■2003年■探索山行:
「中央構造線と塩の道を探る」
(平成15年6月7日・8日)
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塩の道は東経138度線上に中央構造線とフォッサマグナの西縁に沿って、糸魚川より静岡掛川まで、一直線に縦断する。科学委員会では、昨年は日本海側・千国街道を中心に探索山行を実施し、本年は6月7,8日の日程で、太平洋側を掛川から信州に向かって、さかのぼることとなった。
早朝、渋谷を出たマイクロバス2台は、東名掛川ICにて、今回の講師でもある「掛川塩の道踏査研究会」稲垣敏彦会長以下10名の会員諸氏と落ち合い、塩の道に沿いながら、火祭りで名高い秋葉神社に向かった。
ここで古来の塩の道、信仰の道である秋葉古道とが結びついており、整備された表参道には、昭和18年の山火事によって多くの木が燃えたにも拘わらず、樹齢400年にもおよぶ杉が数多くのこっており、本殿からは遠州平野、その中を貫く天竜川も一望できる。
奥の院の裏からは半分朽ちかけた笹の茂った、塩の道でもある裏参道を下山。バスで南信濃村の宿泊先「やまめ荘」へ移動後、講師の稲垣氏を囲み、質疑応答と和やかな懇親会を楽しんだ。
翌朝は、夜来の雨も上がり晴天に恵まれた中、丘越峠を越え一般には比較的なじみが薄い、南信・遠州の境に位置する、一等三角点の山「熊伏山」(1653b)登山口の青崩峠へ。登山道の脇は中央構造線の活動のために大きく崩壊し、その名の通り、遠目には青く見える地質であった。
山頂からは南アルプス南部の聖岳・兎岳等の眺望を楽しみ、全員元気に下山した。
さて今回の太平洋側の塩の道は、山としての深みは北の千国街道に一歩も二歩もゆずるとしても、山あいの集落、民家の軒先を通り、段々畑を横切り、荷車を利用して、塩以外の生活物資も運び、日常生活に密着した、人間くさい道である。
使役の「力」も、北は人力と牛であったが、ここでは人力と主に馬力であり、途中には馬の頭をそのままかたどった馬頭観音も残っており、秋葉山信仰とも相まって発展したこと等々、非常に興味深いものであった。
最後に、事前の踏査、ルームにおける勉強会と、種々お力添えいただいた、掛川塩の道踏査研究会の皆様に、心から感謝申し上げる次第です。
(井上 稀夫)
山699-2003/8月号