お知らせ宮崎支部

■ 2012.07.11

森に行く

 

森に行く

 

             日本山岳会宮崎支部 大西雄二  NO.13188

 

大きくなった木の下で会おう

わたしは新鮮な苺を持ってゆく

きみは悲しみをもたずにきてくれ

そのとき、ふりかえって

人生は森のなかの一日のようだったと

言えたら、わたしはうれしい。

(「人生は森のなかの一日」長田弘)

 

近頃、地域の山こそ宝であると実感するようになった。身近な山にこそ辺境(フロンティア)がある。周辺の山並みが私にとってのフロンティアとして探検の対象となった。地域に生きる者が、足元の自然を掘り下げなければ、地域の風土性は衰弱する。宮崎近郊の多様な自然の姿を見据えたい。

騒音の絶えない繁華街に住んでいるが、宮崎市では近郊にすぐ、車で30分足らずのところに、豊かな木々の緑に覆われた山々がひかえている。温暖で降水量が多いことから、自然林の照葉樹林が繁茂し、そのなかで幽谷な森と、清冽な渓流に出合える。あとは自分の二本の足が頼りだ。そこで気づいた。私は森のなかに住んでいるのと同じだと思えばいい。子ども時代秘密基地を作ったように秘密の場所を探すことができる。

一帯は自然休養林として保護されている。規制があり、人の手を加えることはできない。都市近郊でこれ程の多種多様の植物をみるのは珍しい。緑の山並みがあることは市民に安心を与えているのではないか。周囲を緑の砦と呼ぼう。

 双石(ぼろいし)山と斟(くん)(ぱち)山を分ける加江田渓谷は、渓流沿いに遊歩道が整備されている。シダ類が、山道に葉を垂れかけている。渓流は谷を削って蛇行する。

山の標高は低いが、険しい山である。適当に肉体に負荷をかけてくれる。展望台からは市街と日向灘を一望できる。

照葉樹林の森には、誇るべき多様さがある。光に輝く葉が、吹く風に煽られて揺れると陽光が散乱し、反射光は光斑となって渓流の水面に映える。気候は温暖で、食材が豊かで人が生きるには最適の条件である。宮崎の山歩きは勿論、山を遠望することも照葉樹林帯を愛でる行為なのだ。

山は水の源である。照葉樹林に降る雨は熱帯雨林のようなたたきつけるような激しい雨でなく、寒帯に降るみぞれ混じりの冷たい雨でもない。やさしい雨である。梅雨と台風を除けば川に流れる水量はあまり変化することなく流れている。水は生命の源である。

(いわ)ばしる垂水(たるみ)の上のさ蕨(わらび)の萌え出づる春になるにけるかも

(万葉集 巻八 志()(きの)皇子(みこ)

(いにしえ)の人は瑞穂(みずほ)の国日本の自然を見事に詠った。自然を愛でる日本人の感性が豊かな言語表現を生んだ。

 

宮崎県は分水嶺が南北に走っている。山脈の麓には大河がある。

照葉樹林帯に生きる人々は常に分水嶺を背に生きている。山のない平原に立つと、捕えどころのない恐怖心が湧き、不安になる。

私たちの祖先は、死ねば「山に還る」と考えていた。山の神崇拝が祖先崇拝となる。

人間も自然の一部であり、自然の叡智を精神に取り入れて生きる文化だった。人々は山に向かい五穀豊穣を願い、山のふところに抱かれる信仰登山がある。故郷の山河に愛着を持つ。時代が変わっても、山は変わらずそこにある。魂の還る場所である。

私は人生の後半になって祖先が山の神を畏れ、尊んだ気持ちを理解することができるようになった。

多様な生命の生存の拠点は、その土地の動植物と渾然一体となっている。土壌、岩石も入る。

自然に溶け込む時間を持つことで、肉体的にも、精神的にも強い人間になれる。自然から離れると、生命体としての抵抗力が弱まる。自然のなかで静謐な時間を無くした人間は、精神が摩耗してしまう。

自然の中で自分を無にしているとき、心は解放される。空は空そのものとして見えてくるし、森の木々は本来の森の木々として見える。

休む、という文字は人が木に寄りかかって憩う情景から生れたという。人が木に寄りかかる様は、人が大自然に抱かれている姿である。

市街の喧騒や塵埃を離れ、森の木々のなかに身をおくと、周囲から自然のエキスが体にまとわりつき、生きているという気持ちが沸いてくる。周囲に溶け込み、やがて体は緑色に染まり、枝の間を抜けて吹く風さえ知覚することができる。

自然にとけこむということは、人間が太古の自然に生きていたときの野性が蘇(よみがえ)ることだ。

樹木は自浄作用として、殺菌作用を持つ揮発性の芳香物質、フィトンチッドを発散する。森の空気の中の可溶性ホルモンのフィトンチッドが人の五感に効果的に作用し、覚醒効果と沈静効果をもたらす。緑の葉のフィルターを通した散乱光や適度な湿度、静寂などの森の条件が人間の脳波でリラックス状態を示す「アルファー波」を生み出す。マイナスイオンの影響も、これに加わる。マイナス電気を帯びた微粒子で、空気清浄効果が高い。その緑も、自然林のような混合林が色の変化に富んで条件がよい。

巨木に触れば、その感触は何百年の命を伝えてくれる。静かに屹立する巨木に、人知を超えた自然の力、精気や霊気を感じる。己が自然のなかの一粒の種に過ぎないことを自覚し天地の無辺さに驚き、今生きていることに感謝する。感謝の念を深めてゆけば、人はやがて「謙虚」になる。

自然は循環する時間世界のなかで生きている。季節という毎年繰り返される循環では四季がはっきりしている。春の山は笑い、夏の山は滴(したた)り、秋の山は装(よそお)い、冬の山は眠ると中国の文人は表現した。

さらに川が谷をつくるような大きな時間循環の世界がある。そのなかで自然は、太古と同じように、現在を生きようとしている。

私たち現代の人間はそんな時間世界のなかでは生きていない。変化し続ける直線的な時間のなかで生きている。過去は過ぎ去るだけである。時間が堆積することはない。

豊饒な森とは、悠久の時間が幾重にも重なりあった森のことである。すべてを受容しながらゆっくりと時を刻む森は、調和のなかに深淵さを漂わす。森の精神が宿り、様々な生命が交流する小さな宇宙(コスモス)となる。