2007年山遊会新年山行は、そば打ち体験から始まった。
駅前の道場に入るとすぐエプロンを渡され、予め用意された粉と水をこね鉢に移すとさっそく実地だ。こね方、均等に伸ばす時の力の入れ具合、手の置き方。師匠の手の動きと言葉の一言一言は納得するものの、思い通りに動かない。要所要所、絶妙のタイミングで軌道修正をしていただきながらもなんとか生地が折りたたまれた。目の前に出てきた包丁の重さと形に圧倒された。刃先を降ろすだけ、太さの加減などできる余裕など全く無い。ゆで時間わずか2分弱、甘みのあるそばが出来上がった。平らな木箱に盛られたそれらはあっという間にそれぞれの胃袋へと消えた。満腹のせいか師匠への感謝の言葉を忘れたまま道場を後にしてしまった。
(写真は拡大してご覧になれます。)
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そば切り包丁
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重さに手つきがあぶない
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所々雪が残る畑もかつてはあたり一帯が桑畑だったのか。土俵がある船川千手観音堂の前を過ぎるとまもなく青雲禅寺だ。シダレザクラの枯木のどれもが老木、地面に届きそうな枝の間をホオジロやアオジが器用に飛び交っていた。花の時期の賑わいも想像される。ここの境内からも秩父日野断層の一部を見ることができた。
青雲禅寺の前の案内板を確認しいよいよ若御子山への遊歩道を行く。いきなり針葉樹の中の細い急階段である。若御子断層洞を過ぎると明るい雑木の中の道となったが依然急登は続いた。立ち休憩で正面に二子山がはっきりと見えた。風が落葉を撫でる音が微かに聞こえ、汗をかいた額にも心地よい。深く積もった落葉を除けると10センチほどの見事な霜柱だ。ホオノキの落葉が大袈裟な音をたてた。青雲禅寺から50分ほどで国見広場の見晴台に立った。秩父盆地の向こうに波風山、二子山、両神山などを確認した。
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それでも見事に出来上がった
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両神山方面の山々
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国見広場から送電線直下、クロジが地面のなにかを無心に啄んでいる。植林され手入れの行き届いた殺風景な林を急降下。シダの緑が実に美しい。直下に浦山ダムの湖面が飛び込んできた。車道に下りると同時に山荘の車が止まりドアが開いた。新年山行は、あっけなく終わった。
この後、山荘で食事を戴き、西武秩父駅から帰途についた。
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武州の里紀行:新年山歩笑〜さんぽしよう!〜石岡慎介
猪の年に改まり初めての山遊企画は、冬季の雪山猛進よりのんびりとした陽だまり散策であった。西武池袋駅から郊外の鄙びた田園へ快速で一足飛びである。お屠蘇気分も抜け切ってない13日、10名が武州中川駅に参集した。
暖冬の緩みか、N氏が車中にコート忘れのハプニングあり朝の挨拶もそこそこに、蕎麦打ち特訓を受ける為に駅前道場に直行する。前掛け姿の岳徒は好奇の眼差しの受験生のように緊張の趣だが、10:30位から貫禄ある地元姉御のコーチングが始まる。
博学の師匠で、うすはツガもあるが、トチの木素材の工芸が一番と説明され、乾燥した原木を縦に切り割ってくり抜くのだそうだ。
素人には八割蕎麦は難しいそうで、そば粉315g、中立粉250g、水290ccと一切つなぎは認めていない。生地を創るにはビニール袋に包んだ足踏みや女性のあちらの体重かけてもいいらしい・・・
匠を真似て手の平で押すリズムにも慣れ、「これでいいですね!」「こころがこもっていますね!!」と師弟の絆。「村おこし」には欠かせない女性パワーのやさしい息吹である。
粘土遊びが終わってからは、伸ばしの工程は最も難しく、匠技との格差は歴全たるものだが、生徒に精気が戻ったのは「マッチ棒の太さに切ってください」と裁断指示があった時。
緊張で刃先が震えたり、トントンいい音出す生徒もいて何とか無難に乗り切った。
不揃いの太さは見た目にはご愛嬌だが、自前の創作となると愛情がこもっている。沸騰釜に40秒とか厳守だが、2班で比較すると30秒組みの時間管理に軍配があがる。サットゆでて、ザート冷水に浸すのがコツ !! アットいう間に全員の胃袋におさまっちまったが、腰の強いお蕎麦だと自己評価していた。
ご満悦昼食のあとは、数十分歩いて名刹清雲禅寺へ向かう。家族で蕎麦打ちなんぞは昔日のことだが、陽に輝き芳香のロウバイにソット顔寄せるNさん、M氏の優雅なシニア振りよ・・・・・・!!
観櫻期の賑わいも結構だが、禅寺でジックリエネルギーを蓄えて華の時を待っている冬枯れの枝垂れも「静謐の美」とでもいうのだろうか? それにしても樹齢800年妖怪のような樹皮、グロテスクな根周りである。
寺の由緒を読むと、王政復古の夜明けを迎えて、京都公家一行が宿泊した時、偉そうに「勝てば官軍」の振る舞いに、武州の代官地侍たちの反感憎悪は尋常ではなかったようだ。旅装の公達達がみんな惨殺される血しぶきを観下ろしていた櫻の巨樹、その下にはご遺体が埋まっている「清雲寺事件」の現場なのであった。武州日野は新撰組の故郷、徳川恩顧に散った「男の本懐」が頭をよぎる。
歴史探訪が終わって、若御子神社裏門からお山に入る。木造階段の急勾配に「うまかお蕎麦の後なのに、だまされたな〜〜」と表情に観てとれるが、「なんだ坂、こんな坂 !!」とゆったり登る。大柄な落葉を踏みしめながら若御子断層帯の上のほんの一部を踏破する。
山行記録が残せない程の可愛い山歩であった。東京都の水源人造湖の浦山ダムに吸い込まれるように下山していったら、山荘手配のバスが上がってきて途端に笑顔である。浦山山荘の女将の笑顔に迎えられ、秩父巨岩の湯船にザンブリ!断層帯で出土する秩父景石は流石であるが、これらの商品価値は半端ではないようである。
今年80歳の先輩同人は、お山は辞退しても蕎麦では腹が持たなかったらしくボルドーワインではじめてもらう。地酒と金粉入り秩父焼酎には待ってましたとばかり全員飛びつく。タップリのお料理記録はないが、各位はご満悦の様子であった。
2時間ほどのユッタリ宴会で、皆にJACの現状に想いの丈を語ってもらった。平成19年で102年目に入ったJAC、何かと課題はあるようだが、お山文化愛着の深さ思うべしであった。
JAC の和を通して、人の出逢いは全国で共通項のDNAなのだから、主義主張が違っても、おたがいに認め合う寛容さがこのアルパイン・クラブの真骨頂であると認識した新年会だった。
外交用語の《agree to disagree》である。
西武秩父駅にいい気分で送っていただきT女史のご注意どおり、静かな車内二次会が繰り広げられたことはいうまでもない。 おわり
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