三、分水界の道すじ、道の状況
中央分水界は、ほぼ列島を縦断している脊梁山脈に沿っている。とはいえ、日本列島はただ一本の単純な島弧ではなく六つの島弧のつながりから出来ているので、島弧の接合部分では太地形の配列が複雑になっている。そのため、「山高くとも中央分水嶺に非ず」というわけで、富士山も、日本アルプスは飛騨、本曾、赤石の三山脈ともに中央分水界とは無関係である。最も高い山は、北アルプス南端の乗鞍岳3026メートル、最も標高の低い分水界は、本州の中では、兵庫県内、福知山線の通っている石生地区(95メートル)で、太平洋側は加古川、日本海側は由良川へと水系を分けている。日本全士でみると最低地点は北海道内、千歳空港滑走路上の20メートルである。
この後者は立入り禁止区域である。他に、噴火中の浅間山火口周辺も同じく立入り禁止。その他では、天然記念物に指定された植物の群落、国立公園法による特別保護区域の一帯、これらの已むを得ない区域はその境に沿って外縁を廻り踏査に代えた。こうして全分水界を歩き通すことができた。
人里遠い山稜にどのようにとりつくか、時間が許されれば、主要河川を遡行して源流をたしかめるのも興味深いルートであるが、担当支部は諸事情に応じて調査工夫をこらし、最も適当な道をとって、稜線到達点から離別点までの位置確認や、その他の調査事項の記録に努めたのである。
図1には、各ブロック別に、登山道のある割合を示した。全国平均で25.9%という数値は、いかにこの踏査が厳しいむのであったかを物語っている。道がないということは当然のことながら道標もない。「取り付くしまもない」とは、或る支部が地図を広げて調べ始めた頃の印象として記した言葉であるが、稜線へ辿りつく手がかりを得ようと、地図を広げる畳むを繰り返すうちに紙が擦り切れてきた、とある。
踏査さまざま
予備調査通りいつも順調にいくとは限らなかった。最終報告書には綴られている。
「山深ければ、鬱蒼とした樹林帯と背丈ほどの藪の中を進むのは勇気の要ることである。リング・ヴァンデリングに気付きどっと疲労を覚える。」
「支尾根が幾つもあったり、分水界の尾根自体が明確でない時、陽は高くともお先真っ暗、高い木々の中、或いは背丈を越す蜜薮となると見通しが全く無い。薮の薄い方へと迷いがちになるのも人の性。そんな折は特に頼もしいGPSのお世話になった。」
「時に特殊技能者も出現。皆の難渋を見るや、やおら只独り傍の高い本に攀じ登り、掌を翳して辺りを見まわして、取るべき往く手を指差してくれた玄人…」
さらには、「折も折、思いもかけない刈り払いされた稜線などに出ようものなら、それこそ宝くじに当たったような気分になった」とあるのも、うべなるかな。また、「藪を抜け出た特には思わず深呼吸、互いに顔を見合わせ、安堵感を味わったむのであった」とも綴られている。
地元で「熊の棲」と言われていて熊の糞の散見する藪の中を呼子を吹きながらの踏査もあった。「熊に注意」の札が立ってないからといって油断は出来ない。親子熊に出くわして睨めっこ、踏査は止めて引き返した話。熊の臭いは物凄く生きた心地がしなかったとのこと。時には足あとに気づいて身構えた!・どうやら熊の方が遠慮してくれたらしいという話も。
鹿さんの安住の地も歩かせてもらった。山奥の動物達は慣れない出来事に戸惑っていたのかもしれない。
マムシが鎌首をもたげてくるは、スズメバチが飛び交うは。 まさにそこは野生の世界、彼らがお休みする時期を選ぶこととして、お目見えはご遠慮申し上げた。
踏査に当たっては嫌われ者の極みである藪ではあるが、植生の専門家から、これが表土の浸食を抑えて、大切な尾根筋を守り、森の緑を支えるという大変な効用を持っていることを、後になって教わった。兎にも角にも藪を掻き分け掻き分け、喘ぎながら抜けてみれば、馴染みの登山着は破れ箇所が目立ち、皮膚には掠り傷、眼鏡をとはされた人もあった。藪こぎ用ゴーグル、手袋の差し入れもあったと聞くが、なんとかこの手強い藪から宝物を掘り出した。こうして手に入れた宝物こそ分水嶺踏査なのであった。〈苦しきことのみ多かりき〉の藪こぎではあったが、或る医師の会員が発した「いやあ、ここは俺よりひどい藪だあ!」の言葉に、時を移さず藪の中に涌いた笑い声、いつまでも語り草になっている。藪談義になれば、各支部ともに話は尽きない。
藪と同時に難渋したものに倒木かある。豪雨、台風で膨大な被害を受け、スギ、ヒノキの風倒木が多く放置されたまま稜線を塞いでいた。マツ喰い虫の被害で枯死した木々も然り。
山中には一般登山では窺い知れない葛藤の場が隠されていた。
一方に、激しいアップダウンや痩せ尾根が続くなど、強い気構え、高い技術も必要とする区域があった。北海道、道南地区の割岩と呼ばれる巨大な岩場とピナクル。地形図には現われない10メートル前後の壁が連続し1日に1キロしか進めない難所など、それらの写真からは、直に日本山岳会の力量が窺えるというもである。九州の脊梁山地にも、秀麗な山容のかげに急峻な尾根があり、鋸尾根と呼ばれる峨々たる岩稜の続く尾根などに、若手の精鋭が挑戦した。潅木に頼り体を引き上げながら急登した日のことを思い出す人も多いのである。
少々毛色の違う区域がある。首都圏同好会が担当した群馬県北部、日光国立公園の中を通る分水界の踏査は、特別な規制のある区域の踏査であった。第一種特別保護区域にあたり、一木一草、石一個にいたるまで現状変更をしてはならないとある。
登山道は分水嶺線上微妙に外してつけられている。登山道を外れて藪こぎをするなどはもってのほか、積雪期以外に現場に立ち入ることは許されない。夏道が出ている時期と積雪期に試行錯誤を繰り返した踏査の報告となっている。
同時に真の分水稜線を傍から見据えながら歩き、実態を明らかにするのも一法と考え、記録をとったグループもあった。
「忠実に分水嶺上を歩くことを基本とする」と申し合わせて、東九州支部は大きな岩が突出して連なる岩稜も岩を上り下りして進んだ…そのすぐ近くに楽に歩ける道は通っていても、あえてスズタケに雪の積もった稜線をラッセルして進んだ。しかし、区間内の国立公園法による特別保護区域では自然への配慮を忘れていなかった。
環境省自然公園指導員、日本高山植物保護協会員のいる同好会も百周年記念事業とはいえ、貴重なガンコウランなどの咲く一帯を踏査空白域として残したことは言うまでもない。
概ねおだやかな地形、自然崩落や伐採の跡も見られない、静寂の稜線に立ち、霞の彼方まで果てしなく続く分水嶺の山並みを望む時、日本が山国であり、国土の70%が森林に覆われていることをつくずく思うのである。地図の上には、樹林の記号ばかり、地名も山名も極端に少ない一帯の姿には、誰の言であったか、日本の原風景を見る思いとあった。
並大抵の苦労ではなかったが、人と出会うことも無い静かな山行ができて、原生林に覆われた峰々に自然のもつ奥深さが感じとれる所まで分け入ることになった道すじである。