10月9日(火)午後6時半から約1時間半、本会集会室で、中国科学院蘭州冰川凍土砂漠研究所々長・施雅風氏により表題の講演が行われ(中国語、通訳は日中文化交流協会の横山氏)、西堀会長および雪氷学会の樋口教授をはじめ30名余りが出席して、講演後活発に質疑応答がかわされた。以下は講演内容の要旨である。
チヨモランマという名称は1714年の中国の地図に記されており、インド測量局によるエヴェレストの記載(1858年)よりはるかに古い。標高は最終的に、1975年の中国登山隊による測量データをも加味して、8848.13メートル(青島における黄海水位を基準)とされている。
チョモランマ北面の気候はひとくちにいうと乾いていて寒い。登山基地にされるロンブク寺院(約5000メートル)の年間平均気温はマイナス0.5度、年間降雨量は335ミリである(1959年)11月〜3月の極寒・乾燥期と、6〜9月の降雨を伴う季節風期を除いた4、5月および10月のみが登山可能
この時期は風もまた比較的弱い。北壁には幅広い降雨帯があり、6000メートル地点で年間600ミリ程度であるが、この結果は樋口氏らの南壁での調査結果とも一致する。5月に7050メートル地点で午後2時の気温マイナス24.5度、8000メートル地点の風速20メートルという記録がある。
中国における登山の歴史はまだ浅く1956年に始まる。1969年にソ連との混成チームによるチョモランマ登山が計画されたが、翌60年にソ連が引き上げたので、結局、中国隊として3名が深夜登頂を果した。
その後1975年には女性1名を含む9名が登頂している。
ロンブク寺院をベースとする登頂ルートは、寺院の裏手から始まって南へ向かうこの地域最大のロンブク氷河と、その上部で左折し東進している東ロンブク氷河に沿っている。両氷河には三つの特徴が挙げられる。まず、氷河舌端部が比較的安定している。その一因は末端が厚いモレーンで覆われていることにあり、従ってモレーン切断部には著しい変化がみられ、ことに東ロンブク氷河の露出末端部の後退は明白である(この部分の標高を記録して貰えると貴重なデータになるのだが−−−)第2の特徴はセラック地帯の形成である。
セラック地帯は、高さ1〜5メートルで基部がつながつている小規模なものから次第に大きなものに、遂にはひとっずつ独立したピラミッドの乱立地帯に到る。これは水河の位置と標高(すなわち太陽輻射熱の強さと気候の乾燥度)および氷河の動きの影響のもとに形成され、出現から消滅までのサイクルは50〜100年、ヒマラヤのような大山脈の氷河にのみみられる形式である。特徴の第3は、氷形成作用の途中に表面溶解現象が認められることである。
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このあと、1975年の中国隊の登山活動を写したスライドで、氷河の様子が説明された。
(三枝礼子)
出席者(順不同)
西堀栄三郎、樋口敬二、横川健、藤井理行、島田巽、川上隆、三枝礼子、神崎忠男、折井健一、
伴野清、江本嘉伸、鈴木郭之、中村純二、遠藤慶太、金子雅信、藤井弘一、藤江幾太郎、山崎安治、金坂一郎、滝川憲治、出口當、島田公博、中川武、松丸秀夫、渡辺兵力、浜野吉生、伊丹紹泰、高遠宏、大関徹
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