科学委員会 KAGAKU バーチャルシンポジウム 「山の科学を考える」
B 山と学問 梅棹忠夫
信州大学山岳科学総合研究所
山岳科学フォーラム 特別講演抄録より
聞き手:信州大学人文学部教授・中嶋聞多
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解説
信州大学は登山で有名な大学である。そこが山岳科学総合研究所をつくるにあtり、山岳科学フォーラムを開催するという。 標題は「山岳地域に於ける自然と人間との共生」で、2001年10月26日(金)、27日(土)の2日にわたって日程がくまれた。 会場は長野県松本文化会館3階の国際会議室で、わたしは依頼をうけて27日の午後に特別講演を行った。
講演の際、目の不自由なわたしをたすけて、話の引き出し役をしてくれたのは信州大学人文学部助教授(現教授)の中嶋聞多君であった。 かれは、わたしが国立民俗学博物館長をしていたころの若き同僚である。わたしの山の履歴をよく知ったうえでの質問を準備してくれたので、おもう内容をはなすことができた。
2日間にわたるすべての講演は、のちに編集されて一冊にまとめられた。 わたしの講演もそこにおさめられた(註)
(註) 梅棹忠夫(著)/中嶋聞多(聞き手)「山と学問」信州大学山岳科学総合研究所(編)「山に学ぶ 山に生きる」(山岳科学叢書1)7〜37ページ 2003年5月 信濃毎日新聞社
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―――前半省略―――
オロロジーとオログラフィー
中嶋 : ずいぶんと話が多岐にわたりましたが、文科系的なものと理科系的なものと、いろいろな立場から山岳科学研究ができるということなのですね。 もう少し話を膨らませて、山岳科学全体についてお話を伺いたいと思います。
今回、先生にご講演のお願いをするときに、新しい学問領域として、山岳科学というものを信州大学でつくるというお話をいたしました。 それで是非ご講演と申し上げましたら、それはおこがましいとやんわり怒られました。 要するに山岳科学が新しいというのはちょっとおこがましいやないかと。 その辺りのお話なのですが、山岳を対象とした研究は今たくさんお話がありましたけれども、きちんとしたものはございますか。梅棹 : 昔から、ヨーロッパ起源だとおもいますが山岳学というのがあります。
中嶋 : 山岳学?
梅棹 : オロロジーです。
中嶋 : オロロジー? すみません、スペルは?
梅棹 : OROLOGY。 個別的に各山の個性を記述していくのがオログラフィーといいます 。山岳誌です。 実は明治以来、日本にも伝統があります。 明治のおわりに、「日本山嶽志」という大きな本が出てるんです(註)。 これを書いたのは高頭式(仁兵衛)で、全国の山について、個別的に記載してあります 。この人は新潟県の豪農で日本山岳会の二代会長です。
中嶋 : 日本でも明治以降、そういうオロロジーに類別されるような研究もあったわけですね。
梅棹 : あったと思います。確かにまだまだやることはありますが、少なくとも明治時代からは、そういう伝統があったということを忘れないでいただきたい。
中嶋 : はい、わかりました。肝に銘じます。
(註) 高頭式(編)「日本山嶽志」 1906年2月 博文館
この本にはつぎの復刻版がある。
高頭式(編) 「日本山嶽志」 日本山岳会(企画・編集) 「日本山岳会創立70周年記念出版 覆刻 日本の山岳名著」1975年10月 大修館書店山の本
梅棹 : 日本は山の研究についても、そうとう伝統のある国なのです。こんど山岳研究所の拠点をおつくりになるというのは、たいへんけっこうなことだと思います。 そのときに、ぜひとも山岳図書の大コレクションをここにつくっていただきたい。 全国に公開できるような形でですね。
中嶋 : 学長も会場におりますので、きっと特別予算で購入してくださると思います。
梅棹 : そうしてください。 さきほどお話しました京大旅行部の山岳文献コレクションはざんねんながら、戦後まもないころ火事で焼失してしまったのです。 今、日本に山岳図書のコレクションで大きいものはありません。 京都大学には多少あります。 さきほど言いましたAACKが努力して、いろいろな補助金をもらったりして、国際登山探検文献センターというのをこしらえたんです。 それでずいぶん本を集めました。 このライブラリーには旧制三高山岳部の蔵書もすべて含まれています。 これは現在は京大の図書館にはいっています。 AACKは会員が持っている山の本を集めただけでなくて、新しく買いました。 このためにロンドンまで買出しに行ったんです。
中嶋 : 山の本をですか。
梅棹 : やはり山の本を買うにはロンドンへいかないとだめなんです。 ヒマラヤの本はカルカッタ(現在のコルカタ)です。 カルカッタの古本屋に行けばあるんです。 しかし、京大には英語、ドイツ語の本はありますが、イタリア語やフランス語のものは多分ないと思います。 まだまだ集める余地はあります。 じつは、「日本山書の会」というのがあるんです。 全国で山の本の好きな人が集まって作っている会です。 京都商工会議所の副会頭の小谷隆一という人がおりまして、この人はだいぶ古いですが、ここの旧制松本高校出身で、北杜夫と同級くらいだったと思います。
中嶋 : じゃもう、商工会議所の方は退かれていますか。
梅棹 : そうかもしれません。わたしよりすこし若い。 その人が山書の会の有力メンバーで、ずいぶん本を集めているんです。 この種の山岳書の拠点をぜひとも信州大学に作っていただきたい (注)。
中嶋 : なるほど。いいご提案をいただきました。ぜひがんばって集めたいと思います。
梅棹 : ついでに申し上げますが、古本屋に頼んでおけば、今ならまだ旧制高校や大学の山岳部の報告書が手に入るはずです。 これを集めていただきたい。
中嶋 : 国際的な文献と別に、日本の登山史ですか。
梅棹 : 日本登山史というと、スポーツの話かとバカにされるかもしれませんが。これは日本文明史の大きなひとコマなんです。 今、山岳部はどこもはやらない。 アルピニズムは日本でも1930年くらいから非常に盛んになりました。 高校、大学の山岳部、登山団体です。 それぞれ部報が出ています。これは本当に貴重なものなので、ぜひ今のうちに集めておいていただきたいのです。
中嶋 : はい、がんばります
梅棹 : この山岳科学研究所で日本登山史をやっていただきたいんです。日本の登山史はおもしろい。 さきほども言いましたが、修験道に引き続いての日本の近代アルピニズムの歴史、これはまさに日本の近代史の大きなひとコマですからね。
中嶋 : いやたいへんな宿題をいただいてしまいました。
(註)信州大学はこのフォーラムのあと小谷隆一氏と連絡をとり、幾度かの会談をもった。その結果、小谷氏の膨大な山岳書コレクションは信州大学に移管されることになったという。
小谷氏には「山なみ帖」(1981年8月 名渓堂)という著書がある。その続編をまさに出版しようと準備していたさなかに、かれは亡くなってしまった。その遺志をついで、残されたご家族が「山なみ帖 その後」(2008年11月 名渓堂)という本を出された。小谷氏は、惜しみながらも決心して信州大学に蔵書を寄贈したいきさつについて一文を書いておられたようで、それは「山の書物の楽しみ−小谷コレクションの展開と結末」として「山なみ帖 その後」に収録されている。アース・サイエンスとしての山岳科学
中嶋 : すこし話が変わりますが、先生の御著作の中で、飛び抜けて有名なものに「文明の生態史観」がございます(註1)。 1950年代にお書きになったものですが、いまだにその学説を巡って論評がなされます。 今回ご講演いただくということで、それらに目を通しておりましたら、川勝平太先生との対談の中で、先生ご自身がおっしゃていたある言葉が目を引きました。 「地球科学としての歴史」という壮大な・・・(註2)
梅棹 : アース・サイエンスです。
中嶋 : そのよきにハッと思ったんですけれども、今回の山岳科学というのも、やはり梅棹先生のお考えになるアース・サイエンスの一部ではないかな、という気がするのですが、そのあたりはいかがですか。
梅棹 : これはまさに地球科学です。地球規模で考えてゆくべき話なんです。
中嶋 : 先生がアース・サイエンスとおっしゃた時は、われわれがいう地球科学よりもっと広く、人文も、人文科学からあらゆるものを含んだものをとおっしゃていますね。
梅棹 : そうです。単なる人文学ではなくて、わたしが文明学と称しているものです。文明の研究、アース・サイエンスです。地球上で人間がいかにそれぞれの環境に適応しつつ文明をつくりあげてきたかというのが分明史なんです。 そういう観点でやるべきなのです。 わたしの「文明の生態史観」は、生態、エコロジカルということばを使っておりますが、そういう意味なんです。
中嶋 : はい、なるほど。
梅棹 : 文明というのは、けっして頭の中だけで、できたものではない。農業が基本ですから、そこで各地域の気候に応じていろんな文明が展開してゆく。 それを見てゆこうということですね。
中嶋 : ベースに気候学があるわけですか。
梅棹 : 気候学です。気候学というのは、それぞれの土地の気候の研究です。気象学とは違いますよ。 気候学は20世紀前半でほぼ体系ができているんです。たいへん立派な研究がいくつもあります。 それに基づいて文明を見なおしてゆこうということですね。
中嶋 : そうしたお考えの中で山岳科学なども位置づけられるのかと思ったのですが。
梅棹 : はい、そうだと思います
中嶋 : 一方には、最近、先生がおっしゃている海洋学に対応するようなものと位置づけてよろしいんでしょうか。
梅棹 : よろしいと思います。どちらも今は地球物理学の分野として位置づけられている。 しかし地球物理学に限定することはないんです。 これはやはり、農業も含めたぶんめいそのものの研究です。 ただ海洋学の方は、海に定住者はおりませんから文明という訳にはいかない。 山は定住者がたくさんおりますから、文明学の一部になるかと思います。
中嶋 : そういった意味では、まさに理科学的なアプローチと文科系的なアプローチ、両方融合するようなテーマになりうるということですね。
梅棹 : 両方の切り口があります。
(註1)「文明の生態史観」にはつぎの各版がある。
「中公叢書」1967年1月 中央公論社
「中公文庫」1974年9月 中央公論社
「中公文庫」(改版)1998年1月 中央公論社
「中公クラシックス」2002年11月 中央公論社
「梅棹忠夫著作集」には第5巻「比較文明学研究」に収録(註2)梅棹忠夫(編) 「文明の生態史観はいま」(中公叢書)94-97ページ 2001年3月 中央公論社
共同研究の真髄
中嶋 : 時間もだいぶ迫ってまいりましたが、もうひとつ、是非お聞きしておかなければならないことがございます。 先ほど申し上げました、文科系的なものと理科系的なものの融合という点です 。国立民俗学博物館ではいろいろの分野の方が一緒になって研究するのが当たり前でした 。しかし学際研究は、口でいうのは易しいんですが、実際のマネージメントはたいへん難しいと思います。 昨日もさまざまなお話があったんですが、こういったものを融合して、真の意味で理系でも文系でもない山岳科学というものをつくってゆこうとしたときに、われわれはどうすればよいのか、先生なりのお考えをご開陳いただけますか?
梅棹 : 難しいことですね。 学者というものは、ほうっておいたらすぐに自分の周りに壁をつくります。 違う領域の人との会話はできるだけ避けたいのでしょう。 障壁をつくって、その壁の中に立てこもる。いわゆるコンパートメンタリズムというやつです。 それで、できるだけ専門家という隠れ蓑の中にはいってしまうわけです。 専門、専門と言いながら、要するにそれは他領域に口出しをしない。 逆に言うと、自分の領域はよその人に口出しして欲しくないということなんです。 それではだめです。 こういう広範な領域のものをやろうとしたら、できるだけ違う専門の人と接触して、議論に議論を重ねてゆく必要があります。 わたしは若いときから、共同研究で本当に鍛えられてきました。 これは桑原武夫先生の直伝なんです。
中嶋 : 京都大学の人文科学研究所におられたときの話ですね
梅棹 : 皆、誤解がありましてね。 ふつう共同研究というのは、ひとつの同じテーマをやっている人間が集まって議論すると思うでしょう。
中嶋 : 専門が同じ人間が集まって議論する・・・。
梅棹 : そう。これを一般には共同研究と称しているんです 。桑原さんは全く正反対でね 。専門を異にする、違う専門の人間が同じ学問的課題で集まって討論する。 これが共同研究だというわけです。 そのとおりだと思います。 専門が違うからといって、周りに壁をつくっていたら全然、話にならない。 私は若いときから共同研究をいっぱいやってきました。
中嶋 : 最初に先生が人文科学研究所で桑原先生のもとでされた共同研究というのが、確か百科全書でした。
梅棹 : 「フランス百科全書」の研究です。
中嶋 : あのデイドロとグランベールの「百科全書」ですね。その時、先生はどちらかというと理科系の立場で入られた。
梅棹 : それは報告書も出ておりますが、そのときにわたしが書いた論文は「『フランス百科全書』における生物学」です(註)。
中嶋 : 生物学の部分をご担当されたということですね。
梅棹 : ええ、周りに垣根を作っていたのでは、そんなことはぜんぜん出来ないんです。だいたい「百科全書」そのものが、デイドロとグランベールという二人のリーダーによってできたものです。なかにいろんな人が入っているんです。あれは共同研究、文明研究の産物です。
中嶋 : 百科全書ですものね。ありとあらゆるものが入っている。
梅棹 : あんなものがよくできましたなあ。おおきな本ですよ。何十巻かありますけどね。
(註)今西錦司、梅棹忠夫、藤岡喜愛、牧康夫(著)「第8章 生物学」桑原武夫(編)「フランス百科全書の研究」237-263ページ 1954年6月岩波書店[「生態学研究」「著作集」第3巻に収録]
知的腕力の重要性
中嶋 : その後、梅棹先生もたくさん共同研究を主宰してこられました。ただわたしも頭では分かっているのですが、実際、分野の違う人間が集って、ひとつの成果を出していくというのは、そうたやすいことではないと思います。やはりリーダーである桑原先生や梅棹先生ならでは、という気がするのですが。
梅棹 : まさにそのリーダーが決め手です。共同研究で成果を上げるためには、だれか強力なリーダー、リーダーシップが必要なんです。だいたい学問全体がそうだと思うんです。リーダーがメンバーと議論しつつ、共同で一つの仕事をまとめていく。個別化して個人研究だけではたいしたことはできません。
中嶋 : 耳が痛いです。そういったリーダーシップというのは、グングン引っ張ってゆくリーダーシップなのでしょうか。京大の人文研はたいへん和気あいあいとした雰囲気で研究をなさっていたという話をどこかで読んだんですが・・・。
梅棹 : 人文研はにぎやかな研究班でした。しかしわたしは、ある意味で、学問には知的腕力が必要だというふうに考えています。わたしが国立民族学博物館長をやっていたころは、よく冗談でそう言っていたんです。若いものをつかまえて議論をする。しばしば「おい、ちょっと廊下へ出ろ」っていって。
中嶋 : 「顔貸せ」ですか。
梅棹 : それくらいの気迫がいるんですよ。生やさしいことではすみません。そういう知的腕力を備えた人を、次々と養成していく必要がある。やわなことでは学問はできません。
中嶋 : そういった知的腕力といったものをもった、リーダーシップが必要だとわかりました。もうひとつ、先生のご経歴をふりかえると、エクスペデイション、学術調査というものもたいへん役立っているのではないでしょうか。
梅棹 : わたしはずっと学問をやってきましたが、ひとつ大きな心張り棒といいますか、背骨になっているのは、やはり登山の体験、山へ行っていた体験です。登山は怖いですよ。生半可なことでは死にますからね。山へ行くときは本当にはっきりしたリーダーシップがいるんです。わたしは若いときからリーダーとしての訓練を受けました。これが学問に活きているんです。意見はいろいろ、皆違います。違う意見を聞いて、ひとつの行動へまとめあげていくのです。
中嶋 : 具体的なアクションへつなげていくということですね
梅棹 : アクションで結実していくわけですね。学問でいうと、アクションというのは、ひとつの具体的な形でいえば、研究の成果をまとめて本にするということです。
中嶋 : ちゃんとアウトプットを出せと。
梅棹 : それがなかなか出てこない。わたしもずいぶん経験がありますけれども、学者っていうのは、じつに怠惰なんです。なまけもので、アウトプットが出てこない。ひどい言い方をしたら、この信州大学もそうですけど、国立大学でしょ。国家公務員です。その人達が国家の給料で何やっているんだ。これでアウトプットが出なければ、税金泥棒ですよ。
中嶋 : あの、会場から拍手がわいているのですが・・・。
梅棹 : そうでしょ。しかし本当にそれでは困るんですよ。
中嶋 : なるほど。われわれがきちっと襟を正してがんばらなきやいけないわけですね。
梅棹 : そうだと思います
中嶋 : そのためにはアウトプットをしっかり出せと。
梅棹 : それは国立大学に限りません。どこでも給料をもらって学問をやっているわけです。その成果が、出てこないとはどういうことですか。
山と学問
中嶋 : わかりました。だんだん耳が痛い話になてきましたし、そろそろ時間も迫ってまいりましたが、本日のお話は「山と学問」ということですので、最後に先生の口から是非おうかがいしたいことがございます。 それはわたしが今回のこの企画を通してずっと考えさせられてきたことであり、結局のところ「山と学問」という問題は、この一点に集約するのではと思う事柄です。 先生は京都一中時代、三高時代とずっと山をやられて、その後も水平志向でいろいろ探検に出られました。そのご経験を踏まえて、是非お答えいただきたいのですが、どうして学問と山はこれほど近しいのか、つまりなにゆえ学者は山をいつくしみ、山は学者を育むのでしょうか。
梅棹 : すべての学者が山をいつくしむことはありません 。しかし、山は学者を育みます。 育てます。 それは、さきほど学問は知的腕力だなんていいましたけれど、学問というものは体力を伴うものです 。全人格的、全人間的なものです。 体、肉体の運動を伴うわけです。 それを伴わない学問、そんなひ弱なものはだめなんです。
中嶋 : たしかに、先生のタフなフィールド・ワークはつとに有名ですが、一方で、わたくしはよく存じ上げているのですが、先生はたいへんな読書家でもいらっしゃる。十分な文献渉猟の後ではじめてフィールドにむかわれる、そういう姿勢を常々いたく尊敬しておりました。やはり山岳科学では、フィールド・ワークも重要だけれでも、文献的な裏付けもしっかりやるべきだとお考えでしょうか。
梅棹 : そのとおりです。肉体的行動を伴わない学問というのはだめなんですが、同時に文献を踏まえていない学問は、全くだめなんです。わたしはフィールド派として出てきた人間ですから、山というフィールドで学問をやってきた。京大の中でも、やはり二つの派がありました。フィールド派はどちらかというと新しいんです。学問といえば本を読むことだと心得ている人が実に多いんですが、そうではないんです。学問は、確かに本を読む必要がありますけれど、自分の足が歩いて、自分の目で見て、自分の頭で考える。そしてアウトプットを出す。これが一番大事なことです。新しいものが出てこなかったら、なんだってことになる。他人の言説を本で読んでそれを受け売りしたら、こんなものは何が学問ですか。それは「お勉強した」というだけのことです。
中嶋 : ますます耳が痛くなってきました・・・。
梅棹 : 京大のなかでもわたしたちを批判する人がいるんです。例えば、名指しで、講義のときにこういっていた。「あいつらは、足で学問をしている。学問は頭でするもんじゃ」。その人は、頭でするということは、要するに本を読むのが学問だと心得ているのです。本を読んでも、本以上のものはなかなか出ません。自分の体験が新しい本を生み出す。本を読んで、それを少し変えて出すのとは違う。オリジナルなものを出すということは、自分の足で歩き、自分の目で見て、自分の頭で考えて初めて出てくる。そうわたしは思っております。
中嶋 : ありがとうございます。では、その言葉を胸にわれわれも日々精進いたします。最後にひと言、これから山岳科学総合研究所をつくり、山岳科学の拠点にしたいと考えているわたしども信州大学に対して、先生の方から何かメッセージをいただければと思います。
梅棹 : 山岳科学総合研究所というのはたいへんすばらしいおかんがえですから、ぜひとも立派なものをつくっていただきたいと思います。おおいにエールを送ります。
中嶋 : ありがとうございます
梅棹 : 途中でくじけたらだめですよ。本当にやらないと。
中嶋 : 学長、お聞きになられましたか。会場から拍手がわいておりますので、くじけずがんばりたいと思います。肝に銘じます。ありがとうございました。とうとう時間がまいりました。梅棹先生には、ほんとうに有意義なお話をたくさんいただきました。今後は精一杯わたしども山岳研究に邁進したいと思います。本日は長時間にわたり、誠にありがとうございました。
梅棹 : 失礼しました。中嶋さん、ありがとうございました。
中嶋 : また会場の皆様も、最後までこのご講演にお付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。これで終了させていただきます。
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