科学委員会
KAGAKU     バーチャルシンポジウム 「山の科学を考える」      

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A 登山と科学

渡辺兵力
日本山岳会岐阜支部第九回山岳講演会
「自然・登山・探検」に収録 より

―――前略(自己紹介)―――

そこで、私の専攻しております農業経済学とは、登山は直接に結びつかないのであります。しかしここで演題にあげております「登山と科学」の科学は、どなたも自然科学を連想されますでしょうが、この場合は自然科学も人文科学も一緒に致しまして科学一般という立場で山登りと結びつけて話を進め、ご参考に供したいと思うんであります。

 最初にお話申し上げようと思いますことは、日本山岳会に昨年から科学委員会というものが、西堀前会長の提案で設定されました。考えと致しましては、科学的な知識を持つことによって、少しでも山登りの面白さが増すだろうということだと思います。今西さんからは前から山岳学というジャンルが必要だし、出来るんだと承っておりますが、まあ、沿いう考えもあって科学委員会がスタートしたのであります。月に一度ぐらい講師を呼んで話を聞いたり、植物学の先生と一緒に山へ行って高山植物の名前を教えて頂いたりしております。

だけど、この科学委員会というものが、何をしたらいいのか、まだよく分からない。構想としては将来、山岳学というものを構築しようという考えが科学委員会の中で共通しているように思います。更に人によっては山岳辞典というものを作ったらどうかという意見もあります。いずれにしろ、その土台となる体系づくりをしておかなければ、整理のしようがないんであります。ところがその実体がないのでありますから、どう考えたって自由でありますが、結局、山岳学とは山と人との関係を対象とする総合的な知識の体系みたいなものではないかと思っております。そう致しますと、山または山地を対象とした諸々の科学が含まれます。

すなわち山の気象だとか山の地形などという自然科学から始まりまして、山に住んでいる人の暮らしなどを対象とする社会学や人文科学、更には山にちなんだ文学や芸術、思想、哲学をも総合してリストを作れば、仲々面白いものが出来るんではないかと思います。一方、山登りという行為の中での科学も考えなければなりません。それはその体系を総合して山岳学と呼んではどうでしょうか。

 そこで、ここに挙げました演題は「登山と科学」としております。この登山と科学は、登山の科学と同じ意味におとり頂いて結構です。ただ、山登りは所詮、遊びであります。遊びである以上、愉快でなければなりません。楽しくあらねばならないということが大前提であります。そのためには安全でなければならないはずです。危険はなるべく排除した方がいい。その時、どうすれば合理的すなわち安全にできるかということを次のように考えました。これを縮めていえば科学的すなわち合理的登山ということになるはずであります。

 さてそれでは、登山活動における安全すなわち登山の安全性は、どういう原理で保証されるか。この点について私は次のような一つの仮説的原則を想定いたしました。すなわち「登山者と山あるいは自然との間に一定の調和状態――動的均衡と呼んだ方がいいんですが――が保たれている限りにおいては、その登山活動は安全であり、この調和が破れた時が危険である」という考え方であります。これは今日の生態学の基本的理論と全く同じ発想といえます。すなわち、生物個体とその環境との間の調和が崩れれば、生物はやがて死滅するという認識と同じ考え方であります。

 ここで一つ注意したいのは、「調和」という言葉の持つ意味についてであります。
私か専門としている経済学の理論の基礎には静的均衡という一つのモデルが想定されております。これは直線上の二つの相反する力がつり合ったとき、瞬間的な静止状態を生ずることを指しています。しかし世の中のありとあらゆるものは動いているのであって、お互いの動きが安定していると、動きと動きとの間には、一見動きのないような同一状態がつづくことかあります。このような状況を「調和」すなわち動的均衡と呼ぶのであります。

 登山の場合について考えてみますと、登山者は一生懸命に山を登っているのであって、休んでいては目的を果たし得ないのであります。すなわち登山者は動いております。他方、山もまた時々刻々、変わっているのであってやはり動いております。この二つ(主体と環境)の「動き」が調和しているときには、登山の安全が保障されていると考えるのであります。それでは、この「人と山との調和」をどうして実現していくのかが次の問題であります。

 先程、申し上げましたように、登山者と山との両方に「動き」があるわけですが、まず登山者の側から見ていきます。ごく常識的にいって、優れた能力を持った登山者の方が、能力の低い者よりも登山の場合は安全であるといえましょう。この登山者の側の条件である登山者能力を、ここで問題にしようというわけです。

 私は、かねがね登山者の能力を四つに分けて理解してきました。第一が技能的能力、第二が知識的能力、第三が体力的能力、そして最後が精神的能力です。

 第一の技能的というのは登山技術といってよいのですが、正確には一般的、社会的な「技術」が技術であって、個人が持っているものは技能といった方がよいと思います。したがってここでは一人一人の登山者が身につけている登山技術、例えば岩登り、渡渉、スキー、バランスといったものを指します。

 次に挙げました知識的というのは山や自然についての知識であります。「山を知っている」ということは、登山者にとって非常に大切な能力であると思います。

 三番目の体力的というのは、文字通りの体力のことです。これはなにも登山だけに要求されるものではありません。あらゆるスポーツに必要なフィジカル・パワーであります。

 第四番目のものは、いわゆる精神的、あるいは登山者の活力といってよいと思います。

 以上の四つの能力は、すべて可変的、すなわち変わる、動くものです。すなわち練習すれば開発し、高めることができます。例えばスキー練習や基礎トレーニングをやれば、技能も体力も向上し、山の本や気象の勉強をすれば山についての知的能力が深まります。しかし一つの登山期間――私は登山行動とは自分の家を出てから、帰ってくるまでの間の活動だと考えておりますが――そういう限定された期間内で考えますと、第一と第二の能力は不変的、固定的であります。第三と第四はかなり可変的、流動的であります。登山には日帰りの近郊登山から何ケ月もかかるヒマラヤ登山までありますが、このような登山期間の長短とは関係なく、その人の一登山期間内で比較すると、以上のようなちがいがあります。

 前に述べました私の仮説からしますと、登山者の能力と登る山との間に調和があれば安全性が高いということになりますが、登山者の能力のうちで可変的なものがあるとすると、そこに「人と山」との調和を崩す要因が存在するといえましょう。朝、出発する時は元気だったのに、午後になったら急にヘバりだしたといったことは、山ではいくらでもあることです。こういうことを可変的といったわけです。これに対してスキー技術などは、一つの山に行っている間に急に上手になることはありません。長い期間をかけて徐々に上手くなっていくものであります。

 断っておきますが、ここでいう安全性とは、登山者の能力を越えた山登りをやって失敗するケースは除外しなければなりません。登山にもしルールがあるとすれば「自分――能力といってもよい――にふさわしい山登りをする」という原則があって、これを守らないような登山は論外です。したがって第一と第二の能力にあった山登りをしていても、登山には尚、危険が伴う。それはなぜかというと第三と第四の能力が、山とは関係なしに変るからだというのが、私の理屈であります。

 そこで、以上四つの能力を科学的に、あるいは客観的にとらえることができるとすれば、登山の安全性にとって大いに有効であるといえる訳ですが、残念ながら今日では多くを望むことが出来ません。わずかに可能なのは、第三の生理的能力について医学的な知見と方法を適用できるにすぎません。それとても一側面をとらえているにすぎません。結局、第三、第四の能力の問題については、登山者自身の経験に頼る以外に方法がないというべきでしょう。また、二人以上がパーティをつくって山に登る場合は、この問題、すなわち各メンバーの体力と気力の可変的状況の判断はリーダーの責任に属する問題です。

 次に山の方の条件を考えます。これについても登山者の能力に関して使ったのと同じ論理で考えますと、相対的に固定的な条件と可変的な条件に分けることができます。
 すなわち、山の自然の中で比較的固定的なものは、地形、岩質、積雪などであります。もちろん、山に登る季節がちがえば同じ山でも条件が大いにちがいます。しかし一登山期間の中では、そう激しく変るものではありません。細かい話をすれば、山の積雪ぱむしろ可変的条件と見なくてはいけないのですが、冬に雪のある山へ行って一夜にして雪が消えてしまうといったことは、まずおこりません。積雪の状況を変える直接的原因は、むしろしろ山の気象の側にあるのです。すなわち山の気象は、もっとも可変的な条件であるといってよいと思います。したがってこの気象は「人と山」の調和を崩す非常に大きな要因であるといってよいと思います。

 あるいはまた、山の側の可変的要因と人間の側の可変的要因の間に不調和状態がおこって、その不調和が山の危険ではないかと思っております。そこでそれをなるべく排除するための科学的、合理的な方法となりますと、登山者の体力と山の気象についてできるだけ科学的手法で観察し、科学的知見による判断をする。それも出来れば山の現場でそれを行うことが、登山の安全性を高めるのに有効ではないかと思う次第であります。

東京大学の学生が六人ばかり、以前、滝谷で遭難したことがあります。その時の追悼集に「兵力さん、何か書いてください」といって参りました。それで、今、お話したとほぼ同じ内容のことを発表しました。大分、前のことであります。
そうなれば、この理論を実証しなければ意味が無い訳であります。それが、先程、申し上げましたバルトロ・カンリに行くかということになった時、気象について実行できないかということを考えて、気象庁へカラコルムの気象予報ができないかとお願いに行ったのですが、あそこはお役所でありますので不特定多数の人にはサービスできても、特定少数にはできんという返事でありました。ところが探してみますと、気象予報会社がありました。それは会社でありますから、金を出せば予報を出してくれるのです。当時の金で20万円程とられたと思いますけれども、ここにお願いして長期予報を作って貰いました。

 その予報の内容というものはニケ月程先の――ちょうど我々が山に入ってからのものですが――日割りのものも作ってくれました。当時としては世界はじめてということになるのだろうと思います。その予報の作り方というのが面白いんでありまして、これを詳しく申上げますとキリがないんで荒っぽくいいますと、日本でいちばん高い気象観測所は富士山であります。勿論そこの観測記録がございます。そして私たちの前に京都大学がチョゴリザヘおいでになった時の報告書の巻末に、甚だ文学的な気象日誌みたいなものが所載されております。そこでこの二つの記録の相関関係を探ってみますと、5500ミリバール付近の気圧の山と谷の動きが、富士山から六日内至七日前にカラコルムに現れていることを発見したのであります。後は日割りに晴とか曇とかを入れていけばいいということになります。またバルトロ・カンリの位置は北緯36度付近で日本と変りません。ネパール・ヒマラヤは27.8度になりますので、大分ちがっていて日本で予報を作ることが難しいし、またモンスーンの影響も考慮しなければなりませんので、単に偏西風の波動だけという具合に単純には参りません。

 以上のようにして用意した予報表を持って出かけました。そしてキャラバンをしている間にも観測しておりますと、予報と二日から二日半くらいずれていることが分かった訳です。こういうデーターはズレが分かれば、非常に有効に使えます。特に前半では大いに役に立ちました。という次第で、ヒマラヤ登山に長期予報を使うというようなことは、世界ではじめての試みじやないかと思っております。その後、東京大学が同じカラコルムのキンヤン・キッシュに参りました時にも、また20万円だか出して予報表をもって参りました。山の方は失敗しましたけれども、予報の方は、かなり当たりました。ところがネパール・ヒマラヤにおいて、同じ筆法でやったのですが、これは全く当たらなかった。その理由は先程、申上げた通りです。

 さて、チョモランマの時についてでありますが、この計画には読売新聞社の全面的な協力を得て、ニュース速報体制の一環としてラッサと登山基地の間に、臨時の無線局を設置し、更にラッサと東京を有線で結ぶことになりました。すなわちチョモランマ山麓と東京が相互につながったということであります。そこで登山期間中のチョモランマ周辺の気象情報を東京に送信して、その解析結果を登山基地が受ける方式をとった訳です。

 京都大学には中島暢太郎さんという気象の専門の先生がおいでになります。AACKの御出身で、全面的な協力を得ました。また気象庁にも中島先生の教え子がおいでになり、必要情報の収集と整理をやっていただき、そのデーターの判断は中島先生が担当し、それをベースキヤンプに届けるということにしました。こうして送られてくる情報は大凡、週2回で、2,3日経過した実測の推計値と2,3日先の推計予測値です。要するに東経80〜90度、北緯30度付近の4点の5000メートル辺を通る気圧の山と谷の動きを知らせてきます。私はベースキヤンプにおりまして、この予報を受取り、またベースキャンプでの定時観測の結果を東京に送って、予報の精度を次第に高めていきました。そうして頂上をアタックする四月の末に、最高の精度にもっていく仕組みで努力しました。

 この中島先生は、予報を上部のキヤンプへ生のままでは知らせるなという御意見でしたので、暗号で送って参りました。そしてまた先生は、登山における気象予報は現場における観天望気が、いちばん必要であるというお考えでございました。事実、日本国内で観天望気の動物的カンの鋭い人は、外国の山でも同じことが通じるのであります。

 話はちょっと変りますが南極へ西堀さんと行った時であります。白瀬隊もずうっと以前には行っておりますが、その経験は何も残っていない。また捕鯨船もそんな極点近くへは行っておりません。要するに日本人には未経験の世界であります。その時、西堀さんはケープタウンから水先案内を乗せようと考えられました。どういう人間かといいますと、ドイツ人で名前はちょっと忘れましたが、極地の雲助みたいな人がおりました。飛行機のパイロットの資格もありますし、南極へ何度も行った経験の持主であります。その人は昭和基地付近へは行ったことかありませんけれども、こうした人を宗谷に乗せることは、安全性をウーンと高めることになるという訳です。この理屈を日本の山でいいますと、南アルプスヘ初めて行きたいとすると、その登山者が南アルプスを全然知らない時には、上高地の嘉門治を連れていくということであります。
嘉門治も南アルプスは知らないけれども、北アルプスでの経験は豊富です。そうすれば南アルプスの登山における安全度も高まるということになります。

 このように観天望気を知っているということは、山を知っているということであり安全度を高めることであります。勿論チョモランマヘ行ったクライマーたちも、その心得はあり、やっておりますが、観天望気では2,3日も先のことになりますと判断できにくいのであります。そこで気象データを解析したものと観天望気をつきあわせて、より精度の高い予報を得ようというのであります。事実、今度の場合も北東稜隊はオーソドックスなポーラー・メソドを展開しておりましたので、アタック隊、かアドバンス・ベースー・キャンプに一旦、戻ってからそこを出発して5日目にようやく頂上に着くことになります。そうすると5日先の天気を読まないと肝心のところで具合が悪い訳です。そこで京大出身の氷河を専攻している横山君と相談して、はじめのプランから一日ずらしてみました。そして結果的には、それが大変よかったということになりました。

 こうして最初に申しました気象に関する科学的な情報を山登りの行動判断に適用することによって登山をより安全に遂行するという理屈が、そう間違ってないという結論といいますか、実証を得たのであります。

 今一つは、斉藤惇生先生の医学的な分野でありますが、高所生理学というものは、ずいぶん日本でも研究されておりまして、その積極的利用は原真さんの指導による禿さんの、一人でダウラギリを7,8日で登って帰って来たという体力も、あるトレーニングさえすれば、やれるというところまで高所生理学の知識が手段化される段階まできているようであります。もっと消極的な意味では、山登りに必要な体力が非常に可変的なものでありますので発見しにくいのであります。

更に恐いのは皆がハッスルしておりますので、多少の自覚はありましても、それを打消すようなことが多く、ますます発見しにくい。そこでそれを発見し本人に納得させるには、医学的手法にたよる以外には方法はありません。今回も実際に一人ございました。彼は誰か見てもアタックの隊員に入って不思議でないし、本人もそう思っていたようであります。ところが心電図で、どうもおかしな結果が出たということになり、斉藤先生がストップをかけたいという申し出がありました。本人に話ましたところ、素直に応じてくれたのであります。そういう意味で、わがチョモランマ隊は科学的な隊であったといえるのではないでしょうか。しかしこれも斉藤先生がヤルン・カンの時に一人、亡くしておいでになります。その時の検査でも同じような結果が出たのであります。しかしその時はまだ、先生にはそれを止めるだけの自信がなかったようであります。

今回は全く同じではありませんでしたけれども、医師として隊の意志決定に強く反映し、更に私にまでそれがはねかえって、本人にそれを仏えたという次第です。科学と申しましても人間がやることですから、判断する人間の歴史といいますか、経験というものが大きいんで、街の医者が患者を見るような具合には、山の中ではいかない。

 大変とりとめのない話を申し上げましたが、私の考えますところでは山での危険を排除するには、この二つが大切かと思います。後は矢張り、経験が大切でありまして科学的知識とともに経験的判断能力を養うことも心懸けなければならないと思います。

これは科学的に判断することは出来ません。したがって本人が判断するのが、いちばんいいのですけれども、これも先程いいましたように、なかなか本人が自覚できないことが多いのであります。したがって第三者、この場合はリーダーということになりますが、そのリーダーの役割が大切となって参ります。すなわち隊員の可変的要素を個々について出来るだけ正しく判断して、隊全体の意志決定を寸るのがリーダーであります。世間では遭難がおきますと、あんな天気が悪いのに出かけたのがいうんなどと申しますが、そうしますと天気の悪い時はいつも登らんのが正しいかということになります。

昔、私どもは天気が悪くてもどんどん登ったものであります。自分たちの能力で対応できないような悪い天気にはいくべきではありませんが、この対応できるかできんかを判断するのもリーダーの役割ではないかと思います。

 以上、繊々述べて参りましたことの大意は理解頂くことができたものと思いますが、登山はあくまで遊びでありますので、愉快で楽しいものでなければなりません。
その方法やいかにということをわたくし流に解釈して申し述べた次第でございます。
ご清聴ありがとうございました。  

登山者の能力
1、 技能的能力
2、 知識的能力
3、 体力的能力
4、 精神的能力
山の条件
固定的条件―――地形、地質、積雪
可変的条件―――気象

(文中、太字はHP担当者による)


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