お知らせ山想倶楽部

■ 2014.04.18

古戦場をめぐる山旅(山想倶楽部)

 

古戦場をめぐる山旅

横田昭夫

 

 

桜花爛漫のこの季節、残雪の山ならぬ、今から400年以上も前の西暦1600年豊臣政権の崩壊を決めることとなった関ヶ原の古戦場を探訪した。また、時代は少しさかのぼるが北近江に勢力を誇った戦国大名浅井(あざい)氏の居城とし、堅固な山城として知られた小谷山(おだにやま)を訪れた。

 

期 日 平成26年4月5日(土)~4月6日(日)

参加者 石原達夫、高橋聰、吉永英明、田矢八束、日出平洋太郎、小亀真知子、菊池武昭、

寺田正夫、寺田美代子、下河邊史郎、川村光子、西谷可江、高橋文雄、廣島孝子、武田鞆子、

横田昭夫

 

4月5日(土)晴れ

JR東海道新幹線岐阜羽島駅に全員集合する10:32。駅前にて15人乗りレンタカーをチャーターする。大型免許が必要で運転は高橋さんにお願いし、定員オーバーの為、横田車と2台で行動する。名神高速を走って関ヶ原へ、関ヶ原ICを出ると即、古戦場に飛び込む。まだ元気なうちにと、この関ヶ原の戦いを決する引き金ともなった小早川秀秋の陣跡の松尾山に登る。黒血川を渡ったところの駐車場に車を置き、林道を歩くとスギ林の中にミヤマカタバミ、ショウジョウバカマが現れる。林道を登り切り、峠手前から右へ行き、尾根筋のアップダウンを繰り返し、標高293mの松尾山につく12:20。

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(小早川秀秋陣所跡)

この陣地は高い山の上に有り、主戦場となった平地からはかなり遠く、参戦・寝返りを思案するには絶好の場所といえる(関ヶ原の戦いの勝敗を決した要因の一つに小早川秀秋の寝返りがあったといわれている)。この日はやや風があり、とても霧の出る天気(関ヶ原の役の当日、慶長5年(1600年)9月15日早朝は濃霧で戦況を望むことができなかった)ではなく、眼下の古戦場を見渡すことができた。山上はまだ桜が咲かず、馬酔木の房状の花が見ごろでヤブツバキ?は散りかけていた。また、モクレン科のタムシバが白い花を咲かせていた。ここで少し遅めの昼食を済ませ車に戻る13:30。

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(松尾山にて)

 

次に国道21号線を東に行き、13:40桃配山(ももくばりやま)の徳川家康の最初の陣跡へ行く。ここは国道21号バイパスによって地形を変えられてしまっているのでこれが陣跡かと思わせるが、当時は小高い丘でここから戦場に向かって緩やかな下りとなっていたようだ。

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(関ケ原古戦場徳川家康最初の陣地後(桃配山)

 

ここは早々に引き揚げ、JR関ヶ原駅北の歴史民俗資料館に行く。館内でパネルを見ながら関ヶ原の戦いの概要を聞き、資料を見て研究する。皆興味津々でここでゆっくりと時間をとる。この付近は陣場野といわれ家康最後の陣跡がありまた西軍の諸将の首実検が行われ首塚もある。400年を隔てた現在でも当時の凄惨な様子が目に浮かんでくる(15:00)。次に決戦地を経て西軍の立役者、石田三成の陣跡笹尾山に登る。この陣跡は功守の良さは別としても戦況をつかむには最適の場所だ。戦場に近く見晴らしが良い。また、周囲に桜が咲いており、三成の優しさを醸し出している気分にさせる。笹尾山を下り、国道365号を横切り、民家のひしめく狭い道を抜けて、関ヶ原の戦いの開戦地を訪れる。

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(関ヶ原古戦場開戦後)

 

少し離れたところの小西行長の陣跡を見て、車でさらに移動して、歩いてスギ・ヒノキのうっそうとした林の中の宇喜多秀家の陣跡を訪れる。関ヶ原の戦いは豊臣政権後の覇権争いで、戦国生き残りの武将が多数参戦しており、地元関ケ原町が史跡を大切に保存しているので探訪は尽きないが、ひとまず打ち切りとし、今日の宿舎、大河ドラマ軍師・官兵衛の黒田家発祥の地・木ノ本町黒田近くの己高庵へ向かう。己高庵は己高山のふもとの静かな山里にあり、広間でゆったりと己高庵お自慢の「季節の会席料理」を食す。食後、一室に集まり懇親を深める。

 

関ヶ原の合戦

慶長五年(1600年)九月十五日

天下の覇権を狙う徳川家康率いる東軍と、阻止するため挙兵した石田三成率いる西軍が関ヶ原を舞台に、天下分け目の戦いを繰り広げた。

両軍布陣後も前夜からの深い霧で見通しがきかない。薄暗い霧が、これからここで起こる激戦を予知するかのような空気さえ醸し出していた。緊張感の漂う中、無言の睨み合いは続く。

霧が少し晴れた午前八時頃、東軍井伊直政により、決戦の火ぶたが切って落とされた。

総勢八万四千の西軍が、必勝の陣形で東軍を迎え撃つ。一方、東軍は七万四千人。大将家康は、桃配山に本陣を置き、戦況が不利になると、本隊を激戦地・陣場野まで前進させ、東軍の士気を高める。

正午ごろ、家康からの圧力もあり、小早川隊は反旗をひるがえし、同調した他軍とともに、大谷隊を衝く。その後、小西・宇喜多隊は敗走。さらに石田の隊も勇猛果敢に応戦するが挽回の余地なく敗走。天下分け目の決戦は、開始よりわずか六時間余りでその勝敗が決まる。

―関ヶ原町資料抜粋-

  

4月6日(日)小雨~本降り・一時雪

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(己高庵前で)

 天気の崩れは午後からだということであったが早く降り出した。己高庵を出発前に集合写真を撮る。木ノ本駅前の蔵元富田酒造を訪れ銘酒?「七本槍」買い求める。9:50小谷山登山口の駐車場から歩き出すころにはつめたいかぜがふきだし、北陸特有の冬型を思わせる空模様となる一旦林道に出て、再度山道に入りしばらく行ったあたりで雨がかなりふりだしたので、頂上まで行くのを断念し、本丸跡までとする。高橋(聰)、高橋(文)、寺田(正)、横田の4名は車を取りに下り、10:30あとの12名は小谷城本丸跡まで往復する。林道終点へ車で引き返して、おりて来る人たちを待つ間、雪も一時強く降りだす。11:00本丸跡から降りてきた人たちを林道終点で合流し、清水道入口の小谷城戦国歴史民俗資料館へ行く。このころは風も強く、雨も本降りとなる。ここで浅井三代の歴史資料を見る。12:30~14:00伊吹町伊吹薬草の里にて各自思い思いのまま、昼食やビールを飲んだり、薬草風呂に入り14:10に出発し、15:20JR岐阜羽島駅へ戻りレンタカー等の清算を済ませ散会した。