シシャパンマ1991


遠征隊名:

京都大学ヒマラヤ医学学術研究計画第三次隊・シシャパンマ医学学術登山隊

山域:

  

国地域:

中国チベット自治区

対象の山:

シシャパンマ峰

高度:

8027m

ルート:

ノーマル・ルートと呼ばれている、初登の中国隊が使ったルートである北西稜

キャンプサイト:

BC(5020m)、ABC(5640m)、C1(5850m)、C2(6340m)、C3(6920m)、C4(7430m)、C5(7700m)

酸素補給:

酸素の使用は各個人の登山のスタイルにあわせた。若手のなかには無酸素で登頂した者もいる。C3以上のキャンプの睡眠中において毎分〇・五リットルの吸入を準備した

固定ロープ:

C1から頂上までの全ルートに固定ロープを張るか赤旗を立てた

難易度:

  

期間:

19913月〜7

成功の場合の登頂者数 計22人。日本15人(内女性1、熟年2)、中国3人(内女性1)、ネパール4人

登頂者名、日時:

5月17日:第一次登頂隊12人登頂(富永、月原、ダワ・ノルブ、 アルジュン、永田、藤田、出水、中山、高井、白沢、トンロ、松沢)。

5月19日:第2次登頂隊5人登頂(平田、チミン、プルグ、アン・プルバ、ミンマ・ノルブ)。

5月21日:第3次登頂隊8人(斉藤、中島、松林、瀬戸、榊原、ダワ・ノブル、アン・プルバ、ミンマ・ノルブ)。

失敗の場合 −最高到達と日時:

  

事故:

  

犠牲者が出た場合;名前・原因・高度・日時:

     

目的

標高8000mの極限的高所における、人体の生理的適応の調査

隊の国籍:

日本、中国、ネパール

隊員数

日本32人。中国4人、ネパール6人

リーダー:

総隊長=戸部隆吉(60)副総隊長=斎藤惇生(60)、中島道郎(59)、登山隊長=松沢哲郎(39)、学術隊長=松林公蔵(39)、

隊員:

遠藤克昭(50)、松林清明(43)、米本昌平(43)、菅典道(41)、上田博和(40)、瀬戸嗣郎(39)、古川彰(38)、出水明(37)、平田和男(37)、久保茂(36)、足立みなみ(33)、永田龍(32)、富永浩三(31)、陣内陽介(30)、杉江知治(30)、中山茂樹(28)、高井正成(28)、月原敏博(27)、白沢あずみ(23)、藤田耕史(20)、榊原雅晴(35)、坂井克行(26)、藪野吉宏(23)、田沢英二(41)中国人特別隊員=リ・スーピン、トンロ(26

支援(シェルパ等):

チベット人高所協力員2名、ネパール人シェルパ=サーダー、ダワ・ノルブ以下6名、

参考文献:

山岳86 P91-P95、日本山岳会刊、1991 

刊行書籍:

京都大学ヒマラヤ研究会発行、A008ヒマラヤ学誌第2号B008(1991年5月刊) 

連絡先:

 

名前:

  

住所:

  

電話:

 

fax:

 

e-mail:

  

web site:

  

行動概要 

3月18日先発隊日本出発。
3月30日先発隊BC(5020m)建設。
4月3日本隊日本出発。
4月6日先発隊ABC(5640m)建設。
4月15日本隊、BC到着。
4月17日C1(5850m)建設。
4月21日C2(6340m)建設。
4月30日C3(6920m)建設。
5月4日C4(7430m)建設。
5月7日ABCに戻り前期終了。
5月16日C5(7700m)建設。
5月17日第一次登頂隊12名登頂。
5月19日第二次登頂隊5名登頂。
5月21日第三次隊8名登頂。
5月24日全員ABC帰着。
5月27日全員BCに下山。

更新日 98/10/25


Copyright 1998 The Japanese Alpine Club