委員会報告
平ヶ岳高山植物探索行
昭和55年8月10日〜11日
科学研究委員会 |
昭和55年度夏の行事として、私どもは平ヶ岳へ北面の中ノ岐林道から登って高山植物を探る計画を立てた。 前年暮から終始協力頂いたのは片岡博会員で、基地となる銀山平の奥只見山岳会の小屋や、高山植物の講師である。 小出中学の柳一成教論、あるいは湯之谷村などとの交渉を一手に引き受けて下さった。
8月10日(土)午後1時、一行63名は湯之谷村福祉センターに集合、柳先生はじめ湯之谷村理科教育センターの先生方から、スライド付で平ヶ岳の自然について行き屈いた解説を伺った。夕刻銀山平に着くと、会場にはすでに湯之谷村役場のテントが張られ、傍らでは奥只見山岳会員と越後支部の国鉄グループが中心となり、諸準備や御馳走作りに大童であった。
そして伝之助小屋、三渓荘、庄之助小屋からも、あるいは部屋、あるいは仕出し、あるいはお酒の差し入れなどの協力の申し入れがあった。
懇親会には湯之谷村の星彦三郎村長や星正和教育長(奥只見山岳会長)、伝之助小屋の佐藤広文氏なども出席され、遠路関西支部から参加の小川、入谷、池田会員や静岡の石間会員、あるいは地元越後支部の斉藤支部長はじめ76歳の藤島玄、野沢健吉両会員などもまじえ歓談が始まった。豊富な地酒とアカウオの甘煮、ナガオカナスのシギヤキ、ヒヤヤッコ、山菜などの御馳走に談笑は夜遅くまで続いた。
この年は例年にない冷夏で、平ヶ岳付近でも前日まで十数日にわたって雨が降り続き、雪害を受けた中ノ岐林道の補修は8月上旬になってようやく完了という有様であった。しかし全く幸運にも8月11日(日)は雲一つない快晴に恵まれ、全員四時起床、マイクロバスで林道終点に向った。ここには長岡国鉄グループの一隊が前夜からテントで待機していて、私どものためにあたたかいナメコ汁を用意して待っていて下さった。
参加者63名は7班に分かれて勇躍出発した。先頭と後尾には常に山田博氏など奥只見山岳会員と松本氏などの国鉄長岡グループの方たちに付いて頂いた。また峡彩山岳会の上村氏他11名、水原山の会の坂井氏他5名、長岡ハイキングクラブの室賀氏他5名、ならびに理科教育センターのメンバーなどとは随時相前後し、互いに話し合いながら歩を進めた。この結果地元側50名、総勢121名の大部隊の行進となった。
山麓にもツルリンドウ、コイチョウラン、ヨツパヒョドリなどの花が見られたが、山頂付近の大湿原に着いてみると、タテヤマリンドウ、ハクサンフウロ、イワイチョウ、モミジカラマツ、キソチドリ、ワタスゲ、モウセンゴケなど次々に満開の高山植物が現われた。玉子石は下部が侵蝕されて、台の上に玉子がのっかったような珍らしい形の石で、そのまわりに広がる湿原には、青空を映してトルコ石のように輝く池塘がちらばっていた。湿原やツガの廊下を通り2140メートルの山頂に立つと、越後三山をはじめ巻機山、谷川岳、燧岳から日光白根に至る山々が一望の下に見渡され、まさに天上の楽園であった。頂上の広大な草原に散らぱってゆっくりと昼食をとる。姫ヶ池をまわって玉子石分岐に戻って見ると、思いもかけぬ大きな西瓜が待ち受けていた。長岡ハイキングクラブの会員が十数個かつぎあげてくれたもので、その美味しさは生涯忘れられないものとなった。
14時、山麓着。マイクロバスで折立温泉「ゆのたに荘」に直行して温泉に浸り、湯之谷村から差し入れのビールで乾杯、山菜丼に舌つづみをうち、ここにつつがなく山行は完了した。
翌12日(月)も天気に恵まれ、有志はそれぞれ未丈岳や荒沢岳に遊んで英気を養うことができたが、今回の素晴しい山行に際し、絶大なる御尽力を頂いた前記地元の多くの皆様、ならびに御協力頂いた集会、総務、自然保護各委員会の諸兄姉に心から御礼申し上げる次第です。
(中村純二)