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おろろ爺探偵団 自然の光・山の光

科学委員会 近藤 善則(ヒカリ工房)

日光(太陽)

月光

流星

稲妻

極光(オーロラ)

噴火(火映)

地震発光

大気光

光環(コロナ)

蜃気楼
太陽柱(サンピラー)

そのた

自然現象では時として信じられない美しさをもたらしてくれる。その美しさに浸るとき、私たちは荘厳な天空の神を時として感じ、とても人間の知恵や力では及びもつかないおののきに身を震わす。

ここでは、登山時や旅先で遭遇する、天空に現れる光を考えてみたい。

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日光(太陽) sunshine

全ての根源”太陽”。神は「光あれ」といった。

われわれにとって、太陽はなくてはならないものですが、この太陽は照明源として見た場合、どれほどの光源なのでしょうか・・・

光束(ルーメン)4.3×10 28乗
光度(カンデラ)3.4×10 
27乗  というデーターがあります

これを実際の数字を比較すると
.

太陽

電球(100w)

光束(lm)

43,000,000,000,000,000,000,000,000,000

1,500

光度(cd)

3,400,000,000,000,000,000,000,000,000

130

. . .

という、とてつもない数字となります。

地球は太陽から1.5億km離れていて、太陽放射の22億分の1しか受けていないにもかかわらず、直射照度では12万ルクス にもなります。
一般の屋内では300ルクスもあれば、充分生活できる明るさですので、いかに偉大な光源であるかといえます。

太陽の中心でうまれる光はエネルギーの強いγ線やX線で、この光が水素イオン(プロトン)や電子と衝突を繰り返しながら、長い時間をかけて可視光線となって表面に出てきます。表面はフレアというガス爆発により至るところで炎の尾をひいています。したがって太陽は水素ガスの塊ということになりますので、当然いつまでも同じ条件で輝いてくれるわけでは在りません。

今考えられているのは、だんだん中心部が収縮し、更に温度が高くなるため、核融合反応が加速され、今より約2倍明るくなり、大きく膨らむそうで、半径が1.4倍になるといわれています。その後水素原子が消耗し尽くし、核融合がおこらなくなり,最後は暗く、しぼんでしまうということになります。
50億年先のことです

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月光 moonlight

発光体ではないことは周知のとうりで、月は巨大な反射物と言うことができる。しかしそんな理屈よりも、古代から月は太陽と共にありとあらゆる分野において関りをもち、自ら光り輝くものと同等に扱われてきたのは、その美しさとともに、様々な伝説や習俗があるからなのだろう。

光源として見た場合、例えば満月の夜などはずいぶん明るいように感じ、白昼の数分の1から数十分の1程度に思えるが、これは錯覚によるもので、実際は太陽に比べると 1/400,000ぐらいのものであり、三日月になるとさらに1/100以下となる。

太陽の光を受けて反射する割合も極めて低く、月に投射された光は7%しか反射していない。ちなみに地球は40%を反射するといわれ、反射体というよりはむしろ光を吸収する物体と考えた方がよさそうだ。月から地球を見たほうがはるかに明るいのである。満地球の状態で満月の70倍で光っているそうだ(しかし地球の方がはるかに体積が大きいので単位面積の比になおすと5.5倍となる)

月については、科学的な説明をすればするほど情緒が消えて行くようなので、あまり追求しないことにする。

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 starlight

天文学の世界でよく分からない言葉に「光年」と「等星」の決め方があります。こちらの方は全く無知なので素朴な疑問の領域になるのだが、星のマニアの方があたりまえにこの言葉を使っているを不思議に思い、ちょっと調べる事にした。

光の速度は秒速30万kmとして、太陽から地球に光が届くのに8分20秒かかることになります。アンドロメダ大星雲の光は200万年かかるというとてつもない距離(時間)に、いったいどのようにして計ったのだろうかと疑問をもつのは、私だけではないと思う。

光年とは光が1年かかって進む距離だそうです。数字にすると、9兆4605億km。まさに天文学的数字といわれる所以である。どうも現実的な数字ではないのでなんとも雲をつかむような、いや星をつかむような話しなのだが、測定は意外や、ごく古典的な方法だった。つまり三角測量方式なのだ。

月に人間が降り立ったことで、地球から月までは正確な距離がわかり、2点間の距離と角度から3点目を計り、順次三角測量を進めれば惑星間の相対距離がわかることになります。しかしこの方法には限界があります。角度の測定に限界があるためで、100光年ぐらいまでしか計れないことになります。

そこで、さらに遠い距離は、星の色で測定するそうで、星の色(スペクトル)と星の光度には一定の関係があり、光度の設定に、距離のファクターが入っていれば、色から距離が推測できるというものです。

さて、そこで星の光度は?ということになります

星の明るさの目安に1等星〜6等星があることは、ご承知の事と思います。肉眼で見えるぎりぎりの明るさを6等星といい、いちばん明るい星を1等星としていますが、この間に100倍の差があります。この明るさの差を正確に配分して、1等星より2.5倍明るい星を0等星さらに明るい星は−(マイナス)をつけています。よく北極星を基準としていますがこれは2.12等星だそうです。

この星の等級は見かけ上のものなので、地球から一定の光年での仮想の明るさを絶対光度として、この基準で星の絶対光度を決めて距離を算出しているそうです。ちなみに太陽は視等級−26.7等、絶対光度4.8等、北極星の絶対光度は−5。ということは太陽は北極星に比べて1万分の1の明るさということになります。

星の世界はまだまだ分からない事がたくさんありますが、太陽よりもさらに大きく明るい星が宇宙にはたくさんあることを知りました。

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流星 a meteor

流星の元になる小天体は0.1mmぐらいの細かい塵のようなものから数センチほどの小石のようなものが主体で、地球の大気に突入したときに発生するプラズマ化したガスが発光すると考えられている。
たまに燃え尽きる前に地球に落ちてきたものが隕石となり、明るいものは火球と呼ばれ閃光を発するものもあるという

2001年のしし座流星群のとき、友人に誘われて観測に出かけたことがあった

稲妻(雷光) lightning

一瞬ではあるが落雷時の空の明るさは、まるで昼間のように思えることがある。この光が持続すれば、夜間、太陽に代わって強大な自然光が得られると思ったことはないだろうか。
この雷の光はどれほどの明るさなのだろうか?

なんとなく感覚としては写真に写る程度の明るさ(100ルクス)は確実にあるのではないかと推測できる。もちろん雷雲の高さや距離で計算値は大きく変化するが、仮に上空1000mぐらいのところからの稲妻が発光源だとすると逆二乗の法則から 光度=100×1000×1000=10,000,000,000cd つまり100億カンデラということになります
このとき空一面の雲に光が反射するので天空が昼間のように明るく感じ、しかも色温度の高い光なのでよけい明るく感じるのではないでしょうか。

ところで雷の光はなぜ「稲妻」と書くのでしょうか?
語源辞典によると 古代稲の実る頃は雷が多く、この頃の稲妻は「稲光」「稲魂」などと「稲」がつき、「つま」は夫婦や恋人が互いに相手を呼ぶ言葉であった。つまには男女は関係なく「妻」も「夫」も「つま」であった。「稲の夫」が本来の意味だそうだ。
また「稲妻」は光で、「雷」は音が語源ということだが、現在では雲と地面の間に起こる放電現象全般を「雷」とし稲妻はその放電による光のみをいう

極光(オーロラ) aurora

オーロラ・ボレアリス(Aurora Borealis=北極光)は宇宙(地球磁気圏)でつくられた高速の荷電粒子が地球の大気に飛び込んでくるときにおきる発光現象で、緑色、赤色、青色のいわゆる3原色のスペクトルを発しているが、とくに558nmの波長の光を「オーロラグリーン」と呼ばれ神秘的かつ神々しい、あこがれの光である。なんとか一度自分の目で見てみたいと思うのだが、なかなか機会が得られない。今年から来年にかけて太陽の黒点が活発な時期で、北極圏でのオーロラの発生確立が高いそうで、色々なツアーが企画されているようである。見る事ができればラッキーなのであろうが、必ず見る事ができるわけでもなさそうだ。

北極圏でしかオーロラは見れないのだと思っていたら、日本でも観測できた記録があったことを知って、驚きと同時に大変興味をもった。  1989年の10月に北海道で赤いオーロラが観測されたと新聞に出ていたが、これがオーロラ?と疑問を抱く写真であった。
実際に見るのと写真では大違いだろうが、齋藤文一著「空の色と光の図鑑」によると低緯度オーロラ(Low Latitude Aurora)は世界中で観測されているそうで、日本にも古く「日本書紀」に「天に赤き気あり。長さ一丈余。形雉尾に似たり」や「火の色あり。空に浮かびて北に流る。国毎に皆見ゆ」と記されているそうで、赤色で不吉な前兆ととらえられていたようだ。

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噴火 eruption 

火山の噴火中に発生する雷を火山雷(かざんらい)といいます。火山礫や火山灰が互いにぶつかったり、すれあったりして、電荷をおび、噴煙内で放電する現象です。写真は桜島で起きた噴火のさい撮影されたものです(京都大学防災研究所火山活動研究センター)

また、爆発的な噴火の際に火口の上空に光る環が広がる現象を光環(こうかん)といい、噴火による衝撃波によって空気を通る太陽光が屈折して起こります。これも桜島でたびたび観測されたようです

地震発光 Light of Earthquake

大地震の際に発光現象があることは以前から知られている事である。1965年ごろ、信州の松代の群発地震では多くの観察記録がある。地震時の放電現象と考えられているが、地震前に観察される事もあったという。地震予知に役立つかもしれないという期待があったようであるが、光の伝播の方が地震波よりも早く伝わる事からいわれているのだろうと眉唾的に考える方も多く、言い伝えの域をでていないようだ。

過去の地震の記録からの発光現象は、稲妻状、サンピラー状、オーロラ状など、色もさまざまで、瞬間的に発光したり、長時間に渡るものもあるという。海外の記録も多くあり、地震との関連があることは間違いないようだ。

国内で有名なのは寺田寅彦が1930年の北伊豆地震を調査した論文で、地震第1波の直後とその後1〜10秒間隔で3〜4回発光したそうです。これは幕電が原因となっているが、何故地震時に起るかは解明されていません。

そのほか、地震発光についての原因としては、岩盤が破断し断層がずれるときの摩擦エネルギーが光に変わるトリボ・ルミネッセンス(摩擦発光)、か岩盤の圧力から生ずるピエゾ電気効果で起る電圧が放電して発光する稲妻と考えられているが、いずれもその実態や発生機構はまだ解明されていない。

「地震に伴う発光現象の研究および資料」武者金吉編(1932岩波書店) には詳しく記録がある。

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大気光 atmospherelight

夜、月の無い空。真っ暗な夜でも、空はわずかな明るさをもっている。この光を構成するものは、

1)恒星や星雲の光
2)すい星などによる日光の散乱光
3)黄道光
4)オーロラ(極光)
5)超高層の気体からの発光

などである。5)の超高層(80〜300kmの電離層)での発光を大気光という場合が多い。発光は宇宙線や色々な粒子による衝突などによるもので、350nm〜1040nmと広い範囲の色を含んでいる。

モンゴルなどで漆黒の暗闇を体験するツアーなどもあるが、全く光のない暗黒の世界は、人工的な建築空間でしかで得られないのかもしれない。

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光環(コロナ) corona

 rainbow

蜃気楼 mirage

太陽柱(サンピラー) sunpillar

鹿沢の朝は寒い。戸外の温度計をみるとマイナス17度。北海道の気候に似ているというが、この鹿沢でサンピラーをはじめて見たとき、なんとも言えない身震いを感じた。もっともあまりの寒さゆえの身震いであったかも知れないが。

このとき、(確か2月のはじめ頃)なんとなく日の出が見たいと思い、まだ暗いうちに内にスキー場のリフトの一番上までスキーを履いて登った。もちろんリフトの営業時間前なので、自力で登るしかないのであったが、文明の利器の有難さをまざまざと感じさせられた思いだ。山頂付近の雪はかなり深く、新雪同様な雪を踏んで、見とおしのいい場所にようやく辿り付き、日の出を待った。

東の水平線上の雲の上に太陽が姿を表しはじめると、サーチライトの光のような光芒がまっすぐに天に向かって登っていた。光芒の廻りはキラキラ輝いていて、これがサンピラーかと感動のあまりの前述の震えになったのだ。身震いのまま、しばしカメラのシャッターを押すのも忘れて見とれていた。

サンピラーは気象条件や太陽との位置関係で見ることは極希であるという。雪の結晶が、微妙に反射して光芒が柱のようにまっすぐ天に突き刺さるようにみえることで、北海道などではよく見られるというが、鹿沢で見れたことは全くの幸運というしかない。

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その他

セントエルモの火 Stelmo'sFire

航海時代に発見された、船の先端などにボーツと青白い炎のようなものをいい、これが出現したときは必ず嵐になると言い伝えられ、不吉な前兆と嫌われた。

たまに避雷針の先端にまとわりつくようにボーとした薄青い光が見られるというが、実際に見たことは無い。
飛行機からでも見られるそうで落雷しそうな積乱雲の中を飛ぶとこの現象が起る。
これは静電気の仕業で、積乱雲のような活発な気流の中では水滴同士が摩擦を起こし、静電気を発生させコロナ放電となって光を放つ。

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