山のトイレ問題を考える
科学委員会担当理事・森 武昭
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1、はじめに
最近、山小屋など山域で発生する生ゴミやし尿による環境保全への影響などが深刻な問題として提起されている。例えば、富士山では便槽内に捨てられたティッシュペーパーなどのゴミが放流の際に白い筋となって残るといった現象が起きており(写真参照)、景観上・衛生上はもちろんのこと、富栄養化など自然環境を保全していく上で大きな問題となっている。このため、世界の自然遺産への登録申請はとても困難といわれている。この現状は、富士山に限らず、わが国の多くの山城で共通した問題であるだけでなく、わが国から多くのトレッキング客が出向くヒマラヤ地域でも同様の問題が提起されている。
この問題を少しでも解決しようとの動きが最近活発化している。すなわち、最近になって、技術面での進歩、自然環境保全への意識の高まり、現状放置への危機感などを背景として、問題の重要性が徐々に認知され、ここ数年で大きな流れとなっている。
平成九年以降、日本トイレ協会(2回)、信濃毎日新聞、富士山エコ・トイレ勉強会などがシンポジウムを開催し、熱心な討議を行っている。
このような社会的要請を受けて、環境庁・都道府県・市町村といった行政もここ数年で直接・間接にトイレを設置したり、補助金を交付したり積極的に取り組み始めている。
また、山小屋でも、一部では具体的にいろいろな対応策を講じている。
これらは、自費または補助金との組み合わせで行っている。また、多くの山小屋関係者がその対策の必要性を承知しており、技術的保障やコストの問題を注意深く見守っているのが現状である。
ところで、筆者も、平成11年度に、(財)広域関東圏産業活性化センター(通産省の認可法人)の「山岳観光地における環境問題調査研究会」(委員長・田部井淳子)と去ゥ然環境研究センター(環境庁の認可法人)の「富士山頂上部における保護と利用のあり方」(座長・筆者)に委員として参加した。
本稿では、これら委員会での審議過程や報告書で述べられている事項をもとに、山のトイレ問題解決への動きと今後の課題を述べることにする。なお、本校では、より困難な問題であるし尿処理に絞って述べ、生ゴミについては別の機会に論ずることにしたい。
2、山岳トイレの現状と問題の背景
信濃毎日新聞(平成11年7月20日付)のアンケート調査結果によれば、対象とした北アルプスの稜線近くにある山小屋44軒のうち、約90%の39軒がし尿を穴に埋めたり、崖や沢に放流していることが明らかになった。その量は、1年問で2千5百トン以上に及ぶと推定されている。処理対策している小屋は、ヘリによる輸送が3軒、浄化槽による処理が2軒であった。全国的にみても、大部分が放流・地下浸透に依存しているのは、ぽ同じ状況にあると思われる。
山のトイレ問題の深刻さが指摘されるようになった背景を整理すると、次のような点があげられる。
@登山者の量的問題点・中高年者を中心とした登山者の急増、百名山ブームに代表される登山者の特定山域への集中、業者などによる団体登山、などにより施設面で対応できなくなってきている。
A登山者の質的問題点・トイレヘの異物の投入などにみられるように社会的マナーの低下が、し尿処理をより難しくしている。
B従来の登山者マナーの限界・前記@とAを背景として、自然の浄化作用に依存していた従来の方式(雉撃
ちや花を摘むといった隠語に代表される方法やし尿の放流・浸透)が許容されなくなってきた。
3、山岳トイレの技術的動向
このような状況を背景として、山岳トイレの技術も阪神大震災の教訓と相まって飛躍的に発展した。環境に優しい山岳トイレの技術的検討では、立地条件が重要な要素となり、道路・電気・水の有無によってそれぞれに適したし尿処理方式が提案されている。山小屋がおかれた状況と対策の関係を具体的に例をあげて図に示す。
このように、技術的な進歩により、それぞれの立地条件にあった処理法を選択できるようになってきた。しかし、山岳地域では気温など気象条件が厳しい上に冬期はほとんど未使用といったことが、トイレの機能にどのような影響を及ぼすかを使用実績をもとに見極める必要がある。さらに、技術的には可能であっても、現実には初期設備投資と維持管理に要する費用という問題が重要な要素となる。
いずれにしても、トイレの設置にあたっては、立地条件を考慮してそれぞれに最も適した方式を採り入れることが重要であるが、過度のインフラ整備とならないように、コスト面も十分に考慮することが肝要である。
4、改善へ向けた動き
環境庁では、平成10年度に、富士山の富士宮口五合目(間欠ばっ気活性汚泥処理方式に凝集剤を付加した方式)と富士吉田口下山道七合目(排泄物を乾燥させて少量の灰にし、紙パックで回収する方式)に億単位
の資金を投入して公衆トイレを設置した。また、環境庁では、平成11年度の補正予算(山岳環境浄化・安全対策事業費)で全国10の山小屋に対して、総額1億3千万の補助金(補助率50%)を拠出して、整備に乗り出した。国が個人経営の山小屋に直接補助金を出した最初の例という意味でも面期的と言われている。
一方、地方公共団体でもいろいろな動きがある。静岡県では、自らが事務局となって富士山トイレ研究会を発足させ、杉チップトイレの実証試験やバキュームカーによるし尿運搬の実験などを試みている。 山梨県でも北岳大樺沢に杉チップトイレを設置するとともに、山岳トイレマニュアル(仮称)の策定を検討するなどソフト面にも力を入れている。 長野県でも横尾にTSSシステムトイレを設置している。 また、長野県下では、茅野市や長谷村でも八ヶ岳や千丈の小屋にエコ・トイレを積極的に導入している。
各山域の山小屋関係者も、独自にまたは前述の行政の動きと連携して、改善に乗り出している。 例えば、北アルプスの槍ヶ岳では、槍沢ロッジは独自にTSS法のトイレを設置する一方で、肩の小屋は前記環境庁の
補助金を得て、同じ手法のトイレを設置工事中である。 ところで、山岳トイレの大きな問題の一つに、維持
管理の難しさ(労働負担と費用)が指摘されているが、前者については山小屋の果たす役割は極めて重要で
ある。
5、解決へ向けての登山者の役割
以上のように、行政、多くの山小屋が改善への動きを見せているが、この問題を解決していくためには、当事者である登山者を抜きには考えられない。 しかし、登山者の立場からの運動としては、ごく一部でし尿の待ち帰りや紙の分別の提案が行われている程度である。
トイレ問題に関する多くの議論をもとに、各対処法とその問題点を整理して上の表に示す(特に登山者の果たすべき役割と責任にアンダーライン)。以下に筆者の私見を交えて、登山者の果たすべき役割について述べてみたい。
(1)と(2)を主張される方もかなり多いが、トイレ問題の全面的解決を求めて実施するのはわが国の現状では難しいと思われる。 むしろ(1)については、環境負荷からみて許容できる範囲を(3)(4)の方法とのバランスで検討するのが現実的と思われる。その点で、尾瀬が今後どのような動きを示すか注目される。 現在の検討の主眼は(3)と(4)であるが、登山者として次のような点での協力が必要不可欠である。
一つは、異物混入の防止である。異物で多いのは、ティッシュペーパーを包むビニール袋、生理用品などで、中には下着まで捨てている例もある。二つ目は、合併浄化槽以外では、紙の分別を徹底して行うことが必要である。第三には、維持管理に要する費用の少なくとも一部は登山者が負担することである。チップ制の実施例では、一人当たり約30円という結果が報告されている。宿泊費は別として、トイレの利用に際しては、チップ制にしろ有料制にしろ、一人当たり100円程度を負担するのが現実的と思われる。 各家庭でも下水道料金または汲み取り料金を負担していることを考えれば当然の役割といえる。
次に、見落とされがちであるが、わが国のかなりの数の山域やヒマラヤ地域では(5)が該当するであろう。自然の浄化作用で済む範疇であれば、登山者のマナーで十分対応できるわけである。その点からも最低限のマナーを徹底する必要がある。
6、まとめ
以上の内容を要約すると、次の通りである。
@山のトイレ問題は、立地条件・コストなどを考慮して、それぞれの山域、山小屋にあった方法を採用する
ことが重要である。そのため、全ての方法に共通したマナーと、各方法に固有な守るべきマナーを明確にす
る必要がある。
A山のトイレは実質的に有料化(1回100円程度)にすべさである。
B各山域または各山小屋ごとのトイレ情報を、山岳雑誌・山のガイドブックや地図はもとより、一般の新聞・テレビなどのマスコミを通して広く周知する必要がある。
ところで、日本山岳会でも、科学委員会と自然保護委員会共催で、11月25日に 「登山者の立場から山のトイレ問題を考える」シンポジウムを開催する。当日は、環境庁・山小屋経営者をはじめ、登山関係者によるパネルディスカッションを計画している。詳細は、来月号に掲載する予定である。
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