科学委員会
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1988年
◆講演会「チョモランマの気象」三国友好登山隊の気象予報
1988年(昭和63)12月9日(金)
山岳会ルーム
奥山巌(日本気象協会)「チョモランマの気象」
宮田賢二(広島女子大)「現地における気象観測と天気予報」
参加者:22名  報告:山525-1989/3(中村純二)

科学研究委員会講演会報告

チヨモランマ登頂時の気象

日時1988年12月9日(金)
      午后6時半〜9時
場所 日本山岳会集会室

講演題目と講師
チョモランマの気象
    日本気象協会予報部 奥山巖氏
現地における気象観測と天気予報
    広島女子大学教授 宮田賢二氏

 三国友好登山隊は素晴らしい天候に恵まれて5月5日、チョモランマの交叉縦走と、テレビ生中継に成功した。
今回の遠征隊に日本から気象情報を送り続けた奥山予報官と、現地で観測と天候の判断に当った宮田隊員に実状と今後の希望など話して頂いた。

チョモランマの気象
 気象協会としては現地の予報はお行なわなかったか、3月中旬から5月中旬まで半日毎の300mb及500mb天気図と天気情報、ならびに上層の気圧の谷(トラフ)の通過日の予想コメントを送った。4月に入ると強風軸がヒマラヤの北側に移ったため、風も弱まり、気圧の谷の1日乃至半日前から天気が崩れ、トラフの通過とともに恢復した。

 

ところが5月5日は谷の通過直前であったにもかかわらず晴であった。これは図のように3日から4日朝にかけて通過した谷(a)には南から湿った気流が入り、降雪となったが、その谷が東に抜ける共に、上層の強風軸が南下して、南からの下層暖湿気流も南東に動いた。このため西から進んで来た谷(b)はチョモランマ(黒星印)の南側を通り、寒気だけの乾燥した谷、つまり悪天を伴わないトラブルとなった。

 これより前、中国のラサ気象台からは5日は悪天が予想されるので、3日までが登頂のチャンスとの予報が流れ現地では大分議論になった由である。私共も4日夕方になって漸く5日は晴天とのコメントを送った。

チョモランマといった特定地点の予測を行うには、現行の計算機予測だけではまだまだ不十分で、500mb天気図をきめ細かく解析する必要かあり、またラサとチョモランマは距離がかなりあること、チョモランマの地形なども考慮する必要があると痛感した。

現地における気象観測と天気予報
 南北の隊に2名ずつ隊員を配し、一応昼間3時間毎の基本的データはとれた。しかしバルーン観測などはできなかった。一方気象協会からの情報と、中国・ソ連からの500mb天気図が入手できた。
 私どもは高層天気図の谷(トラフ)と峰(リッジ)が北緯20°〜30°付近と50°付近でどのように移動するかをグラフにして予報を試みた(チョモランマは28°)その結果、4月5日〜25日の間は50°では谷が規則的に東に移動す るのに、20°〜30°では停滞、このような状態はある程度予測できた。ところが4月25日〜5月5日の間は北側の動きが不規則、南側は東に移動を始めたたもののベンガル湾トラフ付近に小さい乱れが生じ大変難しくなった。5月14日の夕方、漸く5日は「晴後曇」の予報を出した次第である。

 ロンブクとクーンブで様子が異なり、クーンブの方が悪かったが、今後は地形の影響を考慮した天候の判断も必要と考えられる。また遠征隊は簡単な百葉箱を持参する必要も感ぜられた。

 講演後の質疑応答で、大井氏から、現地の天候予測は雲の形や動きを観察する観天望気を行なうことも極めて大切とのコメントがあった。また8千メートル峰に対しては500mb(高度5700メートル)と共に300mb(高度9500メートル)の天気図も参考にした方がよいとの意見もあった。

出席者 奥山巌、宮田賢二、中世古隆司、大塚博美、吉川友章、大井正一、
藤原滋水、広瀬潔、岡野修、松村潤、小山勉、田・久保勇治、城所邦夫、烏居
亮、織田沢美知子、田村宏明、石井恵美子、松丸秀夫、高橋詞、高遠宏、中
村純二、石田要久。 

(中村純二)


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山525 (1989/3月号)


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