科学委員会
KAGAKU                          探索山行


探索山行INDEX

1990年
◆探索山行 「磐司岩探索」
1990年(平成2年度) 10月20-,21日
地域:
コース:表磐司岩―磐司山荘―裏磐司北石橋―梯子滝―大東岳
宿泊:磐司山荘

講師:柴崎徹(東北大)「磐司岩、地学、民俗学、登山史」

参加者:34名  報告:山548(中村純二)

報告

磐司岩探索山行

科学研究委員会

 平成2年10月20日(土)の午後、参加者の大部分は、仙台駅から宮城支郎会員の車に便乗させて頂き、二口温泉磐司山荘に到着した。中には秋保大滝や表磐司岩を案内して貰った者もいる。
 午後5時より、柴崎徹宮城支部副支部長の講演が始まった。

 『磐司岩の人と自然
    地学・民俗学・登山史』

 仙台の西方、大東岳と神室岳の間に位置する二口渓谷地域は、長さ数キロ、高さ百数十メートルにおよぶ長大な障壁をなす岩帯が幾つか見られる。

 その成因は奥羽脊梁山脈の造山運動によるもので、集塊岩と凝灰岩とからなり、いずれも流水や雨水による浸蝕を受け易い。このため柱状の岩塔や垂直の割れ目、あるいは数々の滝や石橋、洞穴、クーロアールなどが見られる奇岩奇勝の景勝地となっている。これらの岩帯はほぼ東西に並んでいるので、糸岳東稜の南面すなわち二口沢側の岩帯を表磐司、北面の大行沢側を日影磐司 南面の太郎川側を太郎磐司と呼んで区分している。

 古来、二口では、これら豊かな自然と、そこに住む人々とのかかわりが深く、陸奥から羽州に至る重要な交通路ともなっていた。古名は磐神、磐上、萬治などとなっており、磐司は久しくイワガミの本拠地とされてきた。平安の頃、立石寺に生れ、ニロ渓谷に移り住んで狩をしていた磐司磐三郎は、ある時日光権現に呼ばれて、日光戦場ケ原の大ムカデを退治したので、日本国中の山の鳥獣を獲ってもよいとの免許を貰ったとの説話が残されていて、磐三郎はその後、阿仁や奥州マタギの祖と仰がれるようになった。現在でも山中には古い峠道や番所趾が見られる。

 磐司岩は戦後、登攀の対象となり、表磐司鳩ノ胸は1953年、仙台一高OBの三原・石川によって初めて完登された。磐司沢は1966年スプール同人の及川・細谷・柴崎がF4に到達、その後、YMCA山岳会や山想会のメンバーが何度か試登を行い、1973年山想会の高橋二義が初登に成功した(当日配布資料中5頁の高橋氏の所属は山想会につき訂正)。その後新しいルートも幾つか開拓されている。

 柴崎氏は宮城県環境保全課の仕事もやっておられ、豊富な現地のスライドも上映、植物の説明も加えられた。また庄司支部長以下、全員現役だという宮城支部の大東岳周辺における沢登り山行のスライドも、講演後映写された。
これらのため、翌日山行に参加した多くの会員から「前日、時宜を得た説明を聞き、おおよその地形も判ったので、たいへん有意義な山行ができた。」との感想が寄せられることになった。

  夕食後懇親会に移り、午後10時半就床

  10月21日(日)も快晴、6時半起床、7時半全員山荘の前庭に出て記念 撮影。大東岳に登る20名のA班と、北石橋・裏磐司岩の探索に向かう12名のB班に分れて7時40分出発した。2名は所要のため仙台に向かった。

−続く−

(中村純二)
山548(1991/2)

磐司岩探索山行A
科学研究委員会

 A班は雲一つない秋空のもと、右手に大東岳(おおあづまがだけ)の橙色に輝いた山頂を見ながら歩き出した。
トップを行く柴崎リーダーが時々立ち止まって木々の名前など説明するが、20名の大部隊では後部の者には聞きとれない。30分ピッチ程度のゆっくりしたペースで小行沢を過ぎ、杉林の中の立石沢に着く。ここからやや急な上りとなり、ブナ、カエデ、ミズナラも現われて、秋山の雰囲気となる。

 ひと登りで稜線の見晴台。正面に大きな船形山。宮城支部員はキノコ探しに忙しい。高木かまばらになり、イヌガヤの赤い実が目だち始めた頃1013メートルのピークに飛び出し、ブナもみじに燃える大東岳が大きくそびえて見えた。

 こぶし平を過ぎ、ハナコスリの急坂にかかるが、鼻がこすれる程ではない。やがて傾斜は次第にゆるくなって、11時5分、1366メートルの頂上に出た。東に松島湾、西に月山が見え、付近にはイヌツゲ、シャクナゲ、ドウダン、チシマザサ、ゴヨウマツなどが繁っている。

 ビールで乾杯の後昼食。食後記念撮影しようとした時に、宮城支部の佐々木郁男氏が登って来たので、全員でカメラに納まり、12時40分出発。

 5分ほど下がった所で、蔵王、最上・仙台両神室、小東、南面白の峰々が見渡せた。禰吉ころがしの急斜面を下り、沢に沿って行くと、広いブナ林の中、快適なナメ状の樋ノ沢の出合に着いた。ここからは小乗岳あるいは北石橋への道を右に分けつつ、大行沢の林の中を進む。やがて沢の左岸をへつるようになり、裏磐司展望台に出た。昨日見た表磐司と遅って木が繁り、岩も堅そうだ。続いて雨滝に出、滝の下で雨シブキを浴びる。後はひたすら歩いて15時45分、全員無事山荘に着いた。

      (北野忠彦)

 B班は大行沢に沿って歩く。さまざまな色合のもみじが青空に映えて誠に美しい。シブギになって落下する雨滝を過ぎ、紅葉に彩られた壮大な裏磐司の岩壁を左に眺めて歩く。岩壁中央にスズメバチの巨大な巣があるというので、交互に双眼鏡で覗く。京淵沢ではナメコ、サワモダシ、ブナカノカ等の収穫があった。9時40分材木沢の出合に善く。ここの徒渉点では、宮城支部員が老会員を背負って渡るという一幕もあった。最奥の北石橋は高さ30メートル、長さ20メートル位の天然の見事な石橋である。早速写真を撮ったり、スケッ千をしたり、上に挙じ登ったりして楽しみ、ここで昼食。

 帰路、梯子滝付近では野猿が数十匹現われ、しばらく私どもと前後して行道した。、エサを与えると、野性を揖なうおそれがあるというので、エサを与えることは止めた。磐司山荘には15時20分に着いた。

 入浴後、再び宮城支部会員の車で仙台駅に向かった。改めて柴崎講師並びに宮城支部の皆さんに心からお礼を申し上げる次第である。

 (参加者)一般 遠藤明男、菅野弘章、賀嶋増造、林桂子、入谷浩右、中村あや、風見清子、宮前淑子、中村恒子、犬塚玲子、須藤節子、野々ロ文子、茂木洋子、北村義男

宮城支部 庄司駒男、星勝堆、佐々木郁男、柴崎徹、千田早苗、佐々木豊喜、遠藤昭冶、高僑二義、佐々木裕二、後藤邦慶、鈴木晃三、

科学研究委員 鳥居亮、中村純二、斎藤桂、梅野淑子、石田要久、大本淑子、森武昭、石井恵美子、奥野道治、北野忠彦    以上35名

            (中村純二)
山549 (1991/3月号)




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