朝日に輝く中央アルプスを拝んで一日が始まり、夕べには暮れなずむ南アルプスの峰々の眺めに酔う。関東からこのぜいたくな伊那谷(信州大学農学部)に移り住んではや二冬目も終わろうとしている。豊かな山岳を抱える信州に、信じがたいことだが山の積雪学、雪崩学の専門家は私一人しかいない。災害対策の仕事は多い。登山者・山スキーヤーヘの雪崩教育、スキー場雪崩対策、雪崩事故分析等々である。
しかし自然を学ぶのが先だ。私は伊那から中央アルプス西駒山荘に至るルートの積雪調査を毎月行うことに決めた。標高1300メートルから2700メートルまで比高にして100メートル登るごとに、雪面から地面までの積雪断面構造を調べる。
山好きの学生7、8人に手伝ってもらっているが、3日がかりの大仕事である。
この仕事を続けて二冬目も半ばを過ぎた今、私は中央アルプスを霜と水の山としてとらえるようになった。
霜といっても、積雪内部の雪粒が上層と下層の大きい温度差にさらされて変化して生まれるこ霜ザラメ雪」のことである。霜ザラメ雪は霜結晶の一種であり、水に浸って生まれる非結晶のザラメ雪とは、成因も形態も異なる。積雪深部の霜depth
hoar(霜ザラメ雪の英名)を触れたこともない先人が誤訳をしたために、両者は日本では混同されがちである。
霜ザラメ雪はドイツ語でSchwimmschnee(泳ぎ雪)と呼ばれ、踏んでもすぐには固まってくれない。グラニュー糖のようにバラバラになりやすく、まさに岩場ではスリップを誘う雪であり、雪崩の弱層をなす代表的な雪であり、ラッセルの際には新雪並みに足が深く潜り体力の消耗をもたらす。泳ぎ雪は、スノーモービルのキャタピラにさえ空転をもたらすこの雪の性質を見事に表現している。
私どもは中央アルプスに新雪がないときでも古い霜ザラメ雪のラッセルで新雪ラッセル並みに体力を食われ、止まってはブロック状には切り出せない霜ザラメ雪の掘り出しに時間ばかりかかったのである。
実は寒気、好天、放射冷却というキーワードがそろう環境は、霜ザラメ雪を生む環境であり、中央アルプスだけでなく、冬の八ヶ岳、南アルプス、富士山も同じである。ただ登山者は霜ザラメ雪とは認識せず、ぬかる雪とか腐った雪と表現している。
今冬、南アルプスと中央アルプスで起きた雪崩事故のほとんどは、霜ザラメ雪の弱層がからんでいると考えてよい。
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一方、「霜と氷の山」の氷とは着氷がからんだ積雪のことである。昨85年正月には、千畳敷カールで着氷の一種である雨水(うひょう)に塗り込められた重く硬い乾き雪が雪崩れ落ち、登山者6人に死をもたらした。
冬の雲は過冷却の水滴でできている。大量の過冷却水滴は物に衝突すると瞬時に凍りつく。こうした着氷の代表が蔵王で樹氷といわれるモンスターだ。樹木への着氷が多い地域では当然雪面への着氷も多い。雪面の雪粒の隙間を微小な水粒が埋め、アイゼンの効く硬雪を生む。この硬雪が弱層の上に載っているとしたら、急斜面では重心の高い不安定な積雪構造になる。
着氷がらみの積雪は風当たりの強い稜線付近ではメジャーな積雪である。が、雪氷学者の間ではまだ注目されず、分類も名称もない。仮に着氷クラストとこれを名づけよう。夕方の斜光のもとで着氷クラストに目を近づけると、エビノシッポのような独特のミクロな模様が見られる。
しかし正直言って、冬の中央アルプス稜線の朝夕は私の体に厳し過ぎて、じっくりと観察する余裕がない。
昨年4月下旬、中央アルプスの高所にも大雨が降った。木曾駒を囲む力−ルの一つから、水をたっぶりと含んで結合強度を失った積雪は、カールの下端のモレーンから沢にあふれ出て長さ約2キロメートルのスラッシュ(雪泥)雪崩となっていた。
スラッシュ雪崩は富士山でも毎年のように起こり調査を続けているが、ここで見た時はまるで旧友に再会したかのような懐かしい感情で胸が一杯になった。
さて、全国的に大雪の今シーズン、北アルプス白馬乗鞍岳では雪崩が山を乗り越えて森林を破壊しつつ、数キロメートルを流れて止まった。中央アルプスでも巨大雪崩が発生する条件は整っている。残雪期には巨大雪崩とスラッシュ雪崩の跡を追いかけ、自然の威力に驚き興奮していることだろう。人間くさい「災害」を抜きにして、自然現象としての雪崩は山々に大地に何をもたらしているのだろうか?中央アルプスでの私の宝探しは今始まったばかりである。
(信州大学教授) |