お知らせ山想倶楽部

■ 2018.07.29

栗駒山登山と平泉中尊寺見学(山想倶楽部)

栗駒山登山と平泉中尊寺見学

髙橋 聰

参加者 石原達夫、吉永英明、下河辺史郎、髙橋 聰 4名

7月8日

東京駅に行くと既に下河辺君がザックを置いて順番待ちをしている。吉永君も直ぐに現れ、俺は指定席でゆっくりとしていくと言って、中尊寺近辺の案内図をコピーしたものを置いて、己の列車の方に行ってしまった。石原さんはいつものように指定席のようだ。

電車は車内掃除が終わると、発車5分前位にドアーが開いたが、今日は日曜日なのに、並んでいる人が少ないのでガラガラだ。下河辺君と二人だけなのだが、空いていることを良い事に、三人用の席に座る。誰も来ないように真ん中の席に何か小物でも置いておこう。

東京駅を定刻の11:36分に発車して、一ノ関に定刻の14:10に着いたが、所要時間は2時間と34分。昭和30年の中学3年時、修学旅行で中尊寺見学に来たことがあるが、あの時は夜行列車で朝着いたと記憶している。時代の変遷というものは隔世の感というよりも、只驚愕するばかりだ。下河辺君も同じ中学なので一年後同じコースを回っている。二人とも実に60年の時代を経て未来へタイムスリップしている感じだ。

一ノ関駅から本日は栗駒山の登山口である須川温泉までバスは行っているのだが、明日の平日は道路工事の為バスは不通との事なので、帰りの交通手段がない。石原さんが事前に予約していたレンタカーを借り受け、昨年、秋田駒に行った時石原さんが山道を運転していた時、なんだか目が回ると言って運転を変わったことがあるのを思い出し、高橋が一時間半程運転して須川高原温泉に到着する。

この須川温泉の特徴は日本でも非常に稀有な強酸性のミョウバン緑ばん泉との事で源泉は直ぐ上の200メートル付近から摂氏49度で毎分6,000リットル近く湧出しているとの由。内湯は少し熱めだが、僕には丁度良い具合で、野天風呂はかなり熱く長く入って居られなかった。だが翌朝入った時は丁度良い具合であった。湧出時は透明感があるが、湯船に貯めておくと時間と共に硫黄分の酸化が進み白濁してくるようだ。

 

7月9日 (曇り)

本日の朝食は7:00からだ。いつものように5:00頃には目が覚めてしまい何もすることが無い。仕方ない時間潰しにせっかく温泉に来たのだから、温泉にでも入って時間潰しをしよう。といってもあまり長い時間入っていると、本日は少し山を歩かなければならないので、長湯をして疲れが出てもいけないので、適当なところで妥協だ。

昨日はお湯が白濁していたが、今朝は透明である。この原因は恐らく今朝早く湯船のお湯を抜いて掃除したので、温泉に含まれている硫黄分の酸化が進んでいないせいだろう。口に含んでも所謂硫黄分やその他の成分が薄いようだ。

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源泉噴出口

朝食後8:15に全員揃って出発する。宿の後ろの階段を歩いて行くと直ぐに源泉が噴出している。名残ケ原近辺迄は先行する石原さんや下河辺君の先行隊に着いて行く事が出来たのだが、次第にその姿も見えなくなってしまう。急いで行ってひっくり返っても何にもならない。今日の時間はたっぷりとあるのだ。後ろにいる吉永君も呼吸器を痛めているので、高橋慌てないでゆっくり行こう、無理は禁物だと言ってくれている。

名残が原では木道の両端にキンコウカが一面に咲き誇り、所々にイワカガミや、又白く可憐なイワヒゲが其処ここに咲いている。色々な花々を愛でながら、昭和湖(昭和19年の噴火で出来た湖)に9:35着。やっとここで一休みだ。此処は景色もすこぶる良く、広く平らな所で、とても気持ちが良い処だ。

この昭和湖の湖畔に設置してある案内表示板によると、天狗平迄40分とあるので1時間もあれば何とか行けるだろう。

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名残ガ原   昭和湖
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栗駒山の頂上

だが、この先は何だか急な登りが続いていそうだ。登山道の両側に繁茂している少し時期もすぎた感もある、ウラジロヨーラクの落花を踏みしめながら、黙々と歩いていると、背丈より高い藪が両端より迫り,小蠅やブヨのような虫の大群に悩まされながら、急坂を上って行くこと小一時間で、急に前方が開けたら、石原さんと下河辺君が降りてきて、もうすぐ天狗平だと教えてくれる。やれやれだ。天狗平で又小休止して水分の補給を行い、ここより頂上までは登りらしい登りは無く、距離にして凡そ800m、時間にして20分程度で行けそうだ。後少し頑張らなければ。栗駒山の頂上には11:50着。一の関近辺の小学生のグループ80名程が5名の引率者に導かれて宮城県側のいわかがみ平登山口から登って、少し前に着いたらしく賑やかだ。4年生なの、それとも5年生かと聞いたら、全員5年生で今日は3クラス全員参加で遠足に来たとの事。引率の教師が記念写真を撮るぞと行ってもなかなか全員集まろうとしない。写真一枚取るのに10分程度かかっていたようだ。

僕たちはその間ゆっくりとお昼を食べて、子供たちが写真を撮り終えたところで、栗駒山山頂(1.627m)の標識の所で近くに居た人に依頼して写真を撮って戴き下山に罹った(12:30)。下山路は登って来た処を降りてもつまらない。当初目標としていた産沼から三途の川に降りる産沼コースを降りて行くが、この道が降り始めたら、背丈を超す熊笹や藪で覆われていて、その上かなりの急坂なので、藪をかき分けても、何所に足をおいて良いか判らない状態なので苦労する。何とか産沼(1.378m)迄降りてきてほっとするが、ここからも又周りが全く見えず、どこを歩いているのか解らないような道が続き、三途の川で、清冽な水を楽しみ、再度何処に出るのか解らないような道を歩くこと10分程で苔花台にひょいと出て(14:30)安心したのでした。此処で一休みしていると石原さんより、今何処にいるのだと電話が有り、15:00迄には降りて行くよと連絡し丁度15:00に須川温泉に着いたのでした。この道は歩いた靴跡も幾つかあったが、あまり推奨できる道ではありません。

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須川温泉

須川温泉に着いたら未だ4人だけでの写真を撮っていなかったので、傍にいる人にお願いして、撮って戴き、直ぐに車に乗り15:30頃出発し、花山ダム経由で17:30には一の関に到着してレンタカーを返却して、栗駒山登山隊は解散致しました。

 

7月9日  平泉見物物語

これからは番外編だ。17:30頃に栗駒山登山隊は解散し、早速予約してあった一ノ関サンルートホテルに投宿し、18:45にロビーで待ち合わせとして一の関の夜を楽しみに出る。

駅周辺の飲食店を探すも、本日定休日と書かれた店が多く、又店舗も少ない。何とか一軒赤提灯が出ていたお店が有ったので、そこに潜り込み2時間程飲食を楽しんだ。

一ノ関サンルートホテルの朝食は6:00より食べられるとの事だが、明日中尊寺に行く為の東北本線の時間を調べると07:51・08:58・10:21とある。平泉迄は2駅なので7分ほどで着いてしまう。何も考えることはないか、08:58で行けば丁度良い事。これで行けば明日は早めの時間に帰宅出来るだろう。

この時間より割り出すと明日の朝食は7:00~にする事にして、全員と言っても他に2人居るだけだ。取敢えず明日の朝食は7:00で、出発はロビー集合8:20と決めて今日の一日は終った。

 

7月10日

3人とも目覚めが良く(3人とも古希ならぬ喜寿を迎えた爺様だ)7:00にロビーに集合して朝食をゆっくりと摂り、約束の時間に荷物を持ちロビーに集合する。

平泉駅に着いたら駅前にレンタサイクル店が有り、歩いて回るとかなり時間が掛かりそうなので、早速借りることにする。自転車は普通の自転車と電動自転車が有り、多少の坂道も有りそうなので、3人とも電動自転車を借りることにする。このレンタサイクル店にザックを預け、店の主人の説明では、源義経終焉の地である、高館義経堂を最初に回って、それから中尊寺に行き、最後に毛越寺に回ると3時間程度で回れると言うので、そのルートで回ることにする。全員初めての電動自転車だが使ってみると、自転車本体は少し重たいが、坂道も軽く上がって行くので非常に楽だ。

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義経堂

高館義経堂に挙がると眼下に北上川が滔々と流れ、その先には東稲山が望め、その東稲山には大の字が認められ、大文字焼きが実施されているようだ。この義経堂は1683年に仙台藩主第4代伊達綱村公が義経を偲んで建てた義経堂が有り、堂内には堂創建時に木造で製作された義経公の凛々しい武者姿が本尊として祀られていた。又俳聖・松尾芭蕉が門人の曽良を伴い元禄二年(1689)旧暦五月十三日(6月29日)に、平泉を訪れた時高館に立ち、眼下に広がる夏草が風に揺れ光る様子を眺めた芭蕉は、百年に渉り平泉文化を築き上げた奥州藤原氏の栄華や、この地に散った義経公の事を思い『夏草や 兵共が 夢の後』の

名句を詠んだと言われている。

次に中尊寺に行き、中尊寺の入口である中道の手前に自転車置き場が有ったので、そこに自転車を置いて、結構な坂道を上がる事8~10分位で宝物等が展示されている讃衡蔵の入口で、讃衡蔵と金色堂の両方を見学できるチケットを購い,先ずは讃衡蔵(2000年に建造された中尊寺の宝物館.奥州藤原氏の副葬品等三千点を超える国宝・重要文化財を収蔵し、展示室では仏像・仏具、各種の経典・書画や副葬品等を展示。『讃衡蔵とは藤原氏3代清衡、基衡,秀衡の(衡)の偉業を讃える宝蔵の意』を拝見させて貰い、見事に書かれた中尊寺経(紺紙に金字行・銀字行を一行ずつ交書した藤原清衡公発願の「金銀字交書一切経」や変化に富んでいる見返し絵が貴重であると言われている藤原秀衡公発願の「金字一切経」)、や国宝である金銅華鬘を拝見させて貰い、昭和40年に旧覆堂より新覆堂に5年の歳月と共に金箔を7kgも使用して修復し移築された金色堂をゆっくりと見学させて貰った。この隣の建物で金色堂の修復の様子をビデオで詳細が説明されているので、それをじっくりと吉永君と二人で見ていると、途中で下河辺君より今何処に居るのだと電話が有り、外で待って居るから出て来いとのご託宣なので、仕方ない。又その内此処に来てじっくりと聞くことにして、中尊寺見学を終了したのでした。

月見坂を上がって来る時は些か、呼吸も厳しかったが、下りはなんということも無く、5分程度で自転車置き場に着き、次の目的地である毛越寺に向かったのでした。

自転車を漕ぐ事10分も掛からずに毛越寺に到着する。

この毛越寺は藤原氏2代目である基衡により建立され、この面積は、平地7町歩、塔山15町歩、合わせて22町歩(66,000坪)程有り、全盛期には金堂(本堂)の円隆寺を中心にして堂塔四十余字,禅坊五百余字が建ち並び伽藍の荘巌さは吾朝無双と言われていたようだ。創建時の建物は火災の為総て焼失してしまったが、当時の堂宇・回廊等の基壇や礎石、土塁は良好に跡を留め、平安の伽藍様式を知る上で、貴重な遺構として保存され、伽藍の旧状を伺い知る事が出来る事から、すべてが国の特別史跡、特別名勝の二重指定地となっており、又大泉が池を中心とする浄土庭園は日本最古の作庭書『作庭記』の思想や技法を伝えている池庭で、背景の塔山と共に自然を象徴する景観をもって仏堂を荘厳し浄らかな、仏の世界を作り出していると言われているそうだ。

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毛越寺のアヤメ

丁度この時期はアヤメが手入れ良く咲き誇っており、心を豊かにしてくれました。

過去にこの平泉に来られた方たちも、再度中尊寺の金色堂を拝謁し、この毛越寺で京都や奈良と相違した雅の思いにふけるのも良いかもしれませんよ。

この毛越寺を一回りしたところで丁度昼時となりました。お腹も流石に鳴ってきたようだ。駅の横に蕎麦屋が2軒あったので、そのどちらかに行き蕎麦でも食べよう。駅まで帰り自転車を返してから、蕎麦屋さんを覗くと一軒は定休日、あと一軒はお店の暖簾は架かっているが準備中の札。貸自転車屋さんの親父に、この近くで他に店は無いのと聞くと、準備中の札が掛かっている店に交渉してくれると、今から団体が来るので、準備中の札を出していたのだが、いいですよと受け付けてくれ、平泉の蕎麦を戴いて、今回の旅も無事に終わったのでした。