お知らせ山想倶楽部

■ 2018.11.25

錦秋の北陸の山と歴史の旅(山想倶楽部)

錦秋の北陸の山と歴史の旅

記・横田昭夫

期 日: 2018年11月14日~16日

目的地: 1)一乗谷朝倉氏遺跡

2)白山信仰の山 (たけ)競山(くらべやま)

3)雨の宮古墳群見学・気多大社参拝

 

参加者: CL高橋 聰、SL菊池武昭、世話役⁼武田鞆子、吉永英明、下河邊史郎、

醍醐準一、日出平洋太郎、田中恵美子、横田昭夫 9名

 

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一乗谷朝倉氏遺跡

11月14日晴れ

今回の北陸の山旅はルート変更等紆余曲折を経て実施となった。

福井駅集合ということなので、高山線のワイドビューに乗るも鵜沼駅で側線に入り停まってしまった。東海道線で人と電車が接触したとかで、次の停車駅の岐阜駅のホームが空くのを待つらしい。この電車の運行は全くわからないという。駅員は岐阜方面へ行くのなら私鉄で行くよう勧める。良く判らないが、とりあえず岐阜まで行き、「しらさぎ3号」に乗ることとする。

「しらさぎ3号」は岐阜駅に70分遅れてやってきた。「しらさぎ3号」に乗って直ぐ、武田さんから確認電話が入る。米原駅に着くと東京組のメンバーが待っているのが判る。沢山の乗客が居り、通路に立つ人もいたので、敢えて皆に会いに行くのを止める。聞くところによると、吉永さんも人身事故の為、稲毛駅で80分程待たされ、先ほど米原に着いたようだ。福井駅に約80分遅れの12時25分に着く。福井駅に降り立つとメンバー全員の確認ができ、レンタカー店へ行く。レンタカーの契約を済ませたところで、お昼もかなり過ぎており、とりあえず腹ごしらえをしてからということになり、道路向かいのお店まで歩いて行きそれぞれ昼食とする。レンタカー店の都合で2台の車に6人,3人と別れて乗車する。今日の目的地、一乗谷朝倉氏遺跡に午後2時ころ着く。予定時刻の2時間半も遅れており、一乗城山に向かうのは無理と判断し、朝倉氏遺跡を丹念に見ることとする。復元された街並みを見て歩き、往時の武家屋敷の構造などを知る。一乗谷川を渡り、唐門をくぐり、義景館跡と館跡庭園を見る。ここは第5代当主朝倉義景が住んだ館跡で、三方は土塁と堀で囲まれており、常御殿、主殿、会所、茶室、日本最古の花壇それに台所、厩、蔵まで配されていた。この朝倉氏の遺跡を見て朝倉氏は天下に号する気概がなかったのではないかと思った。一乗谷は南から北に向かって一乗谷川が流れ、北を除く三方を山に囲まれた温暖で平坦なこの地にあれば、争いより典雅な生活を重んじたのではないかと思われるが、如何であろうか。遺跡の見学を終え、丸岡温泉たけくらべへ向かう。入浴・食事までの時間を利用して11月の例会を行う。

 

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丈競山(左南峰、右北峰)

11月15日晴れ

今日も良い天気でまさしく小春日和だ。丈競山登山口の龍ケ鼻ダムへのルートが判らなくナビに登録できない不都合なところだ。龍ケ鼻ダムは高さ79.5メートルの重力コンクリートダムで竹田川および合流先の九頭竜川の治水、坂井市・あわら市の利水と水力発電を目的とした多目的ダムとのことらしい。龍ケ鼻ダムに架かる龍ケ鼻橋を渡り少し行くと左側に「丈競山登山口」の標識を見る。林道から付けられた登山道は急な狭い階段が続いている。又階段はツルや草に覆われ、あまり使われていないように見えた。登山口から少し先に行ったところにある壊れかけたログハウスの前に駐車する。ここで支度をして先に見た登山口から山へ入る。170段ある急登の階段は、ゴソバ葛や雑木の藪と杉の枯れ枝や杉葉に覆われており、下りを考えるとただ登るわけに行かず、それらのものを取除きながら行くので、時間がかかるばかりである。階段を上り終えると尾根歩きとなり、傾斜の緩いところや急なところも現れて通常の山道となる。山道は殆んど手入れがされてなく、藪道となっている。山道も踏まれていないのは明らかで、ふかふかの状態だった。本日の行程の半分位の所まで来た所で南・北丈競山の展望が開けた。だが予定時間を大幅に超えており、残念ながら登頂には時間が足りないとリーダーの判断で下山とする。H氏の足元が危うく、急坂を下るのにかなり心配であったので、補助網で安全を確保し下山する。ログハウス前の駐車場で遅い昼食をとり、富山湾の西南の首根っこに位置する高岡市雨晴海岸へ向かう。

 

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雨晴れ海岸の日の出(日の出の左側が剣岳)

11月16日晴れ

早朝、雨晴海岸に立って劔立山連峰から登る日の出に身を清められる。劔の右、別山のあたりから出た光線は、そのまま富山湾に一瞬光の道となって輝いた。

海岸へ軽トラで来ていた地元のおじさんと少し話をする。「釣りに来たのだが、いるかが湾内に入ってきて魚を追っているので今日はだめだ」。「日の出は劔の横から出るがまだ早い、今時分は6時半前だな」とのこと。今年の富山のぶり漁について予想を聞くも「どうかなー」とだけしか返ってこなかった。ちなみに、すぐ左の取手では烏賊が上がるとのこと。朝食後、石川県中能登町の雨の宮古墳群に向かう。雨の宮古墳群は、眉丈山(標高188m)の山頂を中心に、4世紀の中ごろから5世紀につくられた36基の古墳群で、平成4年から5ケ年に渡り発掘調査を実施し、1・2号墳の外形が見られ古墳の上を歩けるようになっている。1号墳が前方後方墳、2号墳が前方後円墳で、この古墳の被葬者は、古墳の規模・副葬品の内容から、いずれも能登一円に支配権を及ぼした人物と推定している,

 

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1号墳を下から撮影(右側が前方墳、左後方墳)

「雨の宮能登王墓の館」にて古墳群の成り立ち・歴史・出土品の説明を受けた後、長い階段の道を歩いて最高所雷の峰の1・2号墳を見学する。1・2号墳以外の古墳は円墳が多数存在するが5・6・7号墳のみ発掘されている。

雨の宮古墳群を見後は、羽咋市寺家町の能登国一宮「気多大社」へ行く。気多大社は神社本庁に属さない単立神社だが、この単立神社に至るには平成17年(2005年)11月から平成22年(2010年)4月までの神社本庁と最高裁まで争った経緯がある。社伝によれば第8代孝元天皇の御代に祭神の大己貴命が出雲から300余神を率いて來降し、化鳥、大蛇を退治して海路を開いたのち守護神としてこの地に鎮まったとされる。また、万葉集には越中国司として赴任した大伴家持が天平20年(748年)に参詣した時の歌

志雄(しお)()から 直越え(ただこえ)来れば 羽咋の海 朝なぎしたり 船揖(ふなかじ)もがも

が載っている。

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気多大社本殿

本殿は1787年、拝殿は1653年、神門は1584年の造営・檜皮葺きでこの3棟は国の重要文化財に指定されている。

 

 

「雨の宮古墳群」「気多大社」を見学・参拝し、のと里山海道、北陸自動車道を走り福井へ向かう。途中、尼御前SAにて少し予算も余ったので、幹事の武田さんより一人2,000迄なら何でも頼んで良いよとの言葉が有り、各自思い思いの昼食をとる。福井駅前でレンタカーを返し、「しらさぎ12号」に乗り米原へ。米原から新幹線に乗り換える東京組と別れここで散会する。山は時間切れとなり登ることが出来ませんでしたが、久しぶりに天気も良く、楽しい仲間たちと共に、誠に気持ちの良い旅路を楽しむ事が出来ました。