昭和55年6月26日(木)午後6時半よりルームにおいて表記講演会が開かれ盛会であった。要旨は以下の通り。
第2回講演会における今西錦司君の山岳科学と比較すると、両者の立場の差は大きいが、互いに補完的な関係にあるとも言える。彼は生物が専門の学者であって、山一筋であり、直観的、非人工的である。
これに対し私は物理や化学に根ざした技術研究者であって、登山はいわば趣味であり、その態度は解析的、理論的である。ルートファインディングの時にも彼は第六感に頼り、私は地図や磁石に頼った。一体学問は間口は狭くても深い必要があり、目標は普通妥当的な真理であって、国境などあり得ない。
一方技術研究の方は深いに越したことはないが、広くなくてはならず、個性や人格や国柄も問題となる。
また技術は人工的なものである以上、自然の一部である山とは矛盾するように思われるが、しかしこれらを追究する立場から見ると互いに相通ずるものがあり、お互いに無理なく受け入れられる所がある。
たとえばアインシュタインが学問の最先端の理論を進める方法は、未知の境地に分け入り、様々の困難を乗り越えていくという点で、やってみないことには結果の判らない技術研究の方法と極めてよく似ている。
常に未知に挑戦し困難と闘って行かねばならない登山の魅力もまた、冷静な判断や経験を必要とする技術研究に対し、共通点をもっている。この意味で取組み方は正反対でも、未知の山に対する探究心は今西君と同じで、共に楽しい登山を行うことができた。技術研究の在り方自体についても、登山からいろいろなことを教えられた気がする。同時に技術研究の考えを山道具等に適用して様々の創意工夫を楽しむこともできた。
つまり私の場合、山といっても娯楽ではなく、修業に出かけるようなもので極めて真剣である。理論は線だが、経験は点であり、そこでは個々の点のバラツキが重要なのだ。これらを乗り越えるのに名人が必要であるように、山でも永年の経験や、常に新しいものを追求する向上心といったものが必要になってくる。そしてこれらは何故山に登るかという問題にもつながるものである。
人間についていえば、人それぞれに個性があり、欠陥もあれば長所もある。それを一つの主義でまとめようとしても無理であって各人の個性を活用することこそ大切である。これを私は「異質の協力」といっている。芝居には千両役者だけでなく脇役も必要なのだ。今回のチョモランマが成功したとすれば、それは全隊員が「報道を含めた登頂」という、一つの共同の目的のために協力し、各自の個性を十分に発揮できたチームワークのお蔭だといってよい。ただ宇部君の遭難は誠にショックで悲しむべき事件であった。これをどう受けとめるかは立場によって異なるので簡単にはいえないが、今さら責任など追求するよりも、少くとも科学的にはこの失敗に大いに学ぶ必要があると思われる。
私は今西君を見習って今後も常に向上心なり、理想をもって山や研究に臨みたいと希っている。
(文責・中村純二)
出席者(順不同敬称略) 村井米子、門倉賢、上村信之、橋爪幸達、堀内章雄、宇津力雄、菅野弘章、中村あや、中村純二、三枝礼子、遠藤慶太、河野幾雄、小西奎二、山口一孝、国見利夫、村松紀夫、堀川清、渡辺兵力、入沢郁夫、田村協子、金坂一郎、伊藤隆夫、麦倉啓、金原晃、原謙一、小松原一郎、梅野淑子、山崎勝巳、広羽清伴紀子、栗原敏起、野口末延、折井健一、木下是雄、武田満子、鈴木郭之、坂本正智、関塚貞亨、中川武