遠征隊名: | 第二次日中合同梅里雪山学術登山隊(京都大学学士山岳会) |
山域: | 太子雪山山脈 |
国地域: | 中国雲南省迪慶藏族自治州徳欽県の西端 |
対象の山: | 梅里雪山(メイリシュエシャン) |
高度: | 6740m |
ルート: | |
キャンプサイト: | BC(3500m)C1(4500m)C2(5300m)C3(5100m)C4(5800m) |
酸素補給: | |
固定ロープ: | |
難易度: | |
期間: | 1990年11月〜1991年1月 |
成功の場合の登頂者数 | |
登頂者名、日時: | |
失敗の場合;最高到達と日時: | 12月28日、近藤、船原、広瀬、宋、孫が午後1時ごろ6470m地点まで達した |
事故: | 1月3日午後10時15分から4日午前9時までのあいだに、17名の隊員全員が巨大な雪崩で一瞬のうちにC3テントもろとも埋めつくされた。 |
犠牲者が出た場合;名前・原因・高度・日時: | |
目的 | 梅里雪山峰(6740m)の初登頂と周辺地域の学術調査 |
隊の国籍: | 日本、中国(合同) |
隊員数 | 日本側12名、中国側8名、 |
リーダー: | 日本側 総隊長=左右田健次(57)学術隊長=井上治郎(45)* 中国側 総隊長=楊必育(56)、登攀隊長=宋志義(40)* |
隊員: | 日本側=、秘書長=佐々木哲男(38)*、隊医=清水久信(36)*、近藤裕史(33)*、米谷佳晃(32)*、宗森行生(32)*、船原尚武(30)*、広瀬顕(27)*、児玉祐介(23)*、笹倉俊一(21)*、工藤俊二(21)* 中国側=連絡官=陳尚仁(52)、隊員=金俊喜(36)、孫維(31)*、王建華(37)*、李之雲(34)*、張俊(33)、林文生(22)*、斯那此里(26)*、他に協力隊員六名 (*印は事故の犠牲者を示す) |
支援(シェルパ等): | チベット族の高所協力員8名 |
参考文献: | 山岳86 P104-P111、日本山岳会刊、1991 |
刊行書籍: | |
連絡先: | |
名前: | |
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行動概要 | 11月1日先発隊大阪発。21日本隊大阪発。25日本隊昆明発。12月1日BC建設(3500m)。8日C1建設(4500m)。13日C2建設(5300m)。19日C3建設(5100m)。27日ころC4建設(580m)。28日近藤、船原、広瀬、宋、孫の5名がC4から登頂を試み、天候悪変のため6470mに達したのち引き返す。 91年1月3日夜から4日朝にかけてC3にいた17名が消息を絶つ。4日夜昆明・北京に事故が報告される。5日正午過ぎAACK留守本部に連絡が入る。9日北京からの救援隊がBCに到着。17日ラサからの救援隊到着。20日日本からの救援隊9名到着。チベット救援隊がC2のコルへ登ったがテントを雪中から掘り出すことができず、C3到達を断念する。25日天候回復の見込みがたたず、やむを得ず救援活動中止を決定する。 |
註: | 98/10遺体が発見された |
更新日 98/10/25
Copyright 1998 The Japanese Alpine Club