に張り出してきて、今にも雨が降り出しそうになる。山に居る人達はどうしているか心配だ。昼食後大粒の雨がポツリポツリと落ちて来たが大した降りでは無く10分程度で止んでしまった。

 何もすることがない退屈だ。散歩にでも行くかと思い宿のドアをよく見ると、乗馬が出来ますと書いてある。宿の中庭に歩いていくと韓国人の一団が何やら興奮した様子でバスに乗り込んでいる。宿の裏手に行くと鞍を付けた馬が10数頭繋がれている。ガイド(ジル嬢はA隊についているので別のガイドで日本語は不可)に聞くと英語でしゃべっているので良く解らないが、何やら契約書がいるようで、乗馬をする行為は非常にデンシャラスでノーセフテイなので、乗馬はしてもらいたくないと言っているようだ。仕方ない乗馬は諦めるかと思い、宿に帰り女将に聞いてみると、あのガイドは乗馬が苦手なのでそのように言っているのだという。貴男がガイドに何があっても自己責任で実施するので、ガイド及び旅行社に対しいかなる責務も請求しないという誓約書を書けば良い事だと言うので、近くまで出かけたガイドが帰って来るのを待ち、何も書いてない白紙に適当に誓約書を書いて渡すと馬に乗ることが出来たのでした。

馬代15$でガイド料が25$だ。数人で乗ると一人当りのガイド代は当然安くなる。初めて馬に乗ったが、目線が高くなるので気持ちが良い。コースは村の中の路は全く知らないのだからガイド任せにするしかない。僕が乗っている馬の引綱をガイドの鞍に結びつけその後を着いて行くと、急な登りや下りに差し掛かると身振り手振りで体の動かし方を教えてくれる。10分程度歩くとそれらのコツも概ねマスターすることが出来、50分程度馬に揺られているとチョンケミン村が一番良く見えるという小高い丘の上に着いた。

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チョンケミンの里

なるほど素晴らしい眺めだ、村々が一望でき,泊まっている宿も見えるようだ。宿までは目測で2~3キロ程度あるだろうか。帰路は道を違え、幾つもの急な下りや、沢を横断して宿迄帰った。馬を降りたらなんだか膝が重い。膝で鞍を締めていたのと、鐙に力を入れ過ぎていたからかもしれない。

まだ17:40 だ。宿の女将がなにかもう一台の車は途中でタイヤがパンクしたのでタイヤ交換に手間取り遅くなると連絡が有ったので、夕食は19:00になるよと伝えてくれる。かなり時間がある。僕たちを送ってくれた車の運転手がお茶でもどうかと誘ってくれ、食堂に行き4人でお茶を飲んでいると、やがて見覚えのある車が見え、全員が揃った。19時より夕食は始まったのだが、ガイドのジル嬢が明日はお別れなので、ぜひこれを持って帰って下さいとフエルトで作られたキルギス特製の帽子を各自にプレゼントしてくれ、ゆっくりと今日一日の楽しかった行動を語りながら、夜も更けていったのでした。

 

 

月6日木曜日 快晴     廣島孝子

 

 今日はキリギス滞在最終日です。

長閑なチョンケミン谷に別れを告げ、ビシケクに向かいます。9時出発。

両側に山を頂いた谷合の道を走ること20分、漸く舗装された幹線道路に出る。サクランボ、杏子の樹が立ち並ぶ緑の多い街道である。又、道路と並行して鉄道線路もあり、以前はロシアとキルギスを結ぶ物流ルートとして重要な役割を担っていたようだが、この鉄道路線は時代の流れと共に現在は週3回通るのみになってしまったようだ。

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ブラナの塔

街道から離れ山間の道を進むと、荒野の真ん中にポツンと立っているプラナの塔に着く。11世紀初めに造られたこの塔はイスラム教徒達がお祈りをする所であり、以前は45mの高さがあったそうだが、1516世紀の地震で崩壊、20世紀になり、24mの塔に造り替えられた。しかし横から見ると少し傾いていた。

敷地内には10世紀から13世紀のカラ・ハン朝の首都のひとつバラサグンと推定される遺跡の填墓や礼拝堂の跡があるが、発掘は中断されたままである。

又キリギス各地から集められた沢山の顔を模写したほほえましい石人、トルコ語の石臼(9世紀に入り顔の像が禁止されたので)が混在して並べられていた。

プラナの塔から20分、またもやトランポリンに乗っているような悪路、両側には雪を頂く山並み、日本の安曇野を彷彿させる素晴らしい景観である。

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アクべシムの遺跡

間もなく、アラベシム遺跡に到着。西暦629年に三蔵法師がインドに向かう途中ここで突厥の王に会い、歓待を受けた事で知られている。しかしその割には保存状態が悪く、荒野に建物跡であろう穴が二三あるのみで、かつて此処に都市があった事を想像するのは、かなり難しく感じた。

緑の多い郊外から近代的ビルの立ち並ぶビシケクの町へ、財務省、ホワイトハウス等を車窓から眺めながら、昼食のレストランへと向かう。

日差しの強くなった午後はクーラーの効いたソム百貨店にてホッと一息。

1530分ビシケクのマナス空港へ。ウズベキスタンの首都タシケント迄は20分のフライトであるが、パスポート、税関検査等に思いのほか時間が掛かり1930分漸くタシケントに到着する。

夕食はホテルの近くのレストランにて、明日一足先に帰国される日出平さんのお別れ会と添乗員の志波さんの誕生日を祝ってカンパイ!

二人のYさんのビールで遅くまで盛り上がり、22時ホテル着。

盛り沢山の一日、お疲れ様でした。

 

日           武田鞆子

今日は77日、ウズベキスタンでの2日目、日本では七夕様の日です。今日はウズベキスタンの首都のタシケントからブハラに向かう。駅で暫く電車が来るのを待つが、駅構内に入る時に簡単な持ち物検査をさせられる。ウズベキスタン新幹線とでも言いたい立派な列車に乗り込む、列車は全て指定席のようで、この列車はスペイン製で時速160kも出るらしい。お茶とお菓子のサービスも有り、やがてお土産等も売りに来る。

 移り変わる車窓の風景が、バスから見るのと違い、見慣れない景色で楽しめる。2時間でサマルカンドに着き、多くの客が乗り降りをしている。此処は明日の夜には私達も観光に戻る予定の街だ。サマルカンドを過ぎて又2時間程で目的の街ブハラに着いた。迎えのバスに乗り今夜のホテルに荷物を置き、歩いて直ぐのレストランで食事をする。メニューはサラダ、スープ、焼き鳥ライス、ケーキと紅茶のランチを戴き、その後又バスに乗り観光に出る。スィトライ・マヒ・ホサ宮殿『月の星とも言われている美しい宮殿で、庭には多くの孔雀が放されており、併設されている博物館には、世界各国より送られた見事な壺が陳列されていた』、隣にあるブハラ・ハンの夏季専用の宮殿等の見学、ここでガイドよりイスラム教のハラルとハラムに付いて『ハラルとはイスラム教の教えでは許された物や行為であり(例として1夫4妻)、ハラムは反対に許されていない物や行為(4妻以外の愛人)』と教わる。その後中央アジア最古のイスラム建築と言われているイスマイール・サマニ廟イスラム初期の建築様式の霊廟で892年から943年にかけて造られ、中央アジアに現存する最古のイスラム建築。9世紀の終わりにブハラを占領して都としたサーマーン朝のイスマイール・サマニが父親の為に建てた霊廟で、後に彼も、そして彼の息子も葬られてサーマーン朝の王族の霊廟となる。モンゴルによって街が破壊しつくされた時、マゴキ・アッタリ・モスクと同様に殆どが土中に埋まっていて、破壊を免れたといわれていて、1925年に発掘された。日干しレンガを積み重ねた壁面に丸ドームを載せただけの単純な構造だが、丹念に積み重ねられた日干しレンガは様々な模様を形作り、また日差しの加減によっても様々な顔を見せているらしいに行く。この廟は反時計回りに3回ほど周回すると願い事が叶うと言われているので、全員面白がって体験した。その後ブハラで一番高い塔であるカラーン・ミナレット『1,127年に建設されたブハラのシンボルで、ブハラの支配者の権威の象徴になっており、かつてはカラーン・ミナレットの上に明かりが灯され、砂漠を渡る隊商の道標にもなっていたと伝えられていて、19世紀後半迄は罪人を生きたまま袋に入れて塔の上から投げ落とす刑罰が行われていた為、カラーン・ミナレットは「死の塔」の別名でも知られるようになったようだ』や隣接するカラーンモスク『一万人もの人が同時に礼拝できるという』等をゆっくりと見学した後、ガイドに刃物加工の工房に案内され,鋏を購った。鋏はスッキリと切れるし、鳥の形というのが面白い。夜はダンスを見ながら食事を摂れるレストランに案内され、民族舞踏や少女達の踊り、スタイル抜群の女性たちによるフアッションショー的なもの等それぞれに皆楽しんでいたようだ。これで本日の観光はすべて終了し、明日はサマルカンドに戻ることになる。サマルカンドはチムール帝国時代首都であり、モスクのブルーの玉ネギ頭を見るのが楽しみです。

 

日           横田昭夫

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民家で昼食

「ブハラ~シャフリサブス遺跡探訪~サマルカンド」

 “聖なるブハラ(ブハライ・シャリーフ)あるいはサンスクリット語で「修道院」を意味するブハラは、中央アジアのみならず、イスラーム世界全体の文化的中心地として繁栄を誇った町といわれるが、昨夜の舞踏や音楽はその一端をあらわすものと感じた。

専用バスにてホテルを出発し、ティモールの故郷キャシュ(現在のシャフリサブス歴史地区)に向かう。約280kmの行程。バスの中でガイドのトウルキン氏は、1991年ソビエト連邦崩壊後、ウズベキスタンが独立による国家樹立・国民の生活・経済などについて盛んに話をしてくれたが、建国26年と若い国だけに今後の発展への期待を十分に感じた。

途中、車から眺められる景色は木々の見られない荒涼とした砂漠ばかりと思っていたが、道路の両側には樹木が青々と茂り、どこまでも続く平野は放牧と畑作の農地となり、本による知識で考えていたのとは、かなり違っていた。これらは運河による水によって、灌漑が十分行われていることがうかがわれる。放牧地にはユーラシヤ希少の馬が遊び、アジア開発銀行等の出資により、国策として建て売りされている同じ規格の家が立ち並んでいるのが、あちこちに見られた。これはチベットで中国共産党がチベット統治対策としてやっていた、外見の悪いチベット人の家から、日干し煉瓦作りの画一した家の推奨とよく似ていると感じた。

これから訪れるシャフリサブスの名を歴史に留めるのは、この地で生まれた英雄ティムールの存在である。ティムールは1336年この地方を収める豪族の家に生まれ、中央アジアを代表する軍事的天才と評価され、中央アジアから西アジアにかけて、かってのモンゴル帝国の半分に匹敵する帝国を建設した。ティムール朝の建国後も故郷・シャフリサブスを忘れず首都サマルカンドに決して引けを取らない壮大な建築群を建設した。

12:40人口15万人のシャフリサブスへ入り、昼食は庭園の綺麗な民家で家庭料理をいただく。

 

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アク・サライ宮殿

昼食後、ティムールが残した最も壮大な建造物といわれるアク・サライ宮殿跡(白い宮殿)を見る。今は入口アーチの残骸だけが残っている。

 

 

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ティムール像

ティムール像、ティムールの父が眠るドルッティヴァット建築群、ティムールが葬られるはずであったドルッサオダット建築群などを見学する。見学後、15:30ころ専用バスにて出発し2時間半を要して中央アジア魅惑の中心都市サマルカンドに入る。サマルカンドは人口38万人、シルクロードのうちでも西側の拠点として栄えた都市である。18:07サマルカンドのホテル到着。19:0020:30レストランにて夕食をとる。水餃子、串焼き、サラダ、アイスクリームなど。

 

今日の最高気温は44℃とのこと。湿度は低いものの,地面より照り返す暑さはとても体験の記憶とかけ離れたものだった。ウズベキスタンの建物や看板、あるいは案内チラシの国名表示の頭のOとUの違いはウズベキ語のO`Zbekistonと英語表記もしくは通称のUzbekistanであることを確認した。

 

7月9日    横田昭夫

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ビビハニム・モスク

「サマルカンド遺跡探訪~タシュケント」

今日は終日、サマルカンドの遺跡を探訪し、夕方、特急列車で首都タシュケントに戻る。

サマルカンドはステップ気候から地中海性気候への移行部特有の抜けるような青空とモスクの色から“青の都”、“イスラーム世界の宝石”、“東洋の真珠”などと呼ばれ、常にシルクロードの中心都市としての道を歩んできた。

 

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レギスタンス広場

 

 

 

 

 

 

ティムールがインド遠征から帰って5年間で造り上げたいわれるビビハニム・モスクを見学する。サマルカンド色(青)の輝きを見せるこのモスクの巨大さに圧倒される。近接するジョブ・バザールに寄る。さまざまな豆類・果物・野菜・お菓子などから日用品雑貨を求める人々の往来で賑わっていた。シャーヒズインダ廟群はアフラシャブの丘の南麗にあるサマルカンド随一の聖地。ティムールゆかりの人々の霊廟が立ち並ぶ“死者のとおり”で、10廟をかぞえる廟群には巡礼に訪れる人の絶えない場所といわれるように人通りが絶えることはなかった。

 

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グリ・アミール廟

昼食後レギスタン広場へ。レギスタン広場では2年毎に50数か国が参加して行われる東洋音楽祭のリハーサルをやっているため空き時間の訪問となった。金色の内装のテイラカリ(金箔された)・メドレセはその名の通り内装の修復に金を3㎏も使ったという礼拝所は息を飲むという表現にふさわしい神々しさであった。つづいてウルグベク・メドレセ、シェルドル・メドレセをみる。シェルドル・メドレセでは桑の木や鯉の皮、牛の心臓の皮などでできた楽器の演奏を聞く。メドレセ(神学校)は使われておらず、土産物屋として利用している。神学校(メドレセ)はキリスト教では主にキリスト教の神(神学または宗教学)について学び、次世代の教育者を養成・訓練するための教育機関を指す言葉として使われ、一方、イスラーム教でもイスラームの教えを学ぶ教育機関を指す訳語として「神学校」を用いられ実際に使われていたが、ソ連時代にも唯一活動していたのは、ブハラのミル・アラブ・メドレセだった。ここウズベキスタンでは神学校として使われている処は殆んど無かった。

 

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シャーヒズィンダ廟群

専用バスで移動し、グル・アミール廟へ。グル・アミールとはタジク語で“支配者の墓“という意味。ティムールを始め、彼の息子たちの眠る霊廟である。我々が見ることのできる廟の中にある石棺は墓石のみで、亡骸はこの地下3mにある墓室に葬られている。

スーパーマーケットに立ち寄り、お土産を見てサマルカンド駅へ。18:00発の特急列車に乗り約2時間でタシュケントへ20:12到着。バスにてホテルへ移動。20:50~22:45夕食はホテルのレストラン、肉だんごと麺スープ、牛肉クリーム煮とジャガイモ、サラダ、アイスクリームなど。今日の最高気温は43℃とのこと、やっぱり熱い。

 

 

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タシケントからブハラ行き列車

7月10日    石原達夫

中央アジアの旅としては、今日が最終日となるタシュケント市内の見物である。

タシュケントはウズベキスタンの首都であり、地下鉄網も整備された近代都市である。その政府機関、金融、商業、鉱工業の本社や外国窓口機関もここに集まる。とはいえシルクロードの中心都市であるため、旧市街を中心に沢山の遺跡、復元されたモスク、メドセレ、廟が存在する。昨日はホテルチェックインが遅かったのと、今日が旅行最終日で、夕刻にはこのままフライトに乗るというスケジュールのため、朝の支度の時間も入れ、出発は9時30分となった。

既にブハラ、サマルカンドで沢山のモスク、メドセレ、廟等は見学しているので、タシュケントではまだ見ていない類の観光ポイントを見ることになる。

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金曜モスク

先ずは宗教施設の集まる旧市街の中心地で、巨大なタシュケント金曜モスクやメドセレが集まるハズラティ・イマーム広場に行く。ここでの見学は旧メドセレの建物を利用したコーラン博物館である。館内中央にはティムールがダマスカスから持ち帰ったという、7世紀に書かれた世界最古のコーランであるオスマン・クラーンが展示されていた。ムハンマド(モハメット)が神の啓示を受けてイスラム教を発祥させたのが610年ころ、拡大を図って拠点を移動させたのが(へジュラ)622年、ムハンマドが逝去したのが632年という7世紀の出来事からすると驚くべき古いコーランである。嵩のはる羊皮紙に書かれた分厚いコーランは、異教徒である私らにとっても神秘的かつ威圧的ですらある。

 

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クケルダッシュ・メドレッセ

次に訪れたのがチョルス―・バザール、美しい屋根に覆われた巨大なオープンマーケットであり、各種の食料品が整然と並べられている。ここでは危ないかなと思いながら、手絞りのブラックベリージュースを飲む。ついで訪れたのがクカルダシュ(ハンの乳兄弟)・メドセレ、現存の由緒ある神学校である。1950年に修復されたが、一部16世紀のモザイクが残っている。この神学校は国費による教育が行われている高校レベルの学校である。美しい中庭の片隅には夏期講習を受けるための申請に来た多数の学生たちがいた。昼食はオマー・カヤムというアート・レストラン、民芸調の落ち着いた感じの内装で、食事はチキンカツ、野菜スープに粟おこしというようなものであった。

午後の目玉は、ウズベキスタン歴史博物館見学であったが、月曜日ということで残念ながら休館であった。移動中の車窓から見た抑留日本兵士が作ったナボイ・オペラ・バレー劇場はまだ現役であり、バレーかオペラの公演を示す華やかな垂幕で飾られていた。次に平山郁夫ゆかりの旧ハムザ研究所も訪れたが、既に画伯の絵画はなく、近代絵画の展示館になっていた。ただ地下室が出土品の展示場になっていて、6~7世紀の土器、9~10世紀のガラス器、修復された10~11世紀の工芸品などを美人の学術員が説明してくれた。未だ時間があるので、貴族の館を利用したタシケント民芸美術館を見学した。中庭ではイケメンの青年が上質の民芸品を商っており、最後の土産品を買う。ここまで長時間、高い気温のところを歩いたため疲れてしまったので、ウズベキスタン・ホテルといういかにも旧ソ連タイプのいかめしい外観のホテルのロビーで休む。ホテルには結婚披露宴に出るのであろう、美しく着飾った花嫁花婿、親族、友人たちが楽しそうな様子で集っていた。

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旧レーニン広場に建つティムール像

まだ元気なメンバーはホテル前のティムール広場の中央に立つティムールの騎馬像を見に行く。この後、豪華な劇場のようなキャメル・クラブで夕食を済ませ、いよいよタシケント国際空港に行く。効率の悪いセキュリーティチェックが幾つもあり、空港で全員がチェックインするまで結構時間がかかった。

こうして各自さまざまの感慨を抱いて、灼熱のシルクロードの旅は終わった。

以上