アコンカグア登頂記 |
日程 | 2002年12月21日〜2003年1月7日 |
報告 | 植木信久 |
私はネパ−ルの標高4000m強のトレッキングと、カナダのロッキ−山脈の氷河アサバスカ山3500mの低山しか経験が無く、今回標高約7000mのアコンカグア山に登頂できるのか、まったく自信がなかった。取敢えず、登頂出来なくても広大なコンドルが舞うアンデス山脈に思いを馳せ是非とも行ってみたかった。昨年5月残雪期の白山の一翼笈ケ岳1842mにご一緒した関西大学山岳部OBのOさんに相談した処快くアコンカグアに連れて行ってくれる事になった。Oさんは2年前俳優の西田敏行さんをアコンカグアにサポ−トした登山家である。メンバ−はリ−ダ−のOさん、71歳のKさん、69歳のM嬢、農大山岳部OB27歳の元気者i君、私と妻の6人で、若手を除くと平均年齢65歳の化石軍団であり、その他ツア−会社よりの一般参加者3人、ツア−会社の社長と担当者の計11人となった。当初小回りがきく4〜5人のパ−ティでの計画が急転直下
大世帯となり大変な賑合いとなった。 まずは、アプロ−チからサミットまでの行動状況をを日付順に記します。 12月21日(土) 夕方成田発、ロス、リマ経由現地時間12/22 早朝チリの首都サンチャゴ着。約1昼夜の長旅でその上時差が12時間もあり、久しぶりに時差ボケを体験した。サンチャゴはブ−ゲンビリアが咲く真夏で空気は乾燥しており、早速鼻炎の兆候がでた。高層ホテルやマンションが林立し、車の往来も激しくスモッグ現象が著しい大都会である。ここは太平洋に近く魚介類が豊富で中央市場で生うに、あわび、また、ホテル近くの店で寿司を賞味、日本人には有り難い。 12月23日(月) サンチャゴから車で高度順応の為にファレロネス2000mにハイキング、私は車酔いし前途危うしの状態、峠では、翼を広げると2mもあるコンドルの勇姿を目の前で初めて見る、以前子供達と飛ばして遊んだカイトを思い出す。ハイキング道には、雪解けの色とりどりの花が咲き乱れ、また、至る所に小動物の住む穴が見受けられ、多分コンドルは、その獲物を狙っているのかなと思う。> 私達が泊まるポサダ山荘には、インカ独特な刺繍織の壁掛やコンドルの剥製が飾られていた。夕食にはチリ産のワインでサル−(乾杯)を繰り返しやっと平常に戻つた 12月24日(火) 四躯に乗つて南米一のラパルバのスキ−場3700mへ、その後徒歩でピエドラ・ヌメラダ と云う清流と高山植物と花々に囲まれた風光明媚な場所へ行き初めてのテント泊。50人ぐらい入れる大型テントの食堂で気分は最高、現地スタッフが造る料理も美味い。日中は30度近いが夕方から急激に冷え込む、夜中は素晴らしい満天の星空が見られる。メンバ−の中に南十字星を見た人もいた。 12月25日(水) 高所馴化のためラ・オ−ヤの4300mの急峻な頂上を登らず150m程下つた平地のテント場を往復、途中名物のペニテンテス(氷塔)を通り、ヌメラダのキャンプ地へ戻り連泊。 12月26日(木) 前日経験したラ・オ−ヤのキャンプ地へ移動、今夜も星が綺麗。私達は実際のラ・オ−ヤは風が通り抜けるため、そこから一段と低い平地に露営。 12月27日(金) キャンプ地からラ・オ−ヤに登り標高4600m近辺のモレ−ン上で高度馴化と今回初めての雪中トレ−ニングし同地でテント泊。 12月28日(土) ラ・オ−ヤキャンプ地から早朝、ピッケルを持ち、チリ、アンデス山脈の名峰エル、プロモ山へ登山(5424m)、 同山は今から500年前に生贄になった男児のミイラが近年発掘された伝説の山で有名とのこと。(現地ガイドのイワンさんの話)途中からアイゼンを装着し強風と厳しい寒さにみまわれ、また、トラバ−ス中の雪渓個所ではスタッフがfixザイルを張ってくれ、耐風姿勢で喘ぎながら前進し、サミットを踏むことができた。遥か彼方に雪を頂いたアコンカグアの勇姿が眺められ一同感激した。冬の富士登山に匹敵する厳しさでもあった。 道中かなりの登山者がいたが、この日は引き返す人が多く山頂は私達のパ−ティだけだった、日本人は我慢強いのかな。いずれにしても、これが、アコンカグアを登れるかの試金石となった。今日もラ・オ−ヤのテントで三泊目の夜を過ごし、満天の星が迎えてくれた。 12月29日(日) 充分高度馴化しサンチャゴのホテルへ再帰着、英気を養う。これまでチリ国内の山々で高度を体験し、明日からアルゼンチン入りすることになる。アルゼンチンは経済が崩壊し超インフレに陥り、治安も悪く、そのため隣国チリ滞在が長くなった。 12月30日(月) 私を含め何人かはうっかり登山ナイフを携行していた為、サンチャゴ空港で歿収、日本ではこんな事ありえない。ランチリ航空でアルゼンチンのアコンカグア玄関口であるワインの香りが漂う街メンドゥ-サへ、アコンカグア登山手続きを終了後(入山料200弗/一人)車で「インカの橋」近くのペニテンテス(2700m)のロッジ泊。 |
12月31日火) 今日から待望のアコンカグアへ向けての旅立ちとなる、国立公園管理事務所(3000m)入り口で番号が書かれたポリごみ袋を渡された。(帰りに返却する)草原の中の小さなオルコネス湖では、アコンカグア南壁が多量の雪を抱く勇姿に感激。この先も正面にアコンの頂を眺めながら歩く。4時間後オルコネス谷のコンフルエンシア3300mテント泊。 ここは、通りから一段と低い谷底にあり、テント場も矮小で、ガウチョ率いる大勢のム−ラ隊が行き交い砂塵が舞い上がり閉口した。雪渓から直接ホ−スで引いている水を、大量に撒くも乾燥が激しいため、すぐに土埃にみまわれる。 |
アコンカグア登山口 オルフネス湖よりアコンカグア南峰をみる |
1月1日(水) 今日はBC入りの長い行程、朝食に雑煮をご馳走になり、全員で元旦の挨拶を交わす。何度か渡渉し、ム−ラがほこりを巻き上げて通過、正面にマツタ−ホルンに似た三角錐のセロ・クエルノ(角の意)5462mが近づいてくる。8時間後にプラザデ・ム−ラス4300mのBC到着、200を超える大小のテント小屋からなり、売店、有料シャワ−も有る。ここまで、荷物をム−ラ(ロバ)が運んでくれ、私達は有り難いことに空身での行動でよかった。 1月2日(木) 休養日でゆっくり過ごす、全員高度障害ない模様。高所順応のためには身体を動かした方が良いということで、ベ−スキャンプから30分の所にある3階建の立派なホテル(山荘)に4人で出かけ、Tシャツを求めたり、壁一面に各国登山者の色紙やワッペンに飾られた食堂で、コ−ヒ−を飲んだりして和む。見たところ、かなりの空き室があるみたい。ダイアモックスをBC到着から一週間ほど服用、また、パルスオキシメ−タ−で標高3200mから5800のC3ベルリン小屋まで朝夕一日2回身体の酸素レベルを計測する。 |
1月3日(金) BCよりC1のカナダキャンプ4800mに移動、天気良好。大部分のパ−ティはこの上のニドレ・コンドルまで上がるので、C1は登山者も少なく静かである。C1から上では、雪渓を溶かした水を使用する。 1月4日(土) C2のニドデコンドルへ前進5400m 風もなく、暖かい。ここは、平地で好露営地、見上げると、これから登るアコンの北峰の頂きが姿を見せている。 1月5日(日) C3のベルリン小屋往復しC2のテントで休養、絶好の登山日和。スタッフは雪渓の雪を溶かすのに余念が無い、水が貴重品になってきた。 1月6日(月) 最終キャンプC3のベルリン小屋へ移動、5800m 高度障害なし。明日のアタックが待ちどおしい。右奥のキレット状の岩峰には鉄製でできた十字架が立つている。 1月7日(火) いよいよ登頂の日が訪れた、お湯で注いだ流動食を胃に流し込み、ヘッドランプを点けAM6:00出発、途中 セロ・クエルノ方向の地平線の雲海上に逆さアコンの影が映つている。朽ちたインデペンシャル小屋6400mでアイゼン装着、69歳のM嬢不調によりi君に連れられて下山、i君は翌日単独で登頂した大変頼もしい好青年である。彼は、今年3月、朝日新聞社後援でもある、農大隊のエベレスト、ロ−チエ両山の登頂メンバ−でもある。暫くして、妻も昨夜からお腹の具合が悪いため、若い見習ガイドのマルセイロ君にお願いして下山。 例年より積雪が多いようだが、ピッケルは使わずダブルストックにした。稜線上は猛烈な風と寒さに悩まされたが、完全武装しているのでどうにか耐えられる。途中、雪渓でOさんと現地ガイドのヘラルドさんでFIXザイルを張つてくれ、安心してトラバ−スできた。 頂上はまじかに見えるが、ペ−スは疲労と空腹により加速度的に遅くなる。最後の雪まじりの岩場を越えるのがきつい、Oさんによると、西田敏行さんはここで登頂を諦めたそうだ。 何はともあれ、やっとのことで6959mの憧れの北峰の頂に到達、山頂の背の低い十字架には沢山の旗、ワッペン、ステッカ-が巻きついている。不思議にも風がなく360度見晴しが素晴らしく、これ以上周りに高い山は無く、やや下がった隣には南壁が氷河に覆われた急峻な双耳峰の一つ南峰が現われ、この上なく感動した。 40分滞在後アコンカグアに感謝しながら下山を急いだ。途中高山病で苦しむ何人かの登山者を見かける、私は鼻と頬にかるい凍傷を負ったがこの日の13時間は無駄ではなかた。 高度馴化もうまく行き、私なりに、たいへん貴重な経験を得た。急激に高度を上げず、ゆったりとした日程と、直前富士山でのトレ−ニングが幸いしたのかなと思う。 また、11人中8人が登頂、高成功率を収めた。嬉しい事に私より7歳年長の71歳のKさんも、日頃のマスタ−ズ陸上のトレ−ニング努力により登頂を果たした。 |
アコンカグア山頂、 左の雪山は南峰 |
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BCとペニテンテス(氷塔) |
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BCからの帰りは全員ム−ラを雇い、ガウチョの気分で距離の長いオルコネス谷を6時間かけて国立公園入り口の管理事務所まで一気に下った。大変楽チンであったが、お尻の痛さが代償として何日も続いた。(山行費用保険料込み約90万円) 以上 |
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