07年11月15日、本会104号室において小疇尚委員による講演が行われた。参加者は25名であった。
演者による研究史上の新たな指摘や、実際の氷河地形の調査経験などを交えた聞き応えのある内容となった。
問題の発端となったのは、ライマン、ナウマン、ミルンら明治政府のお雇い外国人による意見で、それらは氷河地形の有無よりも、当時ヨーロッパで氷河堆積物であることが明らかになった迷子石や漂礫粘土層(ドリフト)と同じものが日本にあるのか、という点にあった。
1902年には山崎直方が白馬岳で氷河地形を発見し「氷河果たして本邦に存在せざりしか」と題する論文を発表したが、このタイトルはそれら外国人記述への反論の意味があるのではと、踏み込んだ指摘がなされた。
これ以降、日本人による氷河地形の研究が開始され、辻村太郎と小島鳥水による氷河地形の存否論争もあったが。当時日本の氷河地形の情報の多くが登山家によって提出され、次第に各地の氷河地形が明らかになってきたことが解説された。少々奇妙な点としては、ウェストンが在日中に日本の氷河問題についてほとんど語らず、帰国後ヨーロッパ留学中の大関久五郎の英文論文を読んで、突然否定論を展開している。
演者が記録を時系列に並べてみたところ、学者(山崎、辻村、大関)が研究を発表すると、登山家(小島、ウェストン)がそれを否定する、ということをくりかえしていることが分かったという。
戦後の研究は氷河が拡大した時期である氷期論へと発展し、橋本誠二らによる日高山脈での複数の氷期の提唱、小林国夫らによる中央アルプスのモレーンの年代決定へと進み、第4紀という地球史の名から位置づけられるようになる。
その後、横尾岩小屋を氷河最拡大期のモレーンと認め、空中写真判読という新しい手法によって日本アルプス・氷河日高山脈の地形分布図(『山と氷河の図譜』に掲載)を作成した五百澤智也の業績も紹介された。
こうして新たに見出された氷河地形の例として、演者らが調査した白馬尻〜猿倉周辺のモレーンとその堆積物が鮮明な写真で示された。さらに、長く疑問視されていた谷川岳東面の氷河地形についても、演者らによってモレーンが確認された。モレーンは氷河拡大範囲を示す証拠となるが、行くことそのものが困難な山や谷でそれを見出すことは並大抵ではないので、山岳会会員諸氏からの情報を多いに期待したい旨が強調された。
(清水長正)
山752-2008/1