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地形図と地質図からみた分水嶺 

織方郁映

 山地における県界は水利権との関係で大部分が分水嶺である。科学委員会が公募で踏査した帝釈山〜田代山間でも福島〜栃木の県界線は忠実に分水嶺を通っている。例外的なのは尾瀬の原や沼を二分する県界で、これは正保三年に幕府の調停で幕を閉じた領地争いの結果だという。隣の藩との往来には二つの峠を越えねばならず、その峠間の低地の領有権が問題になったのだろう。

 道は生活上の必要から作られるから、分水嶺を越える部落間の峠道は多くても、峰から峰への道は少ない。作られるとすれば分かり易くて距離も短い稜線沿いになるが、稜線は浸蝕に耐えて残った部分だから硬い岩頭の突出が多く、おまけに風も強いから道は稜線を避けて通り易い側に作られ、両側が急峻な場合のみ、仕方が無いから稜線上を通ることになる。地形図上で帝釈山〜田代山間の登山道がすべて北側にあるのは、北側の傾斜が緩いからだろうし、南側に崩壊の印が多いのは、その部分の岩が逆層で水が滲み込み易く、凍結・溶解による崩壊が進み易いからだろう。

 地質図を見ると、この二つの山の頂付近は夫々約七百万年前に噴火した奥鬼怒巨大カルデラ火山由来の溶結凝灰岩によって覆われているが、その下は約二千三百万年前までにできた花崗岩層であり、その東南には一〜二億年前のジュラ紀の堆積岩層が広く露出しており、その表面には、太平洋プレートの潜り込みに際して付着したチャートが両山に向って押し寄せる波のようにへばり付いている。

 つまり、この地層が乗った北米プレートは、北西に向けて進んで来た太平洋プレートに潜り込まれるために、北西側に傾斜しているものと予想され、このことは県界線が田代山湿原の南縁を通っていることからも想像できる。

 事実、今回の探査によって帝釈山頂では畳のように積み重なった溶結凝灰岩層も田代湿原もやや北側に傾斜していることが確認できたし、田代山湿原の南端に沿って低灌木が生い茂り、水が停滞しない分水境界であることを明白に示していた。

 中央分水嶺の連なりを現地で山並みを見渡してたどるのは容易ではなく、地形図上で確認する他ない。たたなわる稜線を眺めながら、この踏査を機会に「中央分水嶺トレイル」などは作れないものか?と思った。

山717 (2005/2月号)「東西南北」より


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