お知らせ医療委員会

■ 2013.09.12

第33回日本登山医学会学術集会報告

tozanigaku-2.jpg医療委員会委員長 浜口欣一


 さる,6月15-16日,京都大学芝蘭会館において,会長奥宮清人(大学共同利用機関法人・人間文化研究機構・総合地球環境学研究所)先生のもとで,第33回日本登山医学会学術集会が開催された.一般社団法人化した最初の学術集会である.大会テーマは,「グローバル社会の登山を考える」-登山者と山の民との交響-である.このテーマに関して,会長は以下のごとく述べている.総合地球環境学研究所では,8年間の高所プロジェクトに参加し,地球規模で進行する高齢化と生活習慣病,それにともなう老化の変容を「身体に刻み込まれた地球環境問題」ととらえた.そして長年にかけて培われた高地への適応と近年の急激な生活様式がどのように影響しあうかを明らかにして,高地文明の未来可能性を「老人知」に学びながら,環境負荷の少ないライフスタイルや高地の人々の幸せな老いとよりよいQOLを追求してきた.


 大会テーマに沿って,シンポジウム「高地・登山者・山の民の交響」では,会長講演として「山の民の身体に刻み込まれた環境問題」,穂刈康治(槍ヶ岳山荘グループ)氏が「北アルプス槍ヶ岳における登山者との交響」,安成哲三(総合地球環境学研究所所長)氏が「ヒマラヤの上昇と人類の進化」という講演がなされた.
 

特別講演として大塚邦明(東京女子医科大学)氏が,「時間医学からみた山の民」を話された.
2日目午後には,市民公開講座「登山者と山の民との交響」が組まれ,松林公蔵(京都大学東南アジア研究所)氏が「高所順化(Acclimatization)と高所適応(Adaptation)」,斉藤惇生(元日本山岳会会長)が「ヒマラヤ登山と高所住民との交流:歴史的考察」の講演があった.
 

一般演題は,山岳診療,高山病,高所生理・トレーニング,登山におけるsecurity,ニューギニアおよびヒマラヤ高地,低温環境の影響など,水分状態など,等の7つに分類され,合計36題の多岐にわたる発表があった.一般演題も以前から比べると,平易な言葉での発表が多かった.
当日の学会参加者は165名,市民公開講座参加者は52名であった.
 筆者が興味を感じたいくつかの演題は以下のごとくである.
 

まずは,奥宮清人会長講演,「山の民の身体に刻み込まれた環境問題」である.このテーマの背景として,人口の高齢化とライフスタイルの変容に伴う生活習慣病の増加は地球規模で進行している.グローバル化のフロンティアと考えられている「高地」において,低酸素環境に対する人間の生物学的な適応と厳しい自然に対する文化的適応が,どのような相関をもたらしているかを明らかにすることは,今後の地球環境問題を考える上で重要である.人間と自然との密接な共生システムが,その特殊環境ゆえに残されてきた高地においてさえ,現在は急激な生活様式の変化が起こっており,それが人間の疾病・老化に多大な影響をもたらしている事実が明らかになってきた,と述べている.この様な背景のもとに,高所環境に対する人間の医学生理的適応と「高地文明」とも呼びうる生態・文化的適応を明らかにし,近年の生活様式の変化がいかに高所住民の生老病死におけるQOLに影響を及ぼしているかを明らかにすることによって,地球環境問題にむけた高所ならではのモデルや知恵を提示することを目的とした.対象地域はチベット,ブータン,ラダーク等で,高地文明の生業と経済の比較,生態の違いに適応した農林牧の戦略,生業と交易により地域のみでなく広域の異なる生態を結びつけた「つながり合うこと」の智慧と意義が明らかにされた.
  その結果として,国際関係,開発政策,市場経済化の影響で変容しつつある高所住民のライフスタイルと健康の関係を明らかになった.農・牧外労働,高齢化,低酸素適応のトレードオフによる生活習慣病の増加を示した.チベット人は低いヘモグロビン濃度で適応できる遺伝子を多く獲得してきたことより,若い時には慢性高山病や糖尿病に予防的であるが,加齢に伴い多血症,糖尿病への脆弱性が生じ,それが酸化ストレスの高値とライフスタイルの変化を促進し「糖尿病アクセルモデル」の背景として「低酸素適応遺伝子の老化に伴うトレードオフ仮説」を提唱された.そして今後の課題として,長年培われた高地への適応と近年の急激な生活様式の変化がどの様に影響し合うか,高地文明の未来可能性を「老人知」に学びながら,環境負荷の少ないライフスタイルや,高地の人々の幸せな老いとよりよいQOLを追求し,我々のライフスタイルに逆照射し,中山間地の問題,地域のネットワークを活かした高齢者の生活習慣病,認知症,うつなどの予防に活かしていきたいと,語られた.含蓄のある,将来の我が国の行くすえを暗示させる講演内容であった.
 

次に,大塚邦明(東京女子医科大学東医療センター時間医学老年総合内科)氏の,特別講演「時間医学からみた山の民」である.この講演要旨は以下のごとくでる.ラダークの中心都市レーと辺境の41集落の地域住民を対象とした調査である.この地域は,気圧が低く,低酸素で,昼夜夏と冬の温度が大きい.日照・紫外線,衛生状態がよくないという環境下である.心臓病や脳梗塞が多いだろうと予測し,調査をした結果,冠動脈疾患は2%と少なく,心房細動という脳梗塞の原因となる不整脈例は認められなかった.頭痛の訴えは多いが,脳梗塞・脳出血は少なく3%であった.メタボリック症候群の頻度も少ない.なぜこれほどの健康なのだろうか.それにはラダーク特有の生体リズムがあった.
 生態リズムの研究は急速に進歩し,リズムが乱れると高血圧,肥満,糖尿病,不眠や抑うつ,不登校や慢性疲労症候群になり,また癌が誘発され,いろいろな病気の源であることが判ってきた.
  地球に棲む生物は,生命の中に時を刻む時計を持っている.夜が来ると眠くなり,朝になると目が覚める.自立神経やホルモンの働き,体温や脈拍数,血圧など,夜と昼のメリハリをつけて約24時間周期で規則正しく,リズミカルに変動を繰り返している.この生体リズムを司っているのがサーカディアンリズムである.
サーカディアンリズムの「時計」は,視床下部視交叉上核に存在する.ここは時計細胞で満たされ,時計細胞の中に時計遺伝子がある.時計遺伝子に変異があると,リズムの周期や振幅が変わって,サーカディアンリズムが消失する.サーカディアンリズムを発信する遺伝子機構の中心は,6個の時計遺伝子である.
ラダークに住む住民に,重力センサーと体位記録計を用いて一日の活動量の変動リズムを解析した.その結果,70歳を超える高齢住民でもサーカディアンリズムが維持されていた.商店を営む老人だけでなく,一定の場所に定住しない遊牧民の老人にも,サーカディアンリズムが観察された.このことは,厳しい低酸素と低い気圧という過酷な環境と風土に適応し,長い年月をかけて生物時計を築きあげてきた事が推察される.
ラダークでは人々が自然とともに暮らしていることに利点がある.夜は深い暗闇の中で眠る.自然が創りだしている環境が,質の高い深い眠りを得ている.高所低酸素環境に由来する昼間の著しい交感神経活動亢進,夜間の深い睡眠にともなう充分な副交感神経活動の賦活,そのメリハリが創り出す大きく増幅された生体リズム,これらがラダーク住民の健康の秘密であった.
 

次に,市民公開講座で,斉藤惇生(元日本山岳会会長)氏が,「ヒマラヤ登山と高所住民との交流:歴史的考察」である.氏は,数々の海外遠征隊に参加し,医者であるので,医療を求める高所住民とは,他の隊員以上に密接な情報が得られた.各遠征隊で経験したことを,エピソードを交えて,懐かしそうに話された.正に学会長がテーマとした「登山者と山の民との交響」の神髄をかたられ,聞く側に深い感銘を与えられた.