山想倶楽部

■ 2013.12.08

奈良の山旅 (山想倶楽部)

随想 大和の里山、古事記の空を訪ねて

~幾光年昔の光いまさして~

秋高気爽となった11月初め、知立の女性岳人のご尽力で奈良はまほろばの地に史跡を訪ね、聖山に登ることになった。折りしも東アジア文化圏で飛鳥・藤原京都を中心に日本国誕生を世界遺産とする気運の高まりと響きあっていた。

労働日真っ只中の山行だが、生涯現役の岳徒らにとってはすべて心得、柿日和の道すがら聖俗蛇行する山想セブンである。

 

わが身をひきずり逃げぬ秋の蛇 (今村晩果)

 

平成23年倶楽部の奈良大和路行を思い出していたが、再び遥か古代に踏み込んで往時を偲びながら、山を想い、人を想う同好の(よしみ)は躍如としていた。

11月5日(火)京都駅で落ち合いJRブランド「万葉まほろば線」に乗り換えると(ひな)の大和盆地のゆかしさに抱かれ、悠久の大和、飛鳥にタイムスリップする。調べるとまほとは真秀と書き、まほろばとは丘や山に囲まれ抜きん出てうるわしき大地とある。

 

大和は国のまほろば、たたなづく青垣山ごもれる大和し美し(古事記)

 

幾重にも重なり合った青い垣根のような山々に囲まれる大和は本当にうるわしいな・・・とは倭建命の山想である。

卑弥呼史蹟とか三世紀中頃中国・魏伝来のベニバナ花粉発見で知られた纒(むく)、京とこの辺りでお別れとばかりの京終(きょうばて)を過ぎて三輪駅が旅の基点となる。名物にゅーめん昼食をとり、幽玄な趣がただよう大神(おおみわ)神社に参拝してから裏手の三輪山を目指す。古代豪族の大三輪氏の所領で仏教伝来以前の原初信仰の地である。罪や穢れを祓ってもらい和魂(にぎみたま)を祈願する聖山なので、花粉すら人を、世を穢すとか素朴な「はなしづめ」の祭りが今に至るまで継承されているとは驚きであった。

 

三輪の里狭井のわたりに今日もかも花鎮めすと祭りてあらむ(皇后陛下)

 

美智子さまがこの地を訪れ、昭和50年歌会始で詠まれていた。

標高にして467㍍ほどだが、登拝道としてよく整備され二人の工人に出会った。「お山そのものがご神体だから静かに登ろうよ!」と声かかるが、相も変らぬワイガヤ一団である。1時半出発して途中三光の滝に打たれている青年が何か唱えていた。清めの行なのだろが、星、月、太陽の三光とはどんなつながりかわからなかった。1時間ほどで山頂の奥津岩盤(いわくら)につく。大和盆地の南東に位置し縄文・弥生のころから自然崇拝の日本最古の神社である。津とあるから湧き出るご神水があり、霊験をいただく聖水思想によって、

 

古代人も六根清浄登拝していたのだろう。しかし自然界の精霊信仰を離れると、たかぶる情念の虜となった古代姫君は、このお山を覆ってたなびく雲との掛け合いを人情物とするに舞台ともなっていた。

 

三輪山をしかもかくすか雲だにも心あらなもかくさふべしや(額田王(ぬかたのおほきみ)

 

名残惜しい三輪山をどうして雲があんなに無情にも隠してしまうのでしょうか、人はともかくせめて雲だけでもやさしい情けがあってほしいものです。なつかしい三輪山をあんなに隠すべきでしょうか・・・と天智、天武兄弟二天皇の寵愛を受けた姫王が、何故に男こころのうつろいを嘆いてみせているのだろうか。

第一夜は櫻井駅前の皆花楼である。聞くと120年の由緒ある旅館で四季折々の花盛りは見事であろう。「あれに見えるは雲か、山か・・・」と頼山陽の詩文、犬養木堂の揮毫した「山上の松」の扁額はこの家のお宝と観えた。

翌日11月6日(水) 談山(たんざん)神社が鎮座する大和()()(みね)に向かう。大化の改新発祥の地とある里山で談の山とも後世よばれている。かたらいとは何事と思いきや、暴虐の限りつくした大豪族蘇我父子を誅伐する密議が中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣藤原鎌足が多武峯山中でしていたというのである。飛鳥文化の王朝(みやび)と血なまぐさい政争の舞台が山静世界で繰り広げられていたことになる。秋には蹴鞠祭りもあるようで、木造十三重塔が紅葉に映えていた。

 

展示品の中で、天正になって和歌の教養あるとも思えない徳川秀忠が菅原道真のお歌を利用し時の御陽成天皇に編旨した直筆墨書が残っていた。

 

心に誠の道にかないなば祈らずとても神や守らん

 

 

その時代の権力者にとっては、万世一系の天皇家を利用し利用される確執は、古代から近世昭和維新まで絶えることはなく続いてきた。

入山料をまた払って裏山の御破裂山に向かう。コウヤマキやミズキの巨木を見上げながらなめ沢のすがしい流れが心地よい。標高607㍍のその名もただならぬ御破裂とは、天下異変、不祥事があると神山鳴動して御神像に亀裂が入るとか凶事に由来するという。陰鬱な空気ただよう頂上には、戦勝祈願なのだろうか昭和5年の登拝記念の石柱があった。明治維新後日清、日露の戦勝に酔い痴れ、驕慢列強の仲間入りしたこの国は、昭和に入って奈落の底へ落ちる運命の開幕である。支那大陸に夢と野望を求め、日中の憎悪殺戮の連鎖は昭和6年満州事変、12年日中全面戦、15年日本最盛の紀元節を迎え、昭和20年になって大東亜戦敗北まで15年戦争への序曲となったのだ。中国古典「書経」から学んだ「百姓明、万物協」どころではなく破裂、破滅の道をひた走る。国家に奪われた戦争の不条理に、国民一人ひとりは(あらが)えないと近代史は教えているのだが・・・・。

早々に退散し一路飛鳥へと3㌔林道歩きである。新年書初めで著名となり105歳で帰天された大西良慶和上誕生の地をすぎて、熟した柿をこっそりいただきながら、1時ころ百笑知へ出た。ススキを揺らし熟れた柿黄葉のおだやかな日和は至福であった。

 

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飛鳥の柿日和

 

 

柿日和歩みあくなきいま飛鳥 (石 讃岳)

 

明日香村上居の石舞台古墳と家形石棺安置処を訪れる。時代は一挙に近世から1400年前に遡ったが、蘇我馬子の墓所とかいわれている。2300トンとか巨大な天井岩が露出して壮大であったが、権力者の末路はいつでも、だれでもあわれである。

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明日香村 石舞台古墳

 

 

 

この辺りから自転車ハイクに切り替え爽快に走る。2時半には岡寺仁王門に着く。シャクナゲ、サツキの年輪木に迎えられた日本最初の厄除(やくよけ)観音である。次に坂を下って飛ばすと飛鳥寺である。朝鮮百済から仏教文化が伝来し、未開のこの国にとって夜明けとなる。日本初の瓦葺き寺院とあり、隣国朝鮮の技術、職人によってすべからく学ばせてもらった経緯がこの寺を象徴している。鼻高く、面長の本尊大仏は、日本人ばなれしてとてもエキゾチックな顔立ちであり、また古墳時代の黒曜石文化から離陸せんとするこの国としては銅と錫合金による釈迦如来坐像の建造などおそらく新技術だったのだろう。百済の威徳王の命を受けて大勢渡来した工人達は故国に望郷の念にかられながらも、

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飛鳥大仏

この国のために骨身惜しまなかった隣国へ想いが()ぎった。思うに支那大陸や朝鮮半島と古代から何十世紀にも渡って繰り広げられた隣国との悲劇は、今も繰り返すのか,近現代を紐解くカギが潜んでいるような奈良盆地であった。

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蘇我入鹿の首塚五輪塔

田畑の中に蘇我入鹿の首塚という五輪塔もあった。一同元気そのものでサイクリング拝観が続く。奈良を訪れるといつも歴代天皇御陵となるのは、山想倶楽部に宿る不可思議な日本魂である。最近今上陛下、皇后陛下の究極の終活が話題になっているが、最初に訪れたのは7世紀後半の天武天皇・持統天皇の檜隈大内陵である。天武天皇陵に合葬されているのは建造費の簡素化とか、持統天皇は最初の火葬天皇であったという。女帝は皇位をめぐり異母兄の大津皇子と実子の草壁皇子との権力闘争の中心にいたとかリーダーが触れていた。その次は百済の聖明王の使節によって仏教が伝えられた6世紀後半の欽明天皇の陵墓へ回り、最後に光徳・皇極(斉明)天皇の母君吉備姫王を拝観した。いずれも自然の地形を生かして陵碑は鎮守の森のような常緑樹林の中に簡素に佇んでいた。

その夜は飛鳥駅から数分の高級ペンションである。おしゃべり満開の岳兄、静かな聴き上手のご婦人が微笑む倶楽部ライフは、美味なステーキディナーに舌つつみを打って一層盛り上がった。語らいの中で、70~80代にふさわしい百遊山ならぬ「75歳からの百名山」出版構想が披露された。登山下山で4~5時間歩程、湯郷、旧蹟めぐりなど含むが、全国仲間の力もらって選定編集がもし実現すれば五輪を観戦するまでは老いを楽しむエネルギーの証となるのだろう。

 

飲食をともにし語り目を合わすささやかごとが今有り難し(三枝浩樹)

 

最終日11月7日も全員快調である。タクシー2台で一挙に山と高取山登山口まで走らせる。ドライバーから土佐街道沿いの昔ながら町並みの説明を受ける。1時間ほど国有林を縫って高取城址に着いて三等三角点に手を置く。築城術の粋に感嘆しながら、豪壮だったろう天守閣をイメージする。戦国時代から江戸譜代大名の時代へと生き延びた山城は、今は荒れ放題、(つわもの)どもが夢の(あと)であるが、樹齢500年以上の巨木や実生から生を得た木々が石垣を食むように生き抜いていた。日本三大山城として、美濃岩倉城、備中松山城をともに記録に留める。

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大和髙取山城址

土佐街道にまた戻って愛くるしい山中五百羅漢をたくさん観ながら、壷坂寺に向かう。真言宗の西国霊場第6番の札所である。近年インド渡来の壷坂大仏は藤原京の大極殿から直線状に位置し弥勒浄土となっているが、インドゲテモノなどと中傷も耳にした。どうやらこのお寺は、メグスリノキの煎じ薬を味わい、浄瑠璃物語の切ない夫婦愛に想いを寄せる縁にすれば十分であった。

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壷坂寺

 

 

 

「妻は夫をいたわりつ、夫は妻をしたいつつ・・・・」の夫婦道を想い浮かべながらバスで奈良中心街に出る。さすが古都で、異人さんもたくさん見かける。有終の拝観処は1300年を超える歴史を持つ興福寺の国宝館である。懺悔修法の六道六界の天平彫刻から鎌倉の雄渾な金剛力士像など印象深く、時の経つのもしばし忘れるほどであった。特に目玉となった阿修羅像の青年をじっくり観ていると、自分を見つめる沈着さと目的に向かう意志の強さを宿しているようだった。仏教文化の真善美を顕す名宝とかPR誌にはある。

こうして熟年世代にふさわしい古都の里山・史蹟を訪ねる「天高く、遊子楽しむ」旅は終わった。山は神である太古の自然信仰アニミズム、飛鳥白鳳天平と続く気品あふれる仏教文化、中世戦国から江戸へつながる骨太なサムライ日本の源流を垣間見る企画であった。日本精神のよすがを辿り、魂が洗われるような旅に感謝深謝である。訪れたたくさんの処、ひとつひとつが心の風景となって帰郷後の7人岳徒にやさしく映っているにちがいない。

 

名刹を立ち去るとき掲示された法句経が目に入った。

「楽しみと苦しみから解放された者には、悲しみも恐れもない」・・・。

前を向いて先へ、先へと歩め、さらなる結びと深まる霊の交わりのためにとでも教えているのだろうか。

 

平成25年霜月 大和まほろばの里にこの国を想って

 

石 讃岳