日本山岳会の科学委員会は、毎年会員および一般登山者を対象にして、山に関する各種の科学的なテーマに基づいてシンポジウムを開催している。平成11年度は「登山用具の新知識・選び方と使い方」と題して、平成11年11月27日に明治大学大学院講堂で、二人の講師を招きフォーラムを実施した。
最初に科学委員会の森担当理事が「十年程前に雨具に関するシンポジウムを開催したが、専門家による説明が科学的でありすぎて素人には難しすぎるというご指摘があり、その反省に基づいて今回は皆さんの関心の深い登山用具について、登山そのものをよく理解しておられる方に、わかりやすいお話をしていただくことにした。皆さんに十分理解していただけると期待している」と挨拶。
フォーラムは、最初に科学委員会のメンバー大蔵喜福氏が問題提起を行い、それを受けてICI石井スポーツの越谷英雄氏が登山用具について、ウェア(肌着と外着)、靴、ザック・ストックその他、の三部構成できわめて具体的な話をされた。その間、大蔵氏も使用者の立場からいろいろなコメントを出され、会場からも多くの質問が寄せられた。
■問題提起
大蔵氏は、ヒマラヤの高峰に数多く挑まれた豊富な経験をもち、この10年アラスカ・マッキンリーで高所気象観測をしてこられた。今回のフォーラムに当たって「中高年登山者の現状」と題する長文を寄せられ、それに基づいて以下の話をされた。
10年前に比べて登山人口は二倍になっていないのに、中高年登山者の数は三倍にもなって大きなウェイトを占める。そうした中高年登山者が安全で楽しい登山をするために必要なことは、科学的な目を持つことである。山登りをするということは日常とは違った環境に身をおくことだが、下界で普通に環境を自分で制御できる能力が、高い山では衰えて、自分の危機管理能力が落ちることを十分に認識すべきである。
若い頃は体力にまかせて可能であったことが、中高年になるとできなくなっている。それを補うのが科学する心であり、目である。それは自己の体力、技量をよく知り、自分の持つ装備が現在の状況で危機に耐え得るものであるかどうかをきちんと把握できる力である。
登山は本来自分がやりたいことをやり、楽しむためにやることであって、そのために余力を残さなければならない。それを可能にするのが快適なウェアであり、軽くて小さな荷物である。したがって装備は機能の優れたよいものを求め、大事に長持ちさせるべきで、自分の持っている装備の機能を素材を含めて十分に認識していなければならない。
自分の体力、危機管理能力を十分に把握できない人は、山登りをするべきではない。そうした人が山登りを志すならば優秀なガイドを雇うとか、優れた装備をそろえるとかのサポートを得ることが肝要であろう」
■登山用具の新知識・選び方
問題提起を受けて、きわめて具体的に登山用具について話をされた越谷英雄氏は、ICI石井スポーツの第二営業部長として、多くの登山用具を販売している。ご自身の豊富な登山経験を踏まえて、各種報道機関の探検や登山番組制作のためのメンバーに的確なアドバイスを積極的に
行っているアウトドア・アドバイザーである。
1、基本的なウェアの最先端の素材
快適な登山を安全に行うために、身体に着けるウェアはきわめて重要な役割を持っている。これらのウェアをつくるために、科学的によく考えられた素材が開発されており、その特性を十分に認識して使用すべきである。身体を保護するウェアについては、肌に触れるものから順次上に重ねていくレイヤードシステム(重ね着方式)ということが考えられている。
●肌着(アンダーウェア) 米国ではベースレヤーといわれている肌着の素材については、以前は汗を吸う綿がいいと考えられてきた。しかし現在では、むしろ速乾性を持っていて保水性のない合繊素材がいいとされている。ひところは綿の肌着に代わって薄手ウールのセーターが使われたこともあったが、ウールといえども保水性を超える発汗によって冷たさを感じることがある。
水を吸わない軽い素材として、ポリプロピレンや塩ビ系繊維、アクリル繊維などがあるが、現在ではポリエステル繊維(ダクロンQDやサーマスタットなど)が圧倒的に多く使われている。これらは繊維の断面に工夫が凝らされ、表面積を多くして水分の発散をよくし、すばやく乾燥させる機能をもつ。
速乾性があるために体温を奪わない(ヒートロスを防ぐ)ので、体力の消耗を少なくする。さらに抗菌性能なども付与されているので、長斯間の連続着用による悪臭や汚れなどの問題も少ない。
●中間着(ミッドレヤー) 肌着の上に重ねて着用されるものとしては、ウールのシャツやフリー
スジャケット、ニットで作られたラガーシャツなどがあり、最近では羽毛を入れたダウンインナーなどもある。いずれもかさばらず、重くなく、風を防ぐことが期待される。現在注目されているものに、ウインドストッパーといわれるゴアテックスを裏面に使用した、風を通さないフリースジャケットがある。風の強い冬季に着用するのに適している。
●外着(アウターウェア) アウターレヤーとして一番外側に着用されるもので、ヤッケや雨衣な
どのことである。透湿防水性能を待ったゴアテックスなどの生地を使用したヤッケや雨具で、細い繊維を材料にして作られたしなやかな生地を使用したものは、軽くてかさばらないから、余り高くない山では最適である。しかし風が強く、耐久性が要求される冬山などでは、ある程度厚手の生地を使用したもののほうがよいだろう。
きわめて気象条件の厳しい高山では、天然の羽毛を十分に使ったダウンジャケットを外着として着用するほうか体温の低下による消耗を防ぐ点で効果が大きいといわれている。
雨具の手入れについていえば、適度に洗濯をして表面の汚れと同時に内面の汗の付着による汚れを落とすことが、防水性の維持に大切である。
表面に撥水スプレーをかけてアイロンを当てて撥水性を回復させておくことが、本来の透湿防水性を十分に発揮させるために肝要である。
組み合わせの優れたウェアを着用して冬季に登山をする際に、自分自身の発汗に関する意識が十分でなく、思っている以上に体内の水分が発散して消耗していることがある。これによる血液濃度の上昇、血糖値の上昇による凍傷などがあるので、発汗を意識しなくても十分な水分の摂取を心がけなければならない。
また、からだのボディー部分よりも体温がずっと低下する末端の足指や手先、頭部などを保温するための靴下、手袋、目出帽などにも十分に気を配ることが必要である。
ウェアなどで表面や全体にせっかく優れた索材を使っていても、裏地や付属部分に不適当な素材が使われていると、機能がフルに発揮できないので、素材全般について注意しなければならない。
2、登山靴の選択とメンテナンス
●靴の選び方
登山靴にもいろいろなタイプの靴があり、自分の山行目的に添った靴を選ぶべきである。ことに靴のメーカーについては、総合的に靴を品揃えしているメーカーが作る登山よりも、登山靴を専門に作っているメーカーのものを選ぶほうがよい。
登山における登山靴は、快適で安全な山行に最も大切な道具なので、慎重に選択したい。登山用具専門店で自分の登りたい山、自分の登山経験などを率直に話して自分に適した靴を選ぶべきだろう。購入する際は、きちんと靴下を履いて、両足に靴を履き、靴紐を締めて、できれば傾斜したところに立ち、足の指先が動くか、甲の部分、足の脇の部分、踵の部分がぴったり靴にフィットしているかどうかをチェックしなければならない。よく自分の足は甲が高く、幅が広いと決めつけている人がいるが、計ってみるとそうでないことが多い。素直に足にあった靴を求めるべきだ。
●靴下
靴下は、裏がパイル地になったウールソックス。1枚がよい。薄い靴下だと足が中で動く。速乾性の靴下は汗が充分に通らなくて中が蒸れるが、ウールだといったん水分を吸い、徐々に発散させるので、中が蒸れにくい。できれば靴下を一定のものに定めていつもぴったりした状態で靴を履きたいものである。
●靴の手入れ
山行後、靴についた泥を水で洗ってきれいに落とし、陰干しをする。
表面が皮と布地のコンビネーションの場合は、フッ素系のスプレーをかけ、表面が革の靴は保革油を軽く塗る。次に靴の中に新聞紙を丸めて入れ、きちんと紐を締めて、直接光の当たらない湿気の少ないところに保管しておく。ビニール袋などに入れて保管するのはよくない。
3、ザックは体に合わせて
近頃市場に出ているザックは、同じ重さの荷物をより軽く背負えるように考えて作られていて、万人に合うように科学されている。トルソー・トラックーサスペンション・システムといわれる、身体全体(肩、腰、背中、腹)を使って力を分散させて楽に背負えるように工夫されている。いろんなベルトがザック本体についているが、それぞれに役割があるので、それらを十分理解して使ってほしい。
男性用、女性用などと分かれているし、容量も大から小までいろいろある。目指す山行の程度に合わせて実際に自分で背負ってみて、どれを購入するかを決めるべきである。
背負い方としては、まず背負って腰の部分のウェストベルトを締める。
次にショルダーベルトを引いてザックの付け根が自分の肩甲骨のところにくるようにする。トップベルトを引いて背中に三角形の空間ができるように調節する。荷物の量によってコンプレツション・ベルトを締めてザック全体の厚みを薄くし、重さを分散させる。
ザックは十分汚れやほこりを落として保管すべきだが、むやみに洗うのは防水性が落ちるので避けたほうがよい。
●ストック
ストックを持って歩くことによりバランスを保持してリズムを取ることができ、膝にかかる負担を軽くする。ストックを持つ高さは腰の高さくらいで、余り長くして持つと肩に負担がかかり、筋肉がかえって疲れる。先端のゴムのキャップはアプローチではつけておいてもよいが、山道に入ったらはずすべきだろう。ストックの長さの調節は上下を一回転ぐらい回すだけでよく、むやみにまわすべきではない。
使わないときは上下をはずして十分汚れと水気を落とし、分離したまま保管するのがよい。
■登山用具の信頼性
アメリカでは国防省が中心になつて、いろいろな用具の使用テストを実施し、そのデータを広く一般に公開しているので、各種の優れた素材が広範囲に使われるようになる。一方日本では、公的機関のデータなどはなかなか公表されないし、生産者の団体も品質について保証や説明を積極的には行っていない。したがって登山用具の選択に当たっては、個別の生産者のデータを信用せざるを得ないし、あくまでも自分の目で確かめて、実績のある安心できるものを選ばなければならないようだ。
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説明の区切りごとに会場から多くの質問が寄せられ、また休憩時間には、講師が持参した多くのサンブルを手にとって積極的にたずねる聴衆も多く、用具に対する関心の深さがうかがわれた 会場の聴衆からのアンケート結果はいずれも大好評で、これだけ具体的な話はなかなか聞けない、もっと大勢の人に聞かせるべきだ、などという声があった。
さまざまな登山用具が市販されており、登山者が選択に迷うほどだが、自分の登山に適合した自分の用具を選び、その機能を十分に理解して、フルに活用するために、使い方に習熟することが必要であることを強く訴えた、意義深いフォーラムであった。
(藤本慶光)