御岳の噴火や、昨年夏富士で起きた落石災害などは、山の地形変化の中で意外なことと受けとられている。北極氷河のプッシュモレーンもその一例で、大抵の氷河の末端にはふつうは静的なモレーン(堆石)しか見られないのに、北極諸島中、アクセル・ハイペルグ島のトンプソン氷河では、モレーンが氷河とともに移動し、凍った砂篠層をも持ち上げ、高さ60m、幅2km長さ500mにも達する動的なモレーンの丘を作っていて壮観である。
しかしこれらの意外さも、地質年代という長期的な眼で見れば繰返し起っている通常の現象とみなされる。すなわち「過程同一説」によって説明がつくと考えられるのである。
たとえば御岳の噴火は7世紀以降史実にその記録は見られない。しかし今回の噴火の噴出物の火山灰は頂上付近で最大70cm、山麓では数ミリであって、この程度の灰ならばその後の雨で流されてしまうことは充分あり得ることである。本の破片の炭素測定とか、地層によって証拠づけられず、噴火の事実はやがて見逃されてしまう可能性がある。この意味でこの程度の御岳の噴火は数千年の時間に限っても、むしろ意外な出来事、すなわち「天変地異」にはつながらないと言ってもよいだろう。
富士山の場合、冬富士登山は確かに厳しいが夏は自動車道もあり、山の姿も優しく、事故など起らないと考えられていた。それが全長1600メートルにわたり死者12名を出す異常な惨事を起したのである。しかし地質的には富士山は短時日にでき上った粗製の火山で、岩石はもろくおまけに熔岩層と火山砂礫層が交互に重なり、火山砂礫層の方は極めて侵蝕されやすく、熔岩層のオーバーハングが生じ易い状況にある。これでは岩ナダレの起らない方が不思議である。特に昨夏は冷夏で雨が多く、地下水圧が一時的に上昇していたと思われる。同じような例は明治44年夏。姫川上流の稗田山でも起り、大雨の数日後、突如大崩壊が発生し、下流の集落が土石流の下に埋没した。
一方富士山のようなもろい山の沢では常に土砂が移動していると考えてよい。そんな所に大勢の人間が通過する下山道を作ったりするのは誤りで、観光車道建設とともに今回の事故には人災的要素かあったことも否めない。これが1600メートルの広範囲にわたり数十名もの死者重傷者を出した第二の原因である。何時岩ナダレが起るかその時刻の予報は難しいが、起きても不思議ではない災害であった。
北極氷河のプッシュモレーンも決して1ヵ所だけに限定されるというような珍しい現象ではないことか明らかとなっている。地下数十メートルにわたって凍結している寒地の土地では、この凍結層も前進する氷河の巨大な圧力によって次第に持ち上げられ、押しかぶせ断層が生じ、アウトウォッシュ(氷河前方の河成堆積層)を破砕してプッシュモレーンの丘を作って行く。その例は力ナダ北部だけでなく、ノバヤゼムリヤ、グリーンランドその他各所に見出されている。
さらに数万年前の氷河期には北米も大氷河におおわれていた。この時代のプッシュモレーンの痕跡はもっと広範囲に分布している。前期アクセル・ハイベルグ島だけでも既にプッシュモレーンは19カ所に見出され、隣のエルズミア島でも16力所見出されている。プッシュモレーンのすべてか明らかというわけではないが、くり返し形成されて来た事実があり決して意外な現象ではないといえる。
天変地異と考えられるような意外な現象も、地学的には過程同一説で説明することによって納得され、意外さは減じてくるようにも思われる。しかしそれだからといって思考が沈着し、つまらなくなってしまうということはあるまい。深い視点で眺めることによって、別の局面の意外さは次々と出てくるであろう。私達はむしろ意外さを求めて山に入ってみたい。
〔参加者〕村井米子、斎藤かつら、中村純二、原謙一、堀川清、三栖寿子、沢井政信、熊井明、織田沢美知子、神谷光昭、小林碧、梅野淑子、江村真一、油谷次康、渡辺正臣、小西奎二、高橋詢
(中村純二)