■はじめに
10月3日、JAC科学委員会で標題についてお話をした。これはその要約である。
19世紀半ばから、近代文明は大発展を遂げた。農業土木技術、育種、化学肥料、除草剤、害虫駆除の農薬などの発達により、農業生産力は増大、かつ安定した。医薬の発展は流行病を抑制した。これらは、今世紀に入って人口の爆発的増加をもたらした。
人類が希求してきた問題が改善されるとともに、期待または予想していなかった問題が生じ始めた。すなわち環境問題である。
最近流行の「地球環境にやさしい」の表現には、疑義を感じる。地球誕生当初の大気は90パーセント以上を炭酸ガスが占めていたし、海水や降水は高濃度の塩酸溶液であった。
私たちが対処しなければならないのは、人類が引き起こした、人類にとっての環境問題である。もし地球に心あれば、人類の出番はそろそろおしまいだな、と思っているかもしれない。
ここでは、人類の環境にとっての森林の機能、効果について述べる。
■森林の有機物生産能
森林は人類の環境を護る善玉とされている。これからのもっとも深刻な問題はエネルギー問題である。化石燃料の消費に伴う炭酸ガスの増加は、温室効果により地球の温暖化をもたらす。森林はその炭酸ガスを酸素に変える、と期待されている。
森林の材積、蓄積量が増大しつつある若い森林は、炭酸ガスの炭素を使って光合成を行い、有機物である枝、幹、根などを造るわけだから、そのとおりである。しかし、森林の樹高は無限に高くなるわけにはいかず、せいぜい百年くらいで頭打ちになる。蓄積量も一定になる(図1参照)。 つまり、人間が伐採しなくても、枯死する木とその跡地で成長する木で全体として蓄積量は一定になる。その状態になると、樹木が大気中の炭酸ガスを減少させるのは、落ち葉など植物遺体を作る分だけで、それは、土壌で分解され炭酸ガスとして大気に戻るから、土壌を含めた森林生態系としての炭素収支はゼロとなる。森林をして能率よく炭酸ガスを固定させるためには、伐採してそれを燃やさず、森林を、つねに成長しつつある状態におくことである。
しかし、現実的にはその実行はとくに発展途上国では難しい。野火、過放牧、雨期の土壌侵食などにより、土壌が疲弊するからである。
■大気中の炭酸ガスの収支
地球上の炭素の99.95パーセントは、石灰岩などの堆積岩になっている。その残りが炭素に換算して、海洋に3万5千、森林に約4干(土壌の有機物を含む。ただし諸説あり)、大気に640ギガトン(10の9乗トン)存在している。
毎年、大気中に放出される炭素量は、ギガトンの単位で、化石燃料の消費とセメントの生産によって、5.5熱帯林の減少に伴って、1.6。吸収される量は、海水に2.0 北方林の成長によって0.5。大気中に残る量は3.3と計算されている。収支のあわない1.3は、炭酸ガスの増加や酸性雨に含まれる窒素の肥料効果による森林(落葉層を含む)の増大によるものではないかと推論されている。(IPCC、1995)
熱帯林は地球全体の生物体有機物量の55パーセントほどを占めていて、その農耕地などへの変換は、炭酸ガス収支に大きい影響をもっている。
■酸性雨
北方林の肥大は、炭酸ガスの増加による光合成作用の促進と、酸性雨・酸性降下物に含まれるNOxの施肥効果によると最近はみなされている。
欧米であれだけ騒がれた「酸性雨による森林衰退」の図式は、すっかり書き直されてしまった。関東平野での背の高いスギの先枯れについて、酸性降下物によるとは考えがたいと1992年に報告したわが国の森林総合研究所は、時流におもねない科学者の姿勢として、賞賛に値する。
日本での銅鉱山の場合のように高濃度亜硫酸ガスによる森林衰退が、東欧やロシア西部の一画でおこったのは事実である。その写真が、全欧州の森林衰退の見本として、喧伝された、という。
■森林の水源涵養機能
森林のもつ土砂流出防止機能については、いまさらいうまでもない。
琵琶湖を例にとれば、田上山からの土砂流出のため、大井川が生じ、淀川は氾濫を繰り返し、その治山事業は徳川幕府以来の事業であった。土砂流出の原因は、燃料と肥料獲得のための過度の伐採、柴刈り、落ち葉掻きのために森林が成立し得ず、砂防工事が成功し得なかったのである。
戦後、ガス、電気の普及と化学合成肥料が森林の回復と砂防工事の成功を導いたという皮肉な現実である。 かつてのこの状態を、現在、中国長汀南部一帯に広く見ることができる。
水源涵養機能、すなわち森林は洪水を防止し、乾燥期にも下流に清水を提供する機能をもつというのが定説であった。これに対し、夏期干ばつに苦しむ瀬戸内海一帯の農民は、山火事があれば麓の貯水池の貯水量が増えることからむしろ山火事を歓迎し、論争が起こった。日本や北米の集水域における量水堰を使っての実験では、森林の伐採により樹冠層からの雨水の蒸発と葉からの蒸散は減少し、年間流出量は増加するとして、農民の経験が正しいことを立証し、林野庁や建設省を困惑させた。
田上山一帯の集水域で20年間以」上にわたって水文学研究を行った、福島さんらの研究は、この問題に科学的な解釈を与えた。そして裸地から成熟林に至る百年間の森林降水の構成要素(直接流出、基底流出、蒸散、蒸発、樹冠遮断蒸発、貯留量)の配分比の動態を、時間、日、年など任意の時間単位で、定量的に表現できるモデルを提示した(図2、福島1987)。
この図によると、裸地から森林の成立にともない、はじめの約20年間は蒸発散率が急激に増加する。すなわち森林から流出する年間の水量は低下する。しかし、それ以後は、年流出水率は一定となる。
この時期は、森林の葉量が一定になる時期にあたる。
一方、降水時に地表を一挙に流下して洪水の原因となる直接流出ではなく、土壌層を通過してゆっくり流出する、下流水域にとって利用しやすい基底流出率は、20年目までは、やや減少するが、その後は増加を続け、洪水の原因となる直接流出率は減少する。この傾向は、皆伐によって森林土壌の孔隙率は当初減少するが、森林の生育発展にともなっておこる土壌理化学性の改善、土壌肥沃化の流れに対応している。
少しでも多く水が欲しいとの辻場に立てば、森林はないほうがよい。
しかし、侵食や洪水から国土を保全するためには、森林の存在が望ましく、かつ、それは渇水時でもある程度長く、流水を継続維持することになる。
■森林の水質浄化機能
植物にとって最重要な養分物質である窒素やリンは、この頃は、富栄養化物質と蔑称(?)される。降水と森林流出水(渓流水)を比べると、アンモニア態窒素は、間違いなく、渓流水で濃度、量とも小さい。硝酸態窒素は森林によって異なる。ところがアンモニア態窒素と合計しても、渓流水のほうが人きい森林がある。
隣り合った、同じような土壌に成立している森林で渓流水の硝酸態窒素濃度を比較すると、成熟した古い森林からは、若い森林からに比べて高い濃度が流出する。はじめ、この結果が出たとき驚いたけれど、考えてみれば、当然である。森林生態系の物質循環が平衡に達した、成熟した老齢の森林は、新たな養分物質の系内への収入を必要としないのである。肥料としてよいし尿を出すのは、金持ちのご隠居で、逆は妊婦と子供であるといわれる。森林も似たような反応をするのである。
カリウム、カルシウム、マグネシウム、ナトリウムなどは、ほとんどの森林で渓流水の濃度が高い。これも当然の話で、岩石が風化をうけて、海に運び込まれ、そこで堆積岩になるのは、地球誕生以来の歴史である。
(岩坪五郎・京都大学農学部教授)
山618-1996/11月号
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