2018年9月定例山行「箱根 鷹巣山、浅間山、湯坂路を巡る」




日 程 平成30年9月16日(日)
目的地 箱根 鷹巣山、浅間山、湯坂路を巡る
コース 箱根登山鉄道・小涌谷駅(10:15) → 千条の滝(ちすじのたき)(10:30/10:40) → 鷹巣山方面との分岐(10:45) → 宮ノ下方面との分岐(11:30) → 浅間山(11:40/昼食/12:20) → 大平台分岐(12:35) → 湯坂城跡(14:20) → 和泉/温泉入浴(14:50/16:00) → 初花蕎麦/反省会(16:10〜)
参加者 辻橋、古閑、松島、二戸、小池、中臺、武藤(7名)
係 り 武藤
記 録 文 / 古閑   写真 / 二戸 ・ 中臺

 湯坂路は鎌倉時代に整備された箱根越えの道。由緒ある箱根古道。
箱根登山鉄道、小湧谷駅からそぼ降る雨の中を出発、晴れていれば明神岳が望めるはずとの事。雨具の装備をする程ではないので傘組と辻橋さんのポンチョで凌ぐ。
 住宅街の外れに湯坂路への道標があり、方向に従い歩く事5分、千条の滝(ちすじの滝)。
この滝は蛇骨川の上流に位置し苔むした岩肌を伝わって流れ出る。その様子は吸い込まれる程優しい。しばしたたずんで見入ってしまう。

身支度整え、出発!

湯坂路道標

キンミズヒキ

千条の滝

 鷹巣山との分岐点になっており、我々は浅間山方面に向かう。
橋を渡るとすぐに登りが始まる。
急登では無いが、足元には大小のゴロゴロ石、過ぎると木の根が歩きを拒む。
一時間程で浅間山(804M)に到着。昼の休憩。
相変わらずの霧雨。濡れた芝に思い思いの敷物を出して休む。
霧の中といった程度で濡れる程ではなかったのでゆっくり休む事が出来たが、木々に囲まれ霧にも包まれ全く眺望なかった。
「浅間山は、江戸時代富士山への信仰が起こり、この山の中腹に浅間神社を祭った事から浅間山と呼ばれる様になったと伝えられている」 (案内板引用)

千条の滝の道標

登りが始まる

霧の中を登る

宮ノ下方面分岐

浅間山での昼食その1

昼食その2

昼食後の記念撮影

鮮やかな色のアザミ

 浅間山からは緩やかな下りでしたが、次第に雨水で削られた個所が数ヶ所。その部分は急坂で滑りやすく難儀させられた。
辻橋さんから「三角点が有るはず探して」と言われ皆で気を付け探すが見つからなかった。
 途中、立ったまま飲水休憩。二時間の時間をかけ湯坂城跡に。
「湯坂城跡?城址?、は室町時代御厨から西相模に勢力をはった大森氏が築城。相模支配を狙う北条氏に滅ぼされた後は北条氏の支配下になった。豊臣秀吉と北条氏の確執が激しくなり、秀吉との対決を予測し小田原城防衛の為、箱根山に多くの山城を築く、湯坂路はその時に整備されたものと思われる。」と記されていた。
湯坂城跡を更に下る。ここからは石畳が続くが石は濡れていて更に滑りやすく注意しながらの下山。

滑りやすい下り

マルバフジバカマ

オミナエシ

長い下り

食べごろの栗が・・・

ツリフネソウ

まだまだ下る

湯坂城跡?城址?

 一号線道路に到着。目の前の温泉「和泉」でゆっくり入浴したあと、最大の楽しみ、反省会。
お蕎麦屋で舌鼓を打ち箱根湯本駅にて解散。

秋の七草 フジバカマ

これも秋 あざやかなタマゴタケ?

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 【跡】(常用漢字)
      足跡。跡形。在り処。行方。ほか。
      このような原義から、「痕跡(自然物の痕跡。人工建造物の痕跡。行いの痕跡)」に対して用いられるが、「址」の代わ
      りとしても用いられる。
 【址】(常用外の漢字であるため、「跡」が代用される場合が多い)
      基(もと)。根元。残っている基の場所・区域。
      このような原義から、「人工建造物の遺構」に対して用いられる。

  

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