科学委員会
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1979年
◆探索山行 「鳥海山高山植物探索」
1979年(昭和54) 8月11-12日  
地域:鳥海山
コース:酒田―大平山荘、 吹浦口−笙ケ岳―扇子森−大平山荘
宿泊:大平山荘
講師:畠中善弥、富沢襄、高橋長助、斉藤清吉
参加者33名 報告:山414(宮下敬三)

鳥海山高山植物探索行

科学研究委員会

 ヨーロツパでは、まず植物研究者がアルプスの山地にわけいって、地質学者がこれにつづいた。
魔力を秘める醜いものとして敬遠されてきた山々から不幸な偏見がとりのぞかれて、山岳観光、そしてアルピニズムの時代がおとずれた。日本の近代登山史は、ヨーロツパでの山岳開拓史の最終段階であるアルピニズムの直輸入からはじまった。
日本山岳会をはじめとしてヽ幾百幾千の大小の登山者の団体が、もっぱら登山そのものを主目的としてきたこと、自然科学的な関心がいっも付録同然であったことは否定しようがない。そういう事情をふまえてみれば、日本山岳会に科学研究委員会が設けられて、日本山岳会に関する自然科学の研究の組織化が行われようとしていること、さらに一般会員に科学する目で山岳に接する楽しみを啓発してくれようとしていることは大いによろこばしい。

 その科学研究委員会の主催で八月中旬に東北の名峰の一つである鳥海山への植物研究山行が催された
じつをいえば委員会の名にしても、「鳥海山高山植物探索行」という名称にしても、植物にうとい私をたじろがせなかったわけではないけれども、自分自身を啓蒙する機会をもちたい一新で同行した。
そして単独で歩こうものなら気にもとめずにいたはずの一木一草に注目することの喜びを味わうことができた。 教えられるところの多い二日間の山旅であった。

 8月11日朝に酒田駅に集合した参加者たちはチャーターしたバスで標高1000mの大平山荘にはこばれた。山荘で荷を軽くした一行は午前10時に吹浦口の登山道を登り始めた。 小一時間登った標高1400m地点あたりから、次々とあらわれる高山植物に視線をすいよせられ、止まっては歩きヽ歩いては止まる。日本海から吹き寄せる湿気をせきとめて雲と霧をたっぷりとたくわえる鳥海山は、中々その頂上を私たちの目に見せてくれなかったが、雲と霧は真夏の日射しをさえぎって植物探索の歩みを快適なものにしてくれた。

 第一日目の探索行は笙ケ岳三峰から扇子森に及んだ。 私たちがこの日に見た植物の名をいちいちあげる必要はあるまい。
ただ鳥海山ならではの三種の植物にとくに私たちの関心が注がれたことだけは記録しておこう。
ウゴアザミ、オクキタアザミ、チョウカイフスマ。

 太平山荘での夕食にに地元の山形県遊佐町助役の佐藤氏、遊佐町企画商工課長の佐藤氏(会員)も列席して、日本山岳会が鳥海山に関心をもつことに歓迎の意を表した。

 翌12目は自由行動日ということで、鳥海山頂上をめざすグループのほか、日程や気分に応じて三つ四つの小グループをつくり、参加者たちは思い思いの方向に散って歩き、前日の植物探索の余韻を味わった。
 この二日間の山行には、吹浦在住の高山植物愛好家の畠中善弥氏、酒田在住の植物研究家富沢襄氏、吹浦の鳥海山指導員高橋長助氏など、地元の方々の熱意ある教示が大いに貴重なものであり、そのおかげで探索山行が予期以上に豊かなものとなったことをぜひとも付言しておかなくてはならない。
とりわけ80歳の畠中老人は疲れの色ひとつ見せず、平均の登山者以上の健脚をもつ会員たちにさえ驚きと尊敬の念をおこさせたものであった。ここに私たちの良き同行者となってくれた地元の人々に対して、山行のリーダーであった中村純二氏になりかわって、あつく御礼申し上げたい。

      (絵と文宮下啓三)

●参加者(五十音順。*印は非会員)
*天城崇子、網蔵志朗、網蔵卓弥、遠藤慶太、小原晴子、片岡博、門倉賢、久保孝一郎、隅部恵子、斎藤清吉、*佐藤岩雄、佐藤冨佐雄、沢井政信、*沢井陽子、塩場庄太郎、*杉山都子、関塚貞亨、*ハロルド・ソロモン、高橋長助、宅問清子、田中清子、*富沢襄、中沢光江、中村あや、中村純二、畠中菩弥、林桂子、林稔、松丸秀夫、*宮城恭一、宮下啓三、村上勝太郎、山崎健

山414 (1979/11月号)


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