「山はなぜ高くなったのか」という子供が何気なく発するような質問が意外に難問なのである。
今までの地質学や地形学は、「山はどのようにしてできてきたか」ということに対しては、ある程度答を用意できたが、この難問にはまだ答えきれない。しかし「なぜ山ができたのか」という質問には、ある程度のことがいえるようになったのだが、それはこの20年ばかりの間急速な変貌をとげた地球科学のおかげである。
比良の山頂部には八雲原の湿原の存在でもわかるように丘陵的なゆるやかな地形がひろがっていて、比良ロッヂはその片隅にある。しかしロッヂに至る琵琶湖側の山腹は、ケーブルカーもつけられない急斜面で、いたるところガリーが見られる。また西側の安曇川の谷への斜面はさらに急で、山頂から谷底が見えないくらいである。
山は高くなるほど浸食作用がはげしくなって、やせ尾根になるはずであるから、八雲原は比良が高くなってからできた地形とは考えられない。これはかつての琵琶湖の水面に近い位置で平坦になり、その後に隆起したものにちがいないから隆起準平原と呼ばれる。武奈岳がこの平原面から突出して最高峰になっているのは、過去の準平原面の中での古い丘陵だったからで、残丘という。
それでは比良山地はどのようにして隆起してきたのであろうか。そのメカニズムは山地両側の急斜面が暗示している。山地の根元にあたる部分を調査してみると、山麓に沿って延びる大きな断層が発見される。断層とは地球の表層の部分に発生した割れ目で、岩盤のくいちがう境界面にあたる。比良の場合は圧縮性の割れ日で、その断層面を境にして比良をつくっている花岡岩のブロツクがくさび状にしぼり出されるように上昇してきたのである。東側を比良断層、西側の安曇沿いを花折断層という。
これらは逆断層という型の断層で、断層面が山地の内側の方向に傾斜しているので、本来なら山腹面はオーバーハングになるはずであるが、実際には山が隆起するにっれて浸食されるので、急斜面をつくりながら山麓に巨大な扇状地をつくったのである。したがって山腹斜面は変形した断層崖といえる。
それではなぜこのような部分に圧縮作用が加わったのであろうか。この問題もこの15年ばかりの間に劇的な発展をとげたプレートテクトニクスと呼ばれる学説によってある程度説明ができるようになった。
比良山地はほぼ南北に延びる。この方向の細長いプロ。クが隆起ナるということは、東西方向に圧縮作用が加わっているということを意味する。
そして同様な構造を東へ追っていくと、飛騨山地を経て、東北地方から遂には日本海溝に道するのである。
プレートテクトニクス説によれば、太平洋の海底を構成する厚さ約100メートルの「板状の岩盤」が日本海溝に沿って日本列島の下にもぐり込む。 この圧縮力によって日本列島は縮みながらうねりを生じ、また破壊して断層という名の割れ目ができる。そして岩盤が割れる時に発生する波が地震だというのである。
比良山地も、太平洋プレートの圧縮によるうねりの両端に近い高まりだということができる。このうねりがいつ頃から始まったかということも最近見当がついてきた。その成果によると、開始は約100万年前、そしてその大部分は約50万年前から急速に断層を伴う隆起が始まった。こういうと非常に古い話と思われる方もあろうが、人類史が300万年にもなってきたのであるから、人類の活動舞台の中で生れてきた、世界でも最も新しい山なのである。
その隆起の速度は平均すると年1ミリ程度であるが、毎年じわじわと上がってきたものではなく、エネルギーをためておいて一挙に数メートル上昇するということを繰り返えしてきたとみられる。その時には大地震を伴ったにちがいない。比良の両側には歴史地震の記録も多い。これが息の長い地球の変動の実態なのである。
詳しくは藤田和夫著「日本列島砂山論」(小学館創造選書680円)をご覧いただきたい。
山452 (1983/2月号)