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 山岳賞INDEX

秩父宮記念山岳賞〈1〉

立山連峰における越年性雪渓研究及び
日本初の現存氷河の発見

   飯田肇、福井幸太郎(立山カルデラ砂防博物館)

 飯田肇さんは、1982年から北アルプスの雪渓や積雪の調査を続けており、2009年からは今回の現存氷河発見に結びついた立山連峰の雪渓の調査を、福井幸太郎さんとともに始めた。


 講演は、氷河の研究において、日本山岳会12代会長でもある今西錦司さんが33年に剱沢で行なった研究が先駆的存在であることの紹介から始まった。次に越年性雪渓や氷河の定義づけについて。越年性雪渓は、積雪量が多いために、雪渓が越年して残り続けるものをいう。氷河は、「重力によって長期間にわたり連続して流動する雪氷体」(日本雪氷学会編『雪と氷の辞典」2005年』と定義され、厚い氷体を持ち、氷体が流動していることがその条件となる。さらには、立山連峰が世界的に見ても、いかに豪雪地帯であり、越年性雪渓が発達する環境にあるのかという説明があった。その越年性雪渓のなかに、氷河は現存していないのだろうかという問いかけが、今回の研究のきっかけとなったのだ。

 講演の後半では、今回日本初の現存する氷河であると学術的に認められた「小窓氷河」「三ノ窓氷河」「御前沢氷河」の調査内容とそれぞれの規模や特徴について説明かあった。調査は、北方稜線など一般ルートから外れた所に及び、長時間にわたって雪渓を移動したり、クレバスに潜ったりするため、山岳ガイドの協力のもと行なわれている。剱岳にある小窓雪渓と三ノ窓雪渓では、11年にアイスレーダー観測(本体の厚みを観測)を行なった。その結果、厚さ30メートル以上、長さ900〜1200メートルに達する日本最大級の長大な氷体が確認された。また高精度のGPSを使った流動観測(ボーリングしてポールを雪渓に埋め込み、ポールの順にGPSを設置)では、1ヵ月間に最
大30センチ以上の比較的大きな流動が観測された。

 立山東面にある御前沢雪渓では、09年にアイスレーダー観測を行ない、雪渓下部に厚さ27メートル、長さ約400メートルの氷体を確認。流動観測では、1ヵ月あたり10センチ以下の流動が認められた。

 両氏によると、剱岳・立山連峰のほかの越年性雪渓にも、氷河が現存する可能性が残されており、特に内蔵助雪渓や池ノ谷右俣などは、今後も観測、調査を続けていくそうだ。


秩父宮記念山岳賞〈2〉

日本人初8000メートル峰14座完全登頂

           プロ登山家 竹内洋岳

 最後は昨年5月にダウラギリに登頂し、日本人初の14座サミッターとなった竹内洋岳さん。
 「以前、皆さんの周りには登山家と呼ばれる人が大勢いたでしょうが、最近は見なくなったなあと思いませんか」という話しかけで始まった。プロ登山家の竹内さんは自身を天然記念物クニマスに例え、「今日、皆さんの前に、こうして登山家が再び現われましたが、もしクニマスが言葉を話せたら『なかなか生き延びるのが大変でした』と言うでしょう。私も大変でした」と会場を沸かせた。

 標高8000メートルへと向かう生物は、アネハヅルとインドガンと人間しかいない。鳥たちは仕方なく8000メートルを越えていくのかもしれないが、私たちは自らの意思で8000メートル峰に足を踏み入れていく。そのことはまるで、生物が数億年かけて陸に上がった歴史を再現しているかのようだ、と竹内さんは言う。陸に上がると苦しくてまたすぐに水中に戻った。しかしもう一度陸に上がってみる。少しずつ活動範囲を広げていった生物の歴史と、高所登山で人間が低酸素に身体を順応させていく様には共通点があると。だから竹内さんは、8000メートル峰登山は生物体としての可能性を探る行為だと考えているようだ。

 後半、2007年にガッシャブルムU峰で大規模雪崩に遭ったときの話に及んだ。雪崩のリスクが少ないラインを採っていたつもりが、雪崩に巻き込まれた。それは自分の想像力が、この山に及んでいなかったのだと、雪崩に流されながら思い、とても悔しかったそうだ。
 居合わせた各国のクライマーたちの献身的な救助、手当によって、一命を取り留める。しかし、山に登る者ならばわかる。あの事故からは到底生還できないはずだ。自分は生き残っだのではない。今ある自分の生命は、救助してくれた人たちの生命、そして犠牲になり死亡した仲間の生命すらからも少しずつ分けてもらったのだ、と。
そうであれば、絶対に1年以内にGU峰に戻って、「私は生きています」ということを、皆に伝えなければならない、と考えた。みごと竹内さんは、1年後にGU峰に帰っていく。それは「今までの登山の連鎖のなかに自分を引き戻すことだった」と言う。
 14座達成は、けっして自分ひとりで成し遂げたものではない。今まで出会い関わってきた人たちが一人でも欠けたら、登れなかった、と締めくくった。

(構成=柏澄子)

山823(2013/12)


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