山梨支部

■ 2009.10.18

第50回木暮祭


 山梨支部(古屋学而支部長)は10月17、18の両日、金峰山麓の金山平で第50回木暮祭を開いた。“奥秩父の父”と呼ばれ、奥秩父の魅力を紹介した木暮理太郎日本山岳会第3代会長を顕彰する木暮祭も今年で50年。木暮家の関係者、生地・群馬県太田市の強戸山岳会、首都圏や越後、静岡、東海支部の関係者ら約120人が参加し、木暮翁の業績をしのんだ。
 

 


 

 木暮翁の顕彰は昭和25年に始まった。翁が愛した金峰山が見える場所として金山平が選ばれ、7回忌に当たる同年、木暮翁ゆかりの石楠花山岳会や霧の旅会、日本山岳会、山梨の岳人などが、現在の場所より上方の岩にレリーフを取り付け、命日の5月に碑前祭を開いてきた。しかし34年の台風で一帯が荒れたため現在地に再建。35年10月に第1回木暮祭を開催し、地元の木暮碑委員会(日本山岳会山梨支部、山梨県山岳連盟、増富ラジウム峡観光協会で構成)の主催で継続し、現在に至っている。5月の碑前祭を加えると60目回となる。
 

 

 50回目の今年は、盛大にやろうと計画。全国の支部のほか、太田市などにも呼び掛けた。太田市の関係者を通して木暮家の関係者にも依頼した。情報を知った東京の市村孝史さんからは、第1回の様子を収めた8㍉映像のDVD、吉野菊子さんからは古い写真が寄せられた。また山梨支部は記念の手ぬぐいと冊子、強戸山岳会も冊子を準備して配布した。DVDは前夜祭で上映。地元の山梨日日新聞、山梨放送が「50年前の映像見つかる」と報道し、関心が高まった。
 

 

 木暮祭前夜祭の17日は、借り切ったみずがき山リーゼンヒュッテに約60人が集合。古屋支部長、太田市の深澤長平強戸山岳会前会長があいさつ。太田市の浅海祟夫さんが「理太郎の故郷は今(太田市から見える山々)」と題して誕生地から見た木暮翁を、八巻恭介木暮碑委員長が「木暮碑建設のころ」と題して山梨側の顕彰の様子を話した。さらに木暮家の参加者を代表して、生家を守る木暮英雄さんがあいさつ。市村さんが映像の経過を解説し、上映した。また吉野さんの提供写真をパネルにして展示した。この後、夕食を摂りながら懇親会を開き、参加者が交流を深めた。
18日は、瑞牆山の不思議な岩「カンマンボロン」までのハイキングに30人以上が参加。正午前から地元観光協会が甲州名物“ほうとう”をふるまった。恒例のサービスでカボチャ、地元のキノコ入りに長い列ができて、大釜2つが完食となる人気だった。

 

 

 午後1時から碑前で木暮祭を行った。木暮碑委員会の八巻委員長、山梨県山岳連盟の秋山泉会長、日本山岳会山梨支部の古屋支部長が主催者としてあいさつ。木暮翁の業績や木暮祭の50年を振り返り、今後も顕彰していくことを誓った。生家を守る木暮英雄さんが親族を代表してお礼のあいさつの後、持参した供物を供えた。山梨岳連の献酒に続き、参加者120人がバラの花を1人1人献花した。さらに強戸山岳会の服部佳郎会長の音頭で献杯し、山梨支部の久保田明宗副支部長のあいさつで閉会した。
 

 

 当日は秋晴れの青空に金峰山がくっきり、どっしりとした姿を見せ、金山平の紅葉とあいまって絶好の日和となった。50年前、草原の斜面にシラカバが点在し、金峰山が見渡せた顕彰碑は、成長したシラカバとカラマツの斜面に変わって金峰山は望むことができず、時の流れを感じさせた。しかし西洋流の登山思想が全盛の時代に、古くから続く日本的な登山を奥秩父で実践した木暮理太郎の業績は、現在につながっている。若い女性の登山ブームの背景には、山に安らぎを求めた木暮翁や田部重治の登山観が脈打っていると考えられるからだ。“秩父派”の思想は受け継がれているのである。
 山梨支部員一同、この節目の木暮祭にかかわれたことに大きな喜びを感じるとともに、遠路参加いただいた木暮家の関係者、群馬県太田市の強戸山岳会、本部の神崎忠男副会長、越後支部の山崎幸和支部長ら新潟、静岡、東海、首都圏の皆様、資料を提供していただいた方々に感謝申し上げる。
(深沢健三)