昨年の9月に心臓弁置換手術をして以降、3ヶ月間のリハビリを行い今年の1月から登山教室のサポーター・リーダーに復帰した。少しずつ、元の身体に戻るのを感じつつも何か物足りなさを感じてきた頃、7月の定例山行の担当が回ってきた。前から一度は挑戦してみたいと考えていた黒戸尾根を提案して実現の運びとなった。
29日
午後5時前に韮崎に到着。今夜は以前、韮崎出身の友人を通して山菜取り、キノコ採りでお世話になった清水一さんに宿をお願いした。
渡辺さんが到着するまで、武藤さんと風呂に入りビールを飲んでくつろぐ。7時前に渡辺さん到着。早速3人で夕食となる。明日は朝が早いのでお酒もそこそこに就寝となる。
30日
清水一さんに車で竹宇駒ケ岳神社駐車場まで送ってもらう。天気はどんよりとした曇り。雨は心配なさそうだが、明日も好天は期待できないとの予報である。朝6時15分というのに、駐車場はほぼ満杯。80台くらいは駐車しているようだ。ここに車を停めているということは甲斐駒ケ岳往復ピストンをする人がこれだけいるということかと妙に感心する。
靴底をブラシで綺麗にし、登山届を出し、竹宇駒ケ岳神社で安全登山を祈願し出発する。神社の裏の吊り橋が登山口となっている。橋を渡るといきなりの急登が尾白川渓谷分岐まで続く。ここで朝食をとる。ここからは笹平までは樹林帯の道を進む。道脇に七丈小屋番からの「8月8日と9日は歯医者に通うので小屋は無人となります」との案内板が設置されていた。こんなところに案内板をおいても誰が見るのだろうか。遠くから登りに来た人はこれを見て何と思うだろうか、心配になる。笹平からは八丁坂の急登が続き、どんどん高度を稼ぐ。1873m地点で八丁坂は終わり、最初の難所「刃渡り」となる。梯子、鎖を頼りに通過する。ここから岩場が続き、木の梯子が続く登りとなり刀利天にでる。
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竹宇駒ケ岳神社に参拝
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最初の難所「刃渡り」
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ここからは黒戸山を巻くように緩やかな道がつき、そして下っていく。きつい登りが続き高度をグングン稼ぐのが黒戸尾根かと思いきや拍子抜けする。この下った道の先が五合目である。ここには二つの小屋跡がある。広々とした空間となっており、休憩をとっている人が多い。かなりの人が登っている。こんなにポピュラーなコースとなっているのか。最近、NHKが取り上げたことを聞いて納得する。
五合目からは屏風岩にかけられた梯子を登る。どうもこの木の梯子は苦手だ。鉄の梯子だと苦なく登れるが、幅広い木の梯子は掴むのも苦労する。これが雨で濡れていたら嫌だろうなと思う。梯子、鎖の連続で、大きな岩には足場となる穴が刻まれている。いつまでこれが続くのかと思っていると樹林の向こうに七丈小屋が見えてきた。午後4時までに入らないと夕食はないと聞いていたので、2時間ほど早く着いて一安心。
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五合目小屋跡
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ここからが本番の登攀が続く
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長い木製の梯子の連続
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左右の切れた谷を渡る
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早速、宿泊手続きをすると、夕食付で6000円とのこと。聞いていた宿代より安い。後で、入口の看板に夕食メニューが書いてあったのを見て納得。夕食はエビフライ2本付きのカレーと味噌汁、フルーツゼリーのみ。ホームページにあった、山菜の天ぷら等の手の込んだ料理ではなかった。しかし、後でびっくり。我々の後に続々と団体さんが到着する。午後4時前なのに、夕食はありませんとのこと。その後は宿泊スペースも無いので下山してほしいといわれている。町営の小屋なのにこの対応はまずいのではないかと気をもむが、小屋番が一人のため、どうしようも無いようだ。販売商品もビールと酒だけで、カップ麺等は一切なし。食事にありつけない人達はどうするのだろう。心配するばかりである。
寝るところと食事を確保した我々3人は小屋前のベンチでビールを飲み始める。あぶれた人達のことは気になるが、とても冷たくてうまい。隣に座った新潟のオジさんから冷えた丸なすをいただく。オジさんも今夜の食事に間に合わなかったようだが、ザックの半分を占める程の大きな保冷庫には缶ビール6本、酒数本、おつまみ等がぎっしり入っており、これでなんとか間に合うといっていた。いつもこんな荷物を担いでいるといっていたが、どんな山登りをしているのだろう。
5時に夕食が始まった。我々が寝る場所にテーブルが4列並んでいる。1列8人、計32人の食事である。テーブルの上には、看板に書かれたメニューが並んでいる。カレーは温められたレトルトパックが一人前ずつ置かれている。自分で、封を開けご飯プレートにかけて食事となる。北アルプスや八ヶ岳の小屋の食事と比較するとなんとも貧しいが、腹が減っているのがご馳走で、なんでもうまい。アッという間に食事は終わり、片付けが始まり、寝具がひかれる。消灯は午後6時である。
夜、トイレで目が覚めた。まだ午後9時である。外に出ると、空には月と星が瞬いていた。明日は、晴れだなと確信して寝る。
31日
午前3時起床。身支度を整え、3時15分出発。第2小屋の裏に付けられた、垂直の階段がスタートである。ヘッドランプを頼りに登ると、テント場に帰る女性が登山道はあちらですよと教えてくれた。テント場は第2小屋の上部2か所にあり、水場、トイレからはかなりの距離と高度差があるが、町の灯が見える眺めの良いところにある。
4時52分の日の出時間に間に合うよう先を急ぐ。八合目御来迎場には小さな祠がある。その前に一本の柱が立っている。多分、昔立っていた鳥居の一部かと思われる。その前に陣取り、ご来光を待ちながら朝食を作る。うっすらと明るくなった空は、本日の快晴を保証するもので、その中に八ヶ岳、北岳、鳳凰三山、その後ろに富士山が浮かんでいる。太陽は、奥秩父方面の山脈から出てくるようだ。素晴らしいご来光を拝み、山頂へと歩を進める。
左手に延々と続く南アルプスの山脈を眺めながら、ザラザラとした花崗岩が崩れた白い道を登っていく。1時間ほどで、山頂手前の駒ヶ岳奥宮に到着。甲斐駒ケ岳山頂は目の前である。6時30分、ついに甲斐駒ケ岳標高2967mに立った。目の前に360度の眺望が広がる。中央アルプス、御嶽山、北アルプス、妙高連峰、八ヶ岳、奥秩父、富士山、南アルプスは聖岳まで3000m峰が全山見られる。最高の展望を飽きること無く眺めて、北沢峠への下りを開始。
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奥秩父方面から登るご来光
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鳳凰三山の後ろに顔を出す富士山
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山頂の祠の前で
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山頂標識の前で
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北沢峠からの登山客は皆軽い荷物で次から次へと上がっており、駒津峰まですれ違いに時間が掛かった。双児山経由で下るか、仙水峠経由で下るか悩むが、北沢峠発の一番バスにはもう間に合わないと判断し、仙水峠経由でのんびりと下ることにした。
長衛小屋のテント場には200張を超えるテントがずらりと並んでいた。この人達が甲斐駒ヶ岳、千丈ヶ岳を登っているのだ。最近のテント人気に驚くとともに、当然山が混雑するはずであると認識した。昔は川沿いに20張もあれば、結構来ているなと思ったものだが、時代がすっかり変わったことに感慨ひとしおである。
北沢峠のバス停で本日は人が集まり次第臨時バスを出すとの情報を得て喜ぶのも束の間、広河原バス停に着くと、人で人での大混雑である。甲府行きのバスは3台出すとのことであったが、あまりの人が並んでいるのを見て4台になった。広河原も上高地同様に一般車両通行止めとなっており、芦安村で車をおりてバスに乗り換えて入山している人が多いようである。やっと乗り込んだバスは芦安村で大半の人を降し、甲府まで行く人は半数ほどとなった。
甲府には2時間ちょっと掛かって到着。駅中の店にて、ビールで乾杯、肉とワインを楽しみながらの反省会となった。来年も一度はきつい山行があっても良いのではないかと話しながら帰途についた。
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