遠征隊名: | 1985年千葉大学ブータン学術調査登山隊 |
山域: | ブータン・ヒマラヤ |
国地域: | ブータン |
対象の山: | ナムシラ峰 |
高度: | ナムシラ峰東峰5815m、西峰6000m |
ルート: | 東峰北東面のナムシラ北氷河 |
前進キャンプ | BC(5180m).C1(5430m).C2(5630m).C3(5480m). |
酸素補給: | 不明。 |
固定ロープ: | 使用。300m。 |
難易度: | |
期間: | 1985年9月~11月 |
成功の場合の登頂者数: | 東峰-9名。 西峰-2名。 |
登頂者名、日時: | 10月8日 3名が東峰(5815m)に第一次登頂。 10月9日 5名が第二次登頂。 10月11日 1名が第三次登頂。 10月12日 12時35分、2名が西峰に登頂。 【他】C2南方のホワイト・ピーク=5680mに3名が登頂。期日不明。 周辺踏査時の第3パーティ(2名)マンデ・チュー右岸のM2峰5640mに登項。期日不明。 第4パーティ(2名)BC北方のツォリムカン5710m、グラス・ピーク5700mに登頂。期日不明。 |
失敗の場合;最高到達と日時: | |
事故: | |
犠牲者が出た場合; 名前・原因・高度・日 時: | |
目的 | ナムシラ峰の初登頂と周辺の踏査等 |
隊の国籍: | 日本 |
隊員数: | 9名 |
リーダー: | 総指揮=中馬敏隆(56)、隊長=吉永英明(43) |
隊員: | 今井幹雄(45)、村木秀男(31)、黒木春郎(28)、桜井文隆(26)、木村昭彦(26)、小島 彰(24)、武田文男(50)、 |
支援(シェルパ等): | ガイド=カンドゥ・ドルジ(24) |
参考文献: | 山岳 P44 - P49、日本山岳会刊、1986 |
刊行書籍: | アサヒグラフ(1986年1月17日号)。 朝日新聞(1985年11月25日~12月3日、12月6日~11日) |
連絡先: | 日本山岳会 |
名前: | 吉永英明 |
住所: | 東京都千代田区四番町5-4 |
電話: | |
fax: | |
e-mail: | |
web site: | |
行動概要 | 【登山隊】 9月16日ティンプー発。 9月19日ジャッカルから31頭の馬でキャラバン開始。 9月29日ジェジェウォーマ(4910m)着。 10月1日ナムシラ北面のツォリム湖畔にべ-ス・キャンプ(5180m)を建設。 10月3日登山活動開始。 10月4日東峰北東面のナムシラ北氷河上にC1(5430m)建設。 10月7日東峰を捲き、東峰南面基部のナムシラ南氷河上にC2(5630m)建設。 10月8日C2より3名が東峰(5815m)に第一次登頂。 10月9日5名が第二次登頂。 10月11日1名が第三次登頂。ガイドを含め全員が登頂。その間にC2南方のホワイト・ピーク=5680mに3名が登頂。 10月10日西峰直下にC3(5480m)を建設。 10月12日ルンゼ中段より頂上に直接つき上げている岩稜から12時35分、2名の隊員が西峰に登頂。高度計は6000m丁度。 10月14日から3日間は4パーティに分れ周辺の踏査。 第1パーティ(2名)ナムシラ峰南面の踏査(C3よりナムシラ南氷河を下降し、マンデ・チューに至る谷の地形、マンデ・チューとの合流点を確認)。 第2パーティ(2名)ゴフ・チュー源頭部の踏査(ゴフ・チュー左岸の5000mクラスのGl~G5峰の登頂を狙ったが、取付き点が発見できず敗退)。 第3パーティ(2名)マンデ・チュー源頭部の踏査(マンデ・チュー右岸のM2峰5640mに登項)。 第4パーティ(2名)BC北方の踏査(ツォリムカン5710m、グラス・ピーク5700mに登頂、ツォリムカンの頂上には1984年8月の東京都北部勤労者山岳連盟隊の旗が残されていた)。 10月16日踏査を終え全員がBC着。 10月22日BC撤収。11月5日ティンプーに到着。 【学術調査隊】五名。ブータン・ヒマラヤ中央部のルナナ地方からインド・アッサムとの境界近くのマナス(150m)に至る約二ヵ月間の踏査を行い、植物生態、土壌、気象に関する貴重なデータを得た。 |
環境保護活動 | |
[註] | BC北方のツォリムカン5710mの頂上には1984年8月の東京都北部勤労者山岳連盟隊の旗が残されていた。 |
更新日 99/09/12
Copyright 1999 The Japanese Alpine Club