ダウラギリT峰登山隊出発 97/08/31
登山隊よりの第一報が来ました。(08/25) 97/09/01
登山隊よりの第ニ報が来ました。(09/09) 97/09/26
登山隊よりの第三報が来ました。(09/09) 97/10/13
登山隊よりの第四報が来ました。 97/11/01
登山隊よりの第五報が来ました。 97/11/10 |
登山隊よりの第三.五報です。(10/10)
97/10/10
登山隊よりの最終通信です。(11/06) 97/11/06
ダウラギリT峰登山隊出発 97/08/31 |
日本山岳会青年部のダウラギリT峰登山隊が出発しました。
昨年のK2登山隊に続いての計画です。
今回の計画では 北壁「梨」ルートからの無酸素、シェルパレスの登頂計画です。
計 画 概 要 | ||
登山隊名 | 日本山岳会青年部 ダウラギリT峰登山隊1997 |
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目的 | ダウラギリT峰〔8167m) 北壁「梨」ルートからの無酸素登頂 | |
隊の構成 | 隊長 松原尚之(32) 副隊長 棚橋 靖(34) 隊員 松本伸夫(32) 奥田仁一(30) 椎名厚史(27) 川高 雄(23) 板谷耕介(22) BCマネージャー 松本 恵(32) | |
日程 1997年 |
8月21日 日本出発、 カトマンズ一人り 8月26日 ポカラヘ移動 8月28日 キャラバン、 順応活動開始 9月05日 ベースキャンプ到着 (4600メートル) 9月07日 登山開始 登山活動約45日問 10月 末日 帰国予定 |
登山隊よりの第一報 97/09/01着 |
はがき No.1 97/08/25 |
ヒマラヤを眺める古都カトマンズよりお便り申しあげます。 このたびは私たちダウラギリ登山隊に対し、暖かいご支援を賜り、まことにありがとう ございました。 私たちは今、ネパールに来て、元気に準備を行っております。8月31日にジョムソム村 よりキャラバンを開始。9月10日頃から登山を始める予定です。 松原尚之 楽しく元気にやっています。 奥田仁一 お世話になりました。 川高雄 安全に気をつけてがんばりたいと思います。 椎名厚史 |
はがき No.2 97/08/25 |
ナマステ!! 出発前は本当に親切にして頂き、ありがとうございました。 おかげさまでカトマンズでの準備も楽しく、元気にやっております。 奥田仁一 |
登山活動をいよいよ開始 |
登山隊よりの第ニ報 97/09/26着 |
BCよりの手紙 97/09/09 |
■ 私たちは作日(9/8)、全員無事にダウラギリBCに到着致しました。 ■ BCの標高は過去の資料では4,600mとなっておりましたが、 私たちの高度計では4,500mを示しています。 ■ キャラバン中は5,000m強の峠を2つ越え、 また、宿泊地の高度も最高で4,850mの所があるので、 軽い高度障害(頭痛等)出る者も若干名おりましたが、 幸いこのBCまで重篤な症状出る者なく、元気に辿り着きました。 ■ 私たちのこれまでの行動概要は 8/30 ポカラ −(飛行機)−>ジョムソム −>マルファー村(2,650m) 8/31 マルファー滞在 9/01 同上 滞在中に4000mまで2日往復 9/02 同上 9/03 キャラバ゛ン開始、マルファー −> ヤクカルカ(4,070m) 9/04 ヤクカルカから4,800m往復 9/05 ヤクカルカから4,900m往復 9/06 ヤクカルカ 休養 9/07 ヤクカルカ −>タパパス(5,050m) −>ヒドンバレー(4,850m) 9/08 ヒドンバレ −>フレンチパス(5,150m) −>BC(4,500m) ■ キャラバンルートは私の過去の遠征でも屈指といえる美しいコースでした。 ブルーポピー(青いケシ)も見ることができました。 ■ 9/09は天気はキャラバン開始日の9/3に、ネパールへ着いて以来、 初めての快晴が訪れて、とても幸先がよかったのですが、好天もその翌日の9/4まで で、その後は今日(今朝)に至るまで、くもり時々 霧雨 といった天気が続いています。 ■ ダウラギリの姿は9/4の日に4800m迄、往復した時に見ることができたのですが、 その後はお目にかかれません。 やはり、9月は半ば過ぎるまではモンスーンの影響が残り、すっきりしない天気が続く のは仕方がないのだと思います。 ■ 今朝(9/9)は、午前中、安全祈願のためのシェルパ族の儀式・プジャ(祈祷)を行い、 その後、隊荷の整理、仕分けを行います。 ■ 登山は明日(9/10)から始める予定ですが、これは天気次第となります。 昨日も今日も視界がほとんどなく、北壁の取り付きすら判然としない状況なのです。 ■ BCは完全に氷河の上で、快適な場所とはいえませんが、昨日、整地をして、キッチンテント、 隊員テントを建て終わってみると、「住めば都」というかんじで、けっこう立派な ベースキャンプとなりました。 松原尚之 |
登山隊よりの第三報 97/10/13着 |
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■ お元気でお過ごしのことと思います。 ■ もうすぐ、10月、日本ではそろそろ紅葉の季節を迎えようとしているというのが、ちょっと 不思議な気がします。でも、私たちのBCも少しずつですが、寒くなってきています。 (それでも毎日の最低気温がマイナス3〜5゜Cくらいですから、 たいしたことはありませんが) ■ さて、私たちですが、皆 元気にやっております。 たまに微熱をだす者、せきをする者がいますが、今は8名全員元気です。 高所順応も6,000mラインくらい迄、全員が比較的、上手く順応していると言って よいと思います。 ■ 9/10から始まった登山活動は昨日9/25現在で、標高6,700mすなわち、 ペア(洋梨)の基部までルートが伸び、1回の荷揚げが終わったところです。 ■ 私たちはそこにキャンプ3を作る予定です。 私たちがC2を建てた6,000m迄、予想外にルートが悪く、かつ長かったため、 C1は5,450mに建てました(本当は6,000mをC1とする計画だった)。 そのため、C2建設までに予定より時間をくわれましたが、それ以外ではここまで まずまず順調にきていると思います。 ただし、ルートが難しくなるのはこれからで 、登山はこれから、正念場です。 実際、C3を建てる予定の6,700mは極めて狭い場所で2人用くらいのテントしか 建てられず、3人、4人単位で行動している私たちは、もう少し少数での行動 (テント入り)を余儀なくされそうで、そんな問題も出てきています。 ■ その次のC4を建てる予定の7,200mもその昔のアルゼンチン隊が、ダイナマイトを 使って岩をうがち、テント場をひらいたくらいですから、やはり、相当に狭い幕場が 予定されます。 とまあ、さすがにダウラのペア・ルート、次から次へと困難が出てきます。 ■ しかし、私たちは、これまで、そうしてきたように一歩一歩、着実に問題をクリアし、少し ずつ、高度を勝ち取っていく所存です。 私を含めて、全隊員が全精力を傾注して登山にのぞんでいると思います。 体調・順応面も上手くいっているように思えますので、今後も気を抜かず、じっくりと 取り組めば、きっとこの難しい大きな頂に立てると思います。 ■ まだ、先の話ですが、今の考えでは10月20日前後に2回に分けて、 頂上をアタックする予定です。 どうか今後とも、日本でお見守りいただければと存じます。 私たちもあと、1カ月がんばります。 記松原尚之 |
登山隊よりの第四報 97/10/26着 |
■ 頂上をアタック予定 10月29日−30日 メールランナーからの電話の内容です。 全員元気。 25日現在全員がBCにいます。 ほかのダウラギリ隊は全て登山断念して、BCから引き上げたようです。 食料、燃料が不足気味。 |
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登山隊よりの第五報 97/11/10着 |
■ 頂上アタックを断念 |
登山隊よりの第三.五報です。(10/10) |
■ 登山開始から1か月、隊員一同元気でがんばっています。 現在ルートはペアの上部、標高約7100mまで伸びています。 あとキャンプ4(7200m)、アタックキャンプ(750Om)を作り、7750mまでルート工作を行った後、 アタックをかけたいと思っています。 しかし、9月下旬より悪天、豪雪が続き、登山は苦戦を強いられました。 本来は10月15〜20日くらいの間にアタックを考えていたのですが、だいぶ遅れそうです。 まるで冬の剣岳のような胸まで没するラッセルをヒマラヤで経験させられました。 私たちは明日BCを再出発し、上部に向かいます。より慎重に、最後までがんばります。 記 松原尚之 |
登山隊よりの最終通信です。(11/06) |
長い間ご心配をおかけしましたが、11月4日、全員無事にカトマンズに帰ってきました。 登山のほうはまれに見る悪天・豪雪に阻まれ、ギリギリまで粘ったのですが、残念ながら7500m を最高到達点として敗退となりました。 ダウラギリ北壁 梨(ペア)ルートは、ナイフエッジにはじまり、上部雪壁では急傾斜のためC3(6700m)、C4(7100m)でまともなテントサイトが得られず、そして最大の障害として降雪の多さに起因する雪崩の頻発など、ヒマラヤの雪のルートの困難さを凝縮したような登山を私たちに強いました。 しかし隊員たちは日数、食料ともに乏しくなる中で、困苦きわまる登山に一人として脱落者の出ることもなく、最後まで力の限りをふりしぼりました。 登山を終わってみて、むろん登頂できなかったことは残念ですが、何よりも全員が無事に帰れたことに、心からホッとしています。 そしてまた、可能性の少なくなる中を、最後まであきらめずに全力を尽くしたことに、ある種の満足感を覚えます。 これは全隊員が、多分同じように感じていると思います。 長く、きわめて密度の濃い2か月間でした。参加した隊員のすべてが今回の登山を糧として、これからもより充実した登山を続けていくことでしょう。 さらには困苦をともにした山仲間として、生涯パートナーシップが継続されて行くことと思います。 皆様には長い間のご支援、本当にありがとうございました。 記 松原尚之 |
Copyright 1997 The Japanese Alpine Club