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新旧の0メートルを訪ねる

近藤善則

海抜と標高の違い

日本の山の標高は東京湾の平均海面を0メートルとした水準原点からの高さです。海抜は平均海面(等重力ポテンシャル面)を地上部に延長した基準面(ジオイド面)から計るため、厳密には値が異なります。
この平均海面を計ることを験潮といい、験潮所(海上保安庁)、検潮所(気象庁)、験潮場(国土地理院)とそれぞれ名称が異なるのですが、これらの施設は全国で23機関144施設あるとされています。
地図の標高を示す日本の水準原点は、以前訪問したことのある国会議事堂前庭にあり、そのときの標高は24.4140mでした。
この標高値は、現在三浦半島の油壺験潮場で測定されている平均海面からの高さですが、その数値は過去に何回か修正され現在に至っています。
明治6年に霊岸島に設置された水位観測所からの水位で24.5mが水準原点の標高と定められましたが、関東大震災の影響などで改訂を経て、また東京湾の埋立や隅田川の河川の影響があるため、霊岸島から油壺に移され、現在の値は2011年から 24.39mとなっています

水準原点の標高 1891年:24.5m→(1923年 関東大震災):24.4140m→(2011年東日本大震災):24.39m と地殻変動により改訂されている

二つの験潮場を訪ねる

5月20日(水)八丁堀に集合したAGC8名は好天に恵まれる中、霊岸島に向かう。といってもそのような島があるわけでなく、現在は中央区新川という地名で江戸初期の霊巌寺に由来する島が、埋め立てにより陸続きになったところ。住所は消滅したが島名は残されたそうだ。
現在東京湾水位観測所となっている所が最初の目的地 霊巌島・験潮場跡だ。
隅田川護岸口に特徴的な三角錐のアングルがあるところが観測所になっている。海面から突き出た支柱の側面の目盛は約1mを示していた。逆三角錐の3つの支柱が交わる点が0メートルだそうだ。これから潮は満ちてくるのか引いていくのか?満干時間の確認をしておけばと悔やむ。
公園となっているテラスの先、中央大橋という特徴的な橋の手前に一等水準点がある。「交無号」すなわち水準路線が交差する点であり0番目(出発点)の水準点である意味をもつ標石である。水準測量はここから始まった訳だ。

霊巌島水位観測所

水位を示す目盛

交無号水準点

 次に 亀島川水門を眺めながら南高橋を渡る。明治時代のめずらしいトラス橋として区の文化財となっているが、なかなか重厚な橋で見飽きない。
宝町から都営浅草線経由で京急・三崎口へ。さらにバスで三崎港へ向かう

昼食はやはり"三崎まぐろ"だろう。手ごろな割烹料理店でまぐろ料理に舌鼓。箸袋の4種類のまぐろ説明(メバチマグロ、本マグロ、ミナミマグロ、キハダマグロ)に話題が盛り上がる。

南高橋トラス橋

三崎まぐろ店

 関東ふれあいの道 神奈川県コースA油壺・入江のみち(3.4km)に沿って油壺に向かう。ほとんど車道を歩くことになるが、漁港の風景や入江の緑に癒されながら、いつもの山の風景とは異なる自然の匂いを微妙に感じながら歩くのもたまにはいいものだ。

油壺バス停先の験潮場入口から海面に向かい、少し下ったところに基準水準点No26があった。コンクリートの蓋の下に標石があるのだろう。柵に囲まれて確認することが出来なかったが、全国に83点あると説明板に書かれてあった。その先海面すれすれに験潮場の小さな建物がある。外側からの見学のみだがレンガ造りで雰囲気は水準原点に似ていた。新旧の0メートルを体験することができたことになる。油壺湾はその名の通り浪静かな動きの全くない海面で、三浦一族の血なまぐさい逸話が示すとおりのところと想像でき、なぜか霊巌島との言葉の響きの繋がりを感じさせる場所だった。

基準水準点No26

油壺験潮場

さらに荒井浜から胴網海岸の岩礁地帯を歩き、再び油壺のバス停へ。 途中磯浜で小島誠氏による吟詠「山を讃する文」(小島烏水)に聞き入る。潮騒をバックミュージックになかなか趣のある光景であった。  三崎口駅で解散の前に「ちょいと一杯」の看板に吊られて反省会?。最近注目されてきた一つの水系がそっくり自然のまま残されているという「小網代の森」は次の機会の楽しみということになった。


小島氏の吟詠

小網代の森 俯瞰(左上が油壺湾)


                         2015年5月20日(水) 
参加者8名(北野、今井、大西、小島、鶴田夫妻、高田、近藤)

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