山行委員会

■ 2011.08.18

集会委員会7月土曜懇話会報告

回土曜懇話会  尾上昇会長を講師に迎えて

日時:7月2日14時~16時

場所:日本山岳会104ルーム

講師:尾上昇会長

出席者:14名

尾上昇会長をお迎えして、土曜懇話会を開催した。尾上さんと山との出会い、日大山岳部での思い出、東海支部と海外登山のお話等いわば尾上さんの半生記とも言うべき貴重なお話であった。

・父親がアウトドア派で、小さいときからスキーやキャンプを楽しんでいたが、山との出会いは高校時代である。高校時代は剣道部(れっきとした2段)だったが、そのときの剣道部の同級生に誘われて鈴鹿の山を歩き、夏は北アルプス、冬は木曽駒と出かけたのが山との馴れ初めである。

・実は、小中高そして大学、それも学部まで父親と一緒である。定めのように日大理学部に入学した。そこで体育会山岳部に入部した。日大山岳部は8〜9割の部員が理系の学生である。部は極めてリベラルで当時の大学山岳部で当たり前だった「しごき」などは全く無縁であった。水は飲み放題、1年生の荷物が一番軽く、2年生3年生が荷物を持った。そして、訓練のための山行はしない、学生らしい山登り・オールラウンドな山行を追究した。日大の水平思考と言われたように、スキー、岩登り等いろいろな技術、方法を指導された。4年生の時、オールラウンド・学生らしい山行の総決算ということで、大町から開通前のトンネルをなぜか抜け、ダム湖の氷を渡り、針の木西稜を始め登攀を行い、最後は笠まで縦走した。楽しい学生生活、良き山岳部であった。

因みに、誰もやったことがないと思うが、尾瀬にスキー合宿を行い、平ケ岳までスキーで往復したことも良き思い出である。

・4年の時に、学生部の委員長を務めた。当時の大学山岳部にはツワモノが沢山いた。今でも、36会と称して付き合いが続いている。自分の会員番号は6001番であるが、実は狙っていた6000番を後から来た先輩に取られてしまった。6002番は神崎さんである。

・卒業後、ヒマラヤ登山禁止、印パ戦争の影響で、海外の対象がヒマラヤ以外になり、日大はグリーンランドに眼を向け、グリーンランド横断、北極点日本人初到達を達成した。これも日大山岳部の水平思考のなせる結果と思う。

・その後、名古屋に帰省となり、会社生活に専念する予定であったが、縁あって36歳で東海支部長となり、「創始の心」を原点に数々の海外遠征隊を派遣し、近年の「K2西稜から西壁」「ローツェ」を始めとして素晴らしい成果をあげることができた。自身はマカルーで病気になり、ハードな山は無理になったが総監督として海外遠征を送り続けてきた。

・本部に対するライバル心について、尾上さんはいくつかのエピソードを話された。本部エベレスト隊との交歓会での二部合唱対安曇野節との話では、尾上さんの美声を直にお聞きすることができた。

・日本山岳会の会長は、まさに青天の霹靂であった。改革は待ったなしであり、特に公益化についてはみんなの意見をよく聞き、JAC存続を第一義に出した結論であった。公益化に一定の目途をつけたので、山積する課題の解決に向け全力で取り組みたい。具体的には、財政の立て直し、若い会員の獲得、事務局の強化、ルームの充実等々である。皆さんのご協力をお願いする。

最後に、出席者全員とJACのこれから等について、ざっくばらんな意見交換を行って、会は終了となった。           以上

(文責 清登緑郎)