平成4年2月6日(木)午後6時半からルームにおいて、標記報告会が大蔵喜福委員によりビデオを使って開かれた。講演の概要は次の通りである。
1982年12月エベレスト登頂後消息を絶った加藤保男・小林利明両氏の遭難、1984年2月マッキンリーにおける植村直己氏の遭難、および1989年2月マッキンリーで山田昇・小松幸三・三枝照雄氏が遭難した事件は、いずれも冬期高所における厳しい気象条件、とくに強風が原因と考えられる。
大蔵らの行った風洞実験によれば、人間の対風限界(起立限界)は1気圧の平地で35%であり、マッキンリーデナリパス付近では43.8%エベレスト頂上では52.9%となる。したがって高原気象のデータから推定される加藤隊遭難当時の70%とか山田隊の39%では、頂稜を抜ける風は約1.3倍に加速されることと考え合せて当然耐風限界を越していたことが予想される。しかも外気温は零下40度近くであった。
他方大蔵らカモシカ同人冬期エペレスト登山隊の経験によれば、BCでの気温や気圧が徐々に下った後、急に上昇を始めると、その数時間後から1日後位の間に、頂上で強風が吹き易いとも判って来た。このような相関をさらに確かめ、強風の予測に役立てることは、強風の実態を知ることと共に、登山の成否を決め、アクシデントをなくす上にも極めて大切であろう。
マッキンリー長期気象観測はこのような観点から、1990年より、大蔵が主になり、科学研究委員会が後後して始められた。
第1次観測機器設置登山隊は大蔵を隊長に、TV朝日の資金援助により、同年6月出発。6月17日、マッキンリーデナリパス上部にある5710メートルの岩峰上に設置された。ビデオに見られるようにセンサーは4本のアングル製支柱枠上部にセットし、これを径2ミリのワイヤー12本でハーケンにより固定した。観測項目は白金温度計による外気温、プロペラ式風速計による風向と風速、雪中に埋めた記録装置の庫内温度などであった。
翌1991年6月、第2次登山隊が大蔵を隊長に自己資金で出発、6月26日装置を回収した。現地では強風のため先づワイヤーが2本切断され、その後固定用ハーケンが2本外れ、支柱枠が倒壊していて唖然とした。しかし帰国後記録装置は1年間作動していたことが判明、また倒壊は11月22日に起ったことも判った。また切断されたワイヤーは突風がいろいろな方向から衝撃荷重を受けたための疲労破壊であることも判った。これは設置点がマッキンリー国立公園内にあり、固定法に制約を加えられた点に遠因があったものと考えられる。
図1は年間外気温を示すもので、−50度以下に下った日は11月から2月にかけての計28日であり、最低気温は2月3日午前7時の−60度(補正前−58度)であった。