奇妙な表現になるが、ヒマラヤの電化作戦がこのところクローズアップされている。今春、エベレスト西稜登攀に、ジョン・ロスケリーとBBCのアメリ力隊がテレビを持ち込み、人工衛星を介して生中継しようというものだ。この先鞭をつけたのは三浦雄一郎のスキー大滑降(1970)で、サウス・コルの実況がBCに飛び込んできて、BCキーパーたちを楽しませたことがある。
もう一つは風力、太陽エネルギーの電化。今冬の8千mの冬季登攀は、エベレストの2隊、メスナーのチョーオユー、日山協のマナスル、北大のダウラギリ主峰の計5隊だったが、“完全成功”は北大隊だけだったといえる。
同隊は風力発電機、太陽電池を持ち込んでいる。BCからの全行程を雪洞に絞ったこともユニークであるが、その他に風力発電機(途中強風で破損)でBCの炊事用の融水を、また太陽電池で気象ファクシミリを受像、超音波吸入器、トランシーバー、雪洞内の照明用蛍光灯を作動させていることもユニークだ。冬季の日照時が100パーセントに近いことを考えると効率の高い処置といえる。
同隊は、冬季という悪条件を克服するための手段として、少ない登頂チャンスをつかむため適確な気象情報の入手につとめた。全欧州と中央アジアをカバーするタシケント(ソ連)と、中国からカスピ海をカバーするニューデリーの各気象ファクシミリを取って、予報判断の資料とした。このファクシミリを動かしたのが太陽電池(ほくさんHSP40、5.5キロで、自動車のバッテリーに充電し最大出力80Wを得、また3日間の曇天でも必要な電力を確保したという。
こうして得られた天気図で12月13日のチャンスをつかんだ。担当したのは名越隊員で、13日は天候が悪化するとしているが、風は弱まることを予報した。事実その通りになり、小泉隊員は7400メートルのC2から出発、午後3時半に登頂、零下30度のなか、7950メートルでビバーク、14日、軽い凍傷のみで帰還している。
チョーIオユーのメスナーは、8千メートル峰登山の高所ビバークは死を意味するとして登頂を断念した
が、加藤保男はエベレスト南峰でのビバークで死を招いた、とメスナー自身、加藤との明暗の分岐点を日本の週刊誌で指摘しているが、北大隊の安間荘隊長も、今冬のチャンスは12月13日と27日の2回しかなかった、と資料的に判断、27日の加藤のアタックは当然ではあったが、「判断違いからビバークを強いられ」(メスナー)、同日午後9時の交信を最後に「本格的な冬を告げる深い気圧の谷に呑みこまれてしまった」(安間)。
いずれにしろ、過酷な冬季登山の到来から、より以上に安全確保の配慮が必要で、その大自然の
諸条件を引き出すには科学的な手法をより導入しなければならない。
(片山全平)